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女友達 境遇は違えども 

GWの真っ只中、同級生との食事
水天宮の「コルレオーネ」で待ち合わせ。

4人の予定だったが、ひとりはあいにく旦那様の仕事が入り3人で会うことに。
学生時代からの付き合いゆえ、今さら気取れない遠慮のない仲間でもある。

女性の場合、結婚するのかしないのか、はたまた仕事や子供を持つか持たないかでお互いの境遇が変わる。
それゆえに、接点が薄くなり付き合いが遠ざかるケースも多いと思う。

私のように、会社を飛び出し、結婚しても子供がいなければ、尚のこと子持ちの友とは疎遠になりがちだろう。
しかしながら、幸いにもわが友は、嫌がらずにきちんと私を仲間に入れて誘ってくれる。大変ありがたいことである。ハート

ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2

さてそれぞれ境遇が異なる私たち。

今回、参加できなかった友人Aは、エンジニアリングの会社を経営する旦那様と中学生の一人娘を持つ専業主婦。
同じく小学生の一人娘を育てながらほぼフルタイムで働く友人Mは、旦那さんは奈良で単身赴任中。
中学生からの付き合いの友人Tは、料理教室の講師をパートタイムで勤めながら、なんと4人の子供を育てている。
(私に子供がいない分、社会のためにTがその埋合せをしてくれていると堅く信じている私)

友人Mは、数年前に夫の奈良転勤が決まったときに、長年勤めぬいた会社を退職し、家族で引っ越したが、昨年彼女と娘はこちらに戻り仕事に復帰した。今回のGW中、旦那さんは奈良から、最近購入したばかりの愛車を6時間以上かけて運転し戻っているらしい。

Mは、現在派遣社員として働いている。
彼女にとってこの数年は変化の連続だったと思う。リスクを覚悟で娘を高齢出産し、会社に復帰、その後夫の転勤。
会社を退職して見知らぬ土地へ移り、慣れぬ土地で年下のママ達に混ざり、専業主婦として関西弁を起用?に喋る娘の育児に専念。
そして再びこちらに戻って、働くママとなり、初の転職を体験することに。

久しぶりに再会できた私達3人は、それぞれビールとシャンパンで乾杯。
ついでにコルレオーネで決して外してはいけない、「いわしとなすとトマトのテリーヌ」、「ルッコラサラダ」を含めたアペタイザーをオーダー。
ちなみに、某飲料会社で働く夫を持つTの話しによれば、「レストラン・コルレオーネ」は、Tの旦那さんの友人の間でも美味しいイタリアンとして話題にあがっていた店らしい。(詳しく知りたい方は「こちら」へ)有名なんだわ、やっぱり。



転職したMは言う。
何だか、以前の会社にいた頃は、あ~もうこんな会社嫌って思ってたけど、転職してみると元の会社の人達のこと、よく思えるんだよね~。」

分かる、分かる、その気持ち。私も初めて転職したとき、本当にそう思ったもん..。ねこ
案外、転職したことのある他の人も、皆そんな気持ちになるんじゃないかなぁ。

さて料理教室の講師を勤めるTは、フルタイムではないが、高校生を筆頭に1男3女を育てながらの仕事なので、両立は綱渡りのような側面もある。

例えば仮にTの子供4人のうち誰かが急に病気になったりしても、料理教室のクラスをキヤンセルすることはできないからだ。
でも、もしそんなことが起きたらどうするのか?(子供ゆえに転んで怪我するとか、急な腹痛・発熱などもあるだろう)
そんな場合は、自分の責任で、自分の替わりにクラスを受け持ってくれる講師を探し、クラスを担当して貰うそう。(大変あうっ
毎回新しい料理を学び、そして生徒に教える。結構、大変な仕事だと思うが、収入はよろしくないらしい。

子供を預けて交通費を払ったら、赤字とまでは言わないけど、あ~...みたいな世界よしくしく
でもねぇ、近所のスーパーでレジ打ってお金貰うよりも、その方がいいなって私は思う。だって安くたって、お金のために働いているわけじゃないし、ここで働きながら学べば、その先には何かあるって思える、夢が持てるじゃない。」とTは言う。

もともと、向学心が強く、いつも成長しようという努力を続けるTらしい考え方だと思う。
Tは昔からエネルギーが高い。子供が何人いようと、おそらくTは○○ちゃんのお母さんではなく、「自分自身であること」を怠らない女だと思う。見た目だって、とても4人の母とは思えぬ若さと美しさを保っている。

住宅ローンも繰上げして完済しているしっかり者のMの視点は、もっと現実的。
う~ん、私は働いて収入を得ることは大事だなぁ。仕事は収入のためっていうの大きいよ。」

本当に?でもMだってそんなにアクセクしなくても、旦那さんの収入だけでやっていけないことはないでしょう?」とMの答えに疑問符を投げかけるT。

しばし熟考してからMは答える。
確かに旦那の収入だけでやっていけないことはないけど、この先、何が起るか分からないし、将来に備えておきたいよね。それに私、働くことって好きなんだと思う。例えば、前の会社で後輩とか派遣さんに仕事を教えて、その後でその人たちから"○さんのお陰です。すごく今役立っています。”って感謝された時、すっごく嬉しくなったんだよねぇ、何か人の役に立てているっていう感じがしてね。仕事のやりがいみたいなものかな。」とM。

「そうか~、私の場合は、、、」と
その後も意見は飛び交い、互いの今の立場が見えてくる。

TとMの仕事に対する考え方の違い、私はどちらかと言えばMに近いだろう。

しかし意見は違えど、よく聴いていくとTとMそして私の三人に共通するものがある。

それは皆、それぞれの目下の課題を抱えながら「仕事の中に自分の価値を見出そうとしている」ところだと思う。

それって、個人としての幸せ感の一つに繋がるんだろうなぁ...。

Fuuuum、「幸せ」とは、愛、仕事、お金、成長、美しくあることを、手に入れたとき?ねこ

もしかしたら、「幸せ」とは手に入れた時以上に、それらを追求する過程の中にあるのかもしれない。

今夜も、違った角度からの社会に気づかせてくれる"わが親愛になる友"に感謝と乾杯。ワイン



徒然なるままに : 02:49 : comments (x) : trackback (x)
江戸の文化 浮世絵はポップでサイケな芸術

私は親元を離れて独立して以来、あまりTVを見ない人だった。
時間のあるときにちょっとスポーツやバラエティ番組を見たり、
外から帰ってきて、夜のニュース番組をチェックするくらいなものである。

がしかし、、、ケーブルの契約をして以来、TVにはまっている。

海外の番組も面白いのだが、
特に「NHK」のBSチャンネルとかハイビジョン番組にはまっている。
NHKの特集番組とか取材番組はいい。オッケー
きっちり取材していて、観ていて面白くて引き込まれる。
(予算と人材が豊富なんでしょうねぇ)

契約したデジタルTVのハードディスクの録画機能がメチャクチャ簡単なので、おそらく拍車をかけていると思う。

そのうち、最近観た番組の中の一つをご紹介したい。

ハイビジョン特集「幻の色 よみがえる浮世絵

一昨年、富山県の旧家から見つかった、江戸時代の大量の浮世絵の「版木」をもとに、江戸時代に摺られた当時の浮世絵の色を再現するまでを追った特集である。

見つかったのは、江戸時代後期の浮世絵の絵師、「歌川国芳」のものである。

国芳は、当時の幕府の政治を「風刺画」などで描いているが、大胆な構図や奇想天外な浮世絵で「幕末の奇想の絵師」として、20世紀後半になってから再評価されている。

国芳の再現された浮世絵と、浮世絵が当時の手法で完成されるまでのプロセスを見ていたく感動した。

浮世絵は、「絵師」、「彫り師」、「摺り師」によって生み出される芸術で、チームで行う仕事である。(まさにプロダクション)

「絵師」が書いた絵を、「彫り師」が桜の木の「版木」を使って彫り上げるのだが、その仕事が細かい。
歌舞伎役者などの髪の毛を、よりリアルに見せるために、生え際の毛を細かく細かく掘っていく。
なんと、当時の彫り師は「1mmの間に5本の髪の毛を彫るのである。」つまり、「1mmの間に8回も、刀を入れることになります。」
本当に途方もない技術で、江戸時代の職人のこだわりと、技術の高さに驚いてしまう。

現代までの時の流れの中で、人が生み出す技術やテクノロジーは飛躍的に伸びてきていると思うが、当時の職人達が持つ「職人技」に、かなわない技術があるのだと改めて知る。

色についても、重ねて摺ることにより、少ない色から多くの色を絶妙に表現している。
ぼかしたり、濃くしたり、インパクトを出すために、あえて他の色を薄め、1色だけを強調したりなど、絵師からの短い暗号のようなキーワードの指示が、版木に筆で書かれているのだが、そのニュアンスを嗅ぎ取り、絶妙の色を出すのは「摺り師」の仕事である。

絵師、彫師、摺り師で成り立つ1つのプロダクション・チームに、共有される「あうんの呼吸」があるのと、数多く生み出される作品の中で、競い合うように磨かれる技とセンスなのだと思う。

何せ、当時の「浮世絵」1枚の値段は、「1杯のお蕎麦」よりも安かったそうなのだから、数多く作成する必要もあったと思う。

しかし、「多色摺りの版画」という手法によって、美しい「浮世絵」が大量生産できたがゆえに1枚の価格が安くなり、江戸の大衆の生活の中に、芸術を日常に楽しむ習慣が広がったことを考えれば、その意味合いは大きいと感じる。

今回発見された版木によって、明治以降に失われた浮世絵の技術が検証されつつあり、番組は江戸時代の技術そのものを使って、浮世絵を再現するまでを追ったのだが、その浮世絵の色の違いをご覧下さい。

ゴッホや多くの芸術家が「浮世絵」に魅了されたのは、その構図だけではなく、大胆な色使いにあったのだと思いました。

再現された浮世絵には、150年前のアートとはとても思えない、「ポップアート」といってもおかしくないパワーと現代性を持っています。

この浮世絵は、現存するもの


こちらは当時の色を再現したもの


現存するもの


再現したもの


ヨーロッパで、当時、日本の焼き物を買って、梱包されている包み紙(浮世絵)を見た人は驚いたと思います。
多分、中味以上に包み紙の浮世絵を見て、「何、これ!!ぎょ」という感じじゃないでしょうか。

退色してしまった版画の色も、それはそれで趣きがあって美しいと思いますが、

江戸の町中は、きっとものすごくカラフルで、派手なお着物で目立とうとしていた町民が沢山いたんじゃないでしょうか。
すごくパワフルで活気のある町だったと思います。

あ~、タイムマシンがあれば行って見てみたい。


徒然なるままに : 16:30 : comments (x) : trackback (x)
街路に花が溢れる季節 コーヒータイムの目の保養にどうぞ

GWが間近である。
といっても、毎年、出かけることなんてなくて、家でゴロゴロ、近所をブラブラ。
1泊だけ温泉に行って来ようかと思っている。

かつて、やっぱり「GWなんだから旅行しよう」と、夫婦でGWに沖縄旅行に出かけたのだが、とっても人が一杯いて混みあっていて、那覇空港からレンタカーを借りるまで、レンタカー・ショップでは事務所からあふれ出し、炎天下のもと1時間以上待たされてしまった。しくしくしくしく

ブセナで泊まったホテルは良かったものの、すご~く張り切って事前にエステに通い、念願の久々"ビキニ"でビーチに登場したら、お子様連れが多く、殆どの若いお母様方は、皆お洋服を着込んでいて、想定外の「あれ?」という風景。
気づくと、ビーチで妙に浮いている自分がいて、ボルテージがイッキに下がったのを記憶している。

今年、姉は子供達抜きで、念願の「ヨン様」の国、韓国に義兄と一緒に旅行にいくらしい。
二人にとっては、超久しぶりの海外旅行である。
珍道中になると思う。土産話しが楽しみ。

さて、この時期に、町を歩くのは気持ちがいい。
気候もそうだし、何より花が多い。
最近、車になるべく乗らないようにしている私にとっては、いい時期である。
(真夏のカンカン照りの暑い日に、「タクシー」を拒めるか、、ちと不安あうっ

春は過ぎて初夏という感じになってきているけれど、
色鮮やかな花に思わず足を止めて見てしまう。

桜が終れば、八重桜に続いて花みずきが咲き、
五月も様々な色を見せてくれる。

目の保養にどうぞ音符

















徒然なるままに : 16:53 : comments (x) : trackback (x)
日米の間で子供を生むパート2 無事高齢出産!

先週はいい~お天気が続いていました。太陽
自宅前は、白の八重桜がホンワリ丸く、綺麗に咲いています。


こんなに、ポカポカ天気が良いと、猫も日陰にこもって気持ちよさそ~に昼寝をしています。


先週は、そんな良いお天気の中、「赤ちゃん」が生まれた友人Rの家を訪ねました。
以前、このブログに書いた、アメリカ人の旦那さんを持つ友人です。
昨年会ったときは、6ヶ月でお腹が大きい状況でしたが無事出産チョキ

男の子のBaby-ネイサンちゃん音符
小っちゃくて可愛いハートハート
まだまだ小さいので、どっちに似ているのか判断しにくい。


しかしながら、逆子だったため出産は「帝王切開」となったようです。

「出産後がホント痛くて..。くしゃみも咳きも笑うのも、痛くって我慢してるのよ~。もう絶対に普通に出てくる分娩の方がいい。」とこぼしていました。
やや前かがみに腰を曲げつつ歩く友人の姿を見ていると、私の腹部まで痛くなってくる..。あうっ

そういえば、華僑の財閥と結婚した知合い女性が言うには、中国(資産家)の家では出産は殆どが帝王切開らしい。
彼女も二人の子供を出産しているが、二人とも日にちを前もって決め、帝王切開で産んだそうだ。
生年月日による「運勢」についてとっても気にするらしく、子供の運気を上げるために、出産日を先回りして決めるため、そうなるのだそうだ。

しばらくすると、Rの家族の皆さん(彼女の母、ご主人の母、ご主人)が外出から戻ってきました。
新宿の伊勢丹で買物をしてきたようです。ご主人のお母さんの東京での観光も兼ねておそらく「伊勢丹」を選んだのでしょう。
Rもご主人も伊勢丹の地下食材売り場で、フランスのチーズの専門店が撤退していたことをことのほか残念がっていました。
多分「マリーアンヌ・カンタン」のことだと思うけれど、日本ではもうショップはないのかもしれない。新宿伊勢丹って、すっごくいい点でもあり悪い点でもあるけど、入れ替えが多くて早い。しくしく

東京では世界一美味しい「レストラン」は数多くあれど、数多くの美味しいチーズの種類をそろえているお店はないようです。
昔と比べれば、ワインの流行と共にチーズの専門店も出来て、店頭にならぶチーズの種類ははるかに増えましたが、やっぱり日常的に様々な種類のチーズを食べるってことが、日本人の食文化にはまだまだないのではないでしょうか。
案外、数年前の方が食料品店のピーコックに並んでいるチーズの種類も多かったように感じます。
20代の頃、旅行でスイス人の友人宅に泊まり、土曜日の朝ごはんを用意してもらったところ、いろんなチーズとハムとパンが数多く並んでいて(品評会のような)、なんと沢山の種類のチーズとハム!とビックリしたのを憶えています。私の驚いた表情を見た友人は、「これって典型的なスイス人の週末の朝の食卓なのよ。」と教えてくれました。

余談ですがRの自宅マンションは、都心のど真ん中にありながら、ため息がでるほど私好みの風情と場所にあり、遊びに行くとそれだけで癒されるような感じです。窓から見える景色も、東京タワーと高いビルが見えますが、マンションは坂の上にある高台なので、たっぷりと緑の木立を見下ろすようになっていて、とっても落ち着く静かな場所です。
マンションの門を過ぎると、エントランスまで続く長~いアプローチが、樹齢の長そうな木立に囲まれてまるで、夜になって歩道を照明が照らすと、バリの高級リゾートに来たような気分になります。(いいわぁ~、金額が高すぎて無理だけど、都心ど真ん中でもここだったら住みたい。ねこ

両方のママがいると、赤ちゃんを抱っこしてくれる「手」が沢山あります。
まずは仕事を早く終えてきたご主人が、早口の英語と日本語のちゃんぽんで何やら呟きながら赤ちゃんを抱っこ。
そのうち、Rのママが抱っこ、しばらくするとご主人のママが抱っこ。

赤ちゃんがいるだけで、場が明るくなり和みます。ハート

両家にとっては、初孫らしく、盛り上がる気持ちは分かるなぁ...。
私も初めて生まれた「甥」を見たとき、ものすっごく感動して盛り上がった。
な~んて、可愛いんだろう。ハートと思った。

さて、Rはしばらく日本にいて、その後はサンフランシスコに移動する予定。
今後、彼女が抱える子育ての課題の一つは言語となってくる。
両国の祖母とコミュニケーションが取れる子供になって欲しいというのがRの願いでもある。
現地のプレップスクールに入学させれば、やはり英語が主体となっていくことは間違いない。
日本語学校に通わせる家も多いらしいが、それでも、文法的におかしいとか、強い訛りのある日本語しか話せない子も珍しくないらしい。

ともかくも、友人が高齢出産を無事切り抜け、可愛いBaByを生んだことは「すごい」こと。チョキ
先日もある知合いの女性から、やはり同じく高齢出産で生まれた、可愛い男の子の赤ちゃんの写真とお便りを受け取りました。
女性の皆さん、えらい。グー 皆、リスクのある命をかけた出産ですからねぇ~。



徒然なるままに : 11:47 : comments (x) : trackback (x)
桜は京都より東京?!

東京は桜が多い。
以前、「京都の桜」を楽しみに京都へ行ったことがあるのだが、想像していたよりも桜が少なくかつ人が多くガッカリした記憶がある。

そりゃ~、「醍醐寺」のソメイヨシノとかシダレザクラは樹齢も長く美しい。
「貴婦人のようだわ~ハート」と感動したが、東京の桜に慣れた者にとっては、京都は桜の絶対量が少ないのである。
東京の場合、桜の見所がアチコチに点在していて、その量が多いと思う。

日曜日、知人の息子さんの告別式に参列した帰りに、車の中から「目黒川沿いの桜」を見たが、川の両岸に互いにもたれかかるようにして、みっちりと咲いた満開の姿を見せている桜はうっとりするほど綺麗だった。

また、渋谷にさしかかると、渋谷の桜丘の坂を上がる両脇の桜トンネル、これも美しい。白金近辺の桜も綺麗だった。
「千鳥ケ淵」には1000本のソメイヨシノとヤマザクラがあり、夜になってお堀沿いにライトアップされる桜は幻想的で圧巻。


その他、「新宿御苑」の桜、「砧公園」の桜、「上野公園」の桜など、見所が沢山ある。
もしかしたら徳川幕府の頃に取られた政策、江戸文化からの続きなのかもしれない...。

ちなみに、こちらは自宅近くにある桜トンネルの一つ


これは自宅前に咲く桜
この時期になると、ハラハラと風に乗って桜の花びらが落ちてくる。


夜になると、この桜からポッカリとのぞく月がまた風情があり、
家までの帰り道を楽しいものにしてくれます。
そういえば、今月は明日が「満月」です。
願いごとをしましょう
オッケー


毎年、満開の桜を見ると心が浮き立ち季節の変化をはっきりと自覚し、何やら仕事へのエネルギーが高まってくるから不思議。むむっ

今晩は、六本木でマネックスの松本社長の「ビジネスと人権問題」に関するセミナーがあります。
内容を期待しつつ.....。



徒然なるままに : 12:29 : comments (x) : trackback (x)
WBC優勝 イチローすごい!

3月24日WBC決勝戦 サムライ日本優勝おめでとう!!!!!!チョキチョキチョキチョキチョキ

何だか、とっても嬉しい!

夜の水天宮近辺では、酔っ払いがあちらこちらで出没していて、帰り道に「祝杯」でも、あげていたのではないだろうか?と想像してしまいました。

帰り道、水天宮駅から電車に乗ってホームを見ると、酔ってヘロヘロになったサラリーマン二人がいましたが、
目があったかと思ったら、なぜか二人とも、笑いながら電車の窓のすぐ近くまで走りよってきて、私と連れの2人に向かって、思いっきり顔を窓に近づけて両手を振っています。(やだやだ)
私達3人とも最初ちょっと怖かったんですが、その顔があまりにも緩んで間抜けで"Happy"そうなので、おかしくて、こちらも振り返してあげました。パー
今宵はみな、Happyなのかしら...

さて、話しを戻すと、"イチローファンハート"の私は、決勝戦、準決勝に引き続き、本当に盛り上がりました。

イチローがしぶとくファウルを打ち続け、勝越し打を決めたき、思わずガッツポーズグーを取り、5~6回ジャンプしてしまいました。(仕事はどうなってるんだ~!!)

多分、あの瞬間、日本列島のあちこちで、興奮のどよめきが一斉に起ったと思う。

スミマセン、以下イチローの写真ばっかりです。ぽっ

バンザ~イ ニッポン!


振返れば、決勝戦1回表 イチローの初打席


来た~!! ヒットの予感!!


ヒットだ~!! 幸先がいいわ~


走るイチロー


真剣...むむっ


そして、10回表 勝敗を分ける運命の打席 


またもや、きた~!! 神が降りてきた~


場内がどよめき、嬉しそうに"日の丸"もたなびく


やった~! 3対5!!



WBCがスタートして、イチローは苦しんでいた。
納得のいくプレーがなかなかできず、谷ばかりで山がないと感じていた。

だからこそ、決勝戦の最終回の「勝越し打」は、彼にとって大きなギフトだったと思う。
あの局面で、きちんと期待に沿えるのは、本当に限られたプレーヤーしかいない。
そういう意味で、やっぱりイチローはすごいと思う。
「ここで打ったら、その後、盛り上がるだろうなぁ~」とインタビューで答えていたので、ものすごく内的会話があったらしい。

イチローとの勝負に挑んだ、韓国チームの監督に感謝である。
(これ後で分かったのですが監督は見送りのサインを出していたようですね)

どんなに、天才的なプレーヤーでも、十割なんて決して打てないのが野球である。
プロは、並外れた才能とセンス、たゆまぬ努力、メンタルタフネス、そしてその時の調子の全てが求められる。

イチローがメジャーリーグにデビューした年、彼のプレーを見ていて鳥肌が立った。
NOMOが既にメジャーでは活躍していたが、野手で活躍していた日本人プレーヤーは当時まだいなかった。

どんな球にも合わせられる絶妙のバット・コントロール、俊足を生かした盗塁、ライトからサードへの弾丸のような"レーザービーム"と呼ばれる送球。
きっと10年に一人出るか出ないかの選手だろう。イチローは、ゲームを動かす小気味の良いその新鮮なプレーで、アメリカのベースボールファン達を熱狂させた。

そして、もう一つ、私は今回の「日本チーム」の一丸となった姿と、チームプレーに感動した。
野球はチームプレーであると、つくづく感じてしまった。
それをまとめた原監督も偉い。

例えば米国チームは、選手の体も大きく、ガンガンホームランを打つような4番バッター、強打者揃いである。
でも、1人1人が能力の高いバッターだとしても、一つのチームとして、お互いに有機的に結びついた「戦略」と「プレー」と「皆で勝つ思い」がなければ、勝てないのである。
個人パワー中心の本塁打に頼っていては、チームプレイ(走塁を進める)の野球に対して打ち勝てないのである。
これらは、米国チームの大きな弱点であると思う。

おそらく、米国は今回の敗退の原因として、表面的な「戦略」や「技術」を分析するかもしれないが、その根底にある"人の自発的なチームへの貢献意識"については、掘り下げないだろうと予測する。

イチローは、メジャーリーグで長年プレーし、多種多様の人間が主張しあう「混沌」とした個人主義の社会で揉まれているので、芯からそれを知っていると思う。
またメジャーに行ったことによって、自分の夢をかなえ、そしてどこかの時点でチームのあり方に失望し、外から日本のチームプレーの良さを「再認識」したのではないかと思う。
そして、彼の中に眠っていた"日本人"も目覚めたと思う。

太陽太陽太陽太陽太陽太陽
この話し、会社経営にも、応用して考えることができると感じました。

90年代にバブルが弾けて以来、企業は米国型マネジメントを取り入れ、「改革」のもと、早期退職も含め、多くの人材をリストラし解雇した。
そして、その後に「成果主義」を導入したことによって、日本の会社にあった、チームで互いに助け合うといった文化が薄らぎつつある。

私達はバブルの反省から、この十数年で、合理的なマネジメントを信奉し、それに慣らされてしまってきているが、今一度、原点に戻り、日本的経営の良さを見直し、新たな道を開く必要があるのではないかと思う。戦後復興してきた真のパワーが何であるかを見直す必要があると思う。

「成果主義」は、本当に人のモチベーションを高めているのであろうか?
「報酬」にモチベーションを求めることで、人は本当に伸びるものなのか?
「雇用の不安」は働く意欲そのものを下げているのではないだろうか?
経営が「合理」に走りすぎて失っているものはないだろうか?

日本人は、強者弱者を含め、一人一人のポテンシャルを有機的に結び付け、組織のパワーとして生かすことが、どこの国の人よりも上手いのである。
一人一人のちょっとした気配りと配慮と努力が積みあがると、大きな成果を成すのである。
企業は、もっと小さな村社会的チームワークの良さを、再認識すべきだと感じてしまう。

価値を再確認しよう!





徒然なるままに : 02:31 : comments (x) : trackback (x)
失ってみて気づくこと

自宅の近くには、斜面に沿ってうっそうとした「竹林」がありました。

歩いている途中、いつもその竹林の所に出ると、奥には何か野生の獣(たぬきなど?きつね)がいるのではないかと思い、毎回思わずジっと見てしまっていました。(都内にいるわけないんだけどね)

この地域の家は、どこも庭に「花」や「木」を植えて(猫の額のようなどんな小さな庭であっても植えています)、季節にそってそれぞれの表情を創り、近所の人を楽しませてくれています。

その家の一軒に、私が「秘密の花園」と名づけた家があります。
その家は、日本では珍しい、淡いグレーに近いペールブルーのペンキに塗られた洋風で清楚な感じのお宅です。
そして広い庭には、絡まって伸びるツタなど、無造作で野生化したように見える、花々や木々が植わっています。
家同様に洋風で無造作なその庭は、うっそうとしていて微妙に侘びさびのある枯れた風情をかもし出しています。
そして、目を凝らしてみると、その奥にひっそりと、やはり同じペールブルーのガーデンテーブルと椅子が置かれています。
その家がミステリアスなのは、いつもシーンとしていて、窓はぴたっと閉じられカーテンが下がり、人が住んでいる気配がないことです。
しかし、その庭の花がわずかに手入れされている痕跡を見ると、人が住んでいるとしか思えません。

毎回この家の前を通るたびに、ある日、国籍不明な感じの白髪のおばあさんが、花バサミを手に出てくることを期待しつつ、竹林同様、ジっと見入ってしまいます。

こういった庭や竹林、そして畑(生産緑地)は、家の近所の「のどかさ」を醸し出す大事なパーツに思えます。
ちなみにWikipediaに写されている生産緑地の写真は家のご近所です

これは収穫の時期になるとやってくる小学生ひよこひよこひよこひよこ
「農業体験」なんでしょうが、大根とかお芋とか掘って帰るようです。

でっかい大根ですよねぇ~。大蔵大根という種類のようです。にこっ
ちなみに、ここの畑は、自宅の隣なのですが、畑横のテーブルの上に毎日収穫物が並んでいます。("世田谷育ち"と言うブランドです)
無人なので、置いてある箱に100円を入れて作物を持って帰れます。


先生も指導大変ですよねぇ。もしかしたら畑のお兄さんかもしれません。
女の子が重そうなスコップを持って、掘っています。


頑張った後は、皆でお弁当を広げて食べています。おにぎりハンバーガー肉



この時期に入ると、「秘密の花園」や近所ではミモザが咲き始めて、綺麗な黄色が心を浮き立たせてくれます。




さて、その近所に、最近大変残念なことが起こりました。
今年に入ってからですが、その大事なパーツである竹林がすっかり伐採されて、変わりに斜面がむき出しになってしまったのです。しくしく

小田急電鉄が所有する土地となった(元々所有していたのかもしれません)ようなのですが、宅地のための「造成工事」が始まったからです。
フェンスが張られ、トラックやシャベルカーが入ったかと思ったら、しばらく経って、あの「日本昔話」に出てくるような竹林は、姿を消してしまいました。

まぁ、人が住む以上、仕方のないことだと思いますが、本当に心から残念です。
自分だってそうやって造成された土地の上に住んでいるわけですし...。しょぼん

こうやって、いつも近くにあると当たり前だと思っているのでその価値に気づかないのですが、無くなってしまってから「あぁ~」気づくことってありますよね。

これは、近くの木を撮影した写真です。
ドンドン開発されて、寝ぐらや捕獲などのテリトリーを失っている鳥達は、わずかに残されている木に密集しています。
ピーピー、ギャーギャー聞こえてくる鳥の鳴き声が、最近のエサ不足を嘆いて怒っているようにも聞こえます。


何だか、こうやってみると木に「鳥の実」がなっているようですよね。

家の隣の畑が、開発される話しを聞いたら「引越し」かなぁ~



徒然なるままに : 15:18 : comments (x) : trackback (x)
就職活動戦後最悪....

久しぶりに甥のケンタと電話で話す。

就職活動が最悪の状況とのこと。
先日、主人から「戦後最悪の新卒採用状況らしいよ」という話しを聞いた。

ケンタも、色々と企業に出向き、面接を受けているがなかなか良い返事を貰えないらしい。
ノンビリ屋の甥も、これではまずいと思っているらしく、来週は「四国」にまで会社説明会に出向くとのこと。

「なんで、そんな遠いところに行くの?」と聞くと、
「う~ん、四国まで行けば、あいつら来ないと思うんだよねぇ。」とケンタ。
「あいつらって誰?」
「慶応とか早稲田の奴らのことだよ。会社説明会に来ているポン大とかその辺の学生とお茶飲みながら、話したんだけどさ~、普通、早稲田の学生が、武蔵野の"N協"まで面接に来るかって。通常だったら来ないよねぇ~。だから、あいつらのいないところに行きたい。」

「ふ~ん、なるほどね~。こういう時期だから競争は厳しいよね。でも今努力していることは、何であれ必ずプラスなことに繋がるから、頑張って続けてね。それと、面接に残ったら、出身校よりも個人を見られることになるから、その点をしっかり忘れないようにね。きちんと大学の就職課の職員以外の人からも、面接についてのフィードバックを貰った方がいいよ。」

と伝えて、電話を切った。

自分が行きたい領域の、"強敵の少ない戦地"に赴き、勝利を得ようという戦略らしい。
しかしながら、具体的にどう勝ち残るかの「戦術」については、見えている決定打がないようだ。
まだまだ、自分自身についての"見かた"が浅いと感じる。

以前、「就職氷河期」に就職活動をしたことのある女性から聞いた話しだが、採用の通知がなかなか来ず、沢山の企業を本当に沢山訪問したらしい。
頭の良いしっかりした女性なので、これまでの人生において、数多くの"NO"を突きつけられる経験など、あまりしてきていないだろうと思う。
他人からの否定は何であれ自信を失うことに繋がる。優秀ゆえに、その時期はさぞ辛かったことだろう。
彼女は、日々自分の弱気に負けないよう、面接の途中、カフェに立ち寄り、自分を励ますために日記をつけていたらしい。
そして、その日記を見ると、「これを乗り越えたんだから、私には出来るはずだ」と、悩みを持っているときにも思えるそうだ。

人生って、自分自身の過去から学べることが、実は沢山あるもの。
"人生の難関を突破した経験"なんて、まさにそうだと思う。

「採用が決まる」ことは大事だけれど、
ケンタがこの難関をどう乗り切るか、これも人生においては価値があると思う。

就職浪人となると、復活戦がかなり大変らしいが、人間、逆境に陥ればその分、強くなる可能性も高い。

私自身は、甥には色々な難関を今後乗り越えていくバイタリティがあると感じる。

さて、今後の甥の人生の舵取り、一体、どうなっていくのか....。



徒然なるままに : 14:35 : comments (x) : trackback (x)
教会へ通うクリスチャンと通わないブッディスト

友人が最近出会った男性は、背の高いアメリカ人である。
都内で働くビジネスマンで、シャイでとても優しい人らしい。

彼は先週末、教会へ行き、今週末も教会へ行くそう。

その話しを聞いて、ふと思った。
日本人の仏教徒は、なぜお寺に通う習慣がないのだろうか?」

亡くなった祖母は、信心深い人だった。
毎朝必ず仏壇に向かって座り、「お経」を上げていた。

ずいぶん前、祖母と一緒に住む叔母(祖母からすれば嫁)が、40代で亡くなってしまったとき、お坊さんが来て「お経」を上げてくれた。
お坊さんはまさか、檀家の若い嫁が亡くなったとは思わなかったのだろう。
玄関に入ると、ご愁傷さまでしたと言い「本当に信心深い、いい、おばあさんでしたねぇ.....。」と続けた。
家族はギョっとして固まったが、後ろからヌっと祖母が「私は生きております。」と出てきたときには、お坊さんはもっと固まっただろうと思った。がーん

お坊さんが「お経」を上げているとき、祖母もその「お経」と合唱するように、心を籠めて大きな声でお経をあげていた。
その低く朗々とした声は年齢に似合わず立派だった。
またお坊さんよりも、祖母の息が長いためなのか、お坊さんの息が途切れて息を吸っている間、お経が止まっても、祖母のお経は止まらない。
仕方が無いので、お坊さんは祖母のお経に合わせて付いていく。

それが何度か度重なると、お坊さんもさすがにバツが悪いのか、やりにくいのか、軽く促すような「咳払い」を”コホ"っとする。
しかし、祖母は全く気づかないのか知らんぷり。お経をエンエンと、まるでトランスに入ったかのように続ける。もしかしたらお気に入りのお経の一つかもしれない。淀みなく、美しくお経は続く。

そんな信心深かった祖母も、お寺に定期的に通うことはなかった。

なぜ、キリスト教徒は教会に定期的に通うのだろう?

TVや映画を観ていると、教会では、牧師/神父さんが聖書から「説教」を行い、信者は神を讃え感謝するために賛美歌を歌い、祈りをささげている。
また、別の場面では、信者が教会の小部屋で窓を挟んで神父に告白し懺悔を行っている。

考えると、そこには、「教える側と教えられる側」、「許す側と許される側」、「戒律を与えるものと戒律を守るもの」といった、明確な立場と定義があるような気がする。"厳しい上下関係"というのか、"絶対的な存在として神"がある感じ。いずれにしても、平等な立場じゃない感じ。(まぁ神様とですから当たり前なのでしょうが)上から与えられるような愛でしょうか。

その点、日本の仏教は、何だかもう少しゆるい感じがする。
人間が死んで「仏様」になっていくのだから、神様といってもキリスト教で考える神様とは違う。

キリスト経は、絶対なる神様が自分の外側にいて、仏教の場合は、神様が自分の中にあるような感じ。
しかも仏教も神道も、神様を1人とは考えていないし、1人の神様が全てをコントロールしているとはしていない。

神様が自分の中にあると書くと何だかちょっと語弊はあるが、
例えば禅問答のように、中庸な心を保ち成長するために、自分に問いかけて自分で思考し発見するプロセスがある。
その点、キリスト教の場合は自らが考えるというよりも、神から戒律を与えられその教えを生きるというイメージが強い。

誤解を招く表現かもしれないが、「仏教は宗教というよりも、もっと心理的なもの-心理学に近い」ような気がする。

だから社会が成熟して豊かになれば、人々の悩みはサバイバルなものから、もっとウツとか心理的なものになるので、戒律を説くキリスト教よりも仏教の方がフィットするのではないだろうか...。

話しは拡散してしまったが、「なぜ日本人はキリスト教徒のようにお寺に通わないのか?」
現段階では、漠然と「一神教ではないから」とだけしておこう。

今度、詳しい友人に聞いてみよう。





徒然なるままに : 17:53 : comments (x) : trackback (x)
住宅購入やローンの借り換え検討中の方へ

仕事で色々な会社に訪問していると、日頃、耳に入ってこない情報が入ってくることがあります。

つまり、あまり興味がなく、そこに向けて"アンテナ"を立てていないため、入ってこない"有益な情報"が、入ってくるということです。

例えば最近、有益と感じた情報に「ガン保障特約付住宅ローン」などがあります。

私の場合、6年位前に住宅を購入しているので、当時この「ガン保障特約」というものが、住宅ローンに付加されていませんでした。

しかしながら、某金融機関の教育を担当していることで、2年ほど前に、この"商品"の存在を知りました。

もしかすると、この「ガン保障特約付住宅ローン」よりも、「三大疾病保障特約の住宅ローン」をご存知の方が多いかもしれません。
(昨今では七大疾病などもありますが)

私の場合は、6年前に住宅を購入した際、提携した「住宅ローン」の契約後は、定期的に銀行から返済額の案内が郵送で届いているものの、「完了」してしまったこともあり、すっかりそのことについては考えなくなってしまっていました。(大体がのど元過ぎると"無頓着"なんです。)
いちいち意識して書類をしっかり読んでいない。

しかし一昨年の年末、研修に参加している男性が、
「三大疾病保障特約の住宅ローン」について説明をするのを聴いて、
えっ!!!!!というショックを受けました。

「住宅ローンに三大疾病の特約がついている!」
「ガン、心筋梗塞、脳卒中になったら、住宅ローンが完済される!!」
「そんなにいい保障は、私の住宅ローンにはついてない!」
「亡くなった私の父方の祖母、父はガンにかかっていた..」
「私は、祖母と父の体系・体質とよく似ている.....」
「ある医者が人が死ぬ原因の90%以上遺伝的なもの、両親と同じ病気で死んでいると言っていた」
「私がガンになる確率は高い....」

その後、しばらくして、私は「住宅ローン」を契約している「某銀行融資課」へ問い合わせました。
しかし、残念ながら、その時点では、その銀行で三大疾病保障を住宅ローンには組み合わせておらず、切り替えは出来ないと言われました。

そうなると、また新たに銀行に出向き、住宅ローン申請をしなくてはなりません。
はぁ~、あの面倒な手続きを再び繰り返さなくてはならないのか....。
元々が面倒臭がりの私は、"まぁいいか.."でしばらく放っておきました。

が、しかし、何回も仕事でこの商品について、耳にしていると、警笛のように、"早く見直せ"、"早く見直せ"という声がこだまします。

ようやく、重い腰を上げて、"この道のプロ"の方に頼み、どこの金融機関がもっとも私の希望と合致しているのかを、教えて貰うことにしました。

じゃじゃ~ん。
結論としては、四谷にある「地銀さん」をご紹介頂きました。

よって、

★過去の住宅ローン
変動金利で年利で2.375%
ガン特約なし

★新に結んだ住宅ローン
10年固定の金利で1.9%
10年後0.1%の金利優遇措置あり
ガン特約あり

という条件となり、おかげさまで"年利も下がり"、"ガン特約"も付き、面倒臭かったけれどトライして良かったと思いました。
(うちの旦那さんからは、「え~、そんな面倒なことまたするの!!」と散々言われましたが。)

ちなみに、一緒に仕事しているメンバーの1人は、私の話しを聴いて、何と私より一足早く住宅ローンをサッサと切り替えてしまいました。

しかしながら、個人的に思うこととして、
こういう病気になったり、困ったときに、わずかな掛け率で、住宅ローンという責務を肩代わりしてくれるような保険というのは、「社会的な使命が高い」と思います。こういう商品は、熟成した社会(助け合いの精神がある)のもとで、生まれるものだと感じます。

わざわざ、ブログに書いてしまいましたが、
こういう商品は皆さんに「告知する価値のあるもの」だと思っています。

では、また。パー





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