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夏の夜の一コマ 怒っても疲れるだけ

前回の恋愛ホルモンパート2を書いた後、
「"オープン・クエスチョン"で相手に選ばせるっていうの、家庭内でも参考になりそうです。」
と男性から、メールでコメントが寄せられた。

実は私も、恋愛の場面というよりは、家庭内における自分のコミュニケーションを振返ってしまった。

考えてみると、
食事や旅行などは、私が幾つか考えて提案し、確認を取るケースが多い。
(休日にうっかり相手の提案を呑んで"蝋人形館"や"有名人宅巡り"に行くことを避けるなど、色々と理由はあるかもしれないが)
オープン・クエスチョンをあまり意識していないと思う。

ということで、
まずは旦那さんとの携帯メールのやり取りから、オープン・クエスチョンを意識することにしてみた。

今晩はどこか食べに行きますか?ビール 私

OK。どこでもいいけど、さっぱりしたものがいいなぁ~ 彼

了解。じゃ~、最近近所にできた店の"かんぴょう"なんかどう?ねこ 私

いいです。 彼

時間はねこ 私

6時30分でお願いします。 彼

アンダーラインの部分が、意識した部分である。

いつもだったら、"かんぴょういこうよ~ねこ"から始まるものを
"どこか食べに行きますか?"とオープン・クエスチョンを使って、やり取りが進んだ感じ。チョキ

ちょっとしたコミュニケーションの工夫ですね。

さて約束の6時30分に"かんぴょう"に向かう私。

しかし、ショックがーん

お店が閉まっている....しくしく

仕方ないので、気を取り直して生牡蠣とワインが飲める別の店へと向かってみる。
良かった、ここは開いている。にこっ

状況を伝えるため、相方の携帯にメールと、留守番メッセージの両方を残す。

しかし返事が戻ってこない。

また10分後に連絡を入れるが、留守電になっていてノーレスしょぼん

既に約束の時間は20分を過ぎている。そして表は夕暮れ時とはいえ蒸し暑い...。太陽

何となく嫌~な予感が走る中、
くだんの生牡蠣のお店で、軽く飲みながら相方の到着を待つことにした。

よく冷えた天然の岩がきと、真がきをそれぞれ1つづつ頼む。
そしてベリンジャーのシャルドネもグラスで頼む。

大ぶりな岩がきと、小ぶりであっさりした真がきがである。ハート
カキを2つ食べ終えたが、相方からの連絡はない。

仕方なく、青パパイヤとエビのサラダを頼んだ。

そして、手に持っている新聞を読み始める。

サラダを食べていても連絡がないので、
仕方なく自家製さつま揚げを頼んだ。

自家製さつま揚げ、イカやしょうがが荒く入っていて結構美味しいオッケー

気づくと、出されたものは全て食べてしまった。むむっ
何だかお腹が一杯になってしまっている。(やばい)

とその時、携帯電話の着信音が。
相方から申し訳なさそうな声で
「あのね..今から、平町の事務所を出るんだけど、今どこ..?」

時計を見ると、何と既に午後7時20分

"50分も待たせて連絡を入れないとは何事じゃ~!"
"しかも平町からここまでは、今から30分はかかるでしょ~!!"

と言ってみたい気もしたが..、

結構ムっとしながらも、オープン・クエスチョンの練習がどうしてもしたい私。パー
(先に食べちゃったから、罪悪感あるし)

「"かんぴょう"は閉まってたから、違うお店に来て食事してるところなんだけど、どうする?」ねこ

「あっ、じゃ、そっちに行くことにする。」いぬ

「分かった、じゃ私は駅前のカフェに移動しようと思うけど、どうする?」ねこ

「あ~あの店ね。分かった、そこに行く。じゃ待っててね。」いぬ

しばらくして、相手が怒っていることを予期し
しょぼくれたフレンチブルのような目をした彼がお店に到着。(何だかおかしい)

次のプランを決めた。

月星月星月星月星月星月星月星ビールビールビール

完璧なオープン・クエスチョンじゃないけれど、
色々なシチュエーションで使えることを改めて発見。

「遅れてばか~!早く来て!パンチ」と言うのも正直な表現でスッキリするんだけれど、
時々は、余裕を持って対応するのも悪くないと感じた夏の夜の一コマでした。チョキビール


徒然なるままに : 11:46 : comments (x) : trackback (x)
「美」と「日本」について考える

汐留で研修が終って、六本木アカデミーヒルズに駆けつける。

この日の夜の講演「"美"という21世紀の文化資本」に参加するためだ。
何となくタイトルに惹かれて、仕事には直接関係のない分野のテーマではあるが、1週間位前に申し込みをした。

スピーカーは、資生堂の名誉会長の福原義春さんと、
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授の伊藤俊治さん



大きな会場だったので、300名位の参加者がいたように思う。

テーマは、「美」について、その精神性を広義に学び、日本人が継承し、進化させるべき文化のゆくえについて考え、日本の最も重要な資源は美意識であることの確認とある

対談形式の講演は、伊藤教授の"「美」という21世紀の文化資本を通して、今日本が見失ってはならないことは何か?"という問いかけから始まった。

講演では、次のようなことが語られた。

政治や都市の中で、"美"をみつけるのが難しくなってきてる。
"美"とは何か? 
それは生きることと深く結びついており、日本で最も重要なもの"美意識"である。

日本人には"美意識"があり、あらゆる組織、会社、学校、団体など、皆"美意識"がある。
会社の製品やパッケージだけではない、マーケティング活動やあらゆるものに"美意識"がある。

資生堂の歴史から言えば、創業137年、明治5年に創業。
当初はデザイン的な思想はなく、ありきたりのパッケージと商品を使っていた。
その後、アールヌーボー、アールデコを取り込み、それらしい人を集めてデザインの傾向を決めていくことになる。
つまりヨーロッパのデザインを取り入れたのだ。

そして、19世紀にデザインで行き詰まっていたヨーロッパでは、中国やインド、日本などの異国的な要素を取り入れてアール・ヌーボー、アール・デコが生まれた。ヨーロッパでは一足先に東洋のデザインを取り入れていたのだ。

そうやって考えると、東洋のデザインや美の様式を取り入れたヨーロッパのデザインを、日本がまた輸入したことになる。
そして、資生堂はデザインを通して、それを再びヨーロッパに持っていたことになる。
今日では、当時の資生堂のデザインを、仏の学生達がずっと30分間眺めていたりする。

昔から文化はキャッチボールのように、常に交流していて、今や世界中に"美意識"が高まってきているといえるだろう。

ヨーロッパのブランドは、過去から現在に至るまでの独自の製品を保存している所が多く、美の変遷を時代の特性や過去のデザインを通して学ぶことができる。

例えば、ルイ・ヴィトンのトランクの形は、大西洋を船で横断する旅が主流だった頃は、船のベッドの下に入れるため、平たい形となっている。
しかし、旅が飛行機に取って代わると、トランクの形もまた変わっていく。

ただ残念なことに、日本の企業では、過去にいたる商品を保存しているところはあまりないらしい。
若い人たちが、日本の美の変遷について学ぶ資料があまりないということになる。

福原教授は語る。

日本には"文化資産"はあるのだが、"文化資本"という概念が薄い。」

つまり、日本という国や会社には、歴史やプロダクトを通して"文化資産"はある。
しかし、その文化資産を使って、また新しい文化資産を創るのが、"文化資本"である。

次の世代の人たちが、見て学んで、光るクリエイションに繋げていくことが大事なのである。

1999年頃から、福原教授は"文化資本"という言葉を使い出し、その頃から意識するようになった。

これからの日本企業が、中国や東南アジアのように安い労働力に対抗していくことには限界が来ている。
そんな中、企業にとっては"美意識"という資源をどのように生かしていくのかが必要であり、発展の鍵でもある。

日本人がもう一度見直すことは、長い時間をかけて培ってきた、「美意識」を甦らせること。
美意識に基づいた、車、家電、ホテル、インテリア、家の中、ホスピタリティが付加価値として注目されている。

歴史を見ると

平安時代には、中国、宋や唐から文化が入ってくる。
その後、"大和的な文化"と"唐"や"ペルシャ"的なものが衝突して、両方ともに共存していくことになる。

江戸時代には、そういったものが洗練化されていく。

明治時代には、ヨーロッパの文化が流入。また、文化が衝突し、共存して今日に至る。

私たち日本人は、常に2つの傾向を行ったりきたりして、新しいものをクリエイトしてきたのである

しかし今日を見ると、アメリカ文化が入ってきたが、衝突せずに、アメリカ文化に取り込まれてしまった感がある。

異質なものを共存させて両方残してきたのが日本の特徴であり、今日ではそれが失われつつある。」

それが問題なのではないかと思う。

日本の「ハイブリッド・カルチャー」
常に2つのものを共存させることを通して、新しい物をクリエイトすること。
それが特徴である。

日本の第一世代が縄文時代だとしたら、第二世代は大陸から文化が入ってきた頃であろう。
そして第三、第四世代は、西洋文化を共存させることで、新しい日本が現れなくてはいけない。

特に21世紀は第四世代というべき時代で、多くの物を吸収しながら、新しいものをクリエイトしていく時代となる。

日本人の中には、長い年月をかけて培ったものが、"遺伝子"レベルに刻み込まれている。

明治から肉食が始まったが、そう簡単に体質は変わらないものである。
そう考えれば、すぐに覚醒しやすい環境にあると思う。

かつて日本に滞在したタルトは、日本の工芸や民芸に見せられた。
日本人が気づかないところに「美」を見出し、そして高崎や仙台の職人と共に、それらを徹底して調査、研究し、組織的に収斂している。

そして日本の作品の中に、「宇宙的な精神を見出そうとする」という特徴があるという。
「幻想的な原型意識」は、忘れてはいけない日本の物づくりの基盤であると。

日本の美意識の母体は自然である
自然の奥底にある生命感がもとになっている。

だから現在のように、例えば高層マンションに住んで、風もシャットアウトし、自然を感じる機会がなくなってしまうのは、あまり良いことではない。
もっとエコロジー的なものが進めば、それにつれて日本人の美意識や感性も、もっと豊かになってくるだろう。

日本人が美意識を回復していくためには、
自然の中に奥深く入っていくことで、体験し、蓄積していくことが大事である。
それが美の体験学習となる。
もっと、自然と触れ合う時間を作ることが大事である。

子供の頃から、沢山の花を見、自然の風景を見て、その積み重ねがあればある程、美意識や感性が豊かになる。
また、いい映画や、本、美しい着物の衣装などの本物を見るなど、美の体験を積むことが大事である。

PCとゲームの繰り返しでは、美の感性は磨かれない。

美に触れると、人生において何が大切なのか考え直される。
生きのびることの指針を示すことになる。

不況や困難な時代であれば、人々には"美"が必要となるのではないだろうか。
美は、生命力や、活力を与えてくれるものであるから。

ねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこ


私は講演を聴きながら、色々なことを連想した。

今、起きているパリでのジャパン・エキスポのことや、三菱重工の高砂製作所で見た超巨大なガスタービン、最近観た阿修羅像など。

きっとスピーカーのお二人は、海外の若い人たちに強い影響力を持っている日本の漫画やアニメを美とは認めないだろうな...。
でも、私はそれらは、"文化資本"となる可能性の高い、日本の"文化資産"だろうと思う。
作品の全てではないが、その底にあるのは、大人の感情表現を理解し、子供心を残した若者の心を捉える、日本人の中だけにある独特な感性と表現力、ストーリーが磁力になっているのだろうと思う。

以前案内されて見た三菱重工のガスタービンには圧倒された。
案内してくれた男性管理職の方はこう力強く語った。
「良い製品は、こんな風に美しいものなんですよ。余計なものを全てそぎ落として、最良の形へと仕上がっていく。良い製品には必ずシンプルで美しいフォロムがあるんです。」
その言葉は強く印象に残ったので、今でもよく憶えている。

素晴しい製品は、機能を最大限に発揮するために、無駄なものが一切ない。
究極の形をしていて、調和され完成された美しさを放っている。

何だか、その言葉を聴いて、宇宙の真理を聞いているような気がしたからだ。

講演を聴いた後、自分の中でも考えはまとまりきらなかったが、
一つ思いを強くしたことがある。

日々の生活の中に、自然や美と触れる機会をなるべく創るということ。

おぼろげながらだが、自分自身も、やはり自然や美しいものから、活力やひらめきを得ていると感じるからだ。

やっぱり都心に引っ越さずに、世田谷にしばらく住もう。むむっ

私も究極的に美しい仕事がしたい。


徒然なるままに : 16:19 : comments (x) : trackback (x)
バンキシャに出演 ガールズナイトで夜は盛り上がる

7月5日(日)日テレの報道番組「バンキシャ」にご意見番として出演する。
昨年の10月の出演に続き、これで二度目の出演となる。

司会の福澤さん、菊川レイさん、レギュラーのご意見番の河上和雄さんに加えて、ゲストのご意見番として毎週色々な方が出演している。


奈良県でおきた医療詐欺行為についてのコメント


父子家庭の苦労を追ったVTRだが、子供の可愛さやパパの奮闘ぶりに和んでしまう。


海外に広がるオタク文化
メイド・カフェにも沢山のオタクに興味のある海外旅行客が訪れるらしい




番組の最後
七夕の願いごとを、短冊に書いてほしいと急遽当日リクエストがあり、字がものすごく下手な私は控え室にて"エ~がーん"とビビる。
そこで控室に一緒にいた友人に頼んで実は代筆を....てへってへってへっ


どういう願いにしようか幾つか考え迷った末、身近なことにした。
"夫婦円満"という部分の反響が案外大きく、色々な人から後でコメントを貰った。むむっ
"オノロケ"、"そこに持ってきたか.."、"爆笑した..."、"バランスが取れていた"など様々な意見が寄せられた。



番組の中では、私はジャパン・エキスポとオタク文化のテーマが一番興味深かった。

時間があまりなくてコメントとしては言えなかったが、
日本のポップ・カルチャー、アニメやまんがはやはり若い人にとって、強い魅力を持っているのだろうと思う。
「ドラゴン・ボール」などのアニメが大好きになり、あこがれる気持ちは分かる。
日本のアニメには、ディズニーやカーチューンにはない、キャラクターの複雑で豊かな感情表現、独特な躍動感溢れるアクション、神話や宇宙物、スポ根ものといった幅広いストーリーがあるからだ。
大人の心情や社会を理解でき、子供心の世界を残す"ティーン・エージャー"に、日本のアニメや漫画はピタリとはまったのだろう。
これまで、そこにはまるものがあまりなかったのだろうとも思う。

ゴッホやロートレック、モネ、マネなどが、浮世絵に強い影響を受けたのは100年前になる。
自分達の文化にはない、絵画のテーマ選び、構図、大胆でサイケデリックな色使いなど、きっと「何だこれは!!」と、強いインパクを受けたと思う。
しかし、浮世絵だって今は芸術作品として認知されているが、当時の江戸では、掛蕎麦一杯よりも安く買えるもので、大衆の娯楽の一つだった。
現代のアニメや漫画同様に、浮世絵だってポップ・カルチャー(大衆文化)だったはずだ。

今も昔も自国にはないユニークでインパクトの高い日本のポップカルチャーが、海外でうけているという点においては共通していると感じる。


月月月月月月月月月月カクテルカクテルカクテルカクテルカクテルカクテルカクテルカクテルカクテル


無事放映が終わり、その後は友人と4人で渋谷で落ち合い食事をすることにした。

仲の良い友人は、コメントが率直。
かつ誰もコメントの内容には言及しない....しょぼんもっぱらテレビ写りのことしか言わない。

「フミちゃん、本物の方がお洋服可愛い~。白のブラウス、テレビだとちょっと平面に見えてよくない。髪の毛の色も黒すぎてイマイチだった。」

「そのスカート、どこで買ったの???」

「菊川レイちゃんのお洋服の色は、彼女に似合っていてすごく綺麗に見えた~」
(そんな美人と比べるな~、顔のサイズも作りも"元々"が違うだろうが)

などなど、言いたいことを言い合い、深夜遅くまでカクテルを飲んで騒ぎあった。



徒然なるままに : 23:53 : comments (x) : trackback (x)
人魚になったあの日

「世の中で一番嫌いなものは?」聞かれたら、「雨です。パンチ」と答える可能性が高い。むむっ

しかしながら、旅行から東京へ戻ってきたら、季節は梅雨。
当然ながら、毎日毎日、雨か豪雨か強い湿気の日々が続いている。あうっ

思い起こせば、年頃になりお化粧を始めた頃から、ず~っと雨や湿度の高い日の朝は、気持ちが憂鬱になる。
いや、朝だけではない。
この時期、午後になってから雨が降り始める日だって多いが、そういう時もかなり憂鬱になる。

私の髪の毛はやや天然パーマが混ざっていて、細い髪の毛と太い髪の毛がミックスしたような感じなのだ。
だから、雨や湿気の強い日だと、髪の毛が水分を吸収して、どんなに綺麗にブローで仕上げても、髪の毛がモワーっと広がり、根元がつぶれ、使い古下した掃除用具の"モップ"のようになってしまう。しくしくしくしくしくしく
一言でいうと"ダサイ頭のしょぼい人"という感じだ。

だから、雨が降ってもビクともしない、さらさらストレートヘアーの女性の髪に、心の底から憧れてきた。

過去、今に至るまで、この髪質によってどんなに悲しい?目に会ってきた事か。

今でも憶えている。

関西にある、ある企業の研修に行ったときのことだ。
2日間の研修だったのだが、運悪く2日目は雨となってしまった。
朝起きて、「まずい...がーん」と思ったが、あいにく宿泊しているホテルには、"雨の日用"の"髪の毛対策"の準備をしてこなかった。

仕方ないと思い、必死に髪の毛に手持ちのムースをつけてブローし、身支度を整え、タクシーに乗る時も降りる時も、十分に注意を払い、雨に濡れないようにした。
しかし、、、、豪雨である。
どんなに頑張って傘で雨を防いでも、湿気は既に、空気にも建物の廊下にも研修室にもトイレにも充満していて、まるで湿度95%のような状態。
どうやっても逃げ場はない。しくしく

もうこうなったら覚悟を決めて、どんな髪の毛になろうと、受け入れるしかないと思った。(半ばやけくそである。)
"髪の毛にあまりにも拘るのは自意識過剰な証拠で、私もまだまだ修行が足りないんだわ。私が思う以上に他の人は私の髪の毛のことなんて、気にかけていないはず。"と自らに言いきかせ、切腹の前のような気持ちで研修室に座っていた。(大げさですが)

しばらくして、その企業の人事の課長が担当者と共に、研修室に入ってこられた。
昨日は来られなかったので、時間を少し作って挨拶のため、わざわざ来られたのだと思う。
私は椅子から立ち上がり、丁重に「おはようございます。ご無沙汰しています。」と課長と担当者の二人にお辞儀をして挨拶を交わした。

とその直後である。私が顔を上げると、人事課長がこらえ切れずに笑い声を立てている...。
私の髪の毛を見て、「ヒヒヒ、、、」と笑っているではないか。
そして、「坂東さん、いや~、何だか浜に打ち上げられた、人魚みたいな頭になってますね。」と笑って目尻を下げながら、関西弁のイントネーションで
言った。あうっ

私は思わず回答に詰まってしまった。

なぜなら課長の言葉は、あまりにも的を得ていてドンピシャだったからである。

"人魚"のくだりは、課長なりの女性に対する遠慮と優しさであろうと察する。

確かに私のその時の髪の毛の状態は、既に使い古したモップを通り越して、あまりある湿気のために、ペッタリとおでこと頭部に髪の毛が張り付き(多分ムースを使いすぎたせい)、なぜか髪の毛を洗った直後のようになっていた。
しかも毛束と毛束の間には、地肌が筋になって白く見えている。スイカのような頭だ。

その日の研修中は、とて~も気さくな人柄に変身して、冗談を飛ばしたり、やたらニコニコして対応したと記憶している。
参加者の人たちは、絶対に"変な頭の人"と思っているだろうから、この際笑いを取るしかないと思ったのだ。


雨曇りのち雨雨雷雨[曇りのち雨:雨:]雷[:雨:曇りのち雨]雨雷雨曇りのち雨曇りのち雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨

そして、今に至るまで、沢山のことにトライしてきた。

梅雨時期になると、

髪の毛が痛まないというストレートパーマにトライし、なぜか顔がまん丸く見えてしまったこともある。
ハードスプレーを髪の毛全体にかけてガチガチに固め、頭をヘルメット状態にしたこともある。(びくともしない)
昔懐かしいソバージュ・パーマをかけて、ウネウネのヘアスタイルもやった。
イベントや会食のある日は、バッグの中にカーラーとドライヤーをバッグの中に入れて持ち歩くこともした。

本当にこの梅雨の時期は、涙ぐましい努力を日々続けてきたと思う。
どんな時だって、人前に出るなら、少しでも女性として美しくありたいと思いますからね。

しかし、人間何度もトライ&エラーを続けていると、新しい解決策を見出すものである。

最近、新しい解決策を見出したのである。
案外自分では気に入っている。

それはオイルを使うこと。(ツバキ油、もしくはオリーブ油)
昔から使われているものだが、盲点だった。ドラッグ・ストアの棚に陳列されているのを見かけたことがあるが、古臭くて近寄らなかったのだ。
これまで使用したことがなかったのだが、使ってビックリ。少ない量のオイルを使うと、髪の毛のスタイルを維持しながら、広がりを押さえてくれる。若干パーマをかけたような感じになるが、髪の毛にツヤもでる。
ハードタイプのスプレーは、実は案外髪の毛を痛めるのだが、このオイルの場合は逆で、使えばツヤだけではなく、髪の毛の養分となり栄養を与えてくれるし、1日中ヘアスタイルも持つ。

出来上がりは100点満点とはいかないが、70点、つまり合格点は出せる感じである。

人間、やっぱり、あきらめてはいけない。何事も努力が必要。むむっ

それにしても、早く梅雨が終って欲しいものである。




徒然なるままに : 19:00 : comments (x) : trackback (x)
困ったチャンと出会ったら

もし、会社でとんでもない上司の下で働くことになったら、あなたはどう思うか?
「なんで自分が...最悪、悪い夢だと思いたい。」とショックを受けるかもしれない。
嫌な上司とぶつかって、会社を辞める人も少なくない。

しかし、世の中、片方だけが苦しんでいるわけでもない。
上司の方でも、"困ったちゃん"の部下を持って、悩み苦しんでいる人たちがいる。

かつてコーチングをしていたある男性管理職は、自分より年上の男性部下を持ち、鬱々としていた。
その男性部下は、対人関係に問題があるためか、様々な部署を転々としていた。
部下はプライドが高いため、仕事で失敗しても、なかなかストレートに指摘できない。しかも、チームメンバーの女性達からも、"あの人、何とかして下さい。耐えられません。"と突き上げを受け、私がコーチングを担当する時には、男性管理職はストレスから産業医のカウンセリングを受けていた。

また、ある女性管理職は、自分と同期入社の女性部下の対応に四苦八苦していた。
女性部下は、職位と求められる役割に応じた業務レベルをこなせない。そして話し合っても、こなせていないことに自覚がない。ついには、相手がすっかり殻を閉じてしまって、決して本音を言わないし、話すこと事態にストレスを感じていて、自分を避けている。
周りの男性部下達からは、"僕達、あの人の物言いが怖いんですよ..このままでは、派遣社員がまた辞めてしまいます。○○さん、何とかして下さい。"と、切実に訴えられていた。

私がコーチングを引き受けて話しを聞いたときに、両者とも、何とか相手と信頼関係を築き、問題行動を改善をしようと試みて、誕生日にプレゼントを贈ったり、聞きたくも無い相手の話しに耳を傾けたりと、必死に努力をしていた。
がしかし、信頼関係は構築できないし、成果は現れてこないようだった。

しょぼんしょぼんしょぼんしょぼんしょぼん

こういった"困ったチャン"の部下を持った管理職の特徴として、根が真面目で努力家タイプが多い。また、自分自身、仕事がよく出来る人たちで周りから期待されている人である。

だからこそ、必死に頑張るし、自分と自分のチームの目標を、何とか達成したいと心から望んでいる。

私はコーチングの際、こういったケースの場合には、まずクライアント自身を本人の中心線に戻すことを心がける。
つまり、そういう状況に置かれると、こういった管理職の方々は、自分でも知らないうちに部下にすっかり支配され、振り回されているケースが多い。自分の"幸福感"が、部下によって左右されているのだ。だから終いには"困ったチャン"部下の顔を見るのも嫌になってくる。

こういう周囲にネガティブなエネルギーを振りまく"困ったちゃん"の場合、自分自身は決して仕事が出来ないとは思っていないケースが多い。
かつてはボス的な管理職としてバリバリ働いていたり、チームを仕切ってチャキチャキ采配していたり、厳しい親のもと学生時代から勉強ができる「優等生」として評価を受けていたりなど、過去の栄光がある。
だからこそ、今自分が評価されていないことは、"決して受け入れらない"のだ。
そんな空気を感じとったら、堅固なバリケードを自分の周りに築き、自分を認めない人間に対しては自分なりの方法で戦う。
間違いを指摘されたら「自分のせいじゃない。」と反論する、また相手にきつい物言いをすることによって、相手からバカにされないよう自分を守り戦うのだ。
困ったチャンの内面の世界観では、対人関係は「食うか、食われるか」もしくは「勝つか負けるか」なのかもしれない。

"困ったチャン"のネガティブ・パワーが周囲に与える影響は絶大である。
上司のみならず、周りもウンザリしていることが多い。

しかし"困ったチャン"自身は、自分の行動によって周りから疎まれたとしても、その行動を止めない。
それは「負けるのが怖い」からであろう。
だから決して周りの評価を受け入れない。
表面の態度とは裏腹に、困ったチャンはとても怖がりの人たちだったりするのかもしれない。


ねこねこねこねこねこ

困ったチャン部下を持つ悩める上司の方々に「中心線」に戻って貰うために、薦めていることがある。
それは、困ったチャン部下にすっかり占拠されているイライラ状態から抜け出して貰うことだ。

まずは、感情的な部分で距離を置いてもらう。
パワフルな困ったチャン部下の場合、上記のとおり自分を認めない人に対しては敏感である。自分を認めていないと感じるやいなやバリケードを張り巡らす。評価していないことを言葉にしなくても、表情や物言いで敏感に察するのである。
また、バリケードは上司に権威がない場合(年齢が近い、年下など)、更に厚くなる。

相手と距離を置いて貰ったら、上手く行っている部下やメンバーと、今後どうして行くかにフォーカスをあてて貰う。
人はポジティブな面にフォーカスを当てるとエネルギーが沸いてくる。

そして、自分自身をニュートラルな位置に戻し、一旦、困ったチャンへの"必死の思い"や関係をリセットしていく。
困ったチャンによって気分を左右される日常からの脱却である。
それは、自分自身を取り戻すことでもある。

一旦、相手と距離を置き、ニュートラルに関わり始めると、困ったチャンのことが冷静に見えてくる。
また困ったチャンの反応も変わり始めるから不思議だ。
上司のストレスが無くなったり、自分を変えようとするエネルギーが下がると、部下は敏感にそれを察するのだと思う。

このことは、部下を見放して匙を投げることとは違う。
絡まった糸を、ゆるめて解きほぐすのと似ていると私は思う。

部下へのコーチングは、部下より先に"自分の正しさ"を、手放してみることが大事なのだと思う。
そうでなければ、深い部分で、部下と勝ち負けの戦をすることになる。


徒然なるままに : 09:47 : comments (x) : trackback (x)
アメリカン・アイドル

FOXの番組「アメリカン・アイドル」のシーズン8が面白い。オッケー

「アメリカン・アイドル」は、毎年アメリカで10万人以上の応募者の中から、トップ・ボーカリストを選ぶというオーディション番組である。
トップ・ボーカリストを選ぶのは視聴者。電話で投票するというフェアでシンプルな方法を取る。
つまり「全米の誰でもが番組に参加でき、自分でアイドルを選考できる」という番組である。

「シーズン8」が面白いと感じたのは、勝ち残ったファイナリスト達の「個性」と「レベルの高さ」にある。
日本の放映では、先週トップ3が決まったが、残念ながらトップ3に残れなかった、17歳の女性、アリスン・イラエタもとても魅力的なハスキーボイスと歌唱力を持っている。とても17歳とは思えない。

ステージ・オーディションでは、毎回色々な角度からボーカル力を競えるよう、趣向を凝らしている。
例えば80年代から曲を選ぶとか、モータウン・レコードから曲を選ぶ、バラードやロックから選曲するなど、様々なジャンルに応募者達は挑戦させられる。しかもその選んだ曲に対して、自分なりの個性を加えて歌い、パフォーマンスしないと、審査員から酷評されたりする。(カラオケみたいだ、物マネみたいだなど)

いつの段階のステージ・オーディションからかは忘れたが、様々なジャンルに挑戦するファイナリスト達のために、業界の有名人が、彼らのコーチとなって登場する。
確か「映画音楽」がテーマのときだったと思うが、コーチとして登場した"クェンティン・タランティーノ監督"はユニークだった。
ファイナリストの一人、ダニー・ゴーキーに、「手の動きを使わずに目で表現するんだ。君はよく手を動かすが、その動きを止めると、目に表現する力がこもるものだ。」と、表現の仕方をアドバイスしていた。
映画監督ならではのアドバイスと感じた。
このコーチのアドバイスを見たり聞いたりして、「ふ~ん、なるほど」と思うのも、この番組の面白い点である。

今回の「シーズン8」は、ファイナリストが7人になった頃から、レベルが高いと思った。
みな、それぞれに個性があり、歌唱力、表現力がかなり高いので、一人落ちるたびにもったいない~と感じた。
前回シーズン7も観ていたが、ファイナリスト7人のパフォーマンスは今回と比較するとイマイチだったように思う。
なのでシーズン8では、毎回のオーディションのテーマに対して、コーチからのアドバイスを貰い、毎回どんなパフォーマンスを、皆が見せてくれるのかワクワクしてしまう。
(アダムなんか、毎回本当にアっと思わせてくれる)

年齢も、人種も、容姿も関係なく、個性が強く、歌唱力のある人が最後に勝ち残るのだ。
その点、アメリカのオーディションってスケールが大きいというか、人の価値感が多様なゆえ、日本のように歌は多少下手でも、チマチマした可愛い子が最後に選ばれるなんていうことはない。
見てるこちらも、最初は顔の良し悪しやスタイルなどに、目が行ったりするが、ずっと番組を観ていると、それ以上に、存在感とか個性の方に目が行ってしまう。
歌を通して、"すごい!"とか、"何これ!"とか、"心が動かされる~!"という体験を、こちらに与えてくれる人を、応援したくなる。
(そもそも容姿は、最初はダサくとも、オーディションが進むにつれ、プロのスタイリストなどがつくようなので、女性は本当に綺麗になっていくし、男性もそれなりにあかぬけてくる。)

この番組をある意味盛り上げている一人である「辛口」審査員のサイモン

私のお気に入りのファイナリスト
アダム・ランバート



シーズン8から参加の審査員カーラは、アダムのパフォーマンスをべた褒め


審査員ポーラもアダムのファン


"ロックの神様"とまで言われて、顔が緩むアダム


珍しくアダムを褒めるサイモン


サイモンの批評は何が出るのか分からないので気を許せないが、
硬い表情ながら、最後のサイモンの一言「問題は誰にも君を超えられないことだ」に言われてニヤリとするアダム


ジャニス・ジョプリンの曲を選ぶアリスン


今回はロックがテーマ
コーチ役となった"スラッシュ"



"Cry Baby"を熱唱するアリスン
声がジャニス・ジョップリンに似ているのは、個性という意味でマイナスだったかもしれない..



ロックはキャラでないクリスは、ギターを弾きながらビートルズの曲をアレンジして歌う


残った4人の中では歌唱力は一番弱いが、"親近感"は一番高いと感じる
毎回サイモンからは酷評されるが、人気は高い



バランスの取れたコメントが多い審査員のランディ


"ロック向きでない"クリスの持ち味を上手く、フォローする優しいポーラ


クリスのパフォーマンスに厳しいサイモン
「ランチで氷を食べたような感じ」
つまり、全く物足りないということだろう



ひどい、、厳しすぎる


そこまで言うか、、


同じくロック向きでない、ダニー・ゴーキーの練習風景


思い切った選曲に、コーチも賭けだろうとコメント
曲の後半は誰もが絶叫を期待するだろうから



絶叫するダニー・ゴーキー


賭けは裏目に出たのか、、審査員からは厳しい評価がでる。
カーラも慎重に言葉を選んでコメントする


ダニーをかばうようなコメントをするポーラ


しかしサイモンは、率直で辛らつ
まるで「13日の金曜日」のようだったとコメント



星星星星星星星星星星星星星星星星星星

ここまで勝ち残ると、挑戦者はみな自分の能力の限界ギリギリに挑む。
柔軟に思い切ってチャレンジをした者が、シーズン中、大きくアーティストとして成長し飛躍する。

逆に、審査員からの率直で妥当なコメントを、毎回理解できない、もしくは受け入れられない挑戦者もいるが、大体途中でドロップアウトしていく。

お気に入りの挑戦者がいるから観てしまう、というのがやはり大きいと思うが、
挑戦者達のチャレンジと変身、表現に感動したいから見ている面が大きいと思う。
番組を観た後は、"何か新しいことに挑戦できる"と思えてしまうからすごい。

FOXテレビ視聴できる方は、ぜひどうぞオッケー
今週土曜日9時から、トップ2に向けてのステージ・オーディションが観れます。
日曜日の9時からはその結果が分かる番組が放映されます。


徒然なるままに : 15:05 : comments (x) : trackback (x)
除菌国家とトイレ事情

「日本はやっぱり騒ぎ過ぎですよねぇ。」
海外に拠点を持つ経営者の多くは、新型インフルエンザに対する日本人の対応ぶりをそう評する。

私は、海外に会社の拠点はないが、その意見に同意する。
日本は島国のせいなのか、諸外国に比べると、外から入ってくる「異物」に対して敏感だと思う。
さらに、「衛生」に関する概念がちょっと違うように感じる。

そもそも、この新型ウィルスの対応に限らず、市場で売られている商品にもその特性がよく現れている。
除菌クリーナー、除菌消臭剤、除菌スプレーなど、CMでもお店でもどこでも見かける商品だが、この十数年でそういった除菌を記した商品がやたら増えている。
企業の商売上の戦略と日本人の特性が見事にマッチしているのだろうが、人の意識が「きれい」→「清潔」→「除菌」へとプロモートしていると感じる。

日本は、「除菌国家」になりつつあるのではかなろうか....むむっ

以前ニューヨークにいた頃、大学のトイレで、ウェットティッシュタイプの除菌クリーナーを持って立っていたら、アメリカ人の学生から、「それな~に?」と聞かれた。
「これ?アルコールが含まれたトイレのシート用のティッシュ。これで座る前にシートを拭くのよ。」と教えたら、「え~、そんなものあるんだ!ちょっと見せて、いいわねぇ~。」と驚いていた。折りしも当時はエイズの恐怖がまん延している時だったので、根拠はないがトイレはやっぱり怖い場所だった。私に限らず、何人かの日本人女子学生は、ウェットティッシュを携帯している人が結構いたと記憶する。

当時、イタリア人の女子学生が誇らしげに語ったのを聞いて驚いたことがある。「私って、ヨーロピアンの中では、結構きれい好きな方だと思う。少なくとも週に1回はシャワーを浴びるしね。」ぎょ

それに、同じ大学寮の台湾から留学している女子学生の食器や鍋を見て驚いた。"台湾風おでん"をご馳走になるために、彼女の共同スイートのキッチン兼ダイニングへ行くと、洗って並べている彼女の食器がみな薄茶色っぽくて、ベトベトしているのだ。鍋にいたっては濃い茶色に変色している。不思議に思っていたら後に理由が判明。彼女達中国系は、どうも鍋や食器洗いに洗剤を使わないらしい。鍋については特に火を通して使うのでそれで殺菌消毒されているという解釈のようだ。これにも驚いた。

大体にして、日本人(特に女性)はそういった面での清潔感に関しては、世界でもトップ・クラスに入るのではないだろうか?
(部屋の掃除の仕方は別と思いますが)

さらに、北京大学に留学した私の友人(かなりバンカラな女性)は帰国後こう語った。「北京大学のダンスパーティで何がイヤだってトイレよ。女子トイレがパーティの最中、混んで行列になるんだけど、我慢できない子はその場でしゃがみこんで、目の前でしちゃうんだよねぇ..。それも、その子が特別ってわけじゃなく、割といるんだよね。」ぎょぎょ

汚いトイレに弱い私は、その話しを聞いただけで倒れそうになった。

しかし、中国を放浪した友人の話しは違う意味でもっとすごかった。
「そもそも、公共のトイレでも、個別の便器のユニットとユニットの間に壁がなくてさぁ、トイレに入るとただ「しゃがみ式」(和式と同じようなもの)の便器がダ~って並んでるだけなんだよ。その便器の前で、次の人が立って待って並んでるんだぜ~。」ぎょぎょぎょヒェ~。
「しかもさぁ、並んでいる人は、便器にしゃがみこんで"している"人と目を合わせてるんだよ。しゃがんでる人は、"お前が何か変なことしないように見張ってるぞ!"っていう合図で見てるし、並んでいる人は、"私は何もしませんよ"っていう合図で見てるんだよね。」
暗黙の了解か.....
まぁ人間も動物も、最も無防備な瞬間は、"このとき"でしょうから、理にかなっているのかもしれませんが。

大体、トイレタイムは日本人女性にとっては、とてもプライベートなこと。
決してその「姿」もその「音」も、他の人には知られたくないと思っている人が殆どでしょう。
「だって、恥ずかしいもん。ぽっ」の一言に尽きると思います。

しかしながら、諸外国の事情は、わが日本女性のそれとは違います。
中国ではユニットに壁がないという話しをしましたが、
アメリカでは、大学寮のスイートルーム(4-5人1つのユニットの部屋)のバスとトイレは同じ場所にあります。ホテルと一緒ですね。
一人プライベートな時間を、トイレのシートに座って過ごしていると、化粧水だが何かを取りに来た同室の女子学生(欧米系)が、話しかけながらズカズカと入ってきます。
数年前には、旅行したベトナムのサイゴンの大通りの道路わきで、しゃがんで用を足している若い女性を見かけました。

彼等は、日本人女性ほど、トイレでの用足しに恥ずかしさを感じないと断言したい。


諸外国に行くと、日本人以外の女性が皆堂々としていて強く見えるのは、このトイレ文化の違いも大きな原因ではなかろうか?
日本人女性の「やだ~、恥ずかしい!!うそ~知らなかった!本当に~すご~い!!」というブリっ子な文化の原点は、ここにあるのではなかろうか?むむっ

日本人女性にとって、何が恥ずかしいって、トイレ姿を見られること位恥ずかしいことはなかなかないと思う。
でも、仮に、小さい頃から、「"トイレの用足し姿"を見られるのが恥ずかしくない」という習慣のもとに育ったとしたら、意識も変わってくるように思う。
何かこうもっと"おおらかさ"とか"スケールの大きさ"が、全体的に生まれてくるのではないだろうか。
図太くスケールの大きい女性が増えることによって、女性管理職や女性企業家の数が増え、男性も競争するわけだから比例して強くなったりして。(飛躍し過ぎですかねねこ

ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2


日本に新型ウィルスが入ってきたりなどで、"除菌・滅菌"は今後益々加速するように思う。
しかし、同時に子供の頃から、親が除菌・滅菌などで、綺麗に大事に育てすぎて、菌に弱い、ひ弱な子供が増えるんじゃないだろうかとふと気になったりする。

今後、益々世界はグローバル化し、経済での競争は厳しくなっていくだろう。
そんな中、中国とか諸外国のようにトイレ姿を見られても恥ずかしくない、図太い民族と戦うわけである。
昭和生まれはまだ何とか戦えても、平成生まれは柔で戦えないんじゃないだろうかという危惧が残る。

企業は勝ち残りをかけて、必死に今の状況に対応していると思うが、新型ウィルスについての対応を見ているとやや不安を感じる。

「日本人よ、弱毒性ウィルスくらいでビクビクするなぁ。賢くもっと図太くなれ~!」と言ってみたい。


徒然なるままに : 17:55 : comments (x) : trackback (x)
新型インフルエンザ首都圏で発症

メキシコで発症し広がったと言われる新型インフルエンザ。
感染者は世界中で1万人を突破したようだ。

日本でも神戸、大阪など関西で感染者が出て、東京で感染者が出るのも時間の問題と思っていたが、首都圏で遂に確認。
川崎市に住むアメリカから帰国した高校生2名のようだ。
成田からリムジンで戻り、田園都市線を使って帰宅したとのこと。

今週は、21日(木)~22日(金)まで神戸で研修の予定だったが、急遽取りやめとなった。
また、昨日の研修では全員がマスクをつけての参加となった。

一応、会社からは2メートル以上近づく場合には、マスク使用というお達しがあったようだが、1つの部屋に20名以上の人間が集まっているので、常時マスクを使用した方が安全でしょう。むむっ

今後の研修では、マスク着用、珍しくなくなるのでは...。
(暖かい気温で、生きているインフルエンザ・ウィルスですからね)

研修開始の朝一番、前に出て「おはようございます!」と言って顔を上げると、
全員、マスク顔で、何だか少し異様な雰囲気が漂っている。むむっ

「何だか、この光景、すごいですねぇ。思い出になりそうですね~。」なんて軽く冗談を飛ばすと、予定調和と和みの笑いが会議室にドっと起きる。

全員マスクの集団、始めはとまどうが時間が経てば慣れるもの、次第に気にはならなくなる。
といつものように運営している講義の最中、疑惑の目をこちらに向けて、ムっとしている男性参加者と目が合う。
気になって「どうかしましたか?何か怒っていることがありますか?」と水を向けると、「いや、別に何も怒ってません。」と答えた。

どうも、マスクをしているため、目周りを除いて顔は全て隠れてしまっているので、こちらからは表情がよく分からない。
その男性のように、眼光が鋭かったり、目力がある人だと、話しを聞いて真剣に考えていると、目のメッセージが強調され、怒っているかのように見えただけのようだ。

そういえば、グループ討議で、意見がわりと出たように感じたが、参加者同士、ちょっと遠慮があったりしたのは、もしかしたら、このマスクのせいでは????考えすぎかもしれないが....。むむっ
(だって、マスクをつけている人って、顔が見えないのでちょっと距離を感じたりするでしょう)
う~む、マスク着用ルールがしばらく固定化された場合、今後の研修中のコミュニケーションに影響が出るのでは...。

研修前の夜、寝不足だったせいで、研修後は、いつもより疲れが出て、田園都市線では少しぐったりしてしまった。
ここのところ、珍しく体重が下がったせいで、体力が落ちたのかもしれない。むむっ

そこへ、「新型インフルエンザ、首都圏2名発症のニュース、田園都市線を利用」ときた。がーんがーんがーん

何だか、のどが渇いて少し頭痛もある......

あ~、もしかして、私感染してしまっていない????


徒然なるままに : 16:38 : comments (x) : trackback (x)
月のカウンセリング

土曜日の夜、テラスに出てみるとオレンジ色に輝く綺麗な月が目に入った。
後で調べてみると「満月」だったよう。

夫婦二人でテラスに出た私達は、椅子に腰掛け、久しぶりのケンカから勃発した"冷戦"を休止し、しばらく夜空を楽しんだ。
二人で同じ方向を眺めているせいなのか、天空のもとにいる開放感なのか、二人の会話がいつもとは違った形で交わされた。

夫婦で長いこと一緒にいると、恋人時代のラブラブな関係や情熱はだんだんと薄れてくる。(そうでないラッキーなご夫婦もあるとは思うが)そして、大抵は恋愛の感情から、より落ち着いたものへと変化していくもんだろう。新入社員の頃、食事会の席で自分の部門の本部長に、「奥様のことを愛していらっしゃいますか?」と無邪気に質問したら、「愛...というより、責任がありますからね。」と本部長がサっとやや遠くを見ながら、答えたのをよく憶えている。

そういえば以前、ある企業で幹部向けの研修(40歳から50歳)を行っているときに、宴会の席でふと好奇心が働き、「行ってらっしゃいのチュー(キス)をしているご夫婦はどれ位いますか?」と質問したところ、その席にいた約20名の半数以上の男性が手を上げた。

これって、予想外の驚きの比率。その後、更に好奇心にかられ、他社で同じ質問をしても、同じように大体半分位の方が手を上げます。案外日本人の旦那さん、"頑張ってる"と思ったものです。30代とかもっと若い層の男性になると、「お前、チューくらいしないと駄目だよ」と、チューなしの男性同僚を諭す人も出てきます。
それと面白いのが、この結果を見て「行ってらっしゃいのチューをしていない夫達」の反応です。
彼等は、結果に対してものすごく驚愕し、チューをしているという男性達に対して「何だ?!お前ら、それ本当か?なんでそんなことしているんだ?」と、信じられないといった感じで質問したりします。
大体、"行ってらっしゃいチューハート"をしている男性に聴くと、奥様に求められて習慣となっていると答える方が多く、まぁ言い換えれば、皆さんそれぞれ奥様に愛されているとも言えるでしょう。女性の方が愛を続ける努力をする人が多いのかもしれません。

さて思い返せば、私達の結婚生活の最初の1年間は、相手と自分との習慣の違いや価値観の違いに改めて気づき、それを受け入れるストレスが、結構大きかったように思えます。特に女性が働いている場合は、家事の負担が増えるので、結婚して数ヶ月後にドっと疲れが出る人もいる。
男と女、元々が違う性を持つ生き物。
お互いに違うからこそ、磁石のように惹きつけられるんだろうけれど、結婚すると逆にその違いが、揉め事のもとになったりするから、やっかいである。

そして、互いの違いがよく分かってくると、抗うことを止めて、どこかお互いに妥協するラインを自然に見出したりする。
お互いに片目をつぶって相手を見るようになるし、ケンカの種になるような余計なことも言わなくなる。

彼が口をあけて寝ていようと、おまんじゅう6個を、目にも止まらぬ速さで平らげてしまったのを見てもぎょ、まったく動じなくなるものである。

更に共稼ぎの我が家の場合、二人のエネルギーは外、仕事に向かいがちであると思う。
お互いに出張で家を空けることもあるため、かつては月に1日しか顔を見なかったことだってある。
もしかしたら、男が二人家にいるようなものかもしれないむむっ

顔をあわせれば、あ~でもない、こ~でもないと最近の仕事の話しや情報を交換したり、最低限必要なコミュニケーションを取っているが、案外自分達についての深い話しをしていないものである。

だから、気がつくとお互いの状況や気持ちを分かっているようで、まったく分かっていない時がある。
気をつけないと"すれ違い"というものが、知らず知らずにうちに起きている。

冒頭の部分に戻るが、先日の満月の夜のことである。

冷戦を止めて、食後テラスに出た私達は、お互いに静かにそ~っと、月を相手にしたのか、伴侶に言えないような本音の打ち明け話しを、まるで同性の親友にでも打ち明けるように、したのである。
それはまるで、決して相手が自分を責めることがないと、互いに知っているような感じだった。

その夜、何とも言えない開放感が心の中に広がった。
思いがけずギフトを貰ったような気分だった。

よく、アメリカの映画やがTVドラマで、夫婦が二人で、関係をリセットするためにカウンセリングを受ける場面が出てくるが、上手く行く夫婦のカウンセリングって、こんな感じなのかなぁ~とふと思ってしまった。

もしかしたら、その夜は月が私達のカウンセラーだったのかもしれない。



徒然なるままに : 00:30 : comments (x) : trackback (x)
まじめな男と開き直る女

雨が降る日、ぬれた道路を車で走る。
手術を終えたばかりの友人を見舞うため。

GW中とあって、道路は比較的空いている。
思っていたよりも早く到着。

友人から頼まれた「のど飴」と、週刊新潮を抱えて病室へ。
受付を済ませてエレベーターに向かう途中、ふと亡くなった父を思い出した。
こんな風に、あの頃も病院へ来てたなぁ...。

手術を終えたばかりの彼女は、幾分やせたせいなのか、目がひときわ大きく見える。
長い髪をお下げに編んだ友人は、普段以上に若く見え、さながら女性学生のようだ。
思っていたよりも元気な姿にホっとする。

リハビリがてら、ゆっくりと一緒に歩き、病院の中のタリーズへ移動。

それにしても、人間の回復力ってすごい。
つい4-5日前にお腹を切ったばかりなのに、もう歩けて一緒にお茶まで飲める。
友人の場合、まだ年齢も若いし、バイタリティもあるから回復もきっと早いと思う。

でも、いつも忙しい日々を送っている友人にとって、病院で安静を保ってじっとしている日々はさぞ退屈だろう。
いつもは見ないTVに夢中らしい。

「TV番組って案外面白いって知ってた?フミちゃん。もうすっごく面白くて病み付き。」
「へぇ~、何が面白かった?」
「え~とねぇ、、NHKの番組とか、すごくいい。」
「そう、NHKっていい番組あるよねぇ。私も好きな特集とかある。バラエティはどう?島田伸介の番組とか?」
「島田伸介って、上手いよね。あの人が司会すると面白い。」

などと、たわいないのない話しをしていると、彼女のBFと同僚も見舞いにやってきた。
会話は広がり、賑やかなお見舞いとなってきた。

見舞いに来た同僚は、最近の会社でのサプライズとなるニュースを運んでくれた。

実は、彼女達が働く会社につい数週間前に、将来有望な敏腕男性社員が入社したらしい。
仕事は正確で速く、幅広く仕事をこなす。
また性格はまじめで温厚、年齢が若いのに落ち着いていて判断力があり、誰にでも対応できる"マチュア"なタイプとのこと。
(今時得がたい人材ですよね~オッケー

彼は仕事先の紹介を経て、このたび彼女達の会社に入社が決まり、会社の役員も当然のこと喜んで彼を迎えた。
(ちなみに入院している友人のプロジェクトを引き継き、後釜のリーダーとなったのは彼である。彼には数多くのスタッフがつけられ、自分の時との待遇の違いに、友人は正直な話し、ちょっとムっとしたらしい。)

先月の彼の結婚式には、会社の社員全員が二次会のパーティで彼の結婚を祝った。
そして、彼の今後に期待を寄せた。

しかしながら、GWに突入する前のある日、前途有望で"マチュアな彼"は突然姿を消してしまった...。


その日の朝、珍しく彼は出社時刻を過ぎても姿を現さなかった。

遅刻かもしれないと、周りは当初思ったらしい。
しかし、しばらく待てども彼は姿を現さない。
その日は既にクライアントと幾つかのミーティングを抱えた大事な日である。

異変を感じた同僚は、彼の携帯電話に連絡を入れるが繋がらない。
家に電話をかけても出ない。

日頃優秀でまじめな彼のことゆえ、連絡なしに休暇を取ることはないだろうと誰もが思った。
もしかしたら、どこかで行き倒れてしまったんじゃないか、トイレのユニットの中か何かで倒れてそのままなんじゃないかと、周りは心配し憶測を始める。

そこで、消防署に連絡を入れて倒れて病院に担ぎ込まれた人や、事故に遭遇して身元が分からなくなっている人はいないかを確認したところ、そういった人物はいないと分かる。

万事休す。一体何が起ったんだろう??

しばらくして、彼の妻が働いている会社を憶えている人がいたので、電話番号を探りあてて彼女に連絡を入れることに。

彼の妻は会社にいた。

そして電話口に出た彼女は、静かに相手にこう告げたらしい。
「前にも同じようなことがあったので、大丈夫だろうと思います。」

実際に彼の家にいってみると、彼は自宅にこもっていた。
どうやら、ストレスが重なって出社できなくなったらしい。

にわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとりにわとり

「へぇ~、そんなことってあるんだ!あんなに、み~んな、優秀な人がきたって騒いでたのにね~!!」
と入院している正直な友人は、少々勝ち誇ったような口調になる。(その気持ち分かる)

「彼、真面目だったから、ドンドン仕事を振ってこられても、イヤって言えなかったんじゃない?」
「社長も、"彼は仕事がとってもできる人だから期待してる"なんて、みんなに紹介してたでしょ。あれって入社して間もない人にはプレッシャーだよね。逆に最初は慣れないだろうから、まずはゆっくりペースをつかんでくださいって言われる方がずっと楽だよね~。」

「でも、彼の妻、絶対に強いわ。結婚式の日、顔を一目見たときからそう思ってた、この人、気の強い人に違いないって。彼は彼女の横で、すみませんって感じだったもん。」

「それにしても、男の人で職場から失踪するというか、逃げちゃう人って案外いるよね?」
「そういえば、私も何人かそういう男性知ってる。でも逆にあんまり女の人で職場から逃げた話しとか聞かないよねぇ。」
「だって、女の場合は仕事が一杯になって仕上げられないって思ったら、"これ以上は出来ません。もしどうしてもと言うなら優先順位をつけてください"とか、一杯一杯になる前に言う人の方が多くない?」
「それって言えてる。前の会社の上司も、"だから、女は嫌なんだ!出来ませんって平気で言っちゃうんだもんな"って言ってた。」
「でも、出来るって言ってて、出来ない方が、ずっと物事を悪くしない?責任果たせないじゃない。」
「賛成、だって、そこから会話がスタートして状況が見えてきて解決策が出るってもんよ。」
「そう思う!ハイ出来ます!って毎回出来ないのに引き受けて、ギリギリになって出来ないと思ったら、行方をくらまして、妻の会社にまで連絡入れられたら、それこそ最悪じゃ~ん!」

「男って、やっぱり子供の頃から縦社会の枠にしっかり組み込まれてて、上司にNOってなかなか言えないよね。」
「男の方が女よりも、仕事が出来ないってことを、クヨクヨに気にするのよ。やっぱり女よりも繊細なんじゃない?」

ねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこ

私も会社を失踪し辞めてしまった人をこれまで3人知っているが、全員男性である。
何が理由か分からないが、突然職場を放棄しいなくなってしまった。
先日久しぶりに会った同僚のご主人も、職場でパニック症候群を起こして以来、ずっと仕事に復帰できないでいるらしい。

男と女、どちらが強いかなんて比べてもしょうがないが、身のまわりをみたら、女性の方がストレスに対応できている人が多いのかもしれない。

今の時代、男も女も外で働き、お互いに評価やポジションをめぐって競争することも珍しくない。
昔の女性のように、家にいて家庭を守り、"主人の仕事についてはまったく分からない"などということは、益々減っていくだろう。
"男性の仕事は聖域で、女性には分からないミステリアスなもの"ということは、もはやない。

私達男女が、互いに助け合い、今後も互いにパートナーとして生きていくとしたら、働く私達女性は男性の繊細な面をより意識する必要があるのかもしれない。ストレス社会に弱いのは"弱音をはけない"男の方だと。


徒然なるままに : 15:50 : comments (x) : trackback (x)
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