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フィレンツェ&トスカーナ⑥シエナ

今日は世界遺産の古都、中世の香りを残す「シエナ」へと向かう。
トスカーナ地方は広い、滞在しているパリのリゾートから空いた道を走ってシエナまでは1時間位の距離となる。

車の中で、迎えに来てくれたガイドのファビオから季節によって変わるトスカーナの風景を教えて貰った。
今は収穫の時期なので、道路ではワイン用のぶどうを満載してゆっくりカタカタと走る小型トラックとよくすれ違う。
道路の両端に目をやると、トスカーナ特有のうねりのある丘陵の風景は、緑と乾いたようなベージュ、茶のコントラストが目出つ。
今は大麦もトウモロコシも収穫した後なので、多くの畑はボコボコと耕された土で盛り上がっている。
このうねりのある丘陵はクレーテ・セネシと呼ばれていて、どこまでも波のように続くアンジュレーションが牧歌的ながら、何となく惑星的な世界を感じさせる。

この写真がそのクレーテ・セネシの風景の一つ。

更に5月が最も美しい風景を見られる時期だそう。
しっとりとした新緑にひまわりの黄色がまぶしく一面に広がっていて、息をのむほど美しいそう。
訪れる人の多くが感動する。

2つの写真は、ガイドさんが後で送ってくれたものです。この美しいひまわりを見にまた5月にトスカーナを観光してみたい、、、。
この時期、食べ物は最高、観光はやっぱり秋と春がいいですね。



さて、そんな風にトスカーナ特有の風景を眺めてドライブしながら、シエナに到着。
ここはフィレンツェからは60KM南下した場所にある人口約57000人のシエナ県の県庁所在地
14世紀にシエナ派の芸術が栄えたところです。
フィレンツェで色鮮やかなルネサンス芸術が花開いていた15世紀にシエナでは対照的に中世的なゴシック建築が全盛期を迎えます。
政治、経済、芸術、宗教、全てフィレンツェと対照的だったシエナは、今でもフィレンツェと仲が悪いそう。
戦争で負けたこともあるし、ライバル意識なのかな。


シエナの町に到着して、地図を手に入れ、母と二人、目印になるような建物や道順をいちいち口に出して憶えながら、一見迷路のように曲がっている道を歩き出す。
そしてまずは「カンポの広場」へ向かう。


トスカーナに限らずイタリアの町の扉や窓の木戸など、南のプーリアでも赤やグリーンのビビッドな色で塗られている。
乾いた空気の中で、それらの色は風景や建物とよくマッチしていると感じる。
東京のように湿度の高い空気の中では、空もここイタリアよりももっとグレイッシュで淡い水色に見える。だから日本ではビビッドな色よりも、ちょっと彩度を落としてくすんだ色の方が、景色にマッチするのだろうと感じる。日本人の感性もそういうところから生まれるのかしら。

秋とはいえ、日中陽が差していると汗をかくほど暑い。歩いているとジリジリと日差しが照りつけてくる。
しかし湿気がないので、日影に入ればすっと涼しくなるので、観光するのも歩き方次第で暑さは緩和できる。
日影を選んで歩く、休む、教会などに入って休むなどしていれば案外大丈夫。
それといずれにしても冬場でなければ、早朝から観光をスタートすることをお薦めしたい。
観光で気をつけなければならないのは「靴選び」。
デコボコした堅~い石畳を歩くので、底が薄い柔らかい靴、ハイヒールだと私は20分と持たない。
以前、ハイヒールを履いてフィレンツェの町を歩いて、数十分でお店に駆け込んでペッタンコの皮のサンダルを購入したことがある。
嘘のように足が楽になり、現地の靴ってすご~いと妙に関心したことがある。

丘の上に建てられた古都、シエナは起伏があり、カンポの広場に向かって歩くほど、下っていく感じ。
駐車場からどんどん降りていくと、大きな建物と広場のあるT字路にぶつかる。

この建物はイタリア有数のシエナの銀行「Monte al Parchi di Siena」世界で最も古いと言われている銀行


建物につけられた頭部の彫刻も印象的。
やっぱり銀行があって経済が栄えると芸術や文化って花開くのよね、、と実感。
帝政ローマの頃に、フランスとローマを結ぶ幹線街道の重要な中間に位置していたのが重要なポイントですね。
通商はやっぱり交通、位置が大事。

銀行を正面に人が歩いて行く方角に下っていくと、目の前に扇状の劇場のような広場が現れてくる!

扇状に広がっているのだけれど、なんとも言えない空間が演出されている。
これは歩いて過ごすよりは、冷たいものでも飲んでゆっくり眺めよう!
ふと見渡すと朝早いのでカフェはまだ空いていて、ヨーロッパの観光客はビールを頼んでいる。


母はアイス・コーヒーを注文 

世界一美しいと言われている意味がよく分かる。今までみた広場の中では一番優雅でエレガントな感じがする。

しかし、ほんの40分位過ぎてくると人が増えてきて、そろそろ大聖堂に移動した方がいいかな、、という感じ。


旅行 : 12:22 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナ⑤トスカーナへ移動

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9月、10月のフィレンツェは観光シーズンだそう。町の人も戻ってきているけれど、観光客の数も多い。
この先のポンテベッキオには人がどっと溢れている。
これだけ人が多いと、歩くときにもぶつからないように気を遣うため、渋谷を歩いているような気分にもなる。
午前中の早い時間帯は割と空いているのだけれど、12時過ぎると人が増えてくるように思う。


これから、トスカーナに向けて出発予定。
モンタルチーノからほど近いPariという場所に車で移動する。
16時に車がホテルまで迎えにくることになっているので、ホテルのカフェでレモンソーダを飲んで待つことに。

ローマ門を抜けて、街道に出る。
キヤンティを抜けてずっと進むこと2時間、今夜から泊まるホテルに到着
辺りは箱根の山の中にいるような静けさがある。


ホテルのテラスに出てみると、ずっと広がった景色が目の前に飛び込んでくる。
トスカーナの地方にしては珍しく新しい建物のリゾートホテルである。
「ペトリオーロ・スパ&リゾート」

実はこの地域は、箱根同様に温泉が出る。
だから少し下って渓谷まで降りると露天温泉があるようだ。
もちろん、ホテルにも温泉が引かれていてスパリゾートになっている。


ロビー


お部屋は広いし眺めも良い。着替えて1時間ほどゆっくりと過ごす


ホテルのダイニングは美味しいオッケー
フィレンツェのトラットリアとは違う薄味で身体に優しい食後感がある。
これはアミューズ:先付けの一品。カレー風味なチキン。


レストランの窓からは、形のきれいなふっくらした金色に輝くお月様がよく見えます。
周りにネオンとか照明がない山中の漆黒の夜なので、余計にきれいに見えるのだと思います。
母と二人また「きれいね~」と言いながら、月を眺めてお食事。
しかし、レストランにいる旅行客は誰一人として月を眺めたり話題にしている人はいません。
アジア人旅行客はいないし、やはり月見するのって日本人だけなのだろうか。
韓国人も見るような気がするけれど。

せっかくトスカーナに来ているだから、やっぱりワインを飲みたい。
2種類のワインをテイスティングしようと思っていたら、思わぬハプニングで1種類増えてしまった。


これは地元モンタルチーノのLe Poderina Rosso di Montalcino 100%サンジョベーゼ ルビーのような色で果実味が強く少し樽の香りがする。


トレンティーノ・アルトアディジェ州のRiserva Mazonの100%ピノノワール
オーストラリアに隣接した北イタリアの地方のワインです。
ベリー系の甘い香りがして華やか。
この地域は白ワインが有名、以前ゲビュルツ・トラミネールを飲んだけれどくちなしの香りがして美味しかった記憶が蘇る。


こちらのワインを実は隣のテーブルに座る一人旅の女性からご馳走して貰ったもの
トスカーナのFabula Monteregio
サンジョベーゼ100% スミレの花の匂いがありサンジョベーゼらしい味わい、飲みやすくて美味しい。

お裾分けしてくれたのは、スイスのジュネーブで働いているロシア人女性で、とにかく仕事のストレスを解放するためにこのリゾートを選んだそう。
昨晩までは食事もお部屋で食べていたけれど今晩はダイニングに来てみたらしい。
人がいっぱいいるところは疲れるので行きたくないし、のんびりスパに行って、毎日エステを受けてリフレッシュしているそう。
時々こうやって休暇を取って、疲れを癒やしているそう。
「スパのメニューではねぇ、アンチエイジングのフェイシャルトリートメントが最高だったわ。翌朝、お顔がなんて言うかぱっと若返った感じ。お薦めよ~」と教えてくれる。
彼女からマッサージの上手な女性の名前を教えて貰ったが、私の時にもたまたま彼女が担当だった。
私はアロマオイルを使ったボディ・マッサージを受けたが、力強くて確かにうまい。

ローマ在住の友人キヤロラインの話しによれば、最近こうやってスパに通ってマッサージを受けるイタリア人が増えているそう。
仕事のストレスをマッサージで癒やすというのは都会で働くイタリア人の間ではちょっとした流行になっているそうです。

ふ~ん、なるほどね~、でも日本の旅館やアジアのスパの方が、こちらの4つ★ホテルよりもずっといいサービスしてくれるな~と、サービス先進国日本から来た私は思うのでした。


赤ワインと一緒に食べたのは、もちろん地元キアナ牛のステーキ
お肉本当に美味しくて、柔らかい。
ホテルのダイニングは典型的なトスカーナ料理とは違い、ひねりを効かし洗練されたお料理が毎回出てくる。
またパスタもお肉もポーションを小さく出して貰っているので、最後まできちんと完食。
給仕の黒服の男性が、細かく要望を聴いてくれるので、サービスの厚みを感じる。
このホテルの中で最もホスピタリティの心と技術を持っていたのは、この黒服の男性マネジャー?でした。
あとのレストランのスタッフは地元採用???とっても緊張してまじめに働いてました。
本当にまじめな感じで、一生懸命サービスを憶えることに必死な雰囲気が伝わってきます。
がんばってねと一声かけたくなるきまじめさで、微笑みません。
プライドを持ってけっして笑ってはいけないと言われているのかもしれません。

さて、今晩は静かな渓谷でぐっすりと眠ることになりました。


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フィレンツェ&トスカーナの旅④中央市場~プロカッチで休憩


メディチ礼拝堂、サンロレンツォ教会の通りには、市場があり、道にテントを張って沢山のお店がところ狭しとばかりに商品を並べています。
見ているとなかなかしっかり作られたバッグなどが80€くらいで売られていて、眺めながら歩くのも楽しい感じです。

市場で人がごった返す中を、メディチ家の礼拝堂を出て3分ほど歩くと、「中央市場」があります。
ここの建物には、野菜、ハム、果物、チーズなどの食料品店と、食堂がびっちりと入っています。
ここの商品は、普通のお店で売られているものよりももちろん割安。

見ていると旅行客も足を止めて飲み物を飲んだり、パニーニを食べていたりします。


ハムとチーズのお店、清潔でクリーンな感じ。おじさんが店員さんとのんびり会話しながら、ハムを買ってましたが、私を振り返ると「僕は彼の父親なんだよ、よく買いに来るんだ」と言ってました。
たぶん、家業なんでしょうね。

建物の2階は、通常青果を扱っているようなのですが、改修工事が入っているようで、多くのお店は建物の外側に出て、テントを張って開店していました。


とっても快活でテンポよくお薦めするお姉さんがいる青果とオイル、ワインを売るお店。
毎回「アローラ」と一声入れてから、テンポよくハスキーな声でお店の商品をちゃっちゃと押しつけることなくお薦めしてくれます。
ちなみにアローラとは、日本語だと「さぁさぁ、それじゃ」なみたいな言葉のようですが、接客上手のドンナはどこのお店でも、み~んなこの言葉を多用していました。
説明しながら、収穫されたばかりのいちぢくをさっとむいて、無料で食べさせてくれるタイミングも抜群、商売上手です。
ここで買ったオリーブオイルやワインなどは、ヤマトの宅急便などで日本に送ってくれるそう。ワインは1ダース送って確か90€でした。


ここのお店ではこんな風に乾燥したポルチーニやチェリートマトが売られています。
ポルチーニは、このまま水で戻さずにフライパンでパスタと一緒にオリーブオイルで炒めればOKだそう。へぇ~むむっ
このまま袋にバサっと入れて真空パックの状態にしてくれます。


あった、お目当ての黒トリュフのペースト。通常のショップよりもやっぱりお得な値段。
ハチミツとブレンドしたものなど色々あります。

さて、市場で果物やトリュフの瓶詰め、トマトやポルチーニを購入したので、お目当ての「プロカッチ」に行き休憩しようと。コーヒー
このお店はトルナヴォーニ通りに面していて、「中央市場」から歩いて10分位の場所にあります。
先ほどのメディチの礼拝堂の通りを抜けて、近くのバールでお兄さんに道を聞いて確認して目的地へ。


「プロカッチ」は1885年の老舗のバールで、日本人女性のスタッフがいました。
フィレンツェのお店には案外日本人女性の姿が目立ちます。フィレンツェに恋してそのまま住み着いちゃった人って多いのではないかと想像。


ここのお店は小型のパニーノが有名なようですが、特にこのトリュフクリームを挟んだパニーノは秀逸。ハート
自宅用に黒トリュフのペーストを購入したので、家でも作ってみよう!
それとここのグラスのシャンパン、とっても美味しかったです。
12時前からトリュフクリームのパニーノとシャンパン、あ~幸せを感じる、、、。


ちなみに、トリュフがあまり好きではない母は、ケーキを選ぶ。
甘さがやや控えめな感じで美味しい。


隣に座った地元の女性の食事を見ると、ガス入りのお水と白ワイン、それにプロシュートとパンの組み合わせ。
トスカーナのパンて、塩を使っていないのですっごく無味なんだけれど、塩気の強いプロシュートと食べると美味しいんです。
トスカーナの料理はおしなべて塩味が強いお店が多いのですが、パンに塩を使っていないせいなのでは、、、とも思います。
日本人がご飯炊くときにお水だけで炊くのと同じなのかもしれません。

さて、プロカッチで休憩した後、トルナヴォーニ通りに出て歩いていると、すごくステンドグラスがきれいな建物を発見ねこ

ピンク色と黄色が可愛いステンドグラスに思わず写真撮影。


その後、家庭料理の「マリオーネ」でお昼を食べる。
知り合いから推薦されたジェノベーゼのパスタを注文すると、デンとテーブルに荒っぽく大きな一皿が置かれた。
母はそのデンという置き方にびっくり。
ジェノベーゼの濃厚ソースがたっぷりと絡められたパスタは、一人では食べきれる量ではない!!!!
写真ではわかりにくいのですが、パスタの幅が広く、実際の目の前に出てきたパスタは2人前はあるような感じです。
すでにトマトのサラダなどを食べていた私の胃には入らない。(まぁその前に食べたパニーノも効いてますけどね)

この体験以降、私は全てのお店で「ハーフ・ポーション(半分の量)」で注文することを慣行することになります。
一度に一つのものを沢山食べるより、複数のものを少量づつ食べることに胃が慣れているので、どうしても前菜に一皿+パスタもしくはお肉ドカ~ンというスタイルに慣れませんでした。

旅行 : 09:34 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナの旅③メディチ家の礼拝堂

「リカルディ宮」を出て、再び「サンロレンツォ教会」の方角に戻り、その裏にある「メディチ家の礼拝堂」へ向かう。

ちなみにこの写真は、サンロレンツォ教会の内部。

「メディチ家の礼拝堂では」入り口で一人6€を払う。
「リカルディ宮」では一人7€だったけれど、母の年を聴かれて無料になったので、一応「メディチ家の礼拝堂」でも確認してみたが、こちらはフィレンツェ在住でないと高齢者特典はないらしい。

この礼拝堂は「サンロレンツォ教会」の後ろに繋がって建てられている。
右側が「君主の礼拝堂」、左側が「新聖具室」。


歴代のトスカーナ大公の墓所となっていて、8角形の礼拝堂は床も壁も大理石や高価な貴石がふんだんに使われていてとっても豪華。
豪華といっても、墓所ということで使われている石は茶を中心とした大理石で渋く重厚な感じです。
この礼拝堂も外側からは分からないけれど、内部に入ると空間の広さとその贅沢さに圧倒されてしまう。
老コジモの時代に計画され、建築がスタートしたのはその次男フェルディナンド1世の時代から。
多量の石を使ったので、「貴石加工所」がこの時代に創られます。

フィレンツェのこういった名所や館を訪れていると、様々な色の大理石の美しさもさることながら、ラピスラズリなどびっくりするくらいの分量を使って飾られた壁や家具、壺などの装飾の贅沢さに驚いてしまう。ピッティ宮でも信じられないほど細やかで精緻な貴石を使ったモザイクのテーブルなどを数多くみたが、一つづつじっと目をこらして眺めていると時間が足りなくなってしまう。


ずっと上を見上げていくと、クーポラに細やかに書き込まれた天井画と八角形の形に従って配置された窓が見える。
この天井画はピエトロ・ベンベヌーティの19世紀の作品。
この八角形の形に従って建物内部の柱も全てデザインされている。


柱の基盤に入っている「フィレンツェの紋章」。柱には16都市の紋章が入っています。
色調を落とした渋い大理石の中、この紋章には華やかな色の、ラピスラズリ、アラバスタ-、珊瑚、真珠などが使われています。
大公棺の下に16都市の紋章を位置することで、大公の支配を表しているそうです。


この霊廟の隣の部屋「新聖具室」に行くと、そこにはミケランジェロの彫刻が並んでいる。
この写真の一番左がロレンツォ・イルマニーフィコ。

イルマニーフィコとは日本語では「豪華王」とか「偉大なる」と訳されているけれど、ロレンツォはメディチ家が築いた莫大な富をもとに、多くの芸術家達を支援した人。メディチはロレンツォの祖父となる老コジモの時代から富を築いてメディチ家の基盤が固まり、フィレンツェにおける芸術の支援・振興を行っている。
そしてロレンツォの時代にさらに華やかにルネッサンス芸術が華開いていくことになりますが、ご本人はこの像をみても分かるとおり、あまり美男ではないのです。他の彫刻の写真やデスマスクをみてもやっぱりごつい顔でロマンチックな容姿ではありません。ですから「リカルディ宮」のゴッツォリ作の若い頃のロレンツォの姿は、かなり美化されている、、、と感じてしまいます。説明されなければ、想像できてもロレンツォとは分からないと思ってしまいます。
でもロレンツォ・イルマニーフィコはその名に恥じない、歴史を動かす力を持った人物で、彼の人柄をベースにした外交手腕(富もありますし)と強烈な運の強さ無くして、フィレンツェは当時の数多くの都市国家の中で栄華を放ち、影響力をふるうことは出来なかったと思います。そしてそういう孫を育てた老コジモの教育も素晴らしかったのではないでしょうか。塩野七海さんの本など読んでいると、ロレンツォは若い頃から外国の王と謁見するような場への同行を許されて、諸国の王や力のある人たちとの社交や交渉を現場で学びます。まさにエリート教育。
しかしながら、ニコロ・マキヤベリが危機感を感じ強く自軍を持つよう提唱していたように、自軍を持たなかったフィレンツェは、フランスなど諸外国の庇護を受けなければならず、強運に恵まれ外交手腕を発揮したロレンツォの死後は、都市国家としての国家運営はだんだんと先細り的になっていきます。
一人の秀でた才能ある君主の能力によって、国家運営がぐらつくようでは宜しくないのですが、商業的には成功しても国家として機能し続けるシステム(特に安全保障に関するもの)がフィレンツェには欠けていたのですね。
マキヤベリがプリンチペ、「君主論」を書いたのは、そんな時代のフィレンツェで、官僚という仕事柄、諸外国に出向き、他国の王や人々、商人達と話してフィレンツェを外側から見ることの出来た彼は、いつでもすぐに自衛できる自軍を持たず、だんだんと先細りになる優柔不断で決断力のないフィレンツェを案じ、きっと歯がゆかったのでしょうねぇ。だから、冷徹でワンマン、自軍を率いて戦うチェーザレ・ボルジアに理想の君主の姿を見たのだと思います。


ミケランジェロ作のネムール公ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑「昼と夜」


ミケランジェロ作のウルビーノ公ロレンツォ・デ・ミディチの墓碑「曙と黄昏」
亡命中に亡くなった当時のメディチ家の当主。

しかし、なぜミケランジェロがロレンツォ・イルマニーフィコや老コジモではなく、わざわざネムール公やウルビーノ公を彫ったのだろう?と思いますが、政治的な意図があったようです。
時の教皇クレメンテ7世が、彼ら二人の少年を社会的に後押ししたためと言われています。


旅行 : 07:24 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナの旅②サンロレンツォ教会からリカルディ宮へ


朝、ホテルを出てレ・プッブリカ広場を抜けて「サンロレンツォ教会」まで歩く。
ここは歴代メディチ家の菩提寺である。目立つことを避けたメディチ家だが、ドナテッロ、ブルネルスキ、ミケランジェロなどの芸術家を起用している。簡素な石積みの外部に反して内部の意匠は見事。


「サンロレンツォ教会」の後は、今日のお目当ての一つ、「メディチ・リカルディ宮」へ。
メディチ家の人々が暮らした場所である。
1444年にコジモ・デ・メディチの依頼でミケロッツォが設計、ほぼ正方形のプラン。その後16世紀後半にリッカルディ家が所有し、現在のカブール通りに面した部分が大きく延長された。
フィレンツェの市民感情を刺激しないよう、1階は城塞のように粗々しい石組みとなっているけれど上の階は滑らかな外観を持っている。


内部に上がって2階に行くと、ゴッツォリ作の「ベツレヘムに向かう東方の3賢王」の見事なフレスコ画が、礼拝堂の三方に描かれている。
フレスコ画がとても良い状態で残っていて、実在の人物が描かれているので興味深く眺めてしまった。
中央の若い王様の後ろに続くのがメディチ家のメンバーです。
後方の茶色のロバに乗っているのが「大コジモ」、その右隣で白い馬に乗っているのが息子の「通風持ちのピエロ」(ロレンツォ・イルマニーフィコの父)。

描かれた豪華な行列の中央の若い王様が、美化された少年時代のロレンツォ・イルマニーフィコです。
残された肖像画や彫刻とかなり違うので相当美化されて描かれたものと感じます。


フィレンツェの美しい館を見ていて思うのは、シャンデリアのこの美しさ。
美をどこまでも追求しようというあくなき姿勢を感じてしまいます。


ルカ・ジョルダーノのギャラリー、華麗で見事な天井画と装飾、そこにフィリップスタルクのモダン家具の椅子が並べられしっくりと調和しているが印象的。


この天井画の淡いブルーの色調の美しさ。


フィリッポ・リッピ作の「聖母子」


「四季の部屋」会議場として使われているようです。


中央には中庭があり、レモンの木などが植えられています。


近づいて見ると、緑色してますがレモンがちゃんとなっています。


中庭の石畳もきれいにメディチ家の家紋がデザインされて、敷かれています。


これがメディチ家の家紋の画像です。丸い玉のようなデザインは「丸薬」もしくは「お金」を示しているということです。
メディチ家はルネッサンスの時代、金融業で莫大な富を築きますが、もともと薬屋としてもお金を稼いでいた?
そういえば、昔、英語のメディスン(薬)はメディチという語源から来ていると聞いたことがあります。



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フィレンツェ&トスカーナの旅①


フランクフルトから飛行機を乗り継いでフィレンツェに到着。
ちょうど陽がが沈みかけてくる時刻なので、シニョーリア広場を抜けて、紹介されたトラットリアへ向かう。
正面はベッキオ宮。ちょうどこの日は中秋の名月、満月の夜


Birreria Centraleというお店、テラス席まで人が溢れている。
地元の人や観光客など半々くらいの感じ。
途中から道に迷ってしまったため、お店の人に迎えに来て貰った。


時差ぼけでややボ~っとしていたけれど、初日の緊張感もあって眠気はあっても目はしっかり開いている。
しかしながら初日の夜って、あんまり食欲が湧いてこない。
時差があるので、ちょうど日本時間でいえば夜中の2時頃、だから食欲が湧かなくてもおかしかくない、、。
とはいえ、メニューを読む目は真剣そのもの。
パキパキ、テンポよくお薦め上手のお店の女の子のご推薦に従って、ブルスケッタなどミックスで盛り合わせた前菜を一人前。
出てきてびっくり、一皿が大きい~ぎょ


お店の名物料理らしい「ニョッキ」も注文
いくつかの種類を迷った末、ブルーチーズなど複数のチーズをミックスしたソースと、バルサミコを使ったソースと2種類を半分半分でオーダー。
この濃厚なチーズソースは、かつて食べたことがない感じ。むむっニョッキにもとっても弾力があり、はじめて食べるニョッキの味です。
ローマにもこんなニョッキはないと聞きましたので、この店オリジナルなのかもしれません。

満腹になったお腹を抱えて母と歩く帰り道、ふと夜空を見上げると、この日は中秋の名月。


燦然と輝く満月が、ベッキオ宮のタワーの隣でものすごくキラキラ光っています。
こういうのが大好きな親子二人で「きれいねぇ~」とうっとりと足を止めて眺めてしまう。

周りには沢山の観光客がいて賑わっているのですが、見渡すと満月を愛でる人って少ない。
日本人ならではの感覚なのでしょうか。

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古代ローマのリーダーから学ぶリーダーシップ

過去の歴史や偉人伝を読むことで、今を生きるヒントを得ることがありますが、今回は、その中で、パクス・ロマーナを実現し1000年以上続いたローマ帝国の礎を築いたリーダー、ガイウス・ユリウス・カエサルこと、ジュリアス・シーザーのことを書きたいと思います。

時は経ても、戦乱の世を勝ち抜いたリーダーから、変化と競争が厳しい社会に生きる今のリーダーが学べる要素は沢山あります。
シーザーが、なぜ、多くの部下を従えて、ローマを出て困難なアウェーでの戦乱を勝ち抜き、新しい世界を切り開けたのか、今回は4つのことに的を絞って書きます。

一つ目:シーザーには実現したいビジョンがあり理念があった
シーザーには、大きな野望があった。
「野望」と聞くと、何か出世欲に駆られたドロドロしたイメージがあるけれど、野望も遠大で大きなものになると、社会全体が良くなり、多くの人がその恩恵を与ることになる。だから大きな野望は、皆にとっての理想であり「ビジョン」となる。人はそんな未来を見せてくれる、信じさせてくれる人を、リーダーと感じる。そしてそのビジョンに向かって自分もついていきたいと感じる。

シーザーは遅咲きながらも、執政官を勤め、やがて大きな野望、「ビジョン」を持つようになる。

そのシーザーのビジョンとは、「ガリア地域(古代ガリアはピレネーとアルプス両山脈、ライン川、大西洋に挟まれた全域で現在のフランスより広い)の不安定さを取り除いて平定し、ローマを中心とした安定かつ繁栄した西方社会を創る」というものである。
つまり、みんなが安心して平和に暮らせる社会を創りたいと願ったのである。

それは都市国家としてのローマの平和とどまらず、ローマを中心にした西方社会全体の平和という大きな枠組みの概念となる。

若い頃に、ローマを追われて海外で暮らす日々があったからかもしれない。面倒をみてくれる人がいたとはいえ、不安定な状況で、ローマを眺めていたから見えるものがあったかもしれない。

シーザーは人が見通せない未来を先読みする目を持っていた。そしてその未来社会の価値が分かるがゆえに、自らがしていることに確信を持ち、何があってもその理想をあきらめようとは思わなかったのだろう。遠征地で苦しい戦役の生活を続け、最後の勝利に向かってどんな困難な状況下におかれても前を向いて前進した。

シーザーのそのガリア遠征によって、最終的にアリシア攻防戦でブリタニアを含むピレネー山脈からライン河にいたる地方の歴史は出来上がることになる。つまり現在の「ヨーロッパ」はここから出来上がったといえる。

ちなみに欧米の学生達は古代ローマからローマ帝国の歴史をみっちりと学校で学ぶようになっている。ニコロ・マキャベッリの「君主論」などもきっちり学ぶ。3月15日はジュリアス・シーザーの誕生日であることは誰でも知っているらしい。こういった歴史教育は自国のエリート教育として必要不可欠なものとなる。なぜなら自民族の歴史や成り立ちを学ぶことで、誇りを持つ人間が育つことになる。また西洋文明の起点を理解することで、世界全体から地域が受ける影響、また地域が世界へ与える影響といった、世界全体の相互の影響を感じ取ることができる。(この歴史教育を受けた時点で、西欧社会の学生たちはすでに日本人よりも地球を小さく感じるのではなかろうか?また自分達の先祖が文明社会を築いたという強い自負心が生まれるだろうと思う)

海外に赴任し欧米人の部下や上司を持つ可能性があるならば、エドワード・ギボンの『ローマ帝国滅亡史』などは必読書の一つだと思う。


二つ目:情報を集め、人や物事をよく観察し、人間の本質を理解していた
 シーザーは人が誰もが違う世界観を持っていることをよく理解していた

シーザーは、「人は誰しもが同じ1つの現実を見ているわけではなく、様々な自分の思惑というフィルターを通してしか現実を見ていない」ことをよ~く分かっていた。

だから視点を変えて相手の立場にたって物事を考えることができ、その能力は後々多くの場面で、問題解決を進める力となって顕われてくる。

例えば互いに協調せず、部族間で争いを続けていたガリア地域の人々をまとめ、部族間で戦いを起こさない仕組みを考えることができた。また外交の交渉でも、相手がどのような条件であれば満足し、こちらも利益を得ることができるのか、Win-Winの落としどころもよく分かっていた。

だからこそシーザーは、勝つための情報(インテリジェンス)収集の重要さを知っていた。どの地域においても必ず相手方の情報を部下を使って十分に集めて分析し、ことに臨んでいたのである。

さらに文明がない社会では、人が豊かな生活を体験することができず、戦争を起こすきっかけを作ると理解し、平和な社会のインフラ(水道、街道、公共施設、住居、神殿)や工芸品(絵画、彫刻、食器)や文化(居酒屋、劇場など)を輸出することで、平和を享受できる環境を創り、戦争を回避したくなるような環境を創っている。

ガリア遠征中に、自分の政敵となる反シーザーで強行な元老院議員を父に持つクリオを、なんと自分の味方とするために護民官として選び、クリオを説得するための手紙を書く。シーザーは、クリオの演説やその他の情報で、この青年が「何かをやりたい強い意志」の持ち主であることを察っしたのであろう。

シーザーは、そのような性格の青年ならば、遠大な理想を明示し、それを共有することを理を踏んで説く正攻法で臨めば説得も可能であると理解したのである。そして実際にそれは成功する。シーザーはその種の手紙を書く名手でもあった。シーザーは相手の心理や欲するもの、願うものを理解しWin-Winのパートナーシップを構築していく達人、「天才」であったと言える。

余談ですが、シーザーはうっすら禿げていても女性を口説くのが上手で、ポンペイウスの妻まで口説き落としてしまう、とんでもない「女たらし」であったことも有名です。この天才は女性の心もよ~く分かっていたのだと思います。

三つ目:勝利のために新たな発想で柔軟に対応した
   「シーザーはプロの軍人ではなかった。誰もが思いつかない戦略や武器、戦術を発想し実行できた」

先に遅咲きと書きましたが、シーザーが「執政官」となり、戦役で実力を発揮し活躍し始めたのは40代に入ってからです。
しかしプロの軍人とは違い、過去に戦争でのパっとしたキヤリアのないシーザーは、だからこそ新しい発想を取り入れることができたのかもしれません。

当時のローマ軍団は、軍人ではあるけれど、そのほかにも橋をかけたり建物を作ったり、舗装して街道を造ったりなどできる「土木建築の技術も持つ職人」でもありました。
城門を硬く閉ざし篭城している敵を囲んで、木材を切り出してセッセと何やら城壁を登って渡れる、見たこともないような攻めのやぐらや武器を作ったり、幅が大きく深い川を挟んでいるからこちらには渡れまいと油断している敵の目の前で(実はシーザーの兵隊たちも渡れまいと思っている)、号令をかけて橋を作ってかけるなど、戦う前にその技術力を目の当たりにして「見たこともないものを作るローマの軍隊恐るべし、、」とメンタル面で降参し早くから白旗をあげた敵は少なくなかったと思う。

戦わずして勝利を手に入れることができ、自軍の武将の命を危険にさらすこともない。

さらに戦争で勝つには機動力が必要となりますが、自軍の数倍の規模の部族と戦う時にも、機動力を高めるため、馬に乗れない歩兵を敵から見えないように騎馬隊の後ろに乗っけて運びカバーするなど、奇想天外な戦術を繰り出し、”戦の素人”が少ない自軍の武将を従えて、多勢の敵をけちらし、敵も味方もあっと驚く「連戦連勝」を続けたのである。

そしてこの「連戦連勝」によって、着実にガリアの平定を実現していくシーザーの姿に、ローマ市民のみならず、反シーザーの元老院を親に持つ両家の子弟たちも、熱く熱狂していくことになる。


四つ目:人を動かす説得力をもっていた
 「シーザーは人の心を動かす言葉と表現力を持っていた」

古代ギリシャのリーダー教育の一つに「修辞学」がある。その中に説得力の3つの要素「エトス・パトス・ロゴス」がある。古代ローマのリーダー達が、人々の心を動かすために学んだ技術であり必須のため、シーザーも学んだであろうと思う。

この3つの要素を簡単に説明すると、

1.「エトス」は人から信頼される要素
2.「パトス」は人の感情や感性に訴えかける要素
3.「ロゴス」は論理性である。
シーザーはこの3つの要素を持ち合わせている。

彼の部下のローマ兵たちは、絶対絶命の苦しい困難な戦況に追い込まれ「あ~、もう故郷に帰りたい」と弱気になっても、シーザーの弁舌を聞いた後には、ガラリと変わって「シーザーに着いてどこまでも戦うぞ!」と涙を流して誓うのである。

現代のビジネスマンは、ロジカルシンキングなど論理について学ぶ機会は多いと思う。しかしながら、世界全体の経済が繋がり影響し合い(アメリカ、中国、ヨーロッパの不景気=日本の大不景気)、新興国の台頭によって、益々生き残りの競争が厳しくなった”逆境”を生きなければならない時代には、ロゴス(論理)だけではなく、シーザーのようにエトス(信頼)、パトス(感情や感性)のような精神的、感情的な側面に訴える要素を発揮しなければ、部下の意欲は上げられないと感じる。

そういう意味では、ビジネスパーソンがこれからマネジメント能力を発揮していくためには、心理学を学ぶべきだろう。人を知ることがピープル・ビジネスである。

以上、ジュリアス・シーザーのリーダーシップについて私なりに4つの要素を列挙してみましたが、その核にあるものは、シーザーの確固とした「理念とビジョン」そして「人間理解」であり、この2つに他の要素が連動して高まっているのではないだろうかと感じます。

そういえば、今年参加したアメリカでの「ASTD」という教育の世界最大のカンファレンスで、最も印象に残った基調講演はダグ・コナントとメッテ・ノルガードの二人によるものでした。
彼らは、明確な「理念とビジョン」と、タッチ・ポイントという「人間理解」をもとに、現場の人々を意欲ややる気を高め、衰退の一途を辿るキャンベル社の改革に成功した。

古代ローマで上手くいったことは、今でも十分に使えるのである。

コーチング : 15:12 : comments (x) : trackback (x)
「首相」より「制度」を変える時期

管首相が退陣することになって、これで少しは改善されると思ったのも束の間、民主党代表選の候補者を見ていると、ガックリ肩が落ちてしまう。

8月25日発売の週刊文春は、候補者を並べて「馬鹿のかお」と揶揄している。

このガックリ感、候補者の顔ぶれだけではなく、民主党そのものへの失望感が加わっているので結構重い感じとなる。

しかも、今回の代表選で最悪な点の一つは、投票までわずかな日程しかなく、まともな政策論争が出来ないという点である。
それぞれの候補者が世論に政策を主張して是非を問うべきことも出来ず、水面下の取引き、誹謗中傷が飛び交い泥沼な状況になること必須。

もともと、国民は、民主党に「汚職・金権のないクリーンな政治、政治主導の政治、行政改革=天下りの根絶と無駄使いの排除」を求めて2009年に投票した。
しかし今回の代表選は増税に関する話しだけで、世の中が求めている(おそらく)民主党がもとより主張していた政策について語る候補は誰もいない。

一国のリーダー、首相を選ぶのに、有権者として関与できないことに対して、かつてこんなにフラストレーションに感じることはなかったように感じる。
米国の大統領選挙の場合、1年半かけて候補者同士が戦う。
その間に政策も議論されるし、弱点も露呈されるので、おのずと問題があったり力足らずな候補者は落ちていく。
(長いから選挙資金が重要、オバマ陣営はかなり集めているらしい、よって再選可能性大。この点どうお金を集めるかの問題はありますね...)
しかし、これによって、すぐに辞めるような人/もしくは資質に著しく欠ける人を選んでしまうような事態を防げるのではないかと思う。
また政策議論によって、政策の利点や欠点も国民にも理解されてくる。

日本の場合、ただでさえ短い代表選なのに、今回は民主党の『代表選挙規制』を無視して2週間の期間を取らないでやることになる。
候補者の誰1人、代表選挙規則について、何も言わないのも不思議~な???党である。

また、約130人のグループを抱える小沢さんへの各候補者のスリ寄りは露骨。
『数は力』とばかり、すっかり古い自民党の頃にタイムスリップしてしまったかのよう。

出馬を見送っていた前原さんも結局出馬することになったが、当選しても、おそらく色々な人から色々なことを約束させられて、がんじがらめになるだろうと思う。

更に、民主党には党の『綱領』がないらしい。ぎょ
合意の形成についても仕組みがないし、極左から右派まで思想理念がバラバラの組織なので、一貫性のある政策を煉る/通すことは出来ない。
現在の民主党のような、無理した寄り合い所帯では誰が代表になっても、問題は尽きないだろうと思う。

志のある民主党の若手議員には、思い切って党を出てみてはどうだろうか、というか出て欲しい。
今の寄り合い所帯の民主党では、永遠に責任を持って政権を担える状態にはならないだろうし、いつまでたっても、スポンサーである鳩山さんも小沢さんも権力を手放さないだろうと思う。小沢さんに至っては、かつての自民党時代に身に付けた『数は力』=『金は力』の政治スタイルを絶対に変えないと思う。
今回の代表選を通じて、再びお金が入ってくるようなポジションを、何らかの方法で巧妙に仕掛けてくるでしょう。
そんなことがまかり通っちゃうのも、議会が首相を選ぶという現行の制度の大きな問題点である。

今のように、変化を求められる時代においては、大統領に匹敵するリーダーシップが日本の政治にも必用なのではないかと思うのだけれど、首相公選制をやはり真剣にテーマとして取り上げる時期に来ているのではないかと思う。(超党派議員で議論が交わされているので今後に期待したい。山本一太議員のブログより

現在の民主党のような代表選を行っていたら、民意を受けた人が国に必要な政策を実行するのではなく、民意を受けそうな人に特定派閥グループが自分達の派閥利益を優先した交渉を行うので、結局特定派閥議員の利益を守る人が首相になってしまう。
まぁ、派閥への約束はあくまでも口約束だから、当選後は知らんぷりも出来るけれど、前原さん他の候補議員にそんな肝の据わった図太さはないと思う。
前原さんも最初はこぶしを振り上げて威勢はいいが、後でいつも尻すぼみになる、ぐらつく人である。

今必要なのは、首相を変えることではなくて、まず制度を変えることではないでしょうか。








政治、社会 : 07:30 : comments (x) : trackback (x)
恵比寿のイタリアン「ダルマット」

昨日、学生時代の友人と恵比寿のダルマットで会いました。
フルメンバーだと4人なのですが、残念ながら1人は家族での軽井沢滞在時期と重なり、3人で食事をしました。

実はダルマット、昔一度だけ友人に誘われて食事をしたことがあり、美味しいのだけれど、重くて量が多すぎるかな、、、という印象を持っていたのですが、今年、別の友人が「ダルマットっていうお店に行ったのだけれど、すごく美味しかった。今度行こうよ」と声をかけてくれたことで思い出しました。
その一言で、早速お店のホームページと食べログを検索し、お料理の写真や口コミをチェック。
7~8年位前の話しなので、記憶も飛んでますが、写真を見ていると、メインのお肉までの一品一品が、やや変わったように感じました。以前よりも、繊細で軽めのポーションになったような...?

夏というシーズンもあるのでしょうが、実際に食べた感じも以前よりも軽めで最後のデザートも美味しく完食。

アミューズ:ピンクのお芋のソースと生ハムと背あぶら?
冷たくて、食べると溶けるような感じの一品目。
暑い日が続いているので、冷たくて軽いお料理っていい。


「桃の冷製パスタ」
トマトを絡めてミントが降ってあります


さっぱりしていて、ミントの風味がアクセントがあってとても美味しかったです。
記憶に残る一品


白身魚のカルパッチョ風と川エビの頭をカリカリに焼いたもの


イワシのグリル


鴨肉のロースト
これはちょっと胃にこたえました。もう少しボリュームが少ないと良いのですが。
次回お店に行く時には、お肉は少なめにというリクエストをしようと思いました。


サービスで出して貰ったパスタ


ティラミス
デザートを食べる時は、場所を地下から1階に移動。


コーヒー
久しぶりに会うので、色々と積もる話しもある。
そういう時は、場所は変えてゆっくり過ごせる配慮があるのはいい。


友人は2人とも、娘が一人いて、1人は高校生、もう一人は小学校4年生。

高校生の娘を持つ友人は、親子ともども韓流ファン(娘はミュージシャン、友人は俳優かな)。
先週はソウルに家族旅行して、親子3人、いやパパ以外は盛り上がったそうです。
娘はハングルが読めるので、レストランやカフェでもメニューもスラスラ読み、父と母が頼まないような“スペシャルメニュー”を、1人だけちゃっかりオーダー。
また彼女は、韓国女性の容貌よりも、足の長さ、細さなどスタイルの良さを、しっかりチェックしていたそうです。
「だって顔なんて、お化粧しだいでどうにでもなるでしょ」とのこと。確かに少女時代とか見てたら、韓国女性のスタイルってすごくいいな~と思いますよね。

小学校4年生の娘を持つもう一人の高齢出産した友人は、朝から毎日、あれせいこれせいと叱りつけているそう。
娘は、普通の女の子とは興味の対象がまったく違うようで、恐竜とか理科とか、ゲームに夢中。
恐竜が展示している博物館なんてお目目がハートになる位、大好きだそうです。
どうも理系の脳みそのようです。
3人一同、「一体、誰に似たのかしらね~」と声をそろえてしまった。
それゆえなのか、友人の娘は、おしゃれにはまったく興味がなく、放っておくと、歯も磨かず、顔も洗わずにいるそう。自分を身ぎれいにすることにはまったく関心がない。(そういえば私の姉もそういうタイプ。姉は理系ではないけれど。)
仕方ないので、働くママの友人は忙しい朝も、娘が朝寝汗をかいていたら、洗面所へ連れて行き、チャッチャト娘の髪の毛を洗い、早くしなさい、あれやりなさいと、いやがおうにもテンションがあがるそうです。

子供がいると、こういう点、面白いですねぇ。
デザートを食べながら、久しぶりの話しは尽きない感じでした。
次回は、参加出来なかった友人も入れて、企画。



レストラン、ショップ : 16:47 : comments (x) : trackback (x)
政治主導を本気で考えるならば

8月11日、民主党が「再生買取エネルギー法案」の修正案を、論点をペーパーでエネルギー庁に丸投げし作成させていたことが分かった。結局民主党内で十分な議論もせず官僚頼りなことがまた露呈。

民主党が金看板として「政治主導」と唱えながら、これまでまったく政治主導出来ていないことは、周知の事実であると思うけれど、3つの原因があるのではないだろうか。

①政権与党の経験が浅いため官僚機構を動かすシステムと術に欠ける
②実はもともと政策立案能力の高い人がいないし、いい外部ブレーンがいない?
③党内の意見を集約できず一枚岩になれない
(党内は中道右派から極左まで、色々な思想を持った政治家の寄せ集め、かつ党内の意思決定や政策決定のプロセスが見えないし、議論形成の仕組みも見えない。)

今の民主党を見ていると、「共通理念を欠いたバラバラ体質の素人集団による思いつき政治の政党」と表現したくなる。

いずれにしても、行政改革も全く進むどころか逆行し、国がどの方向へ向かっているのかまったくもって不明な今、政治家がリーダーシップを発揮して、国のあるべき姿を提示し、国という大きなシステムを動かしていくことが本当に必要と思う。(けれどなかなか出来る政治家、政党がないですよね~)

特に米国の国債の格付けが下がり、欧州の問題もどうなるか分からない状況で、国の舵取りがしっかりしていなければ、日本はこの波の悪い影響を受けて後手に回るだけの無策な国となってしまうと感じる。

少し前に戻ると、小泉元首相は、「郵政改革」を旗印に、「政治主導」を発揮した数少ない政治家だと思う。
小泉元首相に対しては色々な意見もあると思うけれど、政治家として自分が目指したことに向けて、周りの政治家、そしてブレーンや官僚を巻き込み、殆どのメディアを敵に回しても、世論を味方につけて、郵政改革を実現できたことは事実である。あれだけメディアを敵にまわしても、長期政権を維持できる政治家は、世界中探してもそうそういないだろうと思う。
そういう意味で、小泉さんは突出した政治家だったと言える。

小泉政権下では、規制緩和を行い構造改革も進んでいた。格差社会を生んだと民主党や共産党に批判されていたけれど、今の民主党政権下の方が格差社会を生み出している。統計ではっきりと出ている。

2010年に出版された英のブレア元首相と米のブッシュ元大統領の回顧録の中に小泉首相が登場しているが、
『イラクをめぐり「米英」と「仏独」の対立が高まっていた2005年の夏、シラク大統領が「料理がまずい国の人間は信用できない」と英国を非難する方言騒ぎが起きた。(本人は放言を否定しているが)。この数日後、英国グレンイーグルズで開かれ、ブレア氏が議長を務めたG8の晩餐会でのことである。小泉氏は出てきた英国料理をガツガツとほおばりながら、「ヘイ、ジャック(シラク氏)、英国料理はうまいだろう、どうだ」と、大音声でシラク氏をからかったというのである。
「シラク放言」は既にヨーロッパ中のメディアで報じられたばかりだ。食卓を囲んだ首脳たちはそのことを思い出し、小泉氏の発言をシラク氏に対する痛烈な皮肉と受け取って、どっと笑ったのである。満座の席でしかも英女王までもが「いったい、何のお話し?」と尋ねたために、シラク氏はとうとう自分が放言をしたと報じられたことから始めて、すべてを女王に自ら説明しなければならない羽目に陥った。
しかし、小泉氏は、かさにかかったように、新たな料理が運ばれるたびに「うまい、うまい」と挑発を続けたという。ブレア氏もこの場面を内心では相当楽しんだようで、「シラク氏はしまいには、そばにいる護衛官の銃をつかんで小泉氏を射殺しかねない」様子だったと回顧録に記している。いかにも、相手が誰だろうと物おじしない小泉氏の豪胆ぶりを示す一場面といえそうだ。』(産経新聞論説委員兼編集委員:高畑昭男氏のブログより引用)


このG8の数日前に、イラク戦争を反対していたシラク、シュレーダー、プーチンの3人でロシア国内で会談したことが分かっていた時期なので、小泉さんは内心、意趣返しでシラクをたたくいい機会と狙っていたのだろうと思う。
しかし、英国女王も出席する晩餐会の席とは、小泉さんも相当肝がすわっている。

管首相は、今回、小泉さんのやり方をまねて、何とか政権の座に居座りたかったようだが..、“出来る限り総理大臣の権限を使う”、“シングルイシュー”で臨むなど、表面だけマネたがまったく上手くいかなかった。

そもそも、管首相には一貫した大義がなく、世論や時流のテーマでコロコロ変わる。人の心に残るメッセージがないし、声にも思いやりや他者への尊重がまったく感じられない。
一番大事にしていたのは「権力の座に出来る限り長くしがみついている」ことのように見えた。

その点、テレビの映像は怖い。自分の性格を隠そうとしても、鮮明な映像と音声が伝わることによって、しゃべり方、声の感じ、顔の表情によって、その人の『印象』(いい感じか/嫌な感じか)が視聴者にはっきり伝わってしまう。

他者を尊重していなければ、それは言葉にも声のトーンにも、表情にも出てしまうので、「何だか、この人傲慢でいやな感じ」と、理屈抜きに悪印象が相手に伝わってしまう。

小泉さんの場合も、メディアを敵にまわして(特に朝日)、批判をされ続けていたけれど、TVの映像に登場する小泉さんは、毎回、印象度の高い態度、メッセージ、表情、声のトーン、そして一貫性を持っていた。

逆に毎回決まって批判するキャスター、コメンテーター、野党の政治家、郵政族の議員達は、態度、表情、メッセージ、声のトーンに、何とも言えない嫌な感じが溢れていた。
そもそも、人間、文句ばかり言っている人を面白がっても、意識の底ではあまり好まないものなのだろう。

小泉さんが国民の多くに支持されたのは、TVを通じて伝わってくるそれらの「好印象」と、「一貫性ある信念-ブレのなさ」によるところが大きいのではないかと感じる。
自制心が強く、かつ感性で物事を捉えることの出来る人だと感じる。

小泉さんのやり方を表面的にマネる人は今後も出てくるかもしれないが、本当に小泉さんのように出来る人は、なかなかいないと思う。野心が強くて、人の気持ちや心理が分かる人って少ないし。

だから、話しを戻すと、「政治主導」を実現していくには、『属人的』なことを期待しても難しいし、確実性がないので、政治主導で進められる『仕組み』が必要だと思います。
今自民党では、「再生エネルギー買取法案」に関する修正案に向けて、会合が行われています。
現時点で18回に及んでいますが、各議員の見解を重ねて修正案を作成しています。

これらの政策を決めていく取り組みは、一つの『仕組み』として今後も積極的に行うべきと強く思います。

石破政調会長が、12日の党総合エネルギー特命委員会で「今回の再生エネ買取の修正案は、官僚に一切依存せず、丁寧に議論を積み上げて作られた。政治主導の政策決定プロセスのモデルになり得る。今後政権に返り咲いてもこのスタイルを続けなくてはならない」と発言したそう。
自民党は、今、与党から外れて学んでいる教訓を、与党になっても忘れずに必ず生かして欲しいです。

また「政治主導」を進めるためには、もうひとつあります。政策そのものを、アメリカのように、「ランド研究所」のような中立的で優れたシンクタンクに依頼するということも一つの方法だと思います。
族議員からも、縦割り行政の省益からも、圧力団体からも、まったく影響を受けない、色々な国からの研究者を受け入れる優れたシンクタンクに政策を外注し検討することができれば、官僚に頼らなくとも政策を立案できるし、色々な視点を含めたいい政策を立案できると思います。
アメリカの場合、そもそも政権交代によって官僚も入れ替わるので、ランド研究所のような長年存続している優秀なシンクタンクが政策決定においては必要なんだろうと想像しますが。

余談となりますが、「みんなの党」の動きを見ていると、何だか最近???な感じゆえに、ちょっと期待出来ない気がしてきた。
もともと、「みんなの党」のお客さんて都市のサラリーマン層とかだろうと思うけれど、最近の様子みていると、まったくもってお客さん層を見誤っている感じがする。
もっと経済政策に特化した政策を打ち出さないと、前回、「みんなの党」に投票した人達も、見限っていくような気がする。まぁ駄目なものは早く駄目と分かった方がいいけど。


今、自民党が踏んでいるような議論の形成は、寄せ集め集団の民主党では無理だろうと思う。
自民党も民主党も、若手議員は互いに政策を共有できる人達がいるので、そういう政治家が集まれば、もっといい政党が出来そうな気がするけれど、実現は難しいかもしれない。

自民党の若手に頑張って貰うことが、より良い方向に進む道なのか。


政治、社会 : 13:22 : comments (x) : trackback (x)
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