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2010-03-04 Thu
「ホントーに、ものすご~く気を使っているんですよ」と、仲の良い某外資系の企業の「女性部長」のA子が、ゆるくウェーブのかかったセミロングの髪の毛を掻きあげつつ、実感のこもった声で断言した。
この日は、女性3人で最近転職したA子の近況の話しを聴くために、一緒に夕食を取ることにしたのだった。
3人が揃ったところで、いつものごとく泡物(シャンパン)で乾杯した。
A子は、知人の紹介で今の会社に転職することになり、新たな会社で働きだしてから、まだ日も浅い。
もう一人の友人B子も、業種は違うが同じく外資系企業で働く「女性部長」である。
A子もB子も、男性以上に気が強く、バリバリ働くキャリア・ウーマンである。
今後の自分の身の振り方を考えているB子にとって、A子の転職の話しは関心の高いテーマである。
40歳を超えてからの転職は、ある意味でハードルが高い。
慣れ親しんだ職場から(偉そうな態度が取れる?)、自分を知っている人が誰もいない環境に飛び込むのだから、本来の自分を知ってもらい周りからの信頼を得ることはなかなか大変なことである。
しかも、部長という役職を担っての転職であれば、当然それなりの実績を期待されての入社であるからプレッシャーも高い。
クライアント先の企業で、中途入社の管理職の人について
「あの人、本当に無能で仕事ができない。なんであんな人を採用したのか」などという話しを時々耳にすることがある。
実際に実務ができないのか、それとも新しい環境の中で、職場の人の信頼を勝ち取るコミュニケーション力が低いのか、理由はよく分からないが、中途入社の管理職で、ポジションに応じた信頼を得ていない人は、少なくないと感じてしまう。
個人的には、そういう信頼を得られない人たちは、総じて社内の意見や空気を読むのが苦手な方々であると感じる。
敵にしてはいけない人を敵にしていたりと、社内力学についての嗅覚が弱いとも言える。
その点で言うと、A子の話しは面白いと思った。
「バンドーさん、私が誰に一番気をつかっているかって言うと、セクレタリーやアシスタントの女性達なんですよ」A子
「分かる、女だから分かるけど、女性って怖いからねぇ」私
「彼女たちを敵にするなんて、とんでもないですよ。み~んな、つぶさに人のことよく見てますからねぇ。瞬時にして、服装、化粧、バッグに至るまで何を持っているか確認して値踏みしてるし、鋭い観察眼でこちらがどれ位の人間なのか、男性なんかよりもず~っと冷静な目で判断してますよ」A子
「そう、そう」
「何か下手なことをしたり言ったりしたら、瞬く間に彼女たちの女性口コミネットワーク網で社内に広がりますからねぇ。しかも、セクレタリーに嫌われたりしたら、大変。何気ない風を装いながら、彼女たちって自分の上司に“○○さん、こんなこと言ってましたよ”なんて、こちらが不利になるようなこと言ったりするじゃないですか」
「それってある。それで役職を追われた人、実際にいますよ」B子
「男性の嫉妬も嫌だけど、女性を敵にするって、もっと怖いと思いません?」A子
「そう思う!」とA子の熱気にやや押されながら、私もB子も揃ってうなづいてしまった。
「だから、私、ホントーに今涙ぐましいほど、ワンダウンポジッションを取って努力してるんですよ。実は社内に一人、あっこの人、敵に回したら怖いっていう女性がいて、もうそういうの嗅覚っていうのか、臭いで分かるんですけど、ものすごく気を使って、荷物運ぶのが見えたら手伝ったりして。でも、彼女案の定、キーパーソンだったみたいで、彼女が何人かに私のことをよく言ってくれているみたいで、知らない部門の人との折衝がやりやすくなったんですよねぇ」
とA子は自分にしかと言い聞かせるように話すと、それに呼応するようにB子も、
「分かる~、私も、自分のアシスタントの女性に対しては特別な配慮をしたりしてますよ。周りの昇給ができないときでも、彼女の昇給分だけはしっかり確保したりして。だって、彼女達に反旗を翻されたら、自分の足場が揺らぐし、彼女達って社内の情報を持ってますからねぇ」と話す。
そう言われてみると、確かに私自身も、ポジッションに関わらず同性である女性に対しては、男性以上に気を使っている。
女性は、女性の怖さをよく知っているからなのだろうか?
冷静に見て、A子もB子も、日本の企業で働く女性の中では、ほんの一握りにあたる部長という肩書きを持っているが、決して女性に嫌われることなく、むしろ味方につけていると思う。(もしかしたら男性に敵がいるかもしれないが)
また、二人とも新しいプロジェクトを推進していく能力が非常に高い。
もしかして、社内で出世していくためには、女性を味方につけることが鍵なのだろうか...。
否、というよりも、専門能力に加えて、女性を味方につけられるほどの場読みと気配りができる能力があれば、仕事もできるということなのかもしれない。
男性の皆様、「女性アシスタントのパワーをあなどることなかれ」である。
by bandoh
徒然なるままに : 00:45 : comments (x) : trackback (x)
2010-02-21 Sun
久々に更新
12月からずっとこのブログを更新しないでいたので、何人かの友人からメールを頂いてしまった。
「どうしたの?大丈夫ですか?」
「最近更新していないので、気になっています」
と私の近況を心配している内容が多い。
実は1月に入って更新しようとしたところ、システムの不具合で単純に更新できなかったということもあり、それに加えて年初から研修が入っていて忙しく、なんとなく、その後書き込むタイミングを逃したまま、ずってきてしまっていたというのが原因である。
体調が悪いとかそんなことはなく、いたって元気である。
(ということで、この場を借りて、“心配をおかけした皆さん、私は元気です。”と改めてご挨拶を致します)
そのことをメールで返信すると、みな、
「それは良かった。安心しました。それにしてもこのご時世で、仕事が忙しいというのはいいことですね」
といった内容の返事を下さる。
“忙しいのはいいことですね”
確かに。
世相を反映しているというか、この不景気の寒~い風が吹く時代、忙しいということは良いことなのだろう。
私のような零細な組織にとっては、ありがたい話しである。
しかし、仕事で忙しいのはいいことだとは言え、仕事にかまけて体調を崩したりしては元も子もない。
「健康管理」は私にとっては重要なテーマである。
独立して仕事をしていると、病気は大敵である。
昨年12月に初島で群発地震に見舞われ、肝を冷やしながら、
自分の命と今後の健康管理についてツラツラ考えてみた。
自宅で行うストレッチ以外にも、何か体を動かすことが必要だろう...と。
最近周りの人間を見ると、ジョギング、走っている人が多い。
一緒に仕事をしている男性コンサルタントも走っている。
仲の良い男性の友人の一人は、毎日走っているそうだが、昨年になってそのジョギングに彼の妻が参加することになり、夫婦間の会話がグっと増えたそうだ。
また、ヨガを始めた友人もいる。
体にもいいし、気持ちがリラックスできるのでストレス発散にもなっていると言う。
昨年から、彼女が通うスタジオにニューヨークから男性のインストラクターが招かれて、クラスを教えているらしい。
また、そのインストラクターは誰もが見とれるかなりのイケメンで、彼の登場以来、クラスの人数が急激に増えたそうだ。
なかでも、オカマチャンらしき参加者の数がドっと膨れ上がっているとのこと。
ケーブルTVでアメリカの恋愛ドラマを見ていると、中高年に差しかかりつつある男女が、必ずといっていいほどジムでトレーニングをしている風景が出てくる。大体、俳優さんたちは、皆おしなべて、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、Nice Bodyである。
私も、健康管理とシェイプアップを兼ねて、「何かやらなくては...」と、ようやく重い腰を起こした。
とはいえ、学生時代スポーツをしていたので、体を動かすことが嫌いなわけではないのだが、
走ることも、ジムに通うことも、あまり好きではない私。
走るのって苦しいし、ジムに通ってみんなで我慢大会みたいに苦しいエクササイズするのも好きではない。
筋トレも、単調で楽しくないので好きじゃない。
ヨガも、自宅でストレッチをしているので、何だか出かけてやるまでの意欲が湧かない。
ゴルフは、ずっと長いことやっているのだけれど、丸1日時間を取られるのと日に焼けるのが嫌で、5年ほど前からコンスタントには行かなくなっている。
う~ん...と初島でしばし考えた結果、やっぱりダンスかもしれないと思った。
今まで体を動かした中では、ダンスが一番楽しい。
そしてダンスをやるならば、やっぱり「アルゼンチン・タンゴ」が断然いい。
私がアルゼンチン・タンゴに興味を持ったのは、ずいぶん前に深夜のTVで「タンゴレッスン」という映画を観たことがきっかけだった。
モノクロの映像でどちらかといえば地味な感じの映画なのだが、強烈な印象が残った。
監督&主演は、サリー・ポッターという女性である。
とにかく、アルゼンチン・タンゴは踊っているときの動きが優雅で美しい。
TVでやっている社交ダンスは、じっと観ていると、あのピーンとそらした背筋と笑顔に、古臭いというか、田舎くさいというか、わざとらしいというか、観ていて、「あぁ、お願い、やめて~」とこちらが気恥ずかしくなってくるような感じなのだが(すみません!やっている方)、「タンゴ・レッスン」の中のアルゼンチン・タンゴにはそれがまったくない。
そもそも、アルゼンチン・タンゴでは、男性も女性も背筋そらしてピーンというのはないし、社交ダンスの中で踊られるラテンダンスのように、妙にクネクネした動きもない。
アルゼンチン・タンゴを踊っている女性の動きは、自然にしなやかで、特に脚の動きが軽やかで綺麗である。
映画を観ながら、「こんなに体の動きを、格好よく美しく見せるダンスがあったのか!」と見とれてしまった。
だから、映画の名中で、かなり年齢がいっている、思いっきりおばさん顔の主演のサリー・ポッター監督が、同じく主演俳優&タンゴダンサーのパブロ・ヴェロンと踊っているのだが、彼女の年齢を超えてとても美しくセクシーに見える。
(彼女の足が、ほっそりととても細くて綺麗というのもある)
また、抑えた感じでオーバーに感情を表現しないところも知的な感じがしていい。
その影響で、「私もいつかアルゼンチン・タンゴを習ってみたいわ~!」としっかり思っていた。
そこで、前に一度行った事のあるアルゼンチン・タンゴのスタジオへ行き、レッスンを始めることにした。
インストラクターは、アルゼンチン人のニコラス・ミアリ先生。
他のアルゼンチンの先生とはまったく異なり、かなり論理的な解釈の説明をしながら、ボディバランス、動きを教える人である。
タンゴ・レッスンのいい面は以下の3つであろう。
・いい感じの音楽を聴いて楽しく踊れる
・女性として優雅で美しい所作が身につく
・体を適度に動かすので、いい運動になるし苦しくない
<タンゴを踊る前にストレッチについて教えてくれる先生>
タンゴは“ペア・ダンス”である。
女性は、男性のリードに従って踊る。
踊りながら、相手と無言のコミュニケーション(意思疎通)を交わすことになる。
つまり、「曲のテンポや雰囲気」、「男性の腕の動きと方向」、「力の入れ具体(押しているか引いているか)」、「ステップと足の置き位置」にあわせて、女性は付いていくことになる。
付いていく=無言のフォロワーシップが必要となる
案外、最初はこれがペアダンスを踊る上での私の壁となった。
男性の動きにあわせて、ついつい先読みをしてしまい、コミュニケーションを間違える。
日常よく起こることが、ダンスでも起こるものである
大体、私は、仕事でも先回りして何でもやってしまうタチなので、先走りすぎる傾向がある。
案外、ダンスを習うことで、自分にとってはパートナーシップにおいて、マインド面のいい気づきとなった。
そして、スムースに美しく9センチ!という高いヒールで、安定して動くためには、
「キャットウォークでしなやかに歩く」、「上半身と下半身の動きにずれがある(上半身が先に動いて足が遅れてついてくる感じ)」、「常に体重は両足にではなく左右どちらかの足に乗っている」、「重心を低く保つ」、「上半身はそらずに肩と背中の力を抜き中心(コア)の筋肉を使う」ことが必要となる。
でも、これ全部、意識していると、頭の中がグチャグチャになってしまうときがある。
悲しいけれど、ビギナーは、先生のステップについていくのが精一杯で、1度に1つくらいしか意識できない、、、。
しかし、タンゴを習うことで、
アルゼンチン・タンゴを美しく踊れるようになり、
しかも健康とシェイプを維持し、フォロワーシップを学び、優雅な所作が身につくならば、先生のニコに、難しいこと言われても、ハードルの高いことを言われても、逆に俄然やる気になってきてる今日この頃である。
健康と女力アップ、今年も、楽しもう!
by bandoh
徒然なるままに : 11:24 : comments (x) : trackback (x)
2009-12-14 Mon
師走である。
この時期、私の場合も、会社の決算があったり、支払いが増えたり、来年度の提案があったりなど、何かと忙しくなってくる。
そう!忙しいんだけれども、、、、この時期、何だかゆるく楽しい気持ちになる。
(だって一歩街に出れば、クリスマスとお歳暮というギフト商戦のため、デパートをはじめどこの店も、クリスマスの楽しげなデコレーションと音楽で賑々しく飾り付けているんだもん)
だから、状況に反して「遊び心」と「ホリデー気分」が高まってくる。
それにこの時期、「忘年会」という、れっきとした言い訳があるので、「飲み会を企画せねば」という気持ちになり、どうせだから行ったことのないあの店に行ってみようなどと、浮き足だってしまう私は、やっぱり人と会ったり食べたりするのが好きである。
この時期は、銀座の街もいつも以上に華やかになり賑わしくなってくる。
毎年、ミキモト真珠のクリスマスツリーの前には人がたかる
ふとツリーのたもとに目をやると、
可愛い雪だるまのライトが、ほのぼのと立ち見客を歓迎している。
私は子供の頃、クリスマスが一年中で一番好きだった。
イベント好きの私の母は、クリスマス、お正月、節分、桃の節句、十五夜、誕生日など、祝ったり食事をしながら楽しむ機会を決して逃さない人である。
毎回、かなり気合を入れて、イベントを“決行”していたように思う。
私は子供の頃のクリスマス時期、
しまって置いたクリスツリーを箱から出して飾り付ける楽しさ、ツリーに赤と緑のライトがチカチカと点灯したときの嬉しさ、クリスマス曲のレコードを聴きながら食べたイブの食事と、クリスマスケーキの美味しさを、今でもしっかりと憶えている。
しかし何て言ったって一番嬉しかったのは、25日の朝である。
朝になると、母やおば達から贈られる沢山のプレゼントが、枕元に置かれていて、赤や緑や金・銀の鮮やかな包み紙とリボンが目に入るやいなや、「わぁ~
お菓子が入っているサンタのブーツも必ず毎年ついていたが、これを見るとクリスマス・ギフトっていう感じがして、妙に心を弾ませたものだ。
だから、まだ月日の感覚がしっかりとない子供の頃は、朝になり目が覚めると、母が家で掃除機をかける音が聞こえて、あぁ~まだクリスマスじゃないんだ、、、と、何度ガッカリしたことか。
大体、母のイベント好きは、母方の家系の特徴のように思う。
母の兄は、自分の誕生日にわざわざジャズのバンドを呼んで、パーティを開いていたし、
母の実家に行くと、なぜかいつも人が沢山いて、ワイワイとお酒を飲みながら御飯を食べていた記憶がある。
そう考えてみると、もしかしたら、私の「食事行かない?」とか「お花見やらない?」などと人を誘って食べたり飲んだりしたがる傾向は、母方の血のなせる業かもしれない。
そうならば、この師走の時期、キっと口を結び眉間に皺を寄せて、せっせと働く緊張モードに陥るものが、ゆるく「ホリデイ・宴会モード
さらにいえば、1歳上の私の従姉妹(母の兄の娘)もよく似ている。
大体連絡がくるときは、必ず「フミちゃん、何か美味しいもの食べにいかない?」である。
ラテンな家系?
それはともかくとしてもですが...、
私は「人生、何ていってもバランスが大事でしょう」と考えるタイプである。
いい仕事をして一生懸命働いて、家族や仲の良い友人と楽しい時間を過ごす、
だからこそ、人生を楽しく感じ、周りにも感謝の念が持てるのだと思う。
何事も「楽しむ」ことで、仕事も人間関係もより良いものになっていくと信じている。
今年も第3土曜日は初島に渡って、この一年を振り返り、来年に向けての展望を作る予定である。
楽しい仲間と楽しく、未来を見つめるための良い締めくくりとしたい!
by bandoh
徒然なるままに : 17:10 : comments (x) : trackback (x)
2009-12-04 Fri
姉と母に誘われて、東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で、「清方ノスタルジア」を観ることにした。
鏑木清方の日本画の展示である。
最近、知合いが購入した日本画を観て以来、日本画への関心が高まってきている。
実は東京ミッドタウンに出来た「サントリー美術館」へ行くのは初めてである
というよりも東京ミッドタウンには、これまで2度しか行ったことがない。
1回目は、食事の後で友人らと連れ立って、1階にあるバーか何かでワインを飲み、
2回目はオフィス棟に会社がある友人と会ってランチを食べただけである。
そういう意味でも、ミッドタウンを探訪できる今回はいい機会である。
期待に胸を膨らませながら入場すると、まず下記の「春雪」の絵にすぐにパっと目を惹きつけられた。
昭和21年、清方が68歳の時の作品で、
清方が戦争中に、鎌倉から再疎開した先の御殿場で描いたものだそうである。
清方は暗い戦争のさなか、富士山の美しさに心を癒されて絵筆を取ったのかもしれない。
女性の結い上げた髪の生え際と、うなじの柔らかさの、はかない美しさに目を奪われてしまう。
岩絵の具を使った、自然な色合いは、本当に心に優しく染み入ってくる感じがする。
どの絵の女性が着ている着物と帯を見ても、色合いが美しく、心が落ち着いてくる。
東京の神田で生まれた清方が育った明治の時代には、まだ街中に江戸の面影を残す情緒豊かな景色がたくさん残っていたのだろう。
木造の建物、川にかかる橋、町で商売を営む人々の暮らしぶり、着物、結い上げた女性の髪、、
おそらく、今のように豊かでなくとも、文化的にも精神的にも、熟成し調和の取れた美しさが、そこにはあったのだと思う。
どの絵を見ても、時の流れの緩やかさを感じる。
女性はどこまでも、可憐で、実際の女性よりも、ずっと儚く美しく優しさに満ちている
だから、見ているだけで、自分の呼吸が深く整ってくるような感じがして、身体の力が抜けていくようだ。
明治から大正の時代を生きた女性の美しさは、やっぱり今の女性の美しさとは違う。
一緒にいた母は、懐かしむような声で、
「何だか、絵の女の人を見ていると、死んだ坂東の薫おばぁちゃんのことを思い出すわぁ~」と何度か繰り返しため息をついていた。
どうやら、母は、母にとっては義理の母となる、父方の祖母を思い出したらしい。
私は、母の言葉を聞いて、ふと祖母が亡くなったときの父のとても悲しそうな顔を思い出してしまった。
父は葬儀のときに、「あんなに優しい女性はいなかった.....」と、遠くを見ながらしみじみとつぶやいた。
そして、私は、立ち姿の女性の絵を眺めながら、どんなことも寛容に受け止めた父の優しさは、祖母譲りだったのかもしれないと考えてしまう。
そんな思いの中にいると、何だか、まさに“ノスタルジア”な世界に迷い込んでしまったよう。
清方の絵を前にして、少しぼやけてセピアのように色あせた、父の静かな笑顔と祖母の顔を思い浮かべてしまった。
ふと、父と祖母のいた過去の記憶をなぞりながら、清方の絵を一つひとつ眺めている内に、あることに気がついた。
それは、描かれた女性の多くが、みな一様に着物をゆる~く着ている点だ。
もちろん花街の女性を描いたものも多いので、ゆるく着物を着ている女性も多いのだろうが、
普通の女性も含めて、皆キッチリと着物を着ておらず、ゆる~い感じなのだ。
このゆるさ加減が、観ている自分の肩の力を抜く作用もあるんじゃないかと思えてしまう。
目を節目がちにして、ゆる~く、そして縦長に見えるよう服を着ると、女性はエレガントで儚く美しく見えるのかもしれない....
こんなに女性の立ち姿やポーズが美しく見えるならば、ちょっと取り入れてみようかしらなどと、考えてしまった。
柔らかい素材の服を選び、縦長細身で、気持ちルーズなシルエットを作るというのがポイントかもしれない。
ちなみに、展示されている作品数は、若干清方以外の作品も含まれるが、他の美術館や個人のコレクションから集めてきたもので120点以上ある。
時間があれば、もう一度見に行ってみたい。
さて、私たちは、少し歩きつかれた足を休めるために、ミッドタウンの建物エントランス部分にあるスタバでコーヒーを飲むことにした。
美しい絵を鑑賞して、一息入れるときの充実感、都会に住んでいることの便利さを感じる瞬間である。
座ってコーヒーを飲みながら、ふと上を見上げると、思いのほか、組まれた柱と天井が綺麗なことに気づいた。
自宅に戻って空を見あげて気づいたが、綺麗な月である。
この月を眺めながら、今晩は残った仕事を片付けることにしよう
by bandoh
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2009-11-25 Wed
11月の勤労感謝の日を利用して、与論島へ出発した。
ANAの7時発の那覇行きの飛行機の中で、仕事気分はすっかり抜け、すでに休暇モードになっている。
初めて行く場所は、やはりワクワクする。
「那覇空港」に着くと11月なのに暑い。
次の飛行機の登場まで、2時間近くある。暑がりの友人は、早速着ていた服を1枚脱いでいる。
与論島へは、琉球エアーを使って乗り継ぐ。
与論島は鹿児島県となるが、沖縄からの方がずっと近い。
沖縄よりも、北部にあるためか、この時期の与論島は沖縄よりもやや寒い。
招待してくれた知合いは、11月は最高の時期だと言っていたが、元気に泳ぐにはちと寒いように感じた。
宿泊する先は、「楽園荘」
与論島に到着すると、若女将が「楽園荘」と書かれた案内を持って、立っている。
(島根県出身で、美人な人である。1年位前に結婚して移ってきたそうだ。ダイビングが大好きだそうだ。)
楽園荘に到着して、荷をほどいて一息ついた後、
近所の「皆田海岸」まで散歩することにした。
夕暮れ時で、空は曇っていたが、皆田海岸は綺麗だった。
水は透明度が高くて、浜は白く、まるでプールの水のように青く見える。
浜に行くと、漁を終えたおじいさんが、釣った魚をさばいていた。
おじいさんに声をかけると
「イカと針千本、獲れたんだぁ。今日はちょっと時間がかかったなぁ~」と言う。
写真は、その“針千本”の写真である。目が大きくて離れていてユーモラスな風体が可笑しい。
怒ると水を含んでプーっと風船のように膨らみ、太い針を全身に立てて身を守ろうとする。
可愛いが美味しくなさそうだな、、と眺めながらついつい思ってしまう
夕日を散歩しながら眺めた後は、宿に帰って、食堂で用意されていた夕食を食べる。
そして、部屋に戻って時計を見ると、なんとまだ7時30分である。
外は真っ暗で何もないし、テレビも4チャンネルしかない。
この後の時間、一体どうしたら、いいんだろうか...。
どうしたらいいのか分からなくなった私達は、とりあえず食堂の冷蔵庫にシャンパンがあったことを思い出し、再び食堂へと向かう。
“やっぱり、あった!”と喜び、とりあえず若女将に、幾らか聞いてみた。
すると、「あっ、別にいいです。勝手に飲んでください、お金要りません」と言う。
「あの、悪いので、、」というと、「大丈夫です」とまた答える。
なんとも不思議な、商売っ気のない宿だわと思いながら、あれやこれや、長い夜を二人でシャンパン飲んで過ごすことにした。
2日目の朝は、ポツポツと時々雨を感じるあいにくの曇り空
ちょっと肌寒い感じがする。
この日のお昼は、リクエストして、亡くなった森瑤子さん推薦のあの「ヨロン丼」を作って貰った。
楽園荘のおばあさんが、森瑤子さんの料理本である「森瑤子の料理手帖」を持っていたらしい。
このヨロン丼、思ったとおりかなり美味しい!
楽園荘に感謝!
宿にあるその森瑤子の「料理手帖」をパラパラとめくると、美味しそうな料理のレシピが、森さんのライフスタイルを紹介しながら、沢山掲載されている。
写真は、おそらくヨロン島の森さんの別荘の側で、ご飯のおかずとなる魚を釣っている森さんだろう。
イギリス人のご主人と結婚したためだろうと思うが、欧風な料理も多いが、和とアジアの創作系のような料理もある。
どれも食通であった森さんの幅広い味覚から練られた魅力的な料理が多く、たちどころに興味を惹かれてしまった。
行動の早い私は、その日のうちに早速ネットで、中古本を買ってしまった。
“しゃこ貝の潮水サラダ”、“パパイヤとかにのサラダ”など、暑い日に飲む冷えた白ワインとピッタリ合いそう。
下の写真は、別荘の中庭で、パーティの準備をしている森さんである。
テーブルは、ヨロンでサバニと呼ばれる小船を使っている。
今、この別荘の中庭は、ヨロン島で結婚式をあげるカップルのために、ガーデン・ウェディングとして貸し出されているそうだ。
英国人の牧師さんが結婚式を挙げるらしい。
本園さんの案内で、近所にある森さんの別荘へ行ってみたが、アプローチの作り方、ガジュマルや彩の綺麗な花などの植栽、コテージ風の建物、中庭、プライベートビーチも含めてまさにアジアのリゾート、楽園そのものに見えた。
エッセイにヨロンのことを恋人のように語っていたが、その気持ちがよく分かった。
本園さんの話しによれば、彼が子供の頃、開放的な森さんは、プライベート・ビーチでスッポンポンになって泳いでいたそう。
ヨロンの少年にとっては、衝撃的な思い出だそうだ。
下の写真は、別荘のすぐ横に創られた森さんのお墓である。
確か森さんはガンで亡くなる前に、葬儀の方法や埋葬、お墓のことまで全て自分で決めていた。
ヨロンの海を愛した森さんらしく、海を見下ろせるように創られている。
森さんの別荘に立ち寄った後は、ヨロンの民族村へ出かけた。
魚、貝、植物など、地にあるものを、すべて最後まで有効的に使い、
自然と上手く調和した暮らしを送っていた島民の、伝統的なライフスタイルや住居の話しは興味深いと感じた。
あいにくの曇り空とポツポツと時折降る肌寒い天気。
私達は車で5分くらいの場所にある陶芸の工房で、陶器を作ることにした。
陶芸の先生は、60代の女性陶芸作家で、ヨロン島ならではの青を生かして作品を作っているようだ。
工房の入り口や中には、先生の作品が沢山並んでいた。
私は、やや大きめのシンプルなお皿を2枚作ることにした。
手作りの工芸は、幾つになっても楽しいものである。
二人共、すっかり夢中になって作ってしまった。
この後、工房の釜で焼いてもらい、1ヶ月後には自宅に届けてくれる。
待ち遠しい~
工房を出て表に進むと、なんと生まれたばかりのヤギの赤ちゃんが
島ではヤギをたまに見かける。
楽園荘でも、ヤギをペットとして二匹飼っているが、若女将の奥様が時々散歩に連れて行くらしい。
ちなみに、ヨロンでは黒毛牛が沢山飼育されている。
島民の数よりも牛の数の方が多いとのこと。ニュージーランドの羊と島民みたいだ。
しかし、何でも、ここの黒毛牛が数年たつと国内の畜産業者に購入され、その後産地の○○牛とかブランドが付いて売られているらしい。
2日目の夜は、宿の食堂で夕食後、ヨロン名物/伝統の「ヨロン献奉」を体験した。
「ヨロン献奉」とは、鹿児島藩の治世の時代から始まったらしい。
鹿児島藩に年貢となる、焼酎を納めるのだが、島で作った焼酎は地元民も楽しめるように取っておくのが習慣で、取っておいた焼酎は、皆で集まり、杯で回し飲みしてありがたく頂戴するという習慣が根付いたようだ。
ちなみに、親が皆に注いで回ることになるのだが、親から注がれた杯は一気飲みするのが流儀である。
そして、一揆飲みした後は、残った焼酎を手のひらにつけて、頭にかけるのもお約束のようである。
まずは楽園荘の本園さんが、親となり「有泉」(ゆうせん)という焼酎の一升瓶の蓋を開けて皆に注いで回る。
この日は援軍?の、「サンシャインヨロン」のコウジ君がやってきていた。
彼は数年前まで東京で仕事をしていたが、
3人の姉と2人の妹を持つ長男で、跡を継ぐためにヨロンに戻ったらしい。
ヨロン献奉後は、本園さん達と一緒に、名物の「かりゆしバンド」の演奏を聴きに、島の「中心部へ出かけた。
しかし、ここでもまた“ヨロン献奉”は続く...
まぁ、杯の中に氷を沢山いれているので、一気飲みも何とか、フゥ~
「かりゆしバンド」は皆で演奏を聴くというよりも、皆“踊って”いる。
沖縄の踊りにもよく似た動きだが、この際、乗ってしまおうと決めた私も遠慮なく踊りを楽しんだ。
3日目の朝は、雨という予報だったが、曇りと晴れ。
こうなると思ったよりも、暖かい。Tシャツ1枚でもOKという感じだ。
本園さんの提案で、この日はシュノーケリングをすることになった。
暖かい感じはするが、やっぱり11月。風が吹くと寒いので、宿からウェットスーツを借りることにした。
(しかし、“11月は最高のシーズンですぞ”と紹介者からは聞いていたのだが、島民やリピーターからは間逆の話しを聴いた。あの話しは一体....。)
海までは、軽トラックの荷台の上に乗って移動する。
軽トラックの荷台に立って、海まで進む感じは、とっても楽しい。
寒がりの私は全身用のウェットスーツを選び、暑がりの友人は短いウェットスーツを着る。
海に入る前に堤防にたたずむ女二人。
写真を見て思ったが、まったくサマになっていない。(私は15メートルしか泳げないし、友人はもっとひどい)
しかし、海の中はパラダイスである。
本園さんが運転するジェットスキーに3人で乗って、「百合が浜」(夏の干潮時に潮が引くと白くて丸い砂地が姿をポッカリ姿を現すが、この時期には見られない)を目指すと、右手側に、森瑤子の別荘とプライベートビーチが見える。
ゴ~ン、ゴ~ンとジェットスキーで波を乗り越えながら、海を眺めると、今まで見たことがないような、嘘みたいな青さ、コバルトブルーの海が広がっている。
夏になると、百合が浜や皆田海岸は、風がなくベタ凪ぎとなるため、まるでホテルのプールそのもの、鏡のようになるらしい。
皆田海岸でのシュノーケルでは、静かで少し怖いくらい平和な海底を覗けた。
白い海底の上には、様々な珊瑚と、多種の熱帯魚、蛍光グリーンのように明る藻がソヨソヨとなびいている。
そして、ポイントを変えると、
今度は、ものすごく綺麗で幻想的な「紫色のイソギンチャク」と、その中に引きこもっている“隠れクマノミ”を発見。
「ニモだぁ~」と喜んでしまった。
この日の夜、宿の食堂で夕食の席につくと、広島から来られたという一人旅の女性がいた。
ダイビングが目的である。彼女は、ダイビングが大好きでよくヨロンか宮古島に来ているらしい。
気がつくと、私達以外の宿泊客の殆どが、ダイバーである。
“命”に関わるような遊びが苦手で、生きることへの執着心の強い私達二人は、この先ダイビングにはまることはないと思うのだが、シュノーケリングでも十分に楽しい。
森さんのようなプライベート・ビーチを備えた別荘でも持てたら、最高だろうなと思う。
毎年友人を招いて、料理作って、泳いで釣して、美味しい酒飲んで、夕日や星空眺めて悦に入ると思う。
読みたい本や、映画を用意して、行くだろう。それに陶芸にすっかりはまるかもしれない。
4日目の昼間、そんな空想を膨らませながら、また訪れる日に備えて、私達は最後の海に別れを告げることにした。
by bandoh
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2009-11-20 Fri
11月19日、六本木のアカデミーヒルズで開催されたランチョン・セミナーの「歴史的転換点を迎えた日本政治」に出席した。
講師はコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授である。
今回の政権交代を日米関係の第一人者である、カーティス教授がどう見ているのかについて興味があり、昼間ではあったが、参加することにした。
日本の民主主義は、世界大戦後の〝アメリカによってもたらされた〟という印象を持っている人が多いのではないかと思うが、大正デモクラシー以降、日本は独自の民主主義政治を行ってきている。
カーティス教授は、大正時代から始まった日本の民主主義政治が、大きな転換点を迎えているという。
大きな転換とは何か?
今まで政府と政党との間でダブルで作られていた政策が、初めて政府と政党とで1本化されて作成されるようになったことだ。
つまり、これまでの〝日本的民主主義〟の中では、政府=官僚+内閣府であり、与党である自民党の内閣府は、官僚主導によって政策を作っていた。
また他方では、政党の中でも政策を作成している。ゆえに官僚からあがってきた政府の政策と、政党内であがってくる政策を調整する必要がある。
そこで、政府と与党の間では、調整を行い一致させるための連絡会議を行ってきた。
これまで、政権を取った大物政治家は、内閣に入らずとも、影響力を発揮できる「総務会長」、「政調会長」、「幹事長」の三役のポストにつくことになっていた。
しかし、民主党は大正時代の1920年からずっと続いてきた、この政策決定のシステムを、たったの数週間で変化させた。
「政府」と「政党」とが分かれずに、政策を作る仕組みに変えたのだ。
管直人国家戦略担当大臣は、連絡会議となる「政調会」を廃止した。
さらにカーティス教授は、民主党の小沢幹事長は、以前からこの構想を持っていたと言う。
英国のウエスト・ミニスター式の民主主義を下敷きに、この新しい試みを始めたとしている。
しかし、話しは飛ぶが、
自民党の内閣が官僚に任せて政策を作らせるという手法、何となく日本企業の経営の仕方に似ていると感じる。
日本企業の事業部長などの部門のトップは、優秀なNo2となる部下に、事業計画などの下案を作成させるケースが非常に多い。会社のトップも経営企画室に、経営方針を書かせたりする。
ところが、外資系企業の場合は違う。
MBAを持つマネジメントが、自分たちでビジネスプランとなる事業計画書を作成する。
そう考えると....
もしかして、これって日本の民主主義の伝統というよりは、日本の組織文化???
長く太平の時代が続いた江戸時代の、世襲制のお殿様を支えた徳川政治の名残りであろうか....。
それとも、集団合議やチームワークを尊重するがゆえに、現場を知るNo2の部下に、下からの意見を反映させた事業計画を練らせることが目的であろうか?
まぁ、話しは飛んでしまったが、
要するに、今回の政権交代によって、
この日本的民主主義の政策決定のプロセスを一本化し、
大きく変えたことの意味が大きいとカーティス教授を述べていた。
しかしながら、今後の課題としては、日本のマスコミ同様に、下記の点を指摘している。
*経済環境や国民の要求と合致していないマニフェストを死守する姿勢
*首相のアカウンタビリティ(国民に対する説得力)
*少数議席しかない社民党、国民新党に振り回されている実態
(普天間基地移設の問題、郵政民営化の逆行をいく路線)
*官僚を使いこなせず疲弊している大臣、スタッフを有効活用していない(岡田さんと長妻さん?)
*自民党が選挙の大敗を総括できず崩壊しそうに見える→せっかく実現した二大政党制が崩れる
*首相、大臣がそれぞれメディアに対して一致せずにバラバラな発言をしている
*消費者への対策はあっても、経済の成長戦略がない
*日米間の不信感
上記の問題については、同感である。
特に、私の場合、大手企業との仕事が多いので、マクロ経済に対する刺激策や、成長戦略が未だ作られていない点など、今後の景気を考えると、本当にうんざりする。
政策を決めるプロセスを変えたのはいいけれど、中身はどうなるんじゃ~
by bandoh
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2009-11-11 Wed
大体11月の第1週の週末であったと思う。
今年は、従姉妹と母と私の三人で出かけた。
運の良いことに、今年は先週末が、紅葉の見頃の時期と重なったようだ。
赤く燃えるようなもみじと、楓の色が折り重なってものすごく綺麗である。
この日は、思った以上に気温が高く、山中湖に着いたら、車の幌を上げてオープンにしてドライブすることにした。
車の幌を上げて、エンジンをスタートさせてから、後ろのシートに座っている母をバックミラーで確認すると、オレンジ色の花柄のスカーフを〝マチコ巻き〟にして、めがねをかけている。
ふと、その母の姿を見て、何かに似ていると気づいた。
はっきりと思い出せないけれど、何かによく似ている。
こういうことを思い出せないって気持ち悪い。
しばらく運転しながら、記憶を辿っていたらようやく思い出した!
マトリョーシカである!
あのロシアのお土産に出てくる、人形の中に人形が入っていて、またその人形の中に人形が入っていてと延々と続く、一度見たら絶対に忘れない木製のお人形である。
そう、あのマトリョーシカに似ているのである。
母は首が短いせいか、スカーフを頭からマチコ巻き風に巻いても、首のところで細くならずに、頭頂部から流線型のようなシルエットに出来上がっている。
ちょうどアザラシが、水から頭を出したときのような感じである。
思い出したことですっかり嬉しくなり、運転しながら後ろを振り向きざまに、
「お母さん、今の姿、マトリョーシカに似てる!」と大きな声で言ってしまった。
隣のシートに座っていた従姉妹は、爆笑。
母は、「マトリョーシカって一体何よ?」といぶかしんでいる。
うちの母は、サングラスをかけているときは、一見「オノ・ヨーコ」風のおばあちゃんなのだが、スカーフをマチコ巻きにすると、マトリョーシカに変身できることを発見。
それにしても、良いお天気である。
青い空と富士山、湖畔の眺め、紅葉、女三人、ドライブをしながら
「何かすご~く、綺麗じゃない~、すごくいいよねぇ」と盛り上がった。
ふと亡くなった父が、空の上から、この姿を見ているかもしれないと感じた。
ホテルでは温泉に入った後に、夕食を、中華レストラン〝翠陽〟で食べることにした。
前菜の盛り合わせ
甲州地鶏とフカヒレおぼろスープ淡雪仕立て
こんにゃくシートの野菜5色巻き
ワインは、自宅から誕生日の時に頂いたイタリアの赤ワインを持ち込ませて貰った。
レストランで気を利かせてくれて、1時間前位にボトルを開けておいたらしい。
ほんの少しチョコレートの香りがする深みのあるカベルネで美味しい!
贈ってくれたIさんに心より感謝である。
翌朝、従姉妹がセットした目覚ましのピピピピっという大きな音でパっと目が覚めてしまった。
時計を見たら、まだ朝の6時である。
なんとも、リゾートでこの時間に目が覚めるとは....
しかし、その早起きにはご褒美があった。
朝焼けに染まる富士山を部屋の窓から見ることが出来た。
山中湖畔の上には霧もしくは雲?が漂い、とっても幻想的である。
山頂の雪の帽子は、朝日に染まって薄オレンジ色に見える。
しかし、1時間もたたないうちに、朝焼けは終わり、
白い世界が再び戻ってきた。
美しい~
by bandoh
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2009-11-04 Wed
時が経つのは早いもので、もう11月である。
昨日は、風も冷たくコートを着て出かけたが、私以外にも着込んでいる人が多い。
昨日の夜は、最近、外国人の間で話題になっている表参道駅近くのTwoRoomsというレストランに出かけた。
詳しく知りたい方は、以下のブログを覗いてみて下さいませ。
Two rooms
さて、寒くなってきたこの時期、知り合いの方から招待されて、
再来週から、「与論島」へ遊びに行くことになった。
与論島にいくのは今回が初めてなので、とても楽しみである。
学生時代、森遥子さんの本をよく読んでいたのだが、森さんのエッセイの中に、時々この与論島での滞在のことが書かれていた。
森さんがエッセイを書かれていた当時は、与論島は本当に素朴であまり開発されておらず、海がものすごく綺麗で自然の豊かな小さな島であったのだろうと思う。(今でもそうかもしれないが)地上の楽園というイメージがある。
森さんは、イギリス人のご主人と、3人の娘を連れてよく滞在していたようだ。
確かオイル・サーデンを炒めて熱々のご飯の上に乗っけて、醤油で食べるシンプルなオイルサーデンの“ヨロン丼”のことを、涙が出るほど美味しいと書いていた。
私は、当時、その“ヨロン丼”ていったいどんなに美味しいものなんだろう???と想像を膨らませしながら、読んでいた。
その頃から、やはり“食い意地”が張っていたのかもしれない。
しかしながら、私は鰯、鯖などの魚よりも、ウニとかイクラ、アワビ、牡蠣がどちらかと言えば好きで、もっぱらすし屋でもそれらのものを多く頼む。
そういば、昔、主人が初めて私とすし屋でデートした時に、私が次から次へとウニ、アワビとか注文するので、財布の中身が心もとない彼は、顔は笑っていても内心は青ざめていたそうだ。
それから、彼は時々私のことを思い出したように、「ラッコちゃん」と呼ぶことがある。失礼な奴だ。
そうはいっても、あの森さんのエッセイに書かれていた与論島で食べる美味なるシンプルな“ヨロン丼”のことはずっと頭の片隅から消えず、私の中に貴重な情報としてしまい込まれている。
そんなに食べたければ、自宅で作って食べればいいものだろうが、場所が変われば空気も変わる。
今回、その“ヨロン丼”を、かの地で絶対に食べるつもりでいる。
これで長年の私の夢のひとつがかなう~といったら、オーバーかもしれないが、それくらい楽しみにしている。
それに、私は普通だと15メートル位しか泳げないのだが、シュノーケルと水中眼鏡をつけると、ずっと泳いでいられる。
息継ぎが出来ないので、長時間泳いでいられないのだ。
しかし、シュノーケルをつけると、息継ぎを気にせず浮いていられるので、楽チンである。
やはり、マイ・シュノーケルを携えて、今回は旅に出かけなくては。
また小さな島から見える、海から昇る朝日、夕日、月は格別だろうと思う。
日本酒かワインを片手に、じっくりと眺めるつもりである。
あ~、早く行きたくなってきた
そういえば、先週書いたブログの中で、
デートの後、彼から連絡がないので嫌われた!と反応していた友人であるが、
月曜日に彼からメールで返信が来たらしい。
>嫌われたわけじゃないみたい。彼からメールが来た
と友人から連絡があった。
そして、翌日の火曜日の夕方家に戻る途中、再び彼から電話があり、その日の夜の食事に誘われたらしい。
「せっかく彼からのお誘いではあったけど、火曜日の夜はラグビーを観戦した後で、疲れていたから、断ったのよね」
“嫌われたぁ!やだ~”と騒いでいた割には、クールな対応である...。
そして、その3日後の金曜日に、再び彼から「これから飲みに行かない?」と誘われたようだが、
「もう、自宅に戻ってパジャマに着替えて寝る準備をしていたところだったから、断って寝ることにしたの」
ふ~ん、また断ったのか~。
「たまたま2回も断っちゃったんだけど、どう思う?彼、気分悪くしたかしら?」
「なんとも言えないと思う。少なくとも約束していたのを断ったわけじゃなくて、急なお誘いだったしね」
「そうだよねぇ~」
彼は、彼女から断られた後、「じゃ、週末にでも...」と語尾がしぼんでいくような声で、電話を切ったらしい。
今週、彼からのお誘いを2回続けて断った友人は、さすがに今度はさりげなく自分から彼にボールを投げることにした。
日曜日の昼頃、彼の「携帯メール」と「携帯電話」の留守電にメッセージを送った。
>今日は友達とご飯を食べる予定なので、よかったら一緒に食べない?
しかし、その日、彼からそのメールに対する返信はなく、電話での連絡も来なかった。
友人はかなりムっとして
「彼ってとっても失礼な奴だと思う!断るなら断る!で返事すべきだと思わない?」
「でも、電話持たないで出かけたとか、電波の通じにくいところで、何かしてるとか、、何かあるんじゃないかな?」
「そんなわけは絶対にない。だって彼、2つも携帯あるし、いつでも持って歩いているもん。それに今までだったら、私が連絡すると、すぐに返信してきたのよね!」
男と女って、相性もあるし、気持ちのタイミングが噛み合わないと駄目だし、難しいものである。
もし、あの3回目のデートで彼女の気分が盛り上がったときに、彼が次のデートの約束をしていたとしたら、状況は変わっていたと思う。
友人のすぐにても結婚したいという気持ちを考えると、その彼が彼女にとって待ち望んでいた「ミスター・ライト」であればいいのになぁと思うが、この噛み合わなさを見ていると、二人のご縁はやはり薄いのかもしれない。
40代、独身、都心在住、皆忙しいお年頃である。いったい全体どんな風なラブライフを送っているのだろうか?
by bandoh
徒然なるままに : 17:18 : comments (x) : trackback (x)




