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初めてのヨロン

11月の勤労感謝の日を利用して、与論島へ出発した。チョキ

ANAの7時発の那覇行きの飛行機の中で、仕事気分はすっかり抜け、すでに休暇モードになっている。
初めて行く場所は、やはりワクワクする。にこっlove

「那覇空港」に着くと11月なのに暑い。太陽
次の飛行機の登場まで、2時間近くある。暑がりの友人は、早速着ていた服を1枚脱いでいる。

与論島へは、琉球エアーを使って乗り継ぐ。
与論島は鹿児島県となるが、沖縄からの方がずっと近い。


沖縄よりも、北部にあるためか、この時期の与論島は沖縄よりもやや寒い。
招待してくれた知合いは、11月は最高の時期だと言っていたが、元気に泳ぐにはちと寒いように感じた。むむっ

宿泊する先は、「楽園荘」
与論島に到着すると、若女将が「楽園荘」と書かれた案内を持って、立っている。
(島根県出身で、美人な人である。1年位前に結婚して移ってきたそうだ。ダイビングが大好きだそうだ。)


楽園荘に到着して、荷をほどいて一息ついた後、
近所の「皆田海岸」まで散歩することにした。

夕暮れ時で、空は曇っていたが、皆田海岸は綺麗だった。
水は透明度が高くて、浜は白く、まるでプールの水のように青く見える。


浜に行くと、漁を終えたおじいさんが、釣った魚をさばいていた。
おじいさんに声をかけると
「イカと針千本、獲れたんだぁ。今日はちょっと時間がかかったなぁ~」と言う。

写真は、その“針千本”の写真である。目が大きくて離れていてユーモラスな風体が可笑しい。ハート
怒ると水を含んでプーっと風船のように膨らみ、太い針を全身に立てて身を守ろうとする。
可愛いが美味しくなさそうだな、、と眺めながらついつい思ってしまう汗



夕日を散歩しながら眺めた後は、宿に帰って、食堂で用意されていた夕食を食べる。
そして、部屋に戻って時計を見ると、なんとまだ7時30分である。ぎょ
外は真っ暗で何もないし、テレビも4チャンネルしかない。あうっ
この後の時間、一体どうしたら、いいんだろうか...。

どうしたらいいのか分からなくなった私達は、とりあえず食堂の冷蔵庫にシャンパンがあったことを思い出し、再び食堂へと向かう。
“やっぱり、あった!”と喜び、とりあえず若女将に、幾らか聞いてみた。
すると、「あっ、別にいいです。勝手に飲んでください、お金要りません」と言う。

「あの、悪いので、、」というと、「大丈夫です」とまた答える。

なんとも不思議な、商売っ気のない宿だわと思いながら、あれやこれや、長い夜を二人でシャンパン飲んで過ごすことにした。


雲雲曇りのち雨曇りのち雨雲雲雲雲曇りのち雨

2日目の朝は、ポツポツと時々雨を感じるあいにくの曇り空曇り
ちょっと肌寒い感じがする。

この日のお昼は、リクエストして、亡くなった森瑤子さん推薦のあの「ヨロン丼」を作って貰った。にかっ
楽園荘のおばあさんが、森瑤子さんの料理本である「森瑤子の料理手帖」を持っていたらしい。
このヨロン丼、思ったとおりかなり美味しい!オッケーオッケー
楽園荘に感謝!


宿にあるその森瑤子の「料理手帖」をパラパラとめくると、美味しそうな料理のレシピが、森さんのライフスタイルを紹介しながら、沢山掲載されている。
写真は、おそらくヨロン島の森さんの別荘の側で、ご飯のおかずとなる魚を釣っている森さんだろう。


イギリス人のご主人と結婚したためだろうと思うが、欧風な料理も多いが、和とアジアの創作系のような料理もある。
どれも食通であった森さんの幅広い味覚から練られた魅力的な料理が多く、たちどころに興味を惹かれてしまった。
行動の早い私は、その日のうちに早速ネットで、中古本を買ってしまった。むむっ
“しゃこ貝の潮水サラダ”、“パパイヤとかにのサラダ”など、暑い日に飲む冷えた白ワインとピッタリ合いそう。オッケー

下の写真は、別荘の中庭で、パーティの準備をしている森さんである。
テーブルは、ヨロンでサバニと呼ばれる小船を使っている。


今、この別荘の中庭は、ヨロン島で結婚式をあげるカップルのために、ガーデン・ウェディングとして貸し出されているそうだ。
英国人の牧師さんが結婚式を挙げるらしい。

本園さんの案内で、近所にある森さんの別荘へ行ってみたが、アプローチの作り方、ガジュマルや彩の綺麗な花などの植栽、コテージ風の建物、中庭、プライベートビーチも含めてまさにアジアのリゾート、楽園そのものに見えた。
エッセイにヨロンのことを恋人のように語っていたが、その気持ちがよく分かった。

本園さんの話しによれば、彼が子供の頃、開放的な森さんは、プライベート・ビーチでスッポンポンになって泳いでいたそう。
ヨロンの少年にとっては、衝撃的な思い出だそうだ。

下の写真は、別荘のすぐ横に創られた森さんのお墓である。
確か森さんはガンで亡くなる前に、葬儀の方法や埋葬、お墓のことまで全て自分で決めていた。
ヨロンの海を愛した森さんらしく、海を見下ろせるように創られている。


森さんの別荘に立ち寄った後は、ヨロンの民族村へ出かけた。
魚、貝、植物など、地にあるものを、すべて最後まで有効的に使い、
自然と上手く調和した暮らしを送っていた島民の、伝統的なライフスタイルや住居の話しは興味深いと感じた。

あいにくの曇り空とポツポツと時折降る肌寒い天気。曇り

私達は車で5分くらいの場所にある陶芸の工房で、陶器を作ることにした。
陶芸の先生は、60代の女性陶芸作家で、ヨロン島ならではの青を生かして作品を作っているようだ。
工房の入り口や中には、先生の作品が沢山並んでいた。

私は、やや大きめのシンプルなお皿を2枚作ることにした。
手作りの工芸は、幾つになっても楽しいものである。
二人共、すっかり夢中になって作ってしまった。むむっ
この後、工房の釜で焼いてもらい、1ヶ月後には自宅に届けてくれる。
待ち遠しい~love


工房を出て表に進むと、なんと生まれたばかりのヤギの赤ちゃんがぎょ
島ではヤギをたまに見かける。


楽園荘でも、ヤギをペットとして二匹飼っているが、若女将の奥様が時々散歩に連れて行くらしい。

ちなみに、ヨロンでは黒毛牛が沢山飼育されている。
島民の数よりも牛の数の方が多いとのこと。ニュージーランドの羊と島民みたいだ。
しかし、何でも、ここの黒毛牛が数年たつと国内の畜産業者に購入され、その後産地の○○牛とかブランドが付いて売られているらしい。むむっ

月星月星月星月星月星月星

2日目の夜は、宿の食堂で夕食後、ヨロン名物/伝統の「ヨロン献奉」を体験した。

「ヨロン献奉」とは、鹿児島藩の治世の時代から始まったらしい。
鹿児島藩に年貢となる、焼酎を納めるのだが、島で作った焼酎は地元民も楽しめるように取っておくのが習慣で、取っておいた焼酎は、皆で集まり、杯で回し飲みしてありがたく頂戴するという習慣が根付いたようだ。
ちなみに、親が皆に注いで回ることになるのだが、親から注がれた杯は一気飲みするのが流儀である。
そして、一揆飲みした後は、残った焼酎を手のひらにつけて、頭にかけるのもお約束のようである。

まずは楽園荘の本園さんが、親となり「有泉」(ゆうせん)という焼酎の一升瓶の蓋を開けて皆に注いで回る。


この日は援軍?の、「サンシャインヨロン」のコウジ君がやってきていた。
彼は数年前まで東京で仕事をしていたが、
3人の姉と2人の妹を持つ長男で、跡を継ぐためにヨロンに戻ったらしい。


ヨロン献奉後は、本園さん達と一緒に、名物の「かりゆしバンド」の演奏を聴きに、島の「中心部へ出かけた。


しかし、ここでもまた“ヨロン献奉”は続く...
まぁ、杯の中に氷を沢山いれているので、一気飲みも何とか、フゥ~


「かりゆしバンド」は皆で演奏を聴くというよりも、皆“踊って”いる。
沖縄の踊りにもよく似た動きだが、この際、乗ってしまおうと決めた私も遠慮なく踊りを楽しんだ。チョキ

晴れのち曇り晴れのち曇り太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽

3日目の朝は、雨という予報だったが、曇りと晴れ。晴れのち曇り
こうなると思ったよりも、暖かい。Tシャツ1枚でもOKという感じだ。

本園さんの提案で、この日はシュノーケリングをすることになった。
暖かい感じはするが、やっぱり11月。風が吹くと寒いので、宿からウェットスーツを借りることにした。
(しかし、“11月は最高のシーズンですぞ”と紹介者からは聞いていたのだが、島民やリピーターからは間逆の話しを聴いた。あの話しは一体....。)

海までは、軽トラックの荷台の上に乗って移動する。
軽トラックの荷台に立って、海まで進む感じは、とっても楽しい。

寒がりの私は全身用のウェットスーツを選び、暑がりの友人は短いウェットスーツを着る。
海に入る前に堤防にたたずむ女二人。
写真を見て思ったが、まったくサマになっていない。(私は15メートルしか泳げないし、友人はもっとひどい)


しかし、海の中はパラダイスである。
本園さんが運転するジェットスキーに3人で乗って、「百合が浜」(夏の干潮時に潮が引くと白くて丸い砂地が姿をポッカリ姿を現すが、この時期には見られない)を目指すと、右手側に、森瑤子の別荘とプライベートビーチが見える。

ゴ~ン、ゴ~ンとジェットスキーで波を乗り越えながら、海を眺めると、今まで見たことがないような、嘘みたいな青さ、コバルトブルーの海が広がっている。


夏になると、百合が浜や皆田海岸は、風がなくベタ凪ぎとなるため、まるでホテルのプールそのもの、鏡のようになるらしい。

皆田海岸でのシュノーケルでは、静かで少し怖いくらい平和な海底を覗けた。
白い海底の上には、様々な珊瑚と、多種の熱帯魚、蛍光グリーンのように明る藻がソヨソヨとなびいている。

そして、ポイントを変えると、
今度は、ものすごく綺麗で幻想的な「紫色のイソギンチャク」と、その中に引きこもっている“隠れクマノミ”を発見。
「ニモだぁ~」と喜んでしまった。

星星星星月月月月月

この日の夜、宿の食堂で夕食の席につくと、広島から来られたという一人旅の女性がいた。
ダイビングが目的である。彼女は、ダイビングが大好きでよくヨロンか宮古島に来ているらしい。
気がつくと、私達以外の宿泊客の殆どが、ダイバーである。

“命”に関わるような遊びが苦手で、生きることへの執着心の強い私達二人は、この先ダイビングにはまることはないと思うのだが、シュノーケリングでも十分に楽しい。

森さんのようなプライベート・ビーチを備えた別荘でも持てたら、最高だろうなと思う。
毎年友人を招いて、料理作って、泳いで釣して、美味しい酒飲んで、夕日や星空眺めて悦に入ると思う。
読みたい本や、映画を用意して、行くだろう。それに陶芸にすっかりはまるかもしれない。

4日目の昼間、そんな空想を膨らませながら、また訪れる日に備えて、私達は最後の海に別れを告げることにした。







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歴史的転換点を迎えた日本政治

11月19日、六本木のアカデミーヒルズで開催されたランチョン・セミナーの「歴史的転換点を迎えた日本政治」に出席した。
講師はコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授である。

今回の政権交代を日米関係の第一人者である、カーティス教授がどう見ているのかについて興味があり、昼間ではあったが、参加することにした。



日本の民主主義は、世界大戦後の〝アメリカによってもたらされた〟という印象を持っている人が多いのではないかと思うが、大正デモクラシー以降、日本は独自の民主主義政治を行ってきている。

カーティス教授は、大正時代から始まった日本の民主主義政治が、大きな転換点を迎えているという。

大きな転換とは何か?
今まで政府と政党との間でダブルで作られていた政策が、初めて政府と政党とで1本化されて作成されるようになったことだ。

つまり、これまでの〝日本的民主主義〟の中では、政府=官僚+内閣府であり、与党である自民党の内閣府は、官僚主導によって政策を作っていた。
また他方では、政党の中でも政策を作成している。ゆえに官僚からあがってきた政府の政策と、政党内であがってくる政策を調整する必要がある。
そこで、政府と与党の間では、調整を行い一致させるための連絡会議を行ってきた。
これまで、政権を取った大物政治家は、内閣に入らずとも、影響力を発揮できる「総務会長」、「政調会長」、「幹事長」の三役のポストにつくことになっていた。

しかし、民主党は大正時代の1920年からずっと続いてきた、この政策決定のシステムを、たったの数週間で変化させた。

「政府」と「政党」とが分かれずに、政策を作る仕組みに変えたのだ。
管直人国家戦略担当大臣は、連絡会議となる「政調会」を廃止した。

さらにカーティス教授は、民主党の小沢幹事長は、以前からこの構想を持っていたと言う。
英国のウエスト・ミニスター式の民主主義を下敷きに、この新しい試みを始めたとしている。

しかし、話しは飛ぶが、
自民党の内閣が官僚に任せて政策を作らせるという手法、何となく日本企業の経営の仕方に似ていると感じる。むむっ

日本企業の事業部長などの部門のトップは、優秀なNo2となる部下に、事業計画などの下案を作成させるケースが非常に多い。会社のトップも経営企画室に、経営方針を書かせたりする。

ところが、外資系企業の場合は違う。
MBAを持つマネジメントが、自分たちでビジネスプランとなる事業計画書を作成する。

そう考えると....
もしかして、これって日本の民主主義の伝統というよりは、日本の組織文化???
長く太平の時代が続いた江戸時代の、世襲制のお殿様を支えた徳川政治の名残りであろうか....。

それとも、集団合議やチームワークを尊重するがゆえに、現場を知るNo2の部下に、下からの意見を反映させた事業計画を練らせることが目的であろうか?

まぁ、話しは飛んでしまったが、
要するに、今回の政権交代によって、
この日本的民主主義の政策決定のプロセスを一本化し、
大きく変えたことの意味が大きいとカーティス教授を述べていた。

しかしながら、今後の課題としては、日本のマスコミ同様に、下記の点を指摘している。

*経済環境や国民の要求と合致していないマニフェストを死守する姿勢
*首相のアカウンタビリティ(国民に対する説得力)
*少数議席しかない社民党、国民新党に振り回されている実態
(普天間基地移設の問題、郵政民営化の逆行をいく路線)
*官僚を使いこなせず疲弊している大臣、スタッフを有効活用していない(岡田さんと長妻さん?)
*自民党が選挙の大敗を総括できず崩壊しそうに見える→せっかく実現した二大政党制が崩れる
*首相、大臣がそれぞれメディアに対して一致せずにバラバラな発言をしている
*消費者への対策はあっても、経済の成長戦略がない
*日米間の不信感



上記の問題については、同感である。

特に、私の場合、大手企業との仕事が多いので、マクロ経済に対する刺激策や、成長戦略が未だ作られていない点など、今後の景気を考えると、本当にうんざりする。

政策を決めるプロセスを変えたのはいいけれど、中身はどうなるんじゃ~グー


政治、社会 : 14:54 : comments (x) : trackback (x)
富士山と紅葉

むむっ父が生きていた時は、母と三人でよく山中湖か箱根に紅葉を楽しみに出かけていた。
大体11月の第1週の週末であったと思う。

今年は、従姉妹と母と私の三人で出かけた。
運の良いことに、今年は先週末が、紅葉の見頃の時期と重なったようだ。

赤く燃えるようなもみじと、楓の色が折り重なってものすごく綺麗である。


この日は、思った以上に気温が高く、山中湖に着いたら、車の幌を上げてオープンにしてドライブすることにした。太陽

車の幌を上げて、エンジンをスタートさせてから、後ろのシートに座っている母をバックミラーで確認すると、オレンジ色の花柄のスカーフを〝マチコ巻き〟にして、めがねをかけている。

ふと、その母の姿を見て、何かに似ていると気づいた。
はっきりと思い出せないけれど、何かによく似ている。

こういうことを思い出せないって気持ち悪い。むむっ
しばらく運転しながら、記憶を辿っていたらようやく思い出した!

マトリョーシカである!
あのロシアのお土産に出てくる、人形の中に人形が入っていて、またその人形の中に人形が入っていてと延々と続く、一度見たら絶対に忘れない木製のお人形である。
そう、あのマトリョーシカに似ているのである。

母は首が短いせいか、スカーフを頭からマチコ巻き風に巻いても、首のところで細くならずに、頭頂部から流線型のようなシルエットに出来上がっている。
ちょうどアザラシが、水から頭を出したときのような感じである。

思い出したことですっかり嬉しくなり、運転しながら後ろを振り向きざまに、
「お母さん、今の姿、マトリョーシカに似てる!」と大きな声で言ってしまった。

隣のシートに座っていた従姉妹は、爆笑。
母は、「マトリョーシカって一体何よ?」といぶかしんでいる。

うちの母は、サングラスをかけているときは、一見「オノ・ヨーコ」風のおばあちゃんなのだが、スカーフをマチコ巻きにすると、マトリョーシカに変身できることを発見。にこっ

それにしても、良いお天気である。太陽
青い空と富士山、湖畔の眺め、紅葉、女三人、ドライブをしながら
「何かすご~く、綺麗じゃない~、すごくいいよねぇ」と盛り上がった。

ふと亡くなった父が、空の上から、この姿を見ているかもしれないと感じた。

曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲

ホテルでは温泉に入った後に、夕食を、中華レストラン〝翠陽〟で食べることにした。

前菜の盛り合わせ


甲州地鶏とフカヒレおぼろスープ淡雪仕立て


こんにゃくシートの野菜5色巻き


ワインは、自宅から誕生日の時に頂いたイタリアの赤ワインを持ち込ませて貰った。
レストランで気を利かせてくれて、1時間前位にボトルを開けておいたらしい。
ほんの少しチョコレートの香りがする深みのあるカベルネで美味しい!
贈ってくれたIさんに心より感謝である。


太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽

翌朝、従姉妹がセットした目覚ましのピピピピっという大きな音でパっと目が覚めてしまった。ぎょ
時計を見たら、まだ朝の6時である。きゅー
なんとも、リゾートでこの時間に目が覚めるとは....

しかし、その早起きにはご褒美があった。

朝焼けに染まる富士山を部屋の窓から見ることが出来た。
山中湖畔の上には霧もしくは雲?が漂い、とっても幻想的である。


山頂の雪の帽子は、朝日に染まって薄オレンジ色に見える。


しかし、1時間もたたないうちに、朝焼けは終わり、
白い世界が再び戻ってきた。


美しい~


旅行 : 19:14 : comments (x) : trackback (x)
もうすぐ楽園

時が経つのは早いもので、もう11月である。
昨日は、風も冷たくコートを着て出かけたが、私以外にも着込んでいる人が多い。

昨日の夜は、最近、外国人の間で話題になっている表参道駅近くのTwoRoomsというレストランに出かけた。

詳しく知りたい方は、以下のブログを覗いてみて下さいませ。
Two rooms

さて、寒くなってきたこの時期、知り合いの方から招待されて、
再来週から、「与論島」へ遊びに行くことになった。

与論島にいくのは今回が初めてなので、とても楽しみである。

学生時代、森遥子さんの本をよく読んでいたのだが、森さんのエッセイの中に、時々この与論島での滞在のことが書かれていた。

森さんがエッセイを書かれていた当時は、与論島は本当に素朴であまり開発されておらず、海がものすごく綺麗で自然の豊かな小さな島であったのだろうと思う。(今でもそうかもしれないが)地上の楽園というイメージがある。

森さんは、イギリス人のご主人と、3人の娘を連れてよく滞在していたようだ。
確かオイル・サーデンを炒めて熱々のご飯の上に乗っけて、醤油で食べるシンプルなオイルサーデンの“ヨロン丼”のことを、涙が出るほど美味しいと書いていた。
私は、当時、その“ヨロン丼”ていったいどんなに美味しいものなんだろう???と想像を膨らませしながら、読んでいた。
その頃から、やはり“食い意地”が張っていたのかもしれない。

しかしながら、私は鰯、鯖などの魚よりも、ウニとかイクラ、アワビ、牡蠣がどちらかと言えば好きで、もっぱらすし屋でもそれらのものを多く頼む。
そういば、昔、主人が初めて私とすし屋でデートした時に、私が次から次へとウニ、アワビとか注文するので、財布の中身が心もとない彼は、顔は笑っていても内心は青ざめていたそうだ。
それから、彼は時々私のことを思い出したように、「ラッコちゃん」と呼ぶことがある。失礼な奴だ。むむっ

そうはいっても、あの森さんのエッセイに書かれていた与論島で食べる美味なるシンプルな“ヨロン丼”のことはずっと頭の片隅から消えず、私の中に貴重な情報としてしまい込まれている。
そんなに食べたければ、自宅で作って食べればいいものだろうが、場所が変われば空気も変わる。
今回、その“ヨロン丼”を、かの地で絶対に食べるつもりでいる。
これで長年の私の夢のひとつがかなう~といったら、オーバーかもしれないが、それくらい楽しみにしている。

それに、私は普通だと15メートル位しか泳げないのだが、シュノーケルと水中眼鏡をつけると、ずっと泳いでいられる。
息継ぎが出来ないので、長時間泳いでいられないのだ。
しかし、シュノーケルをつけると、息継ぎを気にせず浮いていられるので、楽チンである。
やはり、マイ・シュノーケルを携えて、今回は旅に出かけなくては。

また小さな島から見える、海から昇る朝日、夕日、月は格別だろうと思う。
日本酒かワインを片手に、じっくりと眺めるつもりである。

あ~、早く行きたくなってきたハート

ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2

そういえば、先週書いたブログの中で、
デートの後、彼から連絡がないので嫌われた!と反応していた友人であるが、
月曜日に彼からメールで返信が来たらしい。

嫌われたわけじゃないみたい。彼からメールが来たにこっ
と友人から連絡があった。

そして、翌日の火曜日の夕方家に戻る途中、再び彼から電話があり、その日の夜の食事に誘われたらしい。

せっかく彼からのお誘いではあったけど、火曜日の夜はラグビーを観戦した後で、疲れていたから、断ったのよねうさぎ
“嫌われたぁ!やだ~”と騒いでいた割には、クールな対応である...。むむっ

そして、その3日後の金曜日に、再び彼から「これから飲みに行かない?」と誘われたようだが、
もう、自宅に戻ってパジャマに着替えて寝る準備をしていたところだったから、断って寝ることにしたのうさぎと言う。
ふ~ん、また断ったのか~。

たまたま2回も断っちゃったんだけど、どう思う?彼、気分悪くしたかしら?」
「なんとも言えないと思う。少なくとも約束していたのを断ったわけじゃなくて、急なお誘いだったしね」
そうだよねぇ~うさぎ

彼は、彼女から断られた後、「じゃ、週末にでも...」と語尾がしぼんでいくような声で、電話を切ったらしい。

今週、彼からのお誘いを2回続けて断った友人は、さすがに今度はさりげなく自分から彼にボールを投げることにした。

日曜日の昼頃、彼の「携帯メール」と「携帯電話」の留守電にメッセージを送った。
今日は友達とご飯を食べる予定なので、よかったら一緒に食べない?

しかし、その日、彼からそのメールに対する返信はなく、電話での連絡も来なかった。

友人はかなりムっとして
彼ってとっても失礼な奴だと思う!断るなら断る!で返事すべきだと思わない?」うさぎと言う。
「でも、電話持たないで出かけたとか、電波の通じにくいところで、何かしてるとか、、何かあるんじゃないかな?」
そんなわけは絶対にない。だって彼、2つも携帯あるし、いつでも持って歩いているもん。それに今までだったら、私が連絡すると、すぐに返信してきたのよね!うさぎ


男と女って、相性もあるし、気持ちのタイミングが噛み合わないと駄目だし、難しいものである。
もし、あの3回目のデートで彼女の気分が盛り上がったときに、彼が次のデートの約束をしていたとしたら、状況は変わっていたと思う。

友人のすぐにても結婚したいという気持ちを考えると、その彼が彼女にとって待ち望んでいた「ミスター・ライト」であればいいのになぁと思うが、この噛み合わなさを見ていると、二人のご縁はやはり薄いのかもしれない。

40代、独身、都心在住、皆忙しいお年頃である。いったい全体どんな風なラブライフを送っているのだろうか?








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