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イタリア旅行と情報

今年6月の後半から7月にかけて、南仏とフィレンツェ、トスカーナを旅行する予定。
今から、休みのことを考えると思わず顔がニマっと緩んでしまう。

今回は姉と一緒の旅行になるが、姉はイタリアに行くのは初めて。
美術館好きな姉はウフィッツィ美術館に行くのも楽しみにしている。

今回はフィレンツェとトスカーナをどう廻ろうか、色々と考えてしまった。
フィレンツェは小さな町なので、歩いて楽しめると思うけれど、トスカーナを廻ろうと思うと、やはりガイドさんを雇うか、ツアーを利用するのが良いと思う。
検索していると、結構使える情報が出ているサイトを発見。
アーモイタリアという旅行サイトである。

紹介されていたトラットリアも美味しそう~
トラットリア・イ・ドゥエ・ジー
ほうれん草のリゾットや、キアナ牛のタリアータとかすっごくジューシーで柔らかそう。

私が前回行って美味しかったお店はこちら。
Vini e Vecchi Sapori
素朴なお料理を出してくれる店なのだけれど、キノコのフェトチーネのパスタなんて、ツルッとしていて死ぬほど美味しい。

今年は前回行けなかったエノテカにも足を運んでみたい♡
Enoteka Pitti Gola e Cantino

ちょっと今から、準備を進めているのだけれど、ウキウキしてしまう。

旅行 : 14:47 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナ⑥シエナ

今日は世界遺産の古都、中世の香りを残す「シエナ」へと向かう。
トスカーナ地方は広い、滞在しているパリのリゾートから空いた道を走ってシエナまでは1時間位の距離となる。

車の中で、迎えに来てくれたガイドのファビオから季節によって変わるトスカーナの風景を教えて貰った。
今は収穫の時期なので、道路ではワイン用のぶどうを満載してゆっくりカタカタと走る小型トラックとよくすれ違う。
道路の両端に目をやると、トスカーナ特有のうねりのある丘陵の風景は、緑と乾いたようなベージュ、茶のコントラストが目出つ。
今は大麦もトウモロコシも収穫した後なので、多くの畑はボコボコと耕された土で盛り上がっている。
このうねりのある丘陵はクレーテ・セネシと呼ばれていて、どこまでも波のように続くアンジュレーションが牧歌的ながら、何となく惑星的な世界を感じさせる。

この写真がそのクレーテ・セネシの風景の一つ。

更に5月が最も美しい風景を見られる時期だそう。
しっとりとした新緑にひまわりの黄色がまぶしく一面に広がっていて、息をのむほど美しいそう。
訪れる人の多くが感動する。

2つの写真は、ガイドさんが後で送ってくれたものです。この美しいひまわりを見にまた5月にトスカーナを観光してみたい、、、。
この時期、食べ物は最高、観光はやっぱり秋と春がいいですね。



さて、そんな風にトスカーナ特有の風景を眺めてドライブしながら、シエナに到着。
ここはフィレンツェからは60KM南下した場所にある人口約57000人のシエナ県の県庁所在地
14世紀にシエナ派の芸術が栄えたところです。
フィレンツェで色鮮やかなルネサンス芸術が花開いていた15世紀にシエナでは対照的に中世的なゴシック建築が全盛期を迎えます。
政治、経済、芸術、宗教、全てフィレンツェと対照的だったシエナは、今でもフィレンツェと仲が悪いそう。
戦争で負けたこともあるし、ライバル意識なのかな。


シエナの町に到着して、地図を手に入れ、母と二人、目印になるような建物や道順をいちいち口に出して憶えながら、一見迷路のように曲がっている道を歩き出す。
そしてまずは「カンポの広場」へ向かう。


トスカーナに限らずイタリアの町の扉や窓の木戸など、南のプーリアでも赤やグリーンのビビッドな色で塗られている。
乾いた空気の中で、それらの色は風景や建物とよくマッチしていると感じる。
東京のように湿度の高い空気の中では、空もここイタリアよりももっとグレイッシュで淡い水色に見える。だから日本ではビビッドな色よりも、ちょっと彩度を落としてくすんだ色の方が、景色にマッチするのだろうと感じる。日本人の感性もそういうところから生まれるのかしら。

秋とはいえ、日中陽が差していると汗をかくほど暑い。歩いているとジリジリと日差しが照りつけてくる。
しかし湿気がないので、日影に入ればすっと涼しくなるので、観光するのも歩き方次第で暑さは緩和できる。
日影を選んで歩く、休む、教会などに入って休むなどしていれば案外大丈夫。
それといずれにしても冬場でなければ、早朝から観光をスタートすることをお薦めしたい。
観光で気をつけなければならないのは「靴選び」。
デコボコした堅~い石畳を歩くので、底が薄い柔らかい靴、ハイヒールだと私は20分と持たない。
以前、ハイヒールを履いてフィレンツェの町を歩いて、数十分でお店に駆け込んでペッタンコの皮のサンダルを購入したことがある。
嘘のように足が楽になり、現地の靴ってすご~いと妙に関心したことがある。

丘の上に建てられた古都、シエナは起伏があり、カンポの広場に向かって歩くほど、下っていく感じ。
駐車場からどんどん降りていくと、大きな建物と広場のあるT字路にぶつかる。

この建物はイタリア有数のシエナの銀行「Monte al Parchi di Siena」世界で最も古いと言われている銀行


建物につけられた頭部の彫刻も印象的。
やっぱり銀行があって経済が栄えると芸術や文化って花開くのよね、、と実感。
帝政ローマの頃に、フランスとローマを結ぶ幹線街道の重要な中間に位置していたのが重要なポイントですね。
通商はやっぱり交通、位置が大事。

銀行を正面に人が歩いて行く方角に下っていくと、目の前に扇状の劇場のような広場が現れてくる!

扇状に広がっているのだけれど、なんとも言えない空間が演出されている。
これは歩いて過ごすよりは、冷たいものでも飲んでゆっくり眺めよう!
ふと見渡すと朝早いのでカフェはまだ空いていて、ヨーロッパの観光客はビールを頼んでいる。


母はアイス・コーヒーを注文 

世界一美しいと言われている意味がよく分かる。今までみた広場の中では一番優雅でエレガントな感じがする。

しかし、ほんの40分位過ぎてくると人が増えてきて、そろそろ大聖堂に移動した方がいいかな、、という感じ。


旅行 : 12:22 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナ⑤トスカーナへ移動

La
9月、10月のフィレンツェは観光シーズンだそう。町の人も戻ってきているけれど、観光客の数も多い。
この先のポンテベッキオには人がどっと溢れている。
これだけ人が多いと、歩くときにもぶつからないように気を遣うため、渋谷を歩いているような気分にもなる。
午前中の早い時間帯は割と空いているのだけれど、12時過ぎると人が増えてくるように思う。


これから、トスカーナに向けて出発予定。
モンタルチーノからほど近いPariという場所に車で移動する。
16時に車がホテルまで迎えにくることになっているので、ホテルのカフェでレモンソーダを飲んで待つことに。

ローマ門を抜けて、街道に出る。
キヤンティを抜けてずっと進むこと2時間、今夜から泊まるホテルに到着
辺りは箱根の山の中にいるような静けさがある。


ホテルのテラスに出てみると、ずっと広がった景色が目の前に飛び込んでくる。
トスカーナの地方にしては珍しく新しい建物のリゾートホテルである。
「ペトリオーロ・スパ&リゾート」

実はこの地域は、箱根同様に温泉が出る。
だから少し下って渓谷まで降りると露天温泉があるようだ。
もちろん、ホテルにも温泉が引かれていてスパリゾートになっている。


ロビー


お部屋は広いし眺めも良い。着替えて1時間ほどゆっくりと過ごす


ホテルのダイニングは美味しいオッケー
フィレンツェのトラットリアとは違う薄味で身体に優しい食後感がある。
これはアミューズ:先付けの一品。カレー風味なチキン。


レストランの窓からは、形のきれいなふっくらした金色に輝くお月様がよく見えます。
周りにネオンとか照明がない山中の漆黒の夜なので、余計にきれいに見えるのだと思います。
母と二人また「きれいね~」と言いながら、月を眺めてお食事。
しかし、レストランにいる旅行客は誰一人として月を眺めたり話題にしている人はいません。
アジア人旅行客はいないし、やはり月見するのって日本人だけなのだろうか。
韓国人も見るような気がするけれど。

せっかくトスカーナに来ているだから、やっぱりワインを飲みたい。
2種類のワインをテイスティングしようと思っていたら、思わぬハプニングで1種類増えてしまった。


これは地元モンタルチーノのLe Poderina Rosso di Montalcino 100%サンジョベーゼ ルビーのような色で果実味が強く少し樽の香りがする。


トレンティーノ・アルトアディジェ州のRiserva Mazonの100%ピノノワール
オーストラリアに隣接した北イタリアの地方のワインです。
ベリー系の甘い香りがして華やか。
この地域は白ワインが有名、以前ゲビュルツ・トラミネールを飲んだけれどくちなしの香りがして美味しかった記憶が蘇る。


こちらのワインを実は隣のテーブルに座る一人旅の女性からご馳走して貰ったもの
トスカーナのFabula Monteregio
サンジョベーゼ100% スミレの花の匂いがありサンジョベーゼらしい味わい、飲みやすくて美味しい。

お裾分けしてくれたのは、スイスのジュネーブで働いているロシア人女性で、とにかく仕事のストレスを解放するためにこのリゾートを選んだそう。
昨晩までは食事もお部屋で食べていたけれど今晩はダイニングに来てみたらしい。
人がいっぱいいるところは疲れるので行きたくないし、のんびりスパに行って、毎日エステを受けてリフレッシュしているそう。
時々こうやって休暇を取って、疲れを癒やしているそう。
「スパのメニューではねぇ、アンチエイジングのフェイシャルトリートメントが最高だったわ。翌朝、お顔がなんて言うかぱっと若返った感じ。お薦めよ~」と教えてくれる。
彼女からマッサージの上手な女性の名前を教えて貰ったが、私の時にもたまたま彼女が担当だった。
私はアロマオイルを使ったボディ・マッサージを受けたが、力強くて確かにうまい。

ローマ在住の友人キヤロラインの話しによれば、最近こうやってスパに通ってマッサージを受けるイタリア人が増えているそう。
仕事のストレスをマッサージで癒やすというのは都会で働くイタリア人の間ではちょっとした流行になっているそうです。

ふ~ん、なるほどね~、でも日本の旅館やアジアのスパの方が、こちらの4つ★ホテルよりもずっといいサービスしてくれるな~と、サービス先進国日本から来た私は思うのでした。


赤ワインと一緒に食べたのは、もちろん地元キアナ牛のステーキ
お肉本当に美味しくて、柔らかい。
ホテルのダイニングは典型的なトスカーナ料理とは違い、ひねりを効かし洗練されたお料理が毎回出てくる。
またパスタもお肉もポーションを小さく出して貰っているので、最後まできちんと完食。
給仕の黒服の男性が、細かく要望を聴いてくれるので、サービスの厚みを感じる。
このホテルの中で最もホスピタリティの心と技術を持っていたのは、この黒服の男性マネジャー?でした。
あとのレストランのスタッフは地元採用???とっても緊張してまじめに働いてました。
本当にまじめな感じで、一生懸命サービスを憶えることに必死な雰囲気が伝わってきます。
がんばってねと一声かけたくなるきまじめさで、微笑みません。
プライドを持ってけっして笑ってはいけないと言われているのかもしれません。

さて、今晩は静かな渓谷でぐっすりと眠ることになりました。


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フィレンツェ&トスカーナの旅④中央市場~プロカッチで休憩


メディチ礼拝堂、サンロレンツォ教会の通りには、市場があり、道にテントを張って沢山のお店がところ狭しとばかりに商品を並べています。
見ているとなかなかしっかり作られたバッグなどが80€くらいで売られていて、眺めながら歩くのも楽しい感じです。

市場で人がごった返す中を、メディチ家の礼拝堂を出て3分ほど歩くと、「中央市場」があります。
ここの建物には、野菜、ハム、果物、チーズなどの食料品店と、食堂がびっちりと入っています。
ここの商品は、普通のお店で売られているものよりももちろん割安。

見ていると旅行客も足を止めて飲み物を飲んだり、パニーニを食べていたりします。


ハムとチーズのお店、清潔でクリーンな感じ。おじさんが店員さんとのんびり会話しながら、ハムを買ってましたが、私を振り返ると「僕は彼の父親なんだよ、よく買いに来るんだ」と言ってました。
たぶん、家業なんでしょうね。

建物の2階は、通常青果を扱っているようなのですが、改修工事が入っているようで、多くのお店は建物の外側に出て、テントを張って開店していました。


とっても快活でテンポよくお薦めするお姉さんがいる青果とオイル、ワインを売るお店。
毎回「アローラ」と一声入れてから、テンポよくハスキーな声でお店の商品をちゃっちゃと押しつけることなくお薦めしてくれます。
ちなみにアローラとは、日本語だと「さぁさぁ、それじゃ」なみたいな言葉のようですが、接客上手のドンナはどこのお店でも、み~んなこの言葉を多用していました。
説明しながら、収穫されたばかりのいちぢくをさっとむいて、無料で食べさせてくれるタイミングも抜群、商売上手です。
ここで買ったオリーブオイルやワインなどは、ヤマトの宅急便などで日本に送ってくれるそう。ワインは1ダース送って確か90€でした。


ここのお店ではこんな風に乾燥したポルチーニやチェリートマトが売られています。
ポルチーニは、このまま水で戻さずにフライパンでパスタと一緒にオリーブオイルで炒めればOKだそう。へぇ~むむっ
このまま袋にバサっと入れて真空パックの状態にしてくれます。


あった、お目当ての黒トリュフのペースト。通常のショップよりもやっぱりお得な値段。
ハチミツとブレンドしたものなど色々あります。

さて、市場で果物やトリュフの瓶詰め、トマトやポルチーニを購入したので、お目当ての「プロカッチ」に行き休憩しようと。コーヒー
このお店はトルナヴォーニ通りに面していて、「中央市場」から歩いて10分位の場所にあります。
先ほどのメディチの礼拝堂の通りを抜けて、近くのバールでお兄さんに道を聞いて確認して目的地へ。


「プロカッチ」は1885年の老舗のバールで、日本人女性のスタッフがいました。
フィレンツェのお店には案外日本人女性の姿が目立ちます。フィレンツェに恋してそのまま住み着いちゃった人って多いのではないかと想像。


ここのお店は小型のパニーノが有名なようですが、特にこのトリュフクリームを挟んだパニーノは秀逸。ハート
自宅用に黒トリュフのペーストを購入したので、家でも作ってみよう!
それとここのグラスのシャンパン、とっても美味しかったです。
12時前からトリュフクリームのパニーノとシャンパン、あ~幸せを感じる、、、。


ちなみに、トリュフがあまり好きではない母は、ケーキを選ぶ。
甘さがやや控えめな感じで美味しい。


隣に座った地元の女性の食事を見ると、ガス入りのお水と白ワイン、それにプロシュートとパンの組み合わせ。
トスカーナのパンて、塩を使っていないのですっごく無味なんだけれど、塩気の強いプロシュートと食べると美味しいんです。
トスカーナの料理はおしなべて塩味が強いお店が多いのですが、パンに塩を使っていないせいなのでは、、、とも思います。
日本人がご飯炊くときにお水だけで炊くのと同じなのかもしれません。

さて、プロカッチで休憩した後、トルナヴォーニ通りに出て歩いていると、すごくステンドグラスがきれいな建物を発見ねこ

ピンク色と黄色が可愛いステンドグラスに思わず写真撮影。


その後、家庭料理の「マリオーネ」でお昼を食べる。
知り合いから推薦されたジェノベーゼのパスタを注文すると、デンとテーブルに荒っぽく大きな一皿が置かれた。
母はそのデンという置き方にびっくり。
ジェノベーゼの濃厚ソースがたっぷりと絡められたパスタは、一人では食べきれる量ではない!!!!
写真ではわかりにくいのですが、パスタの幅が広く、実際の目の前に出てきたパスタは2人前はあるような感じです。
すでにトマトのサラダなどを食べていた私の胃には入らない。(まぁその前に食べたパニーノも効いてますけどね)

この体験以降、私は全てのお店で「ハーフ・ポーション(半分の量)」で注文することを慣行することになります。
一度に一つのものを沢山食べるより、複数のものを少量づつ食べることに胃が慣れているので、どうしても前菜に一皿+パスタもしくはお肉ドカ~ンというスタイルに慣れませんでした。

旅行 : 09:34 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナの旅③メディチ家の礼拝堂

「リカルディ宮」を出て、再び「サンロレンツォ教会」の方角に戻り、その裏にある「メディチ家の礼拝堂」へ向かう。

ちなみにこの写真は、サンロレンツォ教会の内部。

「メディチ家の礼拝堂では」入り口で一人6€を払う。
「リカルディ宮」では一人7€だったけれど、母の年を聴かれて無料になったので、一応「メディチ家の礼拝堂」でも確認してみたが、こちらはフィレンツェ在住でないと高齢者特典はないらしい。

この礼拝堂は「サンロレンツォ教会」の後ろに繋がって建てられている。
右側が「君主の礼拝堂」、左側が「新聖具室」。


歴代のトスカーナ大公の墓所となっていて、8角形の礼拝堂は床も壁も大理石や高価な貴石がふんだんに使われていてとっても豪華。
豪華といっても、墓所ということで使われている石は茶を中心とした大理石で渋く重厚な感じです。
この礼拝堂も外側からは分からないけれど、内部に入ると空間の広さとその贅沢さに圧倒されてしまう。
老コジモの時代に計画され、建築がスタートしたのはその次男フェルディナンド1世の時代から。
多量の石を使ったので、「貴石加工所」がこの時代に創られます。

フィレンツェのこういった名所や館を訪れていると、様々な色の大理石の美しさもさることながら、ラピスラズリなどびっくりするくらいの分量を使って飾られた壁や家具、壺などの装飾の贅沢さに驚いてしまう。ピッティ宮でも信じられないほど細やかで精緻な貴石を使ったモザイクのテーブルなどを数多くみたが、一つづつじっと目をこらして眺めていると時間が足りなくなってしまう。


ずっと上を見上げていくと、クーポラに細やかに書き込まれた天井画と八角形の形に従って配置された窓が見える。
この天井画はピエトロ・ベンベヌーティの19世紀の作品。
この八角形の形に従って建物内部の柱も全てデザインされている。


柱の基盤に入っている「フィレンツェの紋章」。柱には16都市の紋章が入っています。
色調を落とした渋い大理石の中、この紋章には華やかな色の、ラピスラズリ、アラバスタ-、珊瑚、真珠などが使われています。
大公棺の下に16都市の紋章を位置することで、大公の支配を表しているそうです。


この霊廟の隣の部屋「新聖具室」に行くと、そこにはミケランジェロの彫刻が並んでいる。
この写真の一番左がロレンツォ・イルマニーフィコ。

イルマニーフィコとは日本語では「豪華王」とか「偉大なる」と訳されているけれど、ロレンツォはメディチ家が築いた莫大な富をもとに、多くの芸術家達を支援した人。メディチはロレンツォの祖父となる老コジモの時代から富を築いてメディチ家の基盤が固まり、フィレンツェにおける芸術の支援・振興を行っている。
そしてロレンツォの時代にさらに華やかにルネッサンス芸術が華開いていくことになりますが、ご本人はこの像をみても分かるとおり、あまり美男ではないのです。他の彫刻の写真やデスマスクをみてもやっぱりごつい顔でロマンチックな容姿ではありません。ですから「リカルディ宮」のゴッツォリ作の若い頃のロレンツォの姿は、かなり美化されている、、、と感じてしまいます。説明されなければ、想像できてもロレンツォとは分からないと思ってしまいます。
でもロレンツォ・イルマニーフィコはその名に恥じない、歴史を動かす力を持った人物で、彼の人柄をベースにした外交手腕(富もありますし)と強烈な運の強さ無くして、フィレンツェは当時の数多くの都市国家の中で栄華を放ち、影響力をふるうことは出来なかったと思います。そしてそういう孫を育てた老コジモの教育も素晴らしかったのではないでしょうか。塩野七海さんの本など読んでいると、ロレンツォは若い頃から外国の王と謁見するような場への同行を許されて、諸国の王や力のある人たちとの社交や交渉を現場で学びます。まさにエリート教育。
しかしながら、ニコロ・マキヤベリが危機感を感じ強く自軍を持つよう提唱していたように、自軍を持たなかったフィレンツェは、フランスなど諸外国の庇護を受けなければならず、強運に恵まれ外交手腕を発揮したロレンツォの死後は、都市国家としての国家運営はだんだんと先細り的になっていきます。
一人の秀でた才能ある君主の能力によって、国家運営がぐらつくようでは宜しくないのですが、商業的には成功しても国家として機能し続けるシステム(特に安全保障に関するもの)がフィレンツェには欠けていたのですね。
マキヤベリがプリンチペ、「君主論」を書いたのは、そんな時代のフィレンツェで、官僚という仕事柄、諸外国に出向き、他国の王や人々、商人達と話してフィレンツェを外側から見ることの出来た彼は、いつでもすぐに自衛できる自軍を持たず、だんだんと先細りになる優柔不断で決断力のないフィレンツェを案じ、きっと歯がゆかったのでしょうねぇ。だから、冷徹でワンマン、自軍を率いて戦うチェーザレ・ボルジアに理想の君主の姿を見たのだと思います。


ミケランジェロ作のネムール公ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑「昼と夜」


ミケランジェロ作のウルビーノ公ロレンツォ・デ・ミディチの墓碑「曙と黄昏」
亡命中に亡くなった当時のメディチ家の当主。

しかし、なぜミケランジェロがロレンツォ・イルマニーフィコや老コジモではなく、わざわざネムール公やウルビーノ公を彫ったのだろう?と思いますが、政治的な意図があったようです。
時の教皇クレメンテ7世が、彼ら二人の少年を社会的に後押ししたためと言われています。


旅行 : 07:24 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナの旅②サンロレンツォ教会からリカルディ宮へ


朝、ホテルを出てレ・プッブリカ広場を抜けて「サンロレンツォ教会」まで歩く。
ここは歴代メディチ家の菩提寺である。目立つことを避けたメディチ家だが、ドナテッロ、ブルネルスキ、ミケランジェロなどの芸術家を起用している。簡素な石積みの外部に反して内部の意匠は見事。


「サンロレンツォ教会」の後は、今日のお目当ての一つ、「メディチ・リカルディ宮」へ。
メディチ家の人々が暮らした場所である。
1444年にコジモ・デ・メディチの依頼でミケロッツォが設計、ほぼ正方形のプラン。その後16世紀後半にリッカルディ家が所有し、現在のカブール通りに面した部分が大きく延長された。
フィレンツェの市民感情を刺激しないよう、1階は城塞のように粗々しい石組みとなっているけれど上の階は滑らかな外観を持っている。


内部に上がって2階に行くと、ゴッツォリ作の「ベツレヘムに向かう東方の3賢王」の見事なフレスコ画が、礼拝堂の三方に描かれている。
フレスコ画がとても良い状態で残っていて、実在の人物が描かれているので興味深く眺めてしまった。
中央の若い王様の後ろに続くのがメディチ家のメンバーです。
後方の茶色のロバに乗っているのが「大コジモ」、その右隣で白い馬に乗っているのが息子の「通風持ちのピエロ」(ロレンツォ・イルマニーフィコの父)。

描かれた豪華な行列の中央の若い王様が、美化された少年時代のロレンツォ・イルマニーフィコです。
残された肖像画や彫刻とかなり違うので相当美化されて描かれたものと感じます。


フィレンツェの美しい館を見ていて思うのは、シャンデリアのこの美しさ。
美をどこまでも追求しようというあくなき姿勢を感じてしまいます。


ルカ・ジョルダーノのギャラリー、華麗で見事な天井画と装飾、そこにフィリップスタルクのモダン家具の椅子が並べられしっくりと調和しているが印象的。


この天井画の淡いブルーの色調の美しさ。


フィリッポ・リッピ作の「聖母子」


「四季の部屋」会議場として使われているようです。


中央には中庭があり、レモンの木などが植えられています。


近づいて見ると、緑色してますがレモンがちゃんとなっています。


中庭の石畳もきれいにメディチ家の家紋がデザインされて、敷かれています。


これがメディチ家の家紋の画像です。丸い玉のようなデザインは「丸薬」もしくは「お金」を示しているということです。
メディチ家はルネッサンスの時代、金融業で莫大な富を築きますが、もともと薬屋としてもお金を稼いでいた?
そういえば、昔、英語のメディスン(薬)はメディチという語源から来ていると聞いたことがあります。



旅行 : 00:56 : comments (x) : trackback (x)
フィレンツェ&トスカーナの旅①


フランクフルトから飛行機を乗り継いでフィレンツェに到着。
ちょうど陽がが沈みかけてくる時刻なので、シニョーリア広場を抜けて、紹介されたトラットリアへ向かう。
正面はベッキオ宮。ちょうどこの日は中秋の名月、満月の夜


Birreria Centraleというお店、テラス席まで人が溢れている。
地元の人や観光客など半々くらいの感じ。
途中から道に迷ってしまったため、お店の人に迎えに来て貰った。


時差ぼけでややボ~っとしていたけれど、初日の緊張感もあって眠気はあっても目はしっかり開いている。
しかしながら初日の夜って、あんまり食欲が湧いてこない。
時差があるので、ちょうど日本時間でいえば夜中の2時頃、だから食欲が湧かなくてもおかしかくない、、。
とはいえ、メニューを読む目は真剣そのもの。
パキパキ、テンポよくお薦め上手のお店の女の子のご推薦に従って、ブルスケッタなどミックスで盛り合わせた前菜を一人前。
出てきてびっくり、一皿が大きい~ぎょ


お店の名物料理らしい「ニョッキ」も注文
いくつかの種類を迷った末、ブルーチーズなど複数のチーズをミックスしたソースと、バルサミコを使ったソースと2種類を半分半分でオーダー。
この濃厚なチーズソースは、かつて食べたことがない感じ。むむっニョッキにもとっても弾力があり、はじめて食べるニョッキの味です。
ローマにもこんなニョッキはないと聞きましたので、この店オリジナルなのかもしれません。

満腹になったお腹を抱えて母と歩く帰り道、ふと夜空を見上げると、この日は中秋の名月。


燦然と輝く満月が、ベッキオ宮のタワーの隣でものすごくキラキラ光っています。
こういうのが大好きな親子二人で「きれいねぇ~」とうっとりと足を止めて眺めてしまう。

周りには沢山の観光客がいて賑わっているのですが、見渡すと満月を愛でる人って少ない。
日本人ならではの感覚なのでしょうか。

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紅葉と行事好き

11月の第2週の週末は、7年前から始めたことがきっかけで、家族との紅葉旅行の日としている。

父が生きていた頃は、父と母と私の3人で出かけていた。
今年はそこに従姉妹二人と、姉が加わり女性5人の旅となった。



行事ごとは漏れなく慣行する母は、私と姉が子供の頃から誕生日に始まって
お節句、ひな祭り、七夕、お盆、お月見、クリスマス、大晦日とお正月をきっちり行い、そして何より供されるお料理作りとても張り切る。
特に大晦日とお正月のお料理には気合が入っていて、何日も前から準備に入る。
食材選びも、長年培った選択眼を通して、じっくり丁寧に行う。
ラストスパートに入りまなじりをあげて、せっせと大晦日とお正月料理に取り組んでいる母は気迫に満ちている。
こういう状態に入った母には、近寄って余計な口出しをしては決してならない。
トラの尾を踏むようなものである。必ず烈火のごとくの逆襲にあう。ぷんすかぎょがーん

しかし、より完成度の高い料理を毎年目指すがゆえのストレスは、
高齢になった今ではとてもきつく、毎年今回は作るのをやめようかと思ってしまうそうだ。
そんな話しを聞くと、高齢の母に無理をさせるのはいかにも切ない、、、。しくしく
「あ~もうそんな疲れることはやめて、今年は温泉でも行こうよ」と言いたくなるが、
なんとなく、この母の行事への取り組みを止めてはいけない気がする。
止めたら、ふっと気が抜けて、母が死んでしまったりするのではないかと思うからである。
現役時代バリバリに働いていた男性が、リタイアしたとたんガンが発病して死んでしまう話しは珍しくない。
いつか父と同様に母も死ぬ日が来るのは分かっているが、そんな日は永遠に来て欲しくないと願ってしまう。

母と亡くなった父は、寡黙な父とよくしゃべる母とで性格は全く違っていたが、食べることが好きな点は共通していた。
どこへ行くのも仲良くいつも一緒だった父と母。父は案外ちゃっかり姿を変えて、今年の紅葉旅行に参加していたのではなかろうか。


さてそんな行事好きの母に似たのは姉で、私はそれほど行事好きではないと思っていた。
旦那さんとの二人暮らしのせいか、豆まきも七夕も遠ざかったまま二人でやったこともない。

しかし、ふとわが身を振り返ると、
「夏の旅行」に加えて「紅葉旅行」、「年末のビジョン合宿」、「お花見」など、伝統的な行事ではないけれど、特定のイベントを継続して行い習慣化する傾向があるようだ。
そういう意味では、私も「母の子」なのだろう。
行事を絡めて美味しいもの食べて楽しむのが大好きなのだ。にかっ

ということで、今年の行き先は芦ノ湖と箱根である。
暑い夏で長く続いて、今年は駄目かもと思ったけれど、思ったよりもきちんと紅葉しているのが嬉しい。
箱根プリンスホテルの駐車場から芦ノ湖の遊歩道を歩くと、もみじに空が透けて見える。


福岡にお嫁に行った従姉妹は、この日を皆で楽しむために希少なフレンチ・ワインを持参
樹齢110年ほどの超古木から採れるぶどう(グルナッシュ)で、1本の木から1-3房しか実らないそう。
その極上ブドウを収穫直後、畑横にスタンバイした冷蔵庫で保存し、徹底的にぶどうの酸化を防ぐようにしているらしい。

わずか100ケースしか生産しないので、フランスでも入手困難なワインなのだそう。
生産者が大の親日家なので日本で限られたマーケットで限定的に販売しているらしい。ラベルも見ての通り、「日の丸」のデザインを意識している。

このワイン、個性的でした。
色はやや紫がかった赤でやや透明な感じ。
そして口に含むとスパイシーな、わずかにカルダモンのようなエキゾチックな香りがする。ブルーベリーにほんのわずかカルダモンをかけたような感じ。
タンニンが効いて渋みはあるけれど、かつスッキリと軽い飲み口なので、お肉にも刺身にもなんにでもあいそう。
私が過去に飲んだ中ではオーストラリアのシラーに近い気もする。
酸味が薄くまろやかな感じなので、日本人好みなテイストでは?と思ってしまった。
お料理を主役にすることを意識した作り手の意図を感じる。

さて、このワインを持ち込んで宿泊したホテル
「エクシブ箱根離宮」の和食レストラン「華暦」で食事を取った。
考えているとこの5人で夕食の席を囲むのは初めてのこと。

私が一番年下で、1歳上の従姉妹と3歳上の従姉妹、そして4歳上の最年長が私の姉である。
4人とも年齢が近く、子供の頃に家が近く一緒に育ったので、会えばお互いに遠慮のいらない関係である。
久しぶりの再会ではあっても、すぐに打ち解けて昔話しに花が咲く。

今回は従姉妹の一人の誕生日が近かったので、本人には内緒でシャンパンとケーキを用意してお祝いをした。
そういうお祝いごとも絡めると、共通の目的が生まれるためか一体感が高まり楽しさが倍増する。

「本人にビックリしてもらうから内緒ね」としていたのに、ややずれ気味な母は呑気に、
温泉から上がって「お酒は少し控えなきゃ」とつぶやくバースデーカールに向かって、「あ~ら、昌ちゃん、誕生日なんだから思いっきり飲んだっていいじゃない!」なんてのたまった。
秘密は苦手で何でも話してしまう母は健在。あうっ

しかし、この夜の「箱根離宮」の和食は、美味しかったハート
正直、エクシブの和食は、イマイチなケースが多く今まで敬遠していたけれど、「箱根離宮」は別、とても美味しい。
「旬の味覚盛り合わせ」帆立の紅葉合え、絹被ぎ、子持鮎甘露煮、唐炭大根、銀杏松葉串、栗渋皮煮、鯖鮨


特にコースの中で今回は、マツタケに対する「あら美味しい!」という声が沢山出たように思う。
マツタケの香りをとっても上手く引き出してきて、香りが抜群によい。
「干し貝柱スープ」松茸、鮑、冬瓜、鱶鰭、棒湯葉、短冊人参、針玉葱、酢橘


「甘鯛と松茸の奉書焼」
伊勢海老錦秋焼 九十蜜煮



その他
「カニ味噌豆腐」ずわい蟹、山葵、美味出汁
「刺身の四種盛り」生鮪、平目、車海老洗い、青利烏賊、生雲丹、大トロ刺身蒟蒻、あしらい
「秋野菜の煮物」海老芋、蕪、蛸柔らか煮、隠元、木の芽
「特選和牛ロースト」南京フラン、まこもたけ、フルーツトマト
「松茸ご飯」赤出汁、香の物
「デザート」


他のエクシブよりも、丁寧に美しく食材のベストの味を引き出し、かつひねった料理が多い。
しっかりとデザートまで食べて大満足。



ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2

ビジターにとっては中華レストラン「翠陽」のカジュアルランチはねらい目。
3800円のコースでかなり満足できること間違いない。
一般のビジターでもランチの予約は取れる。
「三種前菜盛り合わせ」


前菜の「たこのコリアンダーソース和え」
うっすらコリアンダーの香りを感じるが、それほど香りも強すぎず癖がない。
バジルソースのコリアンダーバージョンという感じで、お酒のつまみにピッタリ。


「蟹肉と冬瓜入りふかひれスープ」


春巻きの皮が薄くて軽くてパリパリでかなり美味しい
「芝海老とオクラの炒め物と春巻き」


かにと海老などの蒸し餃子
「熱々飲茶三種」

白い陶器の器には温熱剤が仕込んであり、食欲をそそるホカホカの湯気が立つ中、熱々の餃子を食べることが出来る。


マコモ茸と、ルイビ豚など三種のお肉
マコモ茸が大好物な私は目がハートにハート


そして麺かマーボー豆腐を選んで食べて、デザートへ


美しい眺め、美味しい食事を楽しんで、
親子2代+従姉妹の女系家族は、箱根の温泉宿を満喫。
姉が選んで用意してくれたシャンパンで乾杯し、バースデーソングを歌い、ケーキを食べて盛り上がった。

楽しいことは恒例化したくなる。

特に季節性のあるもの、もしくは年末など節目に行うとよいものなどは、
楽しいことに加えて必然性が生まれるので、恒例化する確率が高まるのだと思う。
また恒例化している行事があると、1年のサイクルに変化と節目を作るので、気持ちを一新しやすい。
大事な人と集う楽しさもあいまって、面倒でも企画したくなるのだと思う。

楽しい体験を人と一緒に共有できるとは、なんと幸せなことだろうか。
自分ひとりで楽しむよりも、相手も楽しんで喜んでいるのを見ると、自分の楽しさは倍化する。

イベントは、企画する人が一番幸せなのかもしれない。


旅行 : 18:38 : comments (x) : trackback (x)
再びニューヨークへ-人のエネルギー

6月の入院から早1ヶ月以上が過ぎてしまいました。
その間、バタバタしていたら、なんと7月は一度も更新せず。あうっ

さて、無事退院後、体調も無事に回復しつつあり、
暑い夏ですが、かなり元気に動き回っています。

何か無事退院というと、「じゃ退院祝いにご飯でも」とお誘いくださる方もいて、いったん落ちてしまった体重もジワジワと増えつつあります。

さらに7月は、夏休みを取って再びニューヨークに行く予定があり、
体調を崩したことで、大事を取って中止しようかとも思ったのですが、
結局2週間だった予定を短縮して、8日間の休暇に縮めて行ってきました。

7月4日、NYに到着してビックリ。
私達が滞在した7月の初旬のニューヨークも猛暑で、日中はなんと38度も。太陽
ただし、セントラルパークなどの木陰は涼しく、日陰を選べば38度あっても東京よりは過ごしやすい。
案外、ビルの日陰をつたって?倒れることなく歩けました。

朝はノンビリ起きて散歩に行き、途中でランチ、その後少し歩いて昼寝、また夕方から出かけるという日々を過ごしました。
東京-NY間のひどい時差を懸念して、病院で睡眠導入剤を処方して貰っていたので、今年は時差ボケもあまりなく、日中もスッキリオッケー

去年、時差ボケで日中ずっと〝ボ~〟っとした様子でゾンビみたいだったうちの旦那さんも、今年は元気に活動にこっ
日中も目を大きくあけて、どこにいっても好奇心旺盛な様子。
彼の場合、好奇心のレベルがマックス状態の時には、どこからともなくノートか手帳を取り出して、必死にメモを取ったりする。
今回はさすがに暑いためか〝メモ取り〟はしていなかったが、ホテルに戻ってから、なにやら必死に書き込んでいた。

ただ夕方になると、私よりも体重の重い彼は、暑さで疲れてややグッタリ気味。
ホテルのソファで大きな体を伸ばしている。
その姿は、まるで夏の暑さですっかり参ってしまい、床の上で伸びて寝ているレトリーバー犬のよう。

しかし、日が落ちるとすっかり暑さも薄らいで、外を歩くのが心地よい。
それとニューヨークは東京と同じく美味しいレストランの一杯ある街なのが、滞在の楽しみを倍加してくれる。
私の「鉄分補給=貧血回復」にも良いし、〝ニューヨーク・ステーキ〟を食べようということになった。

最初は、老舗のブルックリンにある〝Peter Lugar〟に予約を入れたのだけれど、
時間がかみ合わず、トライベッカにある〝Wolfgang's Steakhouse〟に決めた。
Tripadviserで、〝ポーターハウスの熟成させた肉はピータールーガーと同じだが、ウルフギャングの方がサイドのメニューが良い。ピーター・ルーガーを進化させた店”という多くの評価を見て決断。

前菜の牡蠣も美味しかったけど、お肉、とっても美味しかった。
Steak for Twoを頼むと、
バターでジュージュー焼かれた、たっぷりのフィレとサーロインが一皿に盛られてくるのが、お得な感じ。

取り分けて貰ったフィレとサーロイン

お店はトライベッカ店なので、ビジネスマンが多い。



レストランといえば、Blue Hill NY〟や〝The Modern〟も美味でしたハート
でもカクテルは、マンダリン・オリエンタル・ホテルのバーのアップル・マティーニが、超美味しい!ハートハート
あ~、また飲みたい~

ここにカクテルを飲みに行くなら、絶対にお奨めは夕暮れ時
セントラル・パークと夕陽に染まるビルが本当に綺麗....



でも、とっても懐かしくインパクトがあったのは、22年ぶりの〝21Club〟。


ここで私はタルタルステーキを、ちょっと血・肉湧き踊る食事でした。


21Club、殆ど内装が変わっていない、昔行った時のまま
そして、なんともいえない大人の雰囲気と活気に満ちていた。カクテル
長い時が経っても変わらず、色あせず、かっこよく、人気店として存在していることに感動。

このお店、禁酒法時代から続いてきているので、80年以上の歴史はあるかもしれない。

日本だと、こんな風に古くても色あせず存在している店ってあるだろうか、、、?
もしかしたら、古くからの暖簾を持つ、特定の料亭とすし屋だけかもしれない。

80年代に接待で連れて行ってもらったことのある、華やかで格式のあったお店に、
その後、懐かしさで再び訪れてみると、昔の活気や華やかさはなくなっていて、スタッフも何だか冴えずガッカリしたという経験が何度かある。
どこのお店も、それなりに営業は続いているが、当時の隆盛を保ててはいなかった。

多分、どこかで歯車が狂ってしまうのかもしれない。
パワーを失った店には、パワーを持った人は集まってこないものである。
結局お店の雰囲気は、内装や食事、サービスもあるが、きているお客さんの質とエネルギーで最後は決まるものなのかと、ふと思ってしまった。

だから尚更、21Clubの変わらずの華やかさを体験して感動してしまった。
20代で体験した興奮を、同じお店で40代になっても追体験できるなんて最高である。
そんな体験をさせてくれたお店に感謝。

私に負けずミーハーな旦那さんは、
「この店、いい!アっ!フミちゃん、フミちゃんのすぐ隣の席はベーブルースの定席だったんだよ!」と興奮。
子供に戻って、無邪気に盛り上がっている。

そういえば、
「やっぱり、またニューヨークに行きたい」と主張したのは、うちの旦那さんだった。
なぜ、この人は3年も続けてニューヨークに来たいと思ったのだろう...

旅の途中で、ふとその理由を深く追求してみたくなった。

ワインバー"Morrell"で、シャンパンを飲みながら
「ね、どうして、ニューヨークなの?」

「だって、ここには淀んだものから始まって、色んなものが渦巻いているじゃない」

「色んなものが渦巻いているって?」

「人間が本来持っている欲望みたいなものが、全開になって溢れているっていう感じだよ」

「欲望が溢れて全開になっている街の何がいいの?」

「う~ん、その溢れたエネルギーを肌で感じて、刺激を受けるっていうのか、興奮するんだよね」

そうだったんだ
彼は今回の休暇に、ある種の刺激と興奮を求めていたんだ...。

どおりで、海辺の静かなリゾートを提案しても、いきたがらないはずだと納得。

夫婦でも、やっぱりよく聴いてみないと分からないことって多いもの。
身近でよく知っている相手だからこそ、ふ~んて聞き流し、深く掘り下げて聞いたりしないし。

でも、確かに
猛暑の今年の夏は、ニューヨークで蓄えたエネルギーで乗り切れそうな予感オッケー



旅行 : 11:36 : comments (x) : trackback (x)
鳥羽から奈良へ 3日目

伊勢について3日目の朝、ラウンジで朝食をとる。
本日も天気が良い。太陽
F女は目ざとく母のターコイズのブレスを見つけ、
「お母さん、素敵ですね!」と褒めてくれる。


F女はぜひ"鳥羽国際ホテル"に立ち寄ってから、鳥羽を出たほうがいいと言う。

昨晩鳥羽の町で食事をした他の3人は、食事後、Y女史の案内で、眺望が素晴らしいという彼女のお気に入りのホテルに行ったそうだ。
ただし残念なことに、日もトップリと暮れた後だったので、肝心の眺望は見えなかったらしい。

「鳥羽国際ホテル」に到着してみると、お奨めした理由がよく分かりました。
立地が良いため、本当に眺望が素晴らしい!

みな、身を乗り出して左側サイドの鳥羽の海の景色に見入っている。


右側サイドをみれば、鳥羽の港と町も見えます。


つまり、ラウンジの広がった窓から、広がる鳥羽の海と町の両方が見える。


表のデッキに出てみると、更に景色がうーんと広がって見える。


天気もよくて暖かく、ここでコーヒーを飲んでしばらく鳥羽の景色を堪能。
次回来るときには、この鳥羽国際ホテルのオーシャンウィングに泊まるのもいいなぁ...。


鳥羽10:36発の近鉄特急に乗って奈良へ。電車
ただし、途中「大和西大寺」の駅で、乗り換える必要があるのですが、
チケットを見ると乗り換え時間が1分しかない...。がーん

車掌さんに確認すると、乗り換えの電車はホームが違うので、
階段を上って高架の橋を渡らなくてはならない。
とりあえず、私が自分と母のスーツケースを持ちダッシュ。ダッシュ
その後に母がついてくる。ダッシュ
そういえば、2年前のローマのテルミニ駅で、フィレンツェ行きの特急に乗るのに、同じようにして母と走ったことがある。

あの時も間に合ったが、今回も何とか間に合った。むむっ
やれやれ....

しかし、奈良までいく電車に乗っていて
とても興味深いのは、近鉄線が「平城宮跡」の中を横切っていることである。
高架もかけられないし、地下も掘れないだろうから致し方ないのだろう。
クリックして図を開いてもらえば、どう横切っているかが分かる。

電車に乗って窓の外をみると、
遷都1300年で復元された「第一次大極殿正殿」などが見えてくる。

ボックス2太陽ボックス2太陽ボックス2太陽ボックス2太陽ボックス2太陽ボックス2太陽


奈良駅では、MKの運転手さんが出迎えてくれていた。
森村展夫さんという上品なおじいさんである。
実は森村さんに観光をお願いするのは、京都も入れると今回で3回目となる。

さて、その森村さんの案内で、まずは「唐招提寺」へ


唐招提寺は南都六宗の一つである「律宗」の総本山です。

幾たびかの苦しい航海を経て、
日本に仏教者に戒律を授ける「導師」として招聘された鑑真大和上は、
759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
それが「唐招提寺」の始まりで、当時は「唐律招提」と名づけられ鑑真和上の私寺でした。

当時はきちんと「戒律」が整備されていなかったので、
勝手に出家得度する人とか、グチャグチャして困ったことになっていたのでしょう。

5回目の渡航で弟子に死なれ、自らは失明してしまい、
6回目の渡航でようやく日本に辿り着けたとき、鑑真和上は既に66歳。
ものすごく深い信仰心と意志の強さがなければ、できないことだなぁ...と感じいる。

手前:金堂、左:講堂 右:鼓楼(仏舎利が納められている)


ちなみに、中国の主席などの要人は、来日すると必ず唐招提寺に来られるそうです。
共産主義ゆえに拝んだりはしないのかもしれないが。

「金堂」の前で母と記念撮影
金堂には、本尊の「乾漆の盧舎那仏(るしゃなぶつ)」、「薬師如来」、「先手観音」などがある。
「先手観音」はかなりインパクトがあり、目を奪われてしまう。


この日の奈良は、初夏のようにお天気がよく暖かく、桜がまた綺麗...


そして、次は「薬師寺」へ
薬師寺は法相宗のお寺で、檀家を持たないお寺である。
(お参りする人には行事への参加や自宅での、「写経をお奨め」していますが、写経による寄進によって建物が復興されています)

ここは、薬師寺に入る手前にある「薬師寺休丘八幡宮」である


明治維新で、廃仏毀釈が行われるまで日本の神社とお寺は一体だった。
という訳で、薬師寺にも鎮守として神社があるとのこと。


ちょっと「へぇ~」って感じなお話しであるが、
もともと、神社とお寺が一体だったというのは、両宗教間の対立を避けたのか、わりと左脳的説明というか説法のある仏教が広まったことで、天皇が神社の位置付けを明確にしたかったのか、何かあったのかもしれませんね。
実は、明治の廃仏毀釈以降で寺院が神社を管理するという形態が残っているというのは非常に数が少ないそうだ。
薬師寺別当の栄紹法師が僧形八幡神、神功皇后、仲津姫命を勧請したのが始まりのようである。

さていよいよ「薬師寺」の伽藍へ
写真は薬師寺の「東塔」(とうとう)(国宝)である。


薬師寺は飛鳥にあり、710年平城遷都で現在の地に移ってきたといわれている。
建立当時は、「龍宮造り」と称えられるほど華麗な伽藍を誇っていたそうだが、
度重なる消失で当時から現存しているのは、上記の写真の「東塔」だけである。

玄奘塔は始祖・玄奘三蔵(西遊記でおなじみの実在の僧侶、三蔵法師)の舎利(遺骨)を納めている。
また法相宗は2つ大本山があり、もう1つは興福寺である。

森村さんの説明が面白い。
薬師寺の塔は、一番高い「東寺の五重塔」や、一番古い「法隆寺の五重塔」のように、データによるはっきりした一番がないのですが、薬師寺のお坊さんは「日本で一番美しいのが薬師寺の塔です」というそうである。
やっぱり「一番」と回答できるのは誇りだし、言われたほうも記憶に残りますよね。

金堂」では、
「花会式」(はなえしき)修二会(しゅにえ)とよばれる薬師寺で一番大きな行事が行われている最中で、法要が執り行われていました。
修ニ会とは奈良の大寺が国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事だそうです。
900年以前、時の堀河天皇が工房の病気平癒を薬師如来に祈り、霊験を得て回復した御礼として、三尊に造花を供えたのが「花会式」のはじまりとされています。



金堂前に設置されたスピーカーから、
朗々と力強く「薬師悔過法要」のお経をあげる声が流れている。むむっ
「金堂」の中を見れば、10名のお坊さんが声をあわせてお経をあげている。
時に大きく声をはりあげたり、節回しに変化のある独特の読経で迫力満点である。

ご本尊には、10種1700本の手作りの造花が宝物が供えられていて、にぎにぎしく色鮮やかである。
花弁は和紙を使い薬効効果のある草木で染色するなど、寺にゆかりの深い農家で、昔ながらの方法で丁寧に作られるそうです。

梅、桃桜、山吹、椿、牡丹、藤、百合、杜若、菊の造花はどれも精緻で生花の美しさや生命感を表現しつつ、薬師如来の須弥壇(しゃみだん)の荘厳具として、王朝の雅を表現しています。
その鮮やかな色を見て、ふとタイのロイカトンのお祭りを思い出してしまった。

そして「大宝蔵殿」では特別公開が行われていたので、母と二人で鑑賞することに。
奈良時代のお坊さんの筆による般若心教などの書が展示されているのだけれど、その字がとても力強く美しい。
しかも、当時は皆巻紙のまま"立ったまま〟書いていたそうなので、驚きである。ぎょ

さて、薬師寺の次は、「東大寺」へと移動した。
桜の季節もあり、市中へ向かう道はとても混んでいる。

車の中で母の修学旅行の話しを聴いた。

母が、就学旅行で京都、奈良、伊勢を訪れた60年前は、戦後の物資の少ない時期で、
学生はそれぞれみな決められた量のお米を持って出かけたそうだ。
14日間という初めての長期旅行の準備で荷物がかさんでしまい、
母は両親から赤い金属製のトランクを買ってもらい、その中に着替えとお米を詰めたらしい。

かなり昔のことゆえ、すっかり奈良の旅の詳細は思い出せないらしいが、
「若草山」近くの旅館に泊まり、皆で手を繋いで若草山に昇ったことを今でも憶えているそうだ。

現存する最大規模の木造建築の「東大寺」



伽藍(がらん)を進んでいくと、金堂の周辺は外人観光客も多く、かなり混雑している。


大仏殿の金堂に近づくにつれ、その大きさに圧倒される。
焼失のための過去の建て替えの度ごとに規模が小さくなっているとはいえ、とてつもない大きさである。
後ろにいる外国人の "So beautiful...."と感嘆をもらす声が聞こえてきたが、まさに同感。

奈良のお寺では、京都と違い写真のように「灯明」が必ず中央に存在する。
京都は左右に灯明があるそうだ。
奈良では仏様を照らすという意味で、中央に置くことになっているらしい。

巨大な「奈良の大仏」片方の手には大人が9人くらい乗れるとのこと。


大仏の右にある「多聞天」


二月堂に向かう途中、鹿におせんべいをあげたら、
ワラワラとよってきて、ちょっと怖かった...


東大寺の「二月堂」京都の清水寺と同じ作りになっている。


奈良公園の「鷲池の浮見堂」桜が咲いていて風雅な感じ


猿沢池から「興福寺の五重塔」を眺める


3日間、本当に楽しい旅でした。



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