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2011-09-04 Sun
過去の歴史や偉人伝を読むことで、今を生きるヒントを得ることがありますが、今回は、その中で、パクス・ロマーナを実現し1000年以上続いたローマ帝国の礎を築いたリーダー、ガイウス・ユリウス・カエサルこと、ジュリアス・シーザーのことを書きたいと思います。
時は経ても、戦乱の世を勝ち抜いたリーダーから、変化と競争が厳しい社会に生きる今のリーダーが学べる要素は沢山あります。
シーザーが、なぜ、多くの部下を従えて、ローマを出て困難なアウェーでの戦乱を勝ち抜き、新しい世界を切り開けたのか、今回は4つのことに的を絞って書きます。
一つ目:シーザーには実現したいビジョンがあり理念があった
シーザーには、大きな野望があった。
「野望」と聞くと、何か出世欲に駆られたドロドロしたイメージがあるけれど、野望も遠大で大きなものになると、社会全体が良くなり、多くの人がその恩恵を与ることになる。だから大きな野望は、皆にとっての理想であり「ビジョン」となる。人はそんな未来を見せてくれる、信じさせてくれる人を、リーダーと感じる。そしてそのビジョンに向かって自分もついていきたいと感じる。
シーザーは遅咲きながらも、執政官を勤め、やがて大きな野望、「ビジョン」を持つようになる。
そのシーザーのビジョンとは、「ガリア地域(古代ガリアはピレネーとアルプス両山脈、ライン川、大西洋に挟まれた全域で現在のフランスより広い)の不安定さを取り除いて平定し、ローマを中心とした安定かつ繁栄した西方社会を創る」というものである。
つまり、みんなが安心して平和に暮らせる社会を創りたいと願ったのである。
それは都市国家としてのローマの平和とどまらず、ローマを中心にした西方社会全体の平和という大きな枠組みの概念となる。
若い頃に、ローマを追われて海外で暮らす日々があったからかもしれない。面倒をみてくれる人がいたとはいえ、不安定な状況で、ローマを眺めていたから見えるものがあったかもしれない。
シーザーは人が見通せない未来を先読みする目を持っていた。そしてその未来社会の価値が分かるがゆえに、自らがしていることに確信を持ち、何があってもその理想をあきらめようとは思わなかったのだろう。遠征地で苦しい戦役の生活を続け、最後の勝利に向かってどんな困難な状況下におかれても前を向いて前進した。
シーザーのそのガリア遠征によって、最終的にアリシア攻防戦でブリタニアを含むピレネー山脈からライン河にいたる地方の歴史は出来上がることになる。つまり現在の「ヨーロッパ」はここから出来上がったといえる。
ちなみに欧米の学生達は古代ローマからローマ帝国の歴史をみっちりと学校で学ぶようになっている。ニコロ・マキャベッリの「君主論」などもきっちり学ぶ。3月15日はジュリアス・シーザーの誕生日であることは誰でも知っているらしい。こういった歴史教育は自国のエリート教育として必要不可欠なものとなる。なぜなら自民族の歴史や成り立ちを学ぶことで、誇りを持つ人間が育つことになる。また西洋文明の起点を理解することで、世界全体から地域が受ける影響、また地域が世界へ与える影響といった、世界全体の相互の影響を感じ取ることができる。(この歴史教育を受けた時点で、西欧社会の学生たちはすでに日本人よりも地球を小さく感じるのではなかろうか?また自分達の先祖が文明社会を築いたという強い自負心が生まれるだろうと思う)
海外に赴任し欧米人の部下や上司を持つ可能性があるならば、エドワード・ギボンの『ローマ帝国滅亡史』などは必読書の一つだと思う。
二つ目:情報を集め、人や物事をよく観察し、人間の本質を理解していた
シーザーは人が誰もが違う世界観を持っていることをよく理解していた
シーザーは、「人は誰しもが同じ1つの現実を見ているわけではなく、様々な自分の思惑というフィルターを通してしか現実を見ていない」ことをよ~く分かっていた。
だから視点を変えて相手の立場にたって物事を考えることができ、その能力は後々多くの場面で、問題解決を進める力となって顕われてくる。
例えば互いに協調せず、部族間で争いを続けていたガリア地域の人々をまとめ、部族間で戦いを起こさない仕組みを考えることができた。また外交の交渉でも、相手がどのような条件であれば満足し、こちらも利益を得ることができるのか、Win-Winの落としどころもよく分かっていた。
だからこそシーザーは、勝つための情報(インテリジェンス)収集の重要さを知っていた。どの地域においても必ず相手方の情報を部下を使って十分に集めて分析し、ことに臨んでいたのである。
さらに文明がない社会では、人が豊かな生活を体験することができず、戦争を起こすきっかけを作ると理解し、平和な社会のインフラ(水道、街道、公共施設、住居、神殿)や工芸品(絵画、彫刻、食器)や文化(居酒屋、劇場など)を輸出することで、平和を享受できる環境を創り、戦争を回避したくなるような環境を創っている。
ガリア遠征中に、自分の政敵となる反シーザーで強行な元老院議員を父に持つクリオを、なんと自分の味方とするために護民官として選び、クリオを説得するための手紙を書く。シーザーは、クリオの演説やその他の情報で、この青年が「何かをやりたい強い意志」の持ち主であることを察っしたのであろう。
シーザーは、そのような性格の青年ならば、遠大な理想を明示し、それを共有することを理を踏んで説く正攻法で臨めば説得も可能であると理解したのである。そして実際にそれは成功する。シーザーはその種の手紙を書く名手でもあった。シーザーは相手の心理や欲するもの、願うものを理解しWin-Winのパートナーシップを構築していく達人、「天才」であったと言える。
余談ですが、シーザーはうっすら禿げていても女性を口説くのが上手で、ポンペイウスの妻まで口説き落としてしまう、とんでもない「女たらし」であったことも有名です。この天才は女性の心もよ~く分かっていたのだと思います。
三つ目:勝利のために新たな発想で柔軟に対応した
「シーザーはプロの軍人ではなかった。誰もが思いつかない戦略や武器、戦術を発想し実行できた」
先に遅咲きと書きましたが、シーザーが「執政官」となり、戦役で実力を発揮し活躍し始めたのは40代に入ってからです。
しかしプロの軍人とは違い、過去に戦争でのパっとしたキヤリアのないシーザーは、だからこそ新しい発想を取り入れることができたのかもしれません。
当時のローマ軍団は、軍人ではあるけれど、そのほかにも橋をかけたり建物を作ったり、舗装して街道を造ったりなどできる「土木建築の技術も持つ職人」でもありました。
城門を硬く閉ざし篭城している敵を囲んで、木材を切り出してセッセと何やら城壁を登って渡れる、見たこともないような攻めのやぐらや武器を作ったり、幅が大きく深い川を挟んでいるからこちらには渡れまいと油断している敵の目の前で(実はシーザーの兵隊たちも渡れまいと思っている)、号令をかけて橋を作ってかけるなど、戦う前にその技術力を目の当たりにして「見たこともないものを作るローマの軍隊恐るべし、、」とメンタル面で降参し早くから白旗をあげた敵は少なくなかったと思う。
戦わずして勝利を手に入れることができ、自軍の武将の命を危険にさらすこともない。
さらに戦争で勝つには機動力が必要となりますが、自軍の数倍の規模の部族と戦う時にも、機動力を高めるため、馬に乗れない歩兵を敵から見えないように騎馬隊の後ろに乗っけて運びカバーするなど、奇想天外な戦術を繰り出し、”戦の素人”が少ない自軍の武将を従えて、多勢の敵をけちらし、敵も味方もあっと驚く「連戦連勝」を続けたのである。
そしてこの「連戦連勝」によって、着実にガリアの平定を実現していくシーザーの姿に、ローマ市民のみならず、反シーザーの元老院を親に持つ両家の子弟たちも、熱く熱狂していくことになる。
四つ目:人を動かす説得力をもっていた
「シーザーは人の心を動かす言葉と表現力を持っていた」
古代ギリシャのリーダー教育の一つに「修辞学」がある。その中に説得力の3つの要素「エトス・パトス・ロゴス」がある。古代ローマのリーダー達が、人々の心を動かすために学んだ技術であり必須のため、シーザーも学んだであろうと思う。
この3つの要素を簡単に説明すると、
1.「エトス」は人から信頼される要素
2.「パトス」は人の感情や感性に訴えかける要素
3.「ロゴス」は論理性である。
シーザーはこの3つの要素を持ち合わせている。
彼の部下のローマ兵たちは、絶対絶命の苦しい困難な戦況に追い込まれ「あ~、もう故郷に帰りたい」と弱気になっても、シーザーの弁舌を聞いた後には、ガラリと変わって「シーザーに着いてどこまでも戦うぞ!」と涙を流して誓うのである。
現代のビジネスマンは、ロジカルシンキングなど論理について学ぶ機会は多いと思う。しかしながら、世界全体の経済が繋がり影響し合い(アメリカ、中国、ヨーロッパの不景気=日本の大不景気)、新興国の台頭によって、益々生き残りの競争が厳しくなった”逆境”を生きなければならない時代には、ロゴス(論理)だけではなく、シーザーのようにエトス(信頼)、パトス(感情や感性)のような精神的、感情的な側面に訴える要素を発揮しなければ、部下の意欲は上げられないと感じる。
そういう意味では、ビジネスパーソンがこれからマネジメント能力を発揮していくためには、心理学を学ぶべきだろう。人を知ることがピープル・ビジネスである。
以上、ジュリアス・シーザーのリーダーシップについて私なりに4つの要素を列挙してみましたが、その核にあるものは、シーザーの確固とした「理念とビジョン」そして「人間理解」であり、この2つに他の要素が連動して高まっているのではないだろうかと感じます。
そういえば、今年参加したアメリカでの「ASTD」という教育の世界最大のカンファレンスで、最も印象に残った基調講演はダグ・コナントとメッテ・ノルガードの二人によるものでした。
彼らは、明確な「理念とビジョン」と、タッチ・ポイントという「人間理解」をもとに、現場の人々を意欲ややる気を高め、衰退の一途を辿るキャンベル社の改革に成功した。
古代ローマで上手くいったことは、今でも十分に使えるのである。
by bandoh
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2009-07-16 Thu
なかなか好きな男性が現れないと言っていたアラフォー友人A子に、最近、好きな人ができた。
それを聞いて「恋愛ホルモンが来た!」と喜んでいる私。
恋もせず、ものすご~く仕事に没頭していた時期のA子とは雰囲気がやっぱり違う。
何だか、乙女のようだ。
いつもは、率直でクールな語り口のA子も、
話しが、好きな男性のことになると、
うつむいたり、なかなか言葉が出てこなくなったりと、180度態度が変わる。
かなり、可愛らしい...?感じである。
しかしながら、A子はまだ相手に告白をしていないし、
二人っきりで食事に行ってもいない。
仕事に対しては、ものすごく積極的だけれど、
恋に対しては、消極的となるようだ...。
ちなみに彼女が好きになった相手は、年下で、彼女の方が地位や給料も高い。
そして最近、また出世した彼女は、更に彼との距離(年収?)が開いたとも言える。
う~む、こういった"差"について、一般的に妙齢の男性はどう思うのだろうか???
先日、A子と私、他の二人の"女性の先輩"を誘って、4人で食事に出かけた。
お誘いした女性の先輩達は、仕事ができて、かつ二人とも恋愛能力も高い美人である。
片方の先輩は、妖艶で女優のソフィア・ローレンのような雰囲気を持っている。
そういえば、ソフィア・ローレン似の先輩は、
日本人の男性にもモテるが、外国人男性にもよくモテる。
大体、外国人男性の「恋愛ホルモン」の反応は分かりやすい。
美しいソフィア似の先輩と話しだすと、彼等の瞳は、パっと大きくなり、そのうちキラキラと光りだす。
さて、その夜の4人の話題は、当然、最近のA子の恋の話しとなる。
「え~、Aチャン、好きな人できたの~!」
「おめでとう!!」
と皆で声をそろえて、ひとまず乾杯
その言葉に、嬉しそうな顔をしながらも、恥ずかしそうにうつむく友人A子。
(あっ、また別人化していると思う私。)
「でも、あの~、実は、私まだ一度も二人で出かけたことがないんです...。」A子
「あら、そうなの~、それは出かけないとね。」
「そうなんですよ!だから、今度、思い切って"銀座に一緒に行かない?"って誘うかと思っているんです。」
と目を大きく見開きながら宣言するA子。
すると..
「Aちゃん、駄目よ、それは。」とキッパリ告げるソフィア似先輩。
「エ~、どうしてですか??」と声をそろえて驚く私とA子
「だって、"銀座に一緒に行かない?"っていうのは、
あなたがイニシアチブを取って決めてるってことでしょ?
そうじゃなくて、こちらから誘うなら、
"今度、一緒にどこか行かない?"って言わなきゃ駄目よ、Aちゃん。」
と諭すように語るソフィア似先輩
「.......。」二人
「つまりね、"銀座に行く"と、あなたが選ぶんじゃなくて、相手に行きたいところを選ばせなきゃ駄目。
自由に答えられるオープン・クエスチョンじゃないと。
そうやって相手に"イニシアチブを取らせる"形にするの。」ソフィア似先輩
「わたし、今まで、そんなこと考えたことがなかったです。今、目からウロコが落ちたような感じ~。」と甲高い声でやや興奮気味に反応するA子
「それに..、もし初めて二人で食事に行くなら、地下のお店は避けた方がいいわね。
窓から景色とかが見える"開放的な場所"の方がいいんじゃない?」とついでのアドバイスも忘れない先輩。
う~ん、男性にもてるソフィア似先輩ゆえに、そのアドバイスには信憑性を感じる。
(そうやって、男勝りな一面を持ちながら、男性諸氏を立てているのか....)
好きな相手には、オープン・クエスチョンで選ばせるか....
確かに"もし銀座に行かない?"って誘って、相手が"いいよ"って答えても、デートは成立するけれど..、
「今度の土曜日どこか行かない?」と誘って、相手が「いいよ」と答えたら、
その後こちらから、「じゃ、どこに行きたい?」って聴けば、相手は考えてどこかを答えることになる。
つまり相手も、考えて選んで提案することで、デートにより積極的な意識をもつわけだし、自分が二人の間では"イニシアチブを取れる"ことを、無意識が感じ取る。
それに、「あなたと出かけたい」ということを、よりアピールできることになる。
私だって、男性から「今度銀座に行かない?」といわれるより、
「今度どこかに一緒に行かない?」って誘われる方が、ドキっとする。
"銀座"って指定されると、
銀座に行きたいところがあって、ついでに私が誘われた感じが若干する。
でも、"どこかに一緒に.."と言われると、
"私と出かけたいんだ"という気持ちを、強く感じる。
「銀座に行かない?」と「どこか一緒に行かない?」
ほんの小さなコミュニケーションの違いだが、考えると意味は深い....。
すごいわぁ.....。さすが、先輩。
ともかくも、今後のA子の恋の行方が楽しみである。
ちなみに、4人で食事した店の"牛タン" 安くて美味でした。
恵比寿の炭火焼"りん"というお店です。
by bandoh
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2009-07-13 Mon
暑い日の夕暮れ時、久しぶりに会う友人と3人、青山で食事をすることに。
約束の時間の5分前にお店の入口に到着すると、
それよりも一足先に到着した友人の後ろ姿がある。
律儀な彼らしいと思いながら、その姿を見つめる。
もうひとりが到着するのを待ちながら、彼の最近の話しを聴く。
ニカっという特有の明るい笑顔を、時々見せて話す彼の話しは、仕事や家族の近況も含めて、毎回色々な示唆に富んでいて面白いと感じる。
友人は、個性的で大手企業の管理職なのだが、一見するとそういう風には見えない。
ジャージ姿で、顔を赤くして汗をダラダラかき、額にねじり鉢巻のように、タオルを巻いて飲んでいる姿などを見ると、威勢のいい大工の棟梁にも見える。
さて、今年の春頃に、新しい部署の管理職となった友人の部下は年上ばかりらしい。
何と10名近くいる部下のうち、1名を除いて全員が年上。
「え~、殆どが年上! それは、すごいね。」
「大変ですよ...。それはもう。」とつぶやく友人。
「それでどうやって、マネジメントしているの?」という私の質問で、実に興味深い彼の体験談を聴くことになった。
一番年上の部下は彼よりもはるかに年長で、20歳近く離れてる。
そして、唯一年下の部下は、彼よりもずっと若いが、問題のある部下で、困ったチャンらしい。
しかも、チーム全員が、友人の着任当初、現在のチームが嫌で、それぞれが、他の部門への異動を希望していたそうな。
しかし、引き受けたからには、きちんと成果を創りたいと思い、
とにかく頑張ろうと思ったと言う。
一番年長の部下X氏は、長い管理職としての経験があり、結構頑固一徹なタイプ。
私の友人に対しても、ミーティング中、
「君のやり方は間違っている」、「それは違う」といった指摘を、部下の前で度々していたそうだ。
そこで、友人はX氏とミーティングを設けることにした。
X氏の考え方など、汗をかきかき、じっくりよ~く聴いた。
その上で友人は改めて、
「僕は、このチームの責任者として、こういうことをチームで実現したいと思っています。」
という彼のチームのビジョンや方針をハッキリと伝えた。
そして、それについてX氏に「協力して貰えるよう"お願い"」したそうだ。
"部下といっても年上なんだから、頼む→お願いするのが当たり前でしょ"、というのが友人の考え方。
その考え方のベースには、「リーダーなんて、メンバーが動かなかったら、何にもできない。相手が協力してくれなければ、何も始まらない。」という考え方がある。
「だから、相手に対する感謝の念というのは、変な話し、いつもどこかにあるんですよ。
僕はそういう意識って、言葉には出さなくとも、相手にも伝わると思うんですよね~。」と友人はビールを飲みながら、しみじみ言う。
彼はリーダーシップを取る上では、「感謝の念」を持つことが、やっぱり大事と感じるそうだ。
ちなみに、「相手が年下部下だったら、どんな風に頼むの?」と私が好奇心から聴くと、
友人は、「一緒にやろうよ!って言うよ。」と当然のように答えた。
その後、友人はじっくりと最年長部下X氏を観察し、何かしら自分との共通項を探し始めた。
そしてある日、ふと、彼の話し方の特徴、地方出身者と思えるわずかなアクセントに気づいて、思い切って尋ねてみた。
「○○さん、失礼ですけど、どちらのご出身なんでしょうか?」
そして、X氏の答えを聞いて、友人は驚いた。
何と、自分と同じ県の出身で、しかも彼が育った町は、友人もよく知っている町だった。
「え~!!」という驚きが二人の間に走ったのは言うまでもない。
そこから、友人とX氏の距離はイッキに縮まった。
友人は、何か彼が興味を示しそうな、地元に関する記事やイベントがあると、さりげなくX氏に情報を渡すようにしている。
そして、X氏は、ともするとその頑固さからチーム内で孤立し浮きがちだったのだが、
友人はなるべく、チーム内で、X氏が孤立しないよう要所要所で配慮し、様々なことに橋渡しを心がけた。
更に、それらと同時並行的に、他の年上部下にも、基本的には同じ対応を取った。
じっくりと相手の話しをよく聴き、友人がチームで実現したいと思っていることを伝えて、「協力をお願いする。」
そして、部下の一人ひとりをじっくりと観察し、何かしら自分との共通項や相手の興味を発見し、地道な信頼関係を築いていった。
そして、部下がデータを分析し報告書をまとめれば、上長が集まる場での報告は、必ずメンバーに任せるなど、
実際に彼等の仕事へのモチベーションが高まるよう、彼等の仕事の手柄にスポットライトがあたるよう心がけた。
一段ハードルの高い、難しい仕事については事前に話し合い、
何かしら支援策を必ず立て、最後まで出来るようサポートを行った。
友人は、地道なルーティーンの仕事も含めて、必要な時には何かしら部下を手助けした。
そうこうする内に、チームの雰囲気はガラリと変わって明るくなり、誰もチームを出たいと言わなくなった。
ふ~ん、なるほど。
「積極性」と「謙虚さ」が微妙にミックスしている友人らしい話しと感じた。
彼には、昔から続けて、ずっとやってきていることがある。
非常に基本的なことだが、「挨拶」である。
相手が返事しようとしないに関わらず、自分から元気よく明るい声で、必ず全員に声をかけるそうだ。
「そうやって、何があっても自分から、毎回毎回、人に声をかけていると、必ずそのうちに向こうから声をかけてくるようになるんだよね~。」
と明るくニカっと笑いながら言った言葉を、ハッキリと私は憶えている。
「それっていつからやっていること?」とその時ふと訊ねたら、彼はこう答えた。
「中学校時代かなぁ~。」
年季が入っている。
「何がきっかけでそうなったの?」と再び私。
「実はさぁ、僕って転校生だったんだよね。それで、最初はクラスの番町格みたいな奴やその取り巻きに"なんだコイツ"って感じでいじめられたんだよ。」
「あ~、いるよね、そういういじわるな子、それで、どうしたの?」
「それでも、気にしないでニコニコ笑って、他の皆に声をかけてたんだよね。そしたらさ~、しばらくしたら、いつの間にかクラスの殆どの人間が、僕と仲良くなっちゃって。結局、番町格だった奴よりも味方が増えちゃったんだよ。」
「それって面白いね~。何だか、北風と太陽の話し、思い出すわ。」
「アハハ、そうかもね。でもさ、そしたらさ、いつのまにか番長の方から近寄ってきてさ、仲良くなっちゃったんだよね。」
職場内で部下を育成したり、チームをまとめて一つの方向性に導き成果を創っていくことは、リーダーとしての意識が高い人であれば、日々考えるテーマだと思う。
それぞれのやり方があると思うが、多くの仕事の出来るリーダーに共通する点は、「部下から信頼されている」ということだと、友人との話しで改めて感じた。
以前、安藤忠雄さんも講演会で、「リーダーは何かやりたいと思っても、チームがなくちゃ、成果は創れない。だから仲間とのパートナーシップはすごく大事なんですよ。」と語っていた。
チームというよりは、個のイメージ強い建築家の方ゆえに、その話しは新鮮に響いた。
そんなことを考えていたら、
翌日の朝、友人からのお礼のメールが届いていたことに気づいた。
> さて、実はここ最近仕事で、「なんなんだよ!」って、
> なんでもかんでも俺のところに仕事を回すんじゃない!
> って状態でかなり怒りモードだったので、昨日は本当に
> リフレッシュできました。感謝です!
私は、友人から色々と興味深い話しを聴けて感謝の気持ちを持っていたのですが、
先に彼からの「感謝」の言葉が送られているとは。
見習わなくては。
by bandoh
コーチング : 13:41 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-23 Sat
またまた行ってしまった、阿修羅展。
あまりに美しかった仏像が忘れられず、知合いを誘って足を運ぶことにした。
今回は、前回じっくり見れなかった、水晶の碁石や琥珀、瑠璃も堪能。
重要文化財の薬王菩薩と薬上菩薩も、場内の椅子に座って、ゆっくりと眺めることにした。
十大弟子や八部衆も、何度見ても飽きない。
見ているだけで、心が和んでくる。
長い年月を経て、今の時代まで火災が起きてもせっせと運び出し、ずっと大事に保存し続けてきた僧侶の方々に感謝の念が湧いてくる。
知合いと二人、すっかり堪能して表に出ると、日が落ち、すでに午後7時を過ぎていた。
さてその知合いは、近々クリスタル・ストーンのアクセサリーの展示会の準備で四苦八苦らしい。
「坂東さん、私、大変なの。もうすっかり製糸工場の女工のような生活なの。」
と道を歩きながら、唐突に切り出した。
「聞いてよあなた。出す作品は60点よ!それで展示会に向けて、毎日毎日ここのところ、ずっと紐切ったり、通したり、繋いだり、細かい作業を続けてるせいで、目は疲れるし、肩は凝るしで、もうクタクタ。私って一体何やってるのか、もう大変。」
とはいえ、この話しは決してグチではない。
長い付き合いだから分かるのだが、疲れたのなんのと言いながら、好きなことができる喜びと誇りが、その言葉とは裏腹にしっかりと伝わってくる。
知合いは、もともとアクセサリーとはまったく関係のない会社を経営しているのだが、石好きが高じて最近では、クリスタルストーンを使ったセミナーを行っている。今回はそこからの延長で、今までに彼女が収集した、秘蔵のクリスタルを使ってアクセサリーを製作し、展示会を開くことにしたらしい。(チベットのアンティークのターコイズや、大玉のルチル・クォーツなど、これまで誰に頼まれても、決して手放さなかった品々をばらしてデザインし直して出すのだから、彼女にとっては一大決心と言えるだろう。)
私は、こういった女性を見るのが好きである。
知合いは、私よりずっと年配だし、保守的に生きてもおかしくない年齢、いや普通は保守的になるのが一般的だと思う。
彼女のように、幾つになっても常に夢を持ち、イキイキとした心を持った人を見ると、人生って幾つになってもいいもんだなと素直に思える。そして私もそう生きたいと願う。
8時近くになって、もう一人の女性の友人と合流し、一緒にご飯を食べることにした。
彼女は昨年、遂に40歳になったが、独身である。
彼女に限らず、最近では器量もOK、気立ても良くて賢い、30代から40代のシングル・ウーマンがワンサカいる。
彼女達は結婚したくないわけではない。
みな話すと、「結婚したいです。誰かいい人いませんか?」と言う。
結婚願望はあるのだ。
彼女達の全体的な特徴として、高学歴で高収入、生活の面では不自由はない。そして一般的な結婚適齢期の時に、ライト・パーソンと出会えず、そのうち出会えるだろうとノンビリ構えてきた節がある。
合流した友人も、そのノンビリ構えてきたうちの一人である。
大体、友人もその他の女性も、「結婚したいけど、いい人がいないのよ~。」と判で押したように答える。
本当にそうなのだろうか?
「いい男性がいないから、結婚する気になれないのだろうか?」
周りにはシングル・ウーマン以外に、1度ならず、2度、3度と結婚しているツワモノ女性がいる。
複数回、結婚している女性達は凄腕である。大体2回目以降の相手だって既婚者だった人である。
"妻子を捨てて離婚し再婚する決心をさせる"のだから凄いと思うが、言うことだって他の女とは一味違う。
「あら、あなた。結婚したいしたいって言うけど、何で出来ないの?周りには男が沢山いるじゃないの?会社に行けばゴロゴロいるでしょう。私はいつだって半径5メートル以内で相手を見つけてきたわ。」とアドバイスを求められて、結婚暦3回の女性は迷いもなく言い切る。
それ以外に、私の周りの友人で結婚している女性達は、適齢期の頃にきっちりと「婚活」をし決めているケースが多い。
そういう女性達は、「女とは結婚して子供を産むもの」という伝統的価値観にキッチリと根ざしているので、合コンや友人の紹介、会社のテニス、ゴルフ、お見合いなど、あらゆるツテを使って今の結婚相手と出会っている。
思うに...
いい相手が見つからないのは、「いい男性がいないということが問題ではない」ように感じる。
「結婚相手となるいい人を見つけよう」と思っていたら、なかなか相手を見つけられないのではないかと思う。
妙齢で結婚している女性や、幾つになっても出会いがあり、恋人が出来て結婚している女性達に共通するものは、色々とあると思うが、ベースにあるのは「人を好きになる能力」だと思う。
つまり、誰だって若い頃は判断力も低いし、ホルモンか何かの影響で、大したことない男を見ても「あ~、この人いいわぁ~。」と、出会った男性を好きになったりあこがれたりする。また、当初好きでなくとも相手から熱心にアプローチをかけられたり、ロマンティックに口説かれたりすると、ホロっとなびいて付き合ってしまうこともある。
私はこれを若さゆえの「恋愛ホルモン」と勝手に名づけたい。
この「恋愛ホルモン」があるから、相手の欠点が見えなくなり、好きになるのではないかと思う。
幾つになっても出会いがあり、結婚する女は、人を好きになる能力=「恋愛ホルモン」を幾つになっても出せる女ではないかと思う。
男も女も多くの場合、「自分を好きになってくれる人のことが好き」なものである。
大体、女性の方が男性よりも、ずっと現実的で相手選びの目が厳しい生き物である。
そこに年齢と共に経験を重ね、分別を見につけ、「恋愛ホルモン」の低下が重なると、いっきに「人を好きになる能力」が低下してくるのではないだろうか。
要するに結婚しないのは、「いい人に出会えない」のではなくて、「好きになる能力」が低下してきていることが、大きな原因だと感じる。
だからこそ、30代、40代のシングルウーマンは、「恋愛ホルモン」を大事にしないといけないと考える。
では「恋愛ホルモン」を活性化させるためにどうしたらよいか...
まず、いい人との出会いを何となく待つ日常から、周りを見渡して、相手の良いところを一点見つけて好きになるという、「チャームポイント一点探し」から始めたら良い。
会社でも、電車の中でも、スタバでも、スポーツジムでも、ショップでも、男性は山ほどいる。
結婚願望があるシングルウーマンの皆さん、女性として、自らの「恋愛ホルモン」を活性化し、「好きになる能力」を高めるために、"一点探し"でトレーニングしよう!
さて、8時に合流した私たち、色々な話題でひとしきり盛り上がったが、
件の40歳独身友人が、宴もたけなわになった頃、いつになく控えめな声でボソリとつぶやいた。
「実はちょっといいな..と思っている人が今いるんですけど.。あの~、全てを求めず一点狙いで、、」
きた!貴重な「恋愛ホルモン」
今後の行方が楽しみ。
by bandoh
コーチング : 22:09 : comments (x) : trackback (x)
2009-04-29 Wed
「世の中、常ならず」
私たちの人生も、変化のまったくないことなどあり得ない。
朝髪の毛をブローして髪型がキマッっていたって、表に出たら雨が降ってきて最悪~!な状態だってよくあること。
一生この人と離れたくないと思った恋人だって、今になれば、「なんであの人を?」なんていうのもある。
だが、幸せの真っ只中にいるとき、ふと願う
「あ~この瞬間が、ずっと続くといいのに....」と。
自分の身のまわりでも、変化は次々と起きる。
しかも、自分にとっては決して望ましくない変化も含めてである。
ストレス社会と言われるが、
「現代に生きる女」は、昔よりも選択肢も増えるがストレスも増える。
ある知合いの女性は、最近好きな人をあきらめたらしい。
(なんとなく沈んで見えるのは、そのせいかと気づく。)
今まで好きな男性は、自分よりも、男性側がより自分を好きでいてくれるタイプだったそうだ。彼女はいつも自分の側にいてくれる男性でないと駄目らしい。
が、今回は母親の薦めもあって、なかなか自分の側にいてくれない男性を選んだそうだ。でも、仕事が忙しいからと月に一度しか会ってくれず、電話も酔った時しか、かけてこない。しかも次の日には、必ず「昨日はごめんね。」と言って誤ってくるのが、このうえなく不快だったそうである。(よく分かる)そして最近ついに、その男性との未来を考えるのを止めた。
仲の良い友人は、今日、手術の予定である。
想像していたよりも、大きな手術となることが分かり、本人も覚悟を決めて昨日入院。
今日は彼女の母が付き添うが、明日は私が彼女の様子を見舞う予定。1ヶ月は安静が必要だそうだ。
昨晩食事した友人は、この不況のあおりを受けて、会社の業績が急降下。
昨年、部署を異動したばかりだが、仕事がなくなることを想定し、真剣に今後のことを考え始めている。
知合いの女性は、最近、夫が冷たくなり、先週は結婚記念日だというのに、会社の女の子達と飲み会に出かけてしまったらしい。愛に生きるタイプの女性ゆえ、旦那の優しくない行動に、とても寂しい気持ちに陥ってしまったらしい。先日は離婚について語っていた。
書き出してみれば、悩ましい出来事って誰にでもあるものだと思う。
私にだって勿論ある。
悲しかったり、悩ましいことはできるだけ避けたいと願う。
がしかし、それらは必ずやってくる。
程度の違いこそあれ、必ず誰にでも降りかかってくる。
当たり前のことなんだが、あえて問いたい
「一体、人にはなぜ悲しかったり、悩ましい出来事が起るんだろうか?」
私たちが成長するため?
「輪廻転生」を信じれば、ある程度運命は定まっているということになる。
"スピリチュアル・カウンセラー"だったら、きっとこういうだろう。
「あなたが、出会う課題や難題は、私たちの魂が成長するための試練です。その試練を乗り越えることを通して、あなたの魂のステージはより上がっていくのですよ。」と
その考え方にはおおむね反対しない。
いずれにせよ、私たちがその課題と正面から向き合い、何らかの形で乗り越えれば、人として成長できることは間違いがないからである。
そう頭で理解していても、「変化による苦しみ」にあるときには、そうそう平常心ではいられないものだ。
ニッカリ笑って「こんな苦しみを味わって成長できるんだから、本当に私って幸せもの!」な~んて本気ですぐに思えるもんじゃない。
ヒタヒタと押し寄せる苦しい感情とかストレスやショックを、とにかく掃きだしたいと思うのが普通だろう。
だからこそ、大抵の人は、苦しみの真っ只中にいる時に、誰かにこの気持ちをわかって欲しいとか、ぶつけたいと思うのだろう。
その点、メールがあることで、便利になったことがある。
皆忙しいから、すぐに会って話したいと思っても、なかなかそう都合よくはいかない。
また、電話だと友人と繋がらない可能性があったりする。
メールを通して、相談に乗ってもらえる誰かに、手紙として書くことで、言葉にならなかった感情が整理されて案外スッキリすることがよくある。
そして、私の場合、嫌な感情を掃きだすのに、以下のようなステップを踏むことがある。
Step1「私はつらい!!!なんて不幸!!」と自分に言い放ち、辛い気持ちを思いっきり味わう、泣く。
つまり避けたい、いや~な感情に飛び込み一体化しちゃう。
しばらくすると感情の嵐が過ぎ去り、静けさが戻ってくる(問題の深さによって時間も変わる)
Step2「でも、これってエピソードの山場に来ているのよ、ハッピーエンディングの直前の兆しだわ!」と自分に語りかける。
根拠はないが、こういうことで、何だかすこし気が楽になる。
Step3「苦しみが大きいほど、幸福感は大きくなるはず、だから今は耐えるのよぉ~!」と最後に自分を叱咤激励する。
そして、キっと上を見上げて深呼吸する。
(側でこのプロセスを見ている人は、疲れると思う。)
これで色々とあれこれ考えるよりも、案外次の日の寝覚めもよく、スッキリとし、次の日の朝に、ふとよいアイディアが浮かんだりする。
あれこれ考えて、もっと落ち込んだり、妄想で感情がエスカレートすることってあるからねぇ。
「幸福感」も永久に持続しないが、「苦痛」もまた永久に持続しない。
さて、「私達には、一体なぜ悩ましい問題が降りかかるのか?」
ここは、あえて「運命」とか「魂の成長のため」というスピリチュアルな回答は避けたい。
私は思う。
「私達に、悩ましい問題が降りかかるのは、時に自分がそれを呼び寄せているのだと。それはきっと苦しいことの後には、楽がやって来ることを、私達はどこかで知っているから。」
by bandoh
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2009-04-12 Sun
「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(以下HRW)の代表のケネス・ロス氏のセミナーを聴きにいく。
「HRW」は昨年、「ノーベル平和賞」を受賞した世界最大級の国際人権に関わるNGOである。
このセミナー
「ビジネスマンと人権問題は無縁か?」というタイトルで、
マネックス・グループの松本社長が問題を提議するという形式で行われた。
会場には約100名ほどの人が集まっていた。
ケネス・ロス氏
正直言うと、案内が来るまで、「人権問題」について日頃から、私自身はそんなに考えているわけではなかった。
特に国内の人権問題については、殆ど日々考える機会は薄いと思う。
ただし、アフリカやアジアの子供達の悲惨な惨状を見るにつけ、心を痛めることがあり、何か自分に出来ることはないかと、ここ数年前からスリランカの子供の教育支援に関して、微力ではあるが援助をしている。
なので、国際的な人権問題の改善について、組織の規模以上に、飛躍的な成功を収め貢献している人権NGOである「HRW」の代表が直接話す内容を聞きたいと思った。いつも、「本物に触れる」という機会は貴重である。
ケネス・ロス氏が語る内容から、
「HRW」が、NGOながら人権問題の改善について、小さな貢献というよりは、一国の政府を動かすまでの、大きな影響力を発揮するまでに至るには、「鍵となる3つの要素と"良循環"」があることが分かった。
ビジネス・モデルというと御幣があるが、大変上手く機能している「システム」だと思う。
★1つ目は「恥をかかせる」プレッシャー1
調査する国に弁護士、ジャーナリスト、学術関係者など「専門家」を調査員として派遣し、徹底的にそこで何が起きているのかを調べる。人権侵害を受けた「被害者」や、被害を目撃した人などから直接話しを聞く、政府と話し合うなどして、公正かつ正確に「証拠」を探すのである。そしてそれらをきちんと報告書としてまとめあげ、プレスを集めて発表し、記事として書かせる。(ちなみにHRWの報告書は、政府よりも信頼性が高いと認識されているらしい。)
このことにより、行われている「人権侵害」について、スポットライトをあて陽のもとに曝し、政府に「恥」をかかせる。
そうやって、独裁者やその政府にプレッシャーをかけるわけである。
★2つ目は外交的・経済的な施策を打つ:プレッシャー2
その国に影響力を持つ援助国の「政府」に対して、「援助」を打ち切るように交渉する。
この事で当事国の独裁者や政府に、人権侵害が「高くつく」ようになるような流れを作る。
★3つ目は国際裁判所にて訴訟を起こす:プレッシャー3
この手法は、最悪のケースとなるが、スーダンの元大統領のように、国際的な形で裁かれるよう手続きを取り、実際に法廷に出廷させるまでの道作りを行う。
この3つのことを、継続して、「繰り返し繰り返し行っている」ことが成功の秘訣らしい。
つまり、優秀な「専門家」を雇って徹底した調査を行う→政府の発表よりも高い信頼性を持つ、公正で正確な「人権侵害の報告書」によって各国プレスを動かす→引いては政府を動かす→実際に人権侵害を改善していくという結果を出し→国際的な問題に意識の高いビジネス・マンやセレブから資金援助を受ける→優秀な専門家を雇う資金を調達→調査を行う.....
という「良循環」を繰り返して、今の影響力を築き上げたそうだ。
(ハリウッドのセレブも資金援助している人が多い。)
なるほど....
しかしながら、そうはいっても、この流れを作っていくためには、相当の知識とノウハウ・スキルが必要になると思う。
例えば...
・調査能力
・その国の文化や経済・政治、人権などに関する専門知識
・複数の外国語をこなす言語力
・報告書を作成する能力
・プレスを集めて発表するプレゼン能力
・政府と交渉する交渉力
・自分ひとりで活動し完結するための自己管理能力
・危険を事前に察知したり、リスクを計算し回避できる能力
結果としてものすご~く、濃い経験とスキルが必要、いや結果として身につけることになるのであろう....。(すごい)
おそらく「HRW」はそうやって、一人の学者だけでは決して成しえないような、かなりの知識と情報が着実に共有され、高度な政治への影響力を持つ団体へと発展していったのだと想像する。
そこで働く人にとっては「胆力」とか「強い使命感」を持っていないのと、決して続かない"大変で難儀な仕事"だと思う。
がしかし、その職に対する人気は相当高いようで、先日もとあるアジアの国で募集を行った際、1つのポストに300名の募集があったそう。
ケネス・ロス氏は、セミナーで知的にタンタンと語っていたが、その話しの分かりやすさと、静かなるコミットメントが強く印象に残った。
人権擁護団体というと、私の中ではちょっとした「ネガティブ・イメージ」が団体によってはあるのだが、
ロス氏は押し付けたり、驕っているようなそぶりも見せないので、嫌味がない。誠実で信頼できる人という感じがする。彼の能力とそのパーソナリティが、これまで支援者からの賛同を集める要素の一つにもなっているのだろうと思う。
彼は、ロースクールを卒業後、NYにある大手弁護士事務所に就職したのだが、仕事に心から満足できず、その後犯罪を扱う検事となったが、そこでも心から満足できず、「HRW」と出会いようやく「ここだ」と思ったそうだ。自分が本当にやりがいを感じられるのは「人権問題」だと。その後、彼は現在まで約21年間、「HRW」で活動することになる。
ケネス・ロスさんは言う。
「この仕事は信念を持ってできる仕事」であり「違いを起こす仕事」である。そして「毎日課題がある」と。
その一言一言に、静かではあるが、自分自身が「信じる価値を生きる」人が持つ強い「コミット」を感じた。
ケネス・ロスさんを始め、安藤忠雄さん、松原泰道さん、ムハメド・ユヌスさん、皆、一様に分野は違えど、素晴しいリーダーだと思う。
こういった素晴しいリーダーと直接会うことが出来て、話しを聞くことができるのは大変ありがたいことである。
またそういったリーダーの共通点としては、彼等の話しを聞くと、「心の中に勇気が湧いてくる」ことであろう。
何かしら与えられた気持ちになるのである。
皆一様にそういったポジティブな影響力を持ち、「周りの人にエネルギーを与える」人達だと思う。
これは、企業の経営者やリーダー層にも必須の条件だと思う。
一緒にいてエネルギーが縮むリーダーの下にいたら、この不景気の時代、創造性も発揮できず絶対に成果が出るわけが無い。
やはり、一人一人が自分の「価値」を知り、前向きに生きることが大事であると感じた。
さて、ケネス・ロス氏が東京でセミナーを開いたのは、私たち日本人(特に経済や政治のリーダー)が、もっと国際的な視野に立ち、「人権問題」に意識を持って行動を起こすことにあると思う。(世界同時不況で、一番のスポンサーである欧米金融系のビジネスマンからの寄付金も減っていると思うし。)
しかし、懸念が....
「商人国家」である"ジャパン"は、商売上のお客様である諸外国(北米や中国、ヨーロッパなど)や原油産出国等に、言いたいことを思い切って言えないのではないだろうか....。
また、戦争で近隣のアジア諸国を侵略したという「加害者意識」もあり、アジア諸国の中で起きている人権問題について、明確に異議を唱え行動を起こすことは、"微妙"といおうか..、躊躇する傾向があるのではないだろうか。
「チベット問題」や、「中国における人権問題や環境汚染」など、日本政府の対応を見ていて歯がゆい思いをすることが多い。
そう考えると、ある意味、「HRW」が東京に事務所を開き、日本の"プレス"や"政府"に対して、積極的に働きかけてくれる(圧力?)ことは、歓迎すべきなのかもしれない。
私たちの国の世論がもっと成熟し、政府が近隣諸国に対して経済支援以外にも貢献し、国際的にもきちんとした「リーダーシップ」を取って行く、という意味において「HRW東京事務所」がプラスに機能して欲しい。そう思うと、これはありがたい話しなのかもしれない。
結論。
「私も"HRW"に寄付をしよう!」
by bandoh
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2009-03-23 Mon
先週、姉との会話でグラミン銀行のユヌスさんの話題が出た。
姉はこのブログを読んでくれているので、先日の「ユヌスさんの講演」の話しを読んで、女性支援の活動に関心を持ったらしい。
PTAや地域の子供の教育支援等の活動にずっと従事してきているので、そのネットワークの中で出会うシングル・マザーの苦労を知っているのだと思う。
生活環境や性格や行動パターンが違う姉と、共通の関心ごとを持つのは、実はそんなに多くはない。
例えば、私は学生時代は"スポーツ"を中心にクラブ活動を行っていたが、姉は"音楽"が中心だった。
そして、私は子供を持たず働いていて、おまけに会社を飛び出し独立してしまったが、姉は子供が二人いて専業主婦、組織にきっちり忠誠を尽くすタイプ。
私は新しいオーディオのセットが自宅に届いたら、バリバリ箱を開けて"取扱い説明書"も読まずにボタンをドンドン押してやり方を憶えるけれど、姉はまずじっくり"取り扱い説明書"を読んでから、ゆっくり機材に触る。
姉はエスニックフードのような香辛料の強い料理は苦手だが、私は好き。
私は思いついたらすぐ実行、姉は石橋を叩いて叩いてわたるタイプ。
私は寒がりで姉は暑がり。
こうやって客観的に見れば違う面に気づくことが多い。
でも子供の頃を思い出すと、姉とはいつも一緒で同じことをしていたような気がする。
母や姉の話しによれば、まだ幼稚園にも上がらない私は、どこへ行くにも金魚のフンのように姉にくっついて歩いていたそうだ。
私より4歳年上の姉は、近所の同級生と遊ぶのに、私を連れて行かなければならないのが本当に嫌だったそうだ。
でも、私を連れて行かないと母から怒られるので、仕方なく毎回連れて行ったらしい。
私が行くと友達のジュンちゃんから「ユウちゃん、またフミちゃん連れてきた~」と嫌味を言われてしまう。ようするにチビは邪魔なのだ。
私の記憶に残っていることで、その当時を裏付ける出来事がある。
いつものごとく、姉と姉の友人たちと近所の公園で遊んだ時のことだと思う。
気がつくと、思いのほかとっぷりと陽が暮れてきていて、あわてて皆がそれぞれの自転車にまたがり、家路に向けて出発したときのことだ。
姉は必死に「ジュンちゃ~ん、待ってぇ~、みんな待ってぇ~」と前を行く友達に向けて叫ぶが、皆ドンドン先へと行ってしまう。
家に早く戻らないとすっかり暗くなってしまうので、皆必死に自転車を漕いでいて、おそらく風下の姉の声は聞こえないのだろう。
姉はと言えば、その中でただ1人妹を自転車の後ろに乗せているため、重くて友人たちのように早く走れないのだ。
漕げども漕げども、距離は広がるばかり。そのうちに皆の姿は遠くなり見えなくなった。
姉の苛立ちとくやしさは、そのとき頂点に達したのだろう。
「フミちゃんがいるから、フミちゃんのせいでこんなことになるんだよ~、みんな先に行っちゃったじゃないのよ~」と姉の涙交じりの憤怒の声を、姉の背中にしがみつきながら、聞いた記憶がしっかりと残っている。
あの時、私も幼いながらも、姉の"皆と一緒にスイスイ帰りたい、でも妹を置いては帰れない。"アンビバレントな気持ちがよ~く分かった。
「お姉ちゃん、大変なことになっている....。」と、必死にペダルを漕ぐためすっかり硬くなっている姉の背中を通して感じた。
思えば、責任感の強い姉の性格は、こうやって形成されていったのではないだろうか。
そして、私は中学校に入るまで姉の影響を強く受けることになる。
思えば私はいつも、よく動きせっかちな母の膝の上ではなく、ゆったりと動かない姉の膝の上に座っていた。
姉が見たいTV番組を私も好きになった。「ウルトラQ]、「ガッチャマン」、「題名のない音楽会」、「兼高薫世界の旅」などよく憶えている。
兼高さんの番組が始まると、今はなきパンナムの映像が映りテーマ・ソングが「ラ~ リ~ラ ル~ラ リ~ララ~」と流れてくる、それだけでワクワクした。
懐かしいですねぇ。下は70年代にカブールへ行った兼高さんです。
あの楚々として優雅な語り口と、堂々とした態度や行動、かなりインパクトがありました。
"国際人とはこうだ"と脳裏に植えつけられたように思います。
私が「旅好き」になったのは、この番組の影響が大きいと絶対に思う。
そして「本」も、姉からの影響を受けていた。
姉の本棚にある世界の名作文学集や、「赤毛のアン」全シリーズや小説、海外ノベルなんでも読んでいた。
イチ早く「荒井由美」のアルバム「ひこうき雲」を買ってきて、「これ、最近出た人なんだけど音楽が新しくていいよ。」と教えてくれたのも姉である。
お陰で、私は今でも友人と共に松任谷由美のコンサートに行く。
また「ロードショー」好きの姉の影響で、私も「映画好き」になってしまった。
姉が中学生、私が小学生の頃、一緒に「メリーポピンズ」を観に、二人で有楽町まで出かけた。
確かあのときは、2階の指定席に座ったと思うが、何だか姉にくっついて、すっかり大人になったような気持ちになったものだ。
真面目でいつも優等生で、周りの大人たちからよく褒められていた姉。
とにかく私の中の姉は、いつも「頭が良くて何でも知っている、すごい大人」だった。
さて、大人になるにつれ、私の中に"眠っていたDNA"のスイッチがONとなったのかどうか知らないが、クラブ活動や学校の同級生達の影響を受け始めると、私と姉との間に「違い」が出てくるようになった。
そして、姉が結婚した後は、互いの「生活環境」が変わってしまったこともあり、だんだんとコミュニケーションが少なくなっていった。
しかしながら、4年前の父の病気と死を境にして、再び姉とのコミュニケーションが増えるようになった。
家は両親共に愛情深く、父は子煩悩な人で、よくピクニックや海水浴、温泉、紅葉など家族旅行に連れて行ってくれた。毎年お正月に泊まっていた温泉旅館の混浴(すごい)のお風呂が、広くて楽しかったことを今でもよく憶えている。そういった意味では私たち姉妹は恵まれた家庭環境で育ったといえるだろう。父には感謝である。
姉とのコミュニケーションが増えるようになったのは、父の病状を案ずることや、亡くなった悲しみを共有することを通して、自分達が「家族」であることを、再意識させられたからに他ならない。
「私には私の世界があるが、姉には姉の世界がある。」
そのお互いの世界について、私達は情報を共有するようになってきた。
姉妹でもお互いに違っていて当たり前。
大事なことは、「何が違うのかを理解する」ことなのであろう。
姉が、私にユヌスさんの話しをして、同じように関心を持っていることを知ったとき、学生時代の頃の記憶が甦った。
「正義感」が誰よりも強く、公正ではないと思うことには、涙ぐみながらに抵抗し、年長の男性にさえ、くってかかる姉の姿である。
一見すると私の方が過激に映るだろうが、実は姉の方がずっとエネルギッシュで内に思いを秘めた人なのである。
「三つ子の魂百まで」というが、ユヌスさんの話しによって、子供の頃に互いの間で繋がっていた「価値観」が何か反応したような感じもした。
姉のボランティア活動も、今後どのように進展していくのか興味深い。
by bandoh
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2009-03-17 Tue
日曜日に、ノーベル平和賞受賞者の「ムハマド・ユヌス氏」のセミナーに参加しました。
タイトルは「貧困のない世界を創る~ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義」です。
以前、ハリウッド女優の「ナタリー・ボートマン」が特集された番組を見たときに、彼女が「マイクロ・ファイナンス」を通して、貧困層の女性の支援をしていることを知り、そこで初めて「マイクロ・ファイナンス」という言葉を聞きました。
マイクロファイナンスは、どちらかといえば、ハリウッドのスターが、自らのイメージを高めるための救済活動としては地味で、華々しくマスコミで取り上げられることが少ないのだが(アンジェリーナ・ジョリーがアフリカの子供達を抱いている写真みたいな"絵"になるものもないですからねぇ)、確実に支援を受けた女性が自立していける手法として印象が残った記憶がありました。(ナタリー・ボートマンの知的なイメージと噛合っています)
ユヌスさんは、その「マイクロ・ファイナンス」を創った人なので、今回はかなり高い期待を抱いてこの記念セミナーに参加しました。
ムハマド・ユヌスさんの講演は、予想以上に意義のあるものでした。
天気の良い日曜日の午後に、外で遊ばずに来た甲斐がありました。
すっかり、ムハメド・ユヌス氏のファンになってしまいました。
彼が始めた「マイクロ・ファイナンス」や、その後に続く「ソーシャル・ビジネス」の「社会的意義」や「独創性」もありますが、信念を持って幾多の困難を乗り越えたその「姿勢」と「哲学」、「先見性」には驚かされます。
まず「マイクロ・ファイナンス/クレジット」を初めて聞いた方のために、少し注釈すると。
グラミン銀行が始めた「貧困層」を対象に行った小額のローンです。
20ドルとか40ドルを借りて、1年間で返すことが基本です。
ローンを行っているグラミン銀行(ユヌス氏が創設)は、通常の銀行とはルールと仕組みがまったく違います。
・まず、通常の銀行では貧困層の特に女性にはお金を貸しませんが、グラミン銀行では貸しています。
・また通常の銀行が行っている審査(過去を問うこと)をしません。過去に不履行や犯罪などの経歴があっても貸します。過去ではなくその人が何をしたいかを問います。
・借り手に担保などは要求しません。(ないですから)
・また、グラミン銀行は、経済状況などの変化で、途中で「借り手」が苦しくなり、「返済が滞るような状況」が起きた場合には、返済額を変える、償還期日を延期するなど、「柔軟に対応」します。
グラミン銀行の基本的な理念は、「貧困層にある困っている人たちを支援すること」です。
そして「人々の自立を促していくこと」です。
ユヌスさんは、「我々は貧困で苦しんでいる人たちに、更に鞭打つようなことはしない。」と言っています。
ビジネスですから、利益を生み出さないと継続していきませんので、勿論銀行は利益を出しますが、配当については利益をつけません。
元本はお返しするが、無利子/利益です。しかし、もちろんグラミン銀行の預金者には利益は付加されます。預金については年間10%の利子がつきます。(私たちも東京から"預金したい"ですよねぇ。)
このマイクロファイナンス/クレジットにより、「字も読めず、一生奴隷のように生きていくしかなかった貧しいシングルマザー」が、小額のローンによって商売を何とか始め、自立し生きていく道を切り開いていきます。そして、自分の子供に教育を受けさせるお金を、グラミン銀行から借りて子供達に高等教育(大学まで)を受けさせることができるようになっていきます。貧困からの脱却です。
また、グラミン銀行のデフォルト率(債務不履行)は約0.5%だそうです。
厳しい審査を経て貸付を行っている日本の銀行の債務不履行が1%以上あることを考えると、貧困層を対象にしたグラミン銀行の0.5%は凄いことだと思います。
ユヌスさんは米国の大学への留学後、国(バングラデシュ)に戻り、貧困にあえぐ人たちをなんとかしたいと思っていました。
しかし経済学の博士号を納めた彼は知識は持っていましたが、すぐに優れた理論があっても何の役に立たないことに気づきます。
目の前で飢餓によってドンドン死んでいく人を見ながら、その人たちを救うためにどんなことをしたらよいか全く分からなかったそうです。
そして、教科書を捨てて、学んだことの全てを忘れようとしました。
そして、彼は大学の隣にある村に足を運び、そこの住民の話しを聞き実際何が起きているのかを知ろうとしました。
実際に見聞きして調べるうちに、驚くべきことにあたります。
「高利貸し」から、お金を借りている貧困に苦しんでいる人たちのことです。
生活のためにわずかな金額を借りて、1週間で10%もしくは1日10%というような高い金利を払っている人たちです。
そのために、生活を縛られ、ほんのわずかなお金で生きていかなくてはならなくなっていました。
一生懸命働いても働いても、システム上借金がかさみ、その苦しみから解放されるのは死しかないという悲惨な状況です。
調査を進めると、そうやって「高利貸し」からお金を借りて苦しんでいる人たちが、村には「42名」いたそうです。そして、なんとその42名の「借金の総額」は、たったの「27ドル」だったそうです。
ユヌスさんは、たった27ドルの利子を払えずに、一生搾取され、奴隷のように働かされる人々の境遇にとても胸を痛めました。
そこで、ユヌスさんは「解決策」を考えます。
彼らの代わりに、彼がその27ドルを払ってあげることに。
そして村人達は自由になり、ユヌスさんは大変村人達から感謝されました。
「だったら、もっと出来ることがあるんじゃないか?」とユヌスさんは考え始めます。
それが、貧困層の人たちへのローンを始めるきっかとなりました。
そして、そこに行き着くためには、長い長い道のりがあります。
ユヌスさんは言います。
「私は銀行のことなんて、何も知らないから、枠にとらわれずに考えることができた。」
「既存の銀行を調べて、全てその逆のことをやってみた。」
「ビジネスにおいて人は、"人間というものを狭く定義している"。人間というものはもっと広くて独創的だ。利益を追求する人もいれば、社会のためにもっと貢献したいと思っている人だって沢山いる。」
「人は皆、"可能性を秘めている。"その潜在的な能力を引き出せば、誰でも必ず自立し成功できる。そして自らのビジネスをスタートできる。」
「今の会社は、利益の追及が目的となっている。本来は利益はその結果でしかないはずだ。責任ある利益の拡大化が必要だ。」
「政府にだけ頼っていても駄目だ。政府はやりたいことをやればいい。政府は本来構造的に早く動けない、また捨てられないものが沢山ある。だけど人は自由ですぐに動けるし、止めようと思えばすぐに止められる。だから問題は我々自身が解決できる、自分自身についてあきらめてはいけない。全ての個人は"企業家"なのです。」
おそらく、彼の理念と信念に触発を受け、社会に役立つ、"ソーシャル・ビジネス"を始める日本人の若い人たちが、これからはもっと増えてくるのではないかと思います。
セミナー会場にも、すでにソーシャルビジネスを始めようとしている20代の女性や、バングラデシュでグラミンのやり方やソーシャル・ビジネスを視察し学んできた20代の若者がいました。
私自身は、今回のムハメド・ユヌスさんから、「人には必ず可能性がある。その力を持っている」と信じるパワーを貰いました。
コーチングにぜひ、生かしていきたいです。
by bandoh
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2009-03-10 Tue
明日3月11日は、「満月」である。
手帳を見た後、そう気づいて空を見上げるとやっぱり今晩の月も美しい。
時々、以前コーチをした人から連絡が来たりする。
近況や最近の出来事を含めて、色々と伝えてくれるので、最近のその人に何が起きたのかを知ることができる。
結婚、出会い、出産、転勤、昇格、資格の取得、病気、最近の悩みなど様々である。
コーチをした相手からいいニュースを聞けば、「それは良かった!」と何だかこちら側も嬉しくなるし、
悩みや問題だと「何とかうまくいい方向に進んでいくといいのに..」とあれこれ思ってしまう。
私自身、もともと人間が好きなのだと思う。
その人の「生き方」とか「考え方」に興味をひかれる。
例えば、その人がどのようにして、自身の「課題」を乗り越えるかということなど、注目してしまう。
その点、今の仕事は私の性分にフィットしているのかもしれない。
さて「満月」である。
以前人から「満月の時に願いごとをするといい」とか、「女性は月を見ながら大きく息を吸って深呼吸し月のエネルギーを浴びるといい」という話しを聞いたことがあり、気づいたときには実践している。
運気があがりそうなもの、縁起をかつぐものなど、大好きだからである。
そのせいなのか、私は自分自身を「運の良い人間」と思い込んでいる。
でも、人生を生きていくうえでは、この「思い込み」とっても大事だと思う。
私たちは、いずれにせよ、自分が信じた世界の中でしか生きられないものだし。
明日は、満月を眺めながら、私と周りの人のHappinessを祈ることに。
今何か「願いごと」がある人、どうぞ明日の夜、お試しあれ。
by bandoh
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2009-02-19 Thu
本日は先日、講演会で知合った方々とランチを一緒にとることに。
"会社が近い者同士"というのが共通の括りなのですが、
こういうときに、「会う機会を創って」提供してくれる人がいるのはありがたいこと。
フットワークの軽いOさんに感謝。
スっと、ごく自然に若い時からこういうことができる人、絶対に「伸びる」と思います。
そういう方々と、新しいご縁が出来るというのは嬉しいことです。
私たちは、お昼前にビルの前で4人で待ち合わせた後、
AURUMというイタリアンのお店へ。
初めて来たお店ですが、表通りに面しているため、ビルからの眺めもよく、何より静か。
席もゆったりと取っているため、とても寛いで話せます。
一緒に話しをしていて気づきましたが、やっぱり自分の時間とお金を投資して、講演会なりセミナーなり、自己研鑽の場に来る人というのは、人生に対するある意味での「目的意識」がありますね。
また、色々なことに好奇心を持っていると感じますし、色々な情報を取っていると思いました。
ちなみに、大学のセミナーにも、時々行っているという某企業の部長Oさん(二人Oさんがいるんです)は、お若く見えますが30代後半。現在150名の部下がいるそう。中には自分よりもずっと年上の部下もいるそうです。
そのOさんの場合、自分の時間を捻出する(おそらく学ぶ、知るの部分が多いのでしょうが)ために朝6時45分には出社しているとのこと。
早い出勤の人、知ってますけど、6時台はさすがに聞いたことがないです。
(建築会社を経営している友人は、俺達って朝が早いんだぜと言ってましたが。)
う~ん、すごい。
臨済宗の僧侶の松原泰道さんが話していた「杖言葉」の一つに、
「まことに日に新たにせば、日々新た、また日に新たならん*1」
とありますが、「新しい一日に感謝する」こと、そして「日々成長できるよう意識する」こと。
人生をより良く楽しく生きるうえで、大事だなことだと改めて実感した次第です。
*1
中国古書「四書五行」に一つである「大学」第2章の「湯之盤曰。苛日新、日日新、又日新」
中国古代の殷王朝の湯王(聖天子と慕われ世の中が平和であったということに因んでもの。)は、自分が朝、顔を洗う盤に(洗面器)に、この9つの文字を刻んだとのこと。
意味は「何事においても、日々の仕事や勉強などは同じことの繰り返しが多くなると、惰性に流れ、むなしく時間を費やし、何も身につかずに終わりがちなもの。
しみついた汚れを洗い直し、自分を新しくする事に一日でも努力したならば、この新たにしたことを基礎として次の一日一日を新たにしていき、さらに毎日してゆく。このように少しでも新しくしていこうとする努力を、途切れないようにしなければ」という意味を持った言葉。
by bandoh
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