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2009-05-31 Sun
ここのところ、振り続ける雨。
雨嫌いの私はウンザリしてしまうが、6月8日からのNYへの旅行のことを考えると、ニンマリとしてしまう。
雨ではあるが、5月30日(土)は、増上寺で「薪能」を知合いと一緒に観る予定。
増上寺近くに勤務する友人が、5名全員の分をまとめて購入したチケットはA席。
S席最前列は火の粉が飛んでくると言う窓口情報もあり、
友人は悩んだ末、火の粉がかからずよく見えるという、舞台の横にある指定席のA席を選んだらしい。
開演は5時30分からである。
今回、一緒に薪能を観る5名のうち2名は、5月に誕生日を迎えたバースディ・ガールである。
私と友人の二人で、丸ビルにあるコンランショップで待ち合わせて、二人への誕生日ギフトを選ぶことにした。
久しぶりの、丸ビルのコンランショップ。
気をつけないと、危険、、、。
大体、買物好きの私は、新しくセンスの良いグッズを見ると欲しくなる癖がある。
「あら、あのクッションいいじゃない。そうそう、これって、うちのベッドのクッションの差し色として使えるわ~。このグラスも、、、」などど、購入に向けて、ドンドン自分で自分を説得する会話を頭の中で始めてしまう。
もうすぐ、ニューヨークへ行く予定である。
かの地へ行けば、買物や食事でドっとお金を使うはず..。
今からの買物はセーブしておきたいものである。
とまた、NY行きを思って、お店で一人ニンマリする。
ニンマリと自らを戒めながら、コンランの久しぶりに見るインテリアや雑貨には、チラ見だけであまり近寄らないことにする。
そういえば最近、住宅の購入を検討している友人は、ここのところ財布の紐が固い。
この半年近くずっとクッションを見ていると思うが、なかなか買おうとしない。
コンランでも、「ちょっと見てください。これいいと思いませんか!」と指差したので、購入するのかと思いきや、今回も見送るようである。
自宅を購入するまで、無駄遣いを控えているのかもしれない。
買物好きの私たち、両者共に本日は財布の紐が固いようである。
コンランとフランフランの2店を、巡りながら、二人へのプレゼントをようやく購入した私たちは、丸ビルのテラスでお茶を飲みながら休憩することに。
会話は、自然と目下ウキウキのニューヨーク旅行の話題となる。
ちなみに松井好きの家の旦那は、新しいヤンキース球場で、ぜひとも野球を見たいようである。しかしながら、ヤンキース・スタジアムでの試合は、ニューヨークに到着する夜しか行われていない。ヤンキー・スタジアムのサイトを見ると、あいにく滞在中は、全てアウェイでの試合である。
やむなく、18時30分にJFK空港に到着したら、そのままヤンキー・スタジアムに移動し、野球を観戦することにした。
しかしながら、大きな荷物を抱えての移動である。
面倒なのでホテルのコンシェルジェにメールを入れて相談したところ、スタジアムからの帰りはタクシーがなかなか拾えないらしい。リムジンを時間で雇い、空港→スタジアム→ホテルの移動を対応するのがベストだと思うという回答が返ってきた。
しかし、ニューヨークに支店のある会社に勤める件の友人によれば、リムジンのプライスも会社によって違うので、自分で探して予約をした方がお得だそうだ。
「バンドーさん、もうすぐニューヨークですよね!」とお茶を飲みながら友人は言う。
「ウフフフ..そうなのよ。もうすぐなのよ。」と顔が緩む。
「○ちゃん、この間、メールでのNYのリムジン情報ありがとね!早速、他の会社も調べてみようと思っている。」
(実際に調べてみると、ホテル手配だと1時間辺り95ドルだが、他にも1時間65ドルの会社もある。)
「いいですよねぇ~ニューヨーク。観光の予定とかどうするんですか?」
「大体は決めた。それとニューヨークはとりあえずレストランを2箇所予約したの。やっぱり話題になっているお店に行ってみたいからねぇ、フレンチの"アラン・デュカス"と、オーガニックで人気のある"ブルー・ヒル"に予約をしたのよ。」
「ふ~ん、だんだん盛り上がってきてますねぇ!」
「そうなの、昔住んでいた国連近くのアパートにも行ってみようかなぁと思ってる。すっごく懐かしいわぁ」
お茶を飲みながら、再びニューヨークに思いを馳せて、ニンマリである。
一服した後は、増上寺に向けて出発。
他の3人とは、薪能の会場入り口で合流した。
「薪能は、雨天のため中止」
その代わりに「増上寺本堂」に舞台にして演目を行うらしい。
しかも、チケットは完全指定となっていたが、急遽の会場変更でS席、A席としか書かれていない。
B席、C席の方々は、席がないのでキヤンセル。払い戻しという対応だったようだ。
阿弥陀如来が鎮座する本堂
本堂周りに座る観客
薪の炎の中での幻想的な薪能を楽しみにしていたので、会場が建物内に変更となったのはとても残念。
以前、遠い座席から「明治神宮」での薪能を鑑賞したことがあるのだが、素晴しかった。
しかしながら、何とか席の隙間をぬって、前列に座れたので、とても良いことが1つあった。
それは、わずかな照明に照らされた能の「衣装」を間近にじっくりと観ることが出来た点である。
私は、最後の演目の「紅葉狩」の"鬼役"の一人が、鬼への変身前の"美女役"として着ていた紅葉の模様をあしらった着物と、"平清盛役"の武者の着物の色使いが強く印象に残った。
能の衣装って、本当に何とも言えずため息が出るほど綺麗。
古代色って言うんでしょうか。染めの色や色あわせがとても美しいと思います。
1着の衣装を作成するには、多大な時間がかかると思う。以前京都の西陣織の地区に行った時に、特別に公開していた古来より受け継がれてきた能の衣装を見たのだが、その緻密な刺繍や、色使いにうっとりと見入ってしまったことがある。
最後の演目「紅葉狩」は圧巻だった。
美しい女性達が、鬼に変身した後のあの迫力。鬼気迫るとはこのことかと思った。
舞台の上が、怪しく浮かび上がる沢山の鬼達に占拠された形となる。
真っ赤な髪と下からの光を浴びて浮かび上がる鬼の面、そして美しい衣装。
場面を盛りあげる掛け声、鼓、笛の音。
鬼を見て、刀の柄に手をかけ、何度か踏みとどまる平清盛。
しかし遂にその刀を振り下ろし、鬼を退治する清盛。
ゆっくりとした時の流れを感じさせる能の中で、美しく幻想的で迫力のある「ドラマ」であった。
帰り道、海外旅行もいいものだが、能のような日本の伝統的な芸能や美を鑑賞できる機会はやはり貴重だと感じた。
by bandoh
旅行 : 13:06 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-27 Wed
「日本はやっぱり騒ぎ過ぎですよねぇ。」
海外に拠点を持つ経営者の多くは、新型インフルエンザに対する日本人の対応ぶりをそう評する。
私は、海外に会社の拠点はないが、その意見に同意する。
日本は島国のせいなのか、諸外国に比べると、外から入ってくる「異物」に対して敏感だと思う。
さらに、「衛生」に関する概念がちょっと違うように感じる。
そもそも、この新型ウィルスの対応に限らず、市場で売られている商品にもその特性がよく現れている。
除菌クリーナー、除菌消臭剤、除菌スプレーなど、CMでもお店でもどこでも見かける商品だが、この十数年でそういった除菌を記した商品がやたら増えている。
企業の商売上の戦略と日本人の特性が見事にマッチしているのだろうが、人の意識が「きれい」→「清潔」→「除菌」へとプロモートしていると感じる。
日本は、「除菌国家」になりつつあるのではかなろうか....。
以前ニューヨークにいた頃、大学のトイレで、ウェットティッシュタイプの除菌クリーナーを持って立っていたら、アメリカ人の学生から、「それな~に?」と聞かれた。
「これ?アルコールが含まれたトイレのシート用のティッシュ。これで座る前にシートを拭くのよ。」と教えたら、「え~、そんなものあるんだ!ちょっと見せて、いいわねぇ~。」と驚いていた。折りしも当時はエイズの恐怖がまん延している時だったので、根拠はないがトイレはやっぱり怖い場所だった。私に限らず、何人かの日本人女子学生は、ウェットティッシュを携帯している人が結構いたと記憶する。
当時、イタリア人の女子学生が誇らしげに語ったのを聞いて驚いたことがある。「私って、ヨーロピアンの中では、結構きれい好きな方だと思う。少なくとも週に1回はシャワーを浴びるしね。」
それに、同じ大学寮の台湾から留学している女子学生の食器や鍋を見て驚いた。"台湾風おでん"をご馳走になるために、彼女の共同スイートのキッチン兼ダイニングへ行くと、洗って並べている彼女の食器がみな薄茶色っぽくて、ベトベトしているのだ。鍋にいたっては濃い茶色に変色している。不思議に思っていたら後に理由が判明。彼女達中国系は、どうも鍋や食器洗いに洗剤を使わないらしい。鍋については特に火を通して使うのでそれで殺菌消毒されているという解釈のようだ。これにも驚いた。
大体にして、日本人(特に女性)はそういった面での清潔感に関しては、世界でもトップ・クラスに入るのではないだろうか?
(部屋の掃除の仕方は別と思いますが)
さらに、北京大学に留学した私の友人(かなりバンカラな女性)は帰国後こう語った。「北京大学のダンスパーティで何がイヤだってトイレよ。女子トイレがパーティの最中、混んで行列になるんだけど、我慢できない子はその場でしゃがみこんで、目の前でしちゃうんだよねぇ..。それも、その子が特別ってわけじゃなく、割といるんだよね。」
汚いトイレに弱い私は、その話しを聞いただけで倒れそうになった。
しかし、中国を放浪した友人の話しは違う意味でもっとすごかった。
「そもそも、公共のトイレでも、個別の便器のユニットとユニットの間に壁がなくてさぁ、トイレに入るとただ「しゃがみ式」(和式と同じようなもの)の便器がダ~って並んでるだけなんだよ。その便器の前で、次の人が立って待って並んでるんだぜ~。」ヒェ~。
「しかもさぁ、並んでいる人は、便器にしゃがみこんで"している"人と目を合わせてるんだよ。しゃがんでる人は、"お前が何か変なことしないように見張ってるぞ!"っていう合図で見てるし、並んでいる人は、"私は何もしませんよ"っていう合図で見てるんだよね。」
暗黙の了解か.....
まぁ人間も動物も、最も無防備な瞬間は、"このとき"でしょうから、理にかなっているのかもしれませんが。
大体、トイレタイムは日本人女性にとっては、とてもプライベートなこと。
決してその「姿」もその「音」も、他の人には知られたくないと思っている人が殆どでしょう。
「だって、恥ずかしいもん。」の一言に尽きると思います。
しかしながら、諸外国の事情は、わが日本女性のそれとは違います。
中国ではユニットに壁がないという話しをしましたが、
アメリカでは、大学寮のスイートルーム(4-5人1つのユニットの部屋)のバスとトイレは同じ場所にあります。ホテルと一緒ですね。
一人プライベートな時間を、トイレのシートに座って過ごしていると、化粧水だが何かを取りに来た同室の女子学生(欧米系)が、話しかけながらズカズカと入ってきます。
数年前には、旅行したベトナムのサイゴンの大通りの道路わきで、しゃがんで用を足している若い女性を見かけました。
彼等は、日本人女性ほど、トイレでの用足しに恥ずかしさを感じないと断言したい。
諸外国に行くと、日本人以外の女性が皆堂々としていて強く見えるのは、このトイレ文化の違いも大きな原因ではなかろうか?
日本人女性の「やだ~、恥ずかしい!!うそ~知らなかった!本当に~すご~い!!」というブリっ子な文化の原点は、ここにあるのではなかろうか?
日本人女性にとって、何が恥ずかしいって、トイレ姿を見られること位恥ずかしいことはなかなかないと思う。
でも、仮に、小さい頃から、「"トイレの用足し姿"を見られるのが恥ずかしくない」という習慣のもとに育ったとしたら、意識も変わってくるように思う。
何かこうもっと"おおらかさ"とか"スケールの大きさ"が、全体的に生まれてくるのではないだろうか。
図太くスケールの大きい女性が増えることによって、女性管理職や女性企業家の数が増え、男性も競争するわけだから比例して強くなったりして。(飛躍し過ぎですかね)
日本に新型ウィルスが入ってきたりなどで、"除菌・滅菌"は今後益々加速するように思う。
しかし、同時に子供の頃から、親が除菌・滅菌などで、綺麗に大事に育てすぎて、菌に弱い、ひ弱な子供が増えるんじゃないだろうかとふと気になったりする。
今後、益々世界はグローバル化し、経済での競争は厳しくなっていくだろう。
そんな中、中国とか諸外国のようにトイレ姿を見られても恥ずかしくない、図太い民族と戦うわけである。
昭和生まれはまだ何とか戦えても、平成生まれは柔で戦えないんじゃないだろうかという危惧が残る。
企業は勝ち残りをかけて、必死に今の状況に対応していると思うが、新型ウィルスについての対応を見ているとやや不安を感じる。
「日本人よ、弱毒性ウィルスくらいでビクビクするなぁ。賢くもっと図太くなれ~!」と言ってみたい。
by bandoh
徒然なるままに : 17:55 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-23 Sat
またまた行ってしまった、阿修羅展。
あまりに美しかった仏像が忘れられず、知合いを誘って足を運ぶことにした。
今回は、前回じっくり見れなかった、水晶の碁石や琥珀、瑠璃も堪能。
重要文化財の薬王菩薩と薬上菩薩も、場内の椅子に座って、ゆっくりと眺めることにした。
十大弟子や八部衆も、何度見ても飽きない。
見ているだけで、心が和んでくる。
長い年月を経て、今の時代まで火災が起きてもせっせと運び出し、ずっと大事に保存し続けてきた僧侶の方々に感謝の念が湧いてくる。
知合いと二人、すっかり堪能して表に出ると、日が落ち、すでに午後7時を過ぎていた。
さてその知合いは、近々クリスタル・ストーンのアクセサリーの展示会の準備で四苦八苦らしい。
「坂東さん、私、大変なの。もうすっかり製糸工場の女工のような生活なの。」
と道を歩きながら、唐突に切り出した。
「聞いてよあなた。出す作品は60点よ!それで展示会に向けて、毎日毎日ここのところ、ずっと紐切ったり、通したり、繋いだり、細かい作業を続けてるせいで、目は疲れるし、肩は凝るしで、もうクタクタ。私って一体何やってるのか、もう大変。」
とはいえ、この話しは決してグチではない。
長い付き合いだから分かるのだが、疲れたのなんのと言いながら、好きなことができる喜びと誇りが、その言葉とは裏腹にしっかりと伝わってくる。
知合いは、もともとアクセサリーとはまったく関係のない会社を経営しているのだが、石好きが高じて最近では、クリスタルストーンを使ったセミナーを行っている。今回はそこからの延長で、今までに彼女が収集した、秘蔵のクリスタルを使ってアクセサリーを製作し、展示会を開くことにしたらしい。(チベットのアンティークのターコイズや、大玉のルチル・クォーツなど、これまで誰に頼まれても、決して手放さなかった品々をばらしてデザインし直して出すのだから、彼女にとっては一大決心と言えるだろう。)
私は、こういった女性を見るのが好きである。
知合いは、私よりずっと年配だし、保守的に生きてもおかしくない年齢、いや普通は保守的になるのが一般的だと思う。
彼女のように、幾つになっても常に夢を持ち、イキイキとした心を持った人を見ると、人生って幾つになってもいいもんだなと素直に思える。そして私もそう生きたいと願う。
8時近くになって、もう一人の女性の友人と合流し、一緒にご飯を食べることにした。
彼女は昨年、遂に40歳になったが、独身である。
彼女に限らず、最近では器量もOK、気立ても良くて賢い、30代から40代のシングル・ウーマンがワンサカいる。
彼女達は結婚したくないわけではない。
みな話すと、「結婚したいです。誰かいい人いませんか?」と言う。
結婚願望はあるのだ。
彼女達の全体的な特徴として、高学歴で高収入、生活の面では不自由はない。そして一般的な結婚適齢期の時に、ライト・パーソンと出会えず、そのうち出会えるだろうとノンビリ構えてきた節がある。
合流した友人も、そのノンビリ構えてきたうちの一人である。
大体、友人もその他の女性も、「結婚したいけど、いい人がいないのよ~。」と判で押したように答える。
本当にそうなのだろうか?
「いい男性がいないから、結婚する気になれないのだろうか?」
周りにはシングル・ウーマン以外に、1度ならず、2度、3度と結婚しているツワモノ女性がいる。
複数回、結婚している女性達は凄腕である。大体2回目以降の相手だって既婚者だった人である。
"妻子を捨てて離婚し再婚する決心をさせる"のだから凄いと思うが、言うことだって他の女とは一味違う。
「あら、あなた。結婚したいしたいって言うけど、何で出来ないの?周りには男が沢山いるじゃないの?会社に行けばゴロゴロいるでしょう。私はいつだって半径5メートル以内で相手を見つけてきたわ。」とアドバイスを求められて、結婚暦3回の女性は迷いもなく言い切る。
それ以外に、私の周りの友人で結婚している女性達は、適齢期の頃にきっちりと「婚活」をし決めているケースが多い。
そういう女性達は、「女とは結婚して子供を産むもの」という伝統的価値観にキッチリと根ざしているので、合コンや友人の紹介、会社のテニス、ゴルフ、お見合いなど、あらゆるツテを使って今の結婚相手と出会っている。
思うに...
いい相手が見つからないのは、「いい男性がいないということが問題ではない」ように感じる。
「結婚相手となるいい人を見つけよう」と思っていたら、なかなか相手を見つけられないのではないかと思う。
妙齢で結婚している女性や、幾つになっても出会いがあり、恋人が出来て結婚している女性達に共通するものは、色々とあると思うが、ベースにあるのは「人を好きになる能力」だと思う。
つまり、誰だって若い頃は判断力も低いし、ホルモンか何かの影響で、大したことない男を見ても「あ~、この人いいわぁ~。」と、出会った男性を好きになったりあこがれたりする。また、当初好きでなくとも相手から熱心にアプローチをかけられたり、ロマンティックに口説かれたりすると、ホロっとなびいて付き合ってしまうこともある。
私はこれを若さゆえの「恋愛ホルモン」と勝手に名づけたい。
この「恋愛ホルモン」があるから、相手の欠点が見えなくなり、好きになるのではないかと思う。
幾つになっても出会いがあり、結婚する女は、人を好きになる能力=「恋愛ホルモン」を幾つになっても出せる女ではないかと思う。
男も女も多くの場合、「自分を好きになってくれる人のことが好き」なものである。
大体、女性の方が男性よりも、ずっと現実的で相手選びの目が厳しい生き物である。
そこに年齢と共に経験を重ね、分別を見につけ、「恋愛ホルモン」の低下が重なると、いっきに「人を好きになる能力」が低下してくるのではないだろうか。
要するに結婚しないのは、「いい人に出会えない」のではなくて、「好きになる能力」が低下してきていることが、大きな原因だと感じる。
だからこそ、30代、40代のシングルウーマンは、「恋愛ホルモン」を大事にしないといけないと考える。
では「恋愛ホルモン」を活性化させるためにどうしたらよいか...
まず、いい人との出会いを何となく待つ日常から、周りを見渡して、相手の良いところを一点見つけて好きになるという、「チャームポイント一点探し」から始めたら良い。
会社でも、電車の中でも、スタバでも、スポーツジムでも、ショップでも、男性は山ほどいる。
結婚願望があるシングルウーマンの皆さん、女性として、自らの「恋愛ホルモン」を活性化し、「好きになる能力」を高めるために、"一点探し"でトレーニングしよう!
さて、8時に合流した私たち、色々な話題でひとしきり盛り上がったが、
件の40歳独身友人が、宴もたけなわになった頃、いつになく控えめな声でボソリとつぶやいた。
「実はちょっといいな..と思っている人が今いるんですけど.。あの~、全てを求めず一点狙いで、、」
きた!貴重な「恋愛ホルモン」
今後の行方が楽しみ。
by bandoh
コーチング : 22:09 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-21 Thu
メキシコで発症し広がったと言われる新型インフルエンザ。
感染者は世界中で1万人を突破したようだ。
日本でも神戸、大阪など関西で感染者が出て、東京で感染者が出るのも時間の問題と思っていたが、首都圏で遂に確認。
川崎市に住むアメリカから帰国した高校生2名のようだ。
成田からリムジンで戻り、田園都市線を使って帰宅したとのこと。
今週は、21日(木)~22日(金)まで神戸で研修の予定だったが、急遽取りやめとなった。
また、昨日の研修では全員がマスクをつけての参加となった。
一応、会社からは2メートル以上近づく場合には、マスク使用というお達しがあったようだが、1つの部屋に20名以上の人間が集まっているので、常時マスクを使用した方が安全でしょう。
今後の研修では、マスク着用、珍しくなくなるのでは...。
(暖かい気温で、生きているインフルエンザ・ウィルスですからね)
研修開始の朝一番、前に出て「おはようございます!」と言って顔を上げると、
全員、マスク顔で、何だか少し異様な雰囲気が漂っている。
「何だか、この光景、すごいですねぇ。思い出になりそうですね~。」なんて軽く冗談を飛ばすと、予定調和と和みの笑いが会議室にドっと起きる。
全員マスクの集団、始めはとまどうが時間が経てば慣れるもの、次第に気にはならなくなる。
といつものように運営している講義の最中、疑惑の目をこちらに向けて、ムっとしている男性参加者と目が合う。
気になって「どうかしましたか?何か怒っていることがありますか?」と水を向けると、「いや、別に何も怒ってません。」と答えた。
どうも、マスクをしているため、目周りを除いて顔は全て隠れてしまっているので、こちらからは表情がよく分からない。
その男性のように、眼光が鋭かったり、目力がある人だと、話しを聞いて真剣に考えていると、目のメッセージが強調され、怒っているかのように見えただけのようだ。
そういえば、グループ討議で、意見がわりと出たように感じたが、参加者同士、ちょっと遠慮があったりしたのは、もしかしたら、このマスクのせいでは????考えすぎかもしれないが....。
(だって、マスクをつけている人って、顔が見えないのでちょっと距離を感じたりするでしょう)
う~む、マスク着用ルールがしばらく固定化された場合、今後の研修中のコミュニケーションに影響が出るのでは...。
研修前の夜、寝不足だったせいで、研修後は、いつもより疲れが出て、田園都市線では少しぐったりしてしまった。
ここのところ、珍しく体重が下がったせいで、体力が落ちたのかもしれない。
そこへ、「新型インフルエンザ、首都圏2名発症のニュース、田園都市線を利用」ときた。
何だか、のどが渇いて少し頭痛もある......
あ~、もしかして、私感染してしまっていない????
by bandoh
徒然なるままに : 16:38 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-17 Sun
東京で暮らしていて良いと思うことの一つに、文化面、イベントが数多いという点ある。
コンサート、ミュージカル、芝居、展覧会、スポーツなど、いつもどこかしらで何かが行われている。
母の日の親孝行として、東京国立博物館で開催されている"カルティエ展"と"阿修羅展"へ行くことにした。
カルティエ展は、知合いからすごく良いという評判を聞いていたので、母がとても行きたがっていた阿修羅展と合わせて行けるのは、親孝行ついでにラッキーと感じる。
上野にある会場に着くと、予想はしていたけれど、会場はかなりの混み具合。
阿修羅展は入場制限をしていて待ち時間は、何と50分もある。
会場に目をやると、ディズニーランドの人気アトラクションを待つがごとく、入り口前には4列に並ぶ人のラインが幾重にも折り返しながら、延々と続いています。(はぁ~)
私と母は、取り合えず"阿修羅展"に並ぶのを避けて、入場制限をしていない"カルティエ展"へと足を運ぶことに。
しかしながら、カルティエ展もやはり混み混み。
(仕方ありませんね)
吉岡徳仁さん監修の展示は、1階の18世紀のコレクションからスタートし、進むごとに年代が進み、最後は未来へと繋がっていきます。
燦然と輝くダイヤモンドのティアラや、ブローチ、ネックレスなど、どれを見てもため息が出るほど美しい~
インドのマハラジャのネックレス
実際に見ると、かなりの大きさで男性の胸の3/4を飾る位の大きさがあります。
石の大きさや繋ぐチェーン、インド的な要素を取り入れたデザインが印象的でした。
マハラジャ達との交流から生まれた作品で、後に新しいカルティエのデザインと発展していったようです。
女優マリア・フェリックスのバングル
このバングル、結構大きくて、いったいどんな風につけるのだろう...と思ってみていたら、2階の展示では、ジェエリーの背景の空間に、投影されて浮かぶように、写真画像が浮かんでは消えます。
画像の中に、そのバングルをつけた、マリア・フェリックスの写真が繰り返し出てきます。
ストールを首に巻いて、その上からこのバングルをつけていました。
このジュエリーの存在感に負けることなく、微笑んでいる姿がすごい。
私は展示の中では、モナコ王室蔵の故グレース公妃のエンゲージ・メント・リング、ブローチ、ブレスレットが一番好きでした。
それと、グロリア・スワンソンがとても気に入って身に着けていた、クリスタルと、バゲットカットのダイヤモンドを組み合わせたブレスレット。シンプルなシェイプながら、本当に綺麗に光輝いていて、透明感があり、美しい....。
そして、未来の展示へと繋ぐ展示室には、カルティエの工房で製作される、ジュエリーのメイキング・フィルムが流されています。
デッサンから始まって模型を作り、その後の数多くの細かくて厳密なプロセス、とても分かりやすく紹介されています。
このフィルムは見逃さない方が良いと感じます。
伝統として古くから受け継がれてきている技術の厚みを感じました。
日本では、やっぱりジュエリーの歴史が浅い分、こうしたカルティエのような職人達が持つ技術は、まだないのだろうと思います。
カルティエの後は、覚悟を決めて阿修羅展へ。
待ち時間は「40分」へと短縮されていました。
夕食の予約を入れた時間と照らし合わせると、う~ん、心配。
1時間位遅刻してしまうかも、、と、並びながら母と相談していると、
阿修羅展のリピーターと思しき、ご夫婦やおばあさま方が、親切に色々と声をかけてくれます。
「大丈夫、40分っていったって、それよりも早く入れるさ。いつもそんなもんだ。」
「今日はね、阿修羅像を中心にして、それだけじっくりと見ておいた方がいいよ、他の展示物はいつでも見れるからね。」
なるほど、、、。
確かに、オジサンの言うとおり、30分もたたずに入場できることになりました。
母と私は、パンフレットを手にすると、興福寺と中金堂の鎮壇具は、人の頭越しに早めに鑑賞しながら、阿修羅像の展示コーナーへと向かいます。
「薬上菩薩立像」、「薬王菩薩立像」、「持国天立像」、「十大弟子」と「八部衆」の仏像の素晴しさ!もう圧巻です。
並んだ甲斐ががありました。
本当に毎回心から思いますが、お寺の中で見るよりも、仏像は圧倒的に展覧会で見た方が綺麗。
お寺では薄暗く、よく見えない仏像も、展覧会ではスポットライトを浴び、360度からぐるりと、その彫や色をじっくり見ることができる。
美しく端整で決意を感じる「阿修羅」の顔
3つの顔の一つ一つに表情があり、内面の迷いや葛藤、決意などを感じます。
当然ながら一番人気はこの阿修羅像なので、ものすごい混みを体験しました。
ともかく、色んな展示会に行きましたが、あれほど人から押された経験は初めてでした。
幼さの残るふっくらとした可愛い沙羯羅像(さからぞう))
もう、時間があれば、何時間でも一体づつゆっくりと、眺めていたいと感じました。
ちなみに、カルティエ展は5月31日、阿修羅展は6月7日までです。
ご興味のある方は是非!
たとえ混んでいても見る価値ありと思います。
by bandoh
イベント、観劇 : 01:07 : comments (x) : trackback (x)
2009-05-10 Sun
土曜日の夜、テラスに出てみるとオレンジ色に輝く綺麗な月が目に入った。
後で調べてみると「満月」だったよう。
夫婦二人でテラスに出た私達は、椅子に腰掛け、久しぶりのケンカから勃発した"冷戦"を休止し、しばらく夜空を楽しんだ。
二人で同じ方向を眺めているせいなのか、天空のもとにいる開放感なのか、二人の会話がいつもとは違った形で交わされた。
夫婦で長いこと一緒にいると、恋人時代のラブラブな関係や情熱はだんだんと薄れてくる。(そうでないラッキーなご夫婦もあるとは思うが)そして、大抵は恋愛の感情から、より落ち着いたものへと変化していくもんだろう。新入社員の頃、食事会の席で自分の部門の本部長に、「奥様のことを愛していらっしゃいますか?」と無邪気に質問したら、「愛...というより、責任がありますからね。」と本部長がサっとやや遠くを見ながら、答えたのをよく憶えている。
そういえば以前、ある企業で幹部向けの研修(40歳から50歳)を行っているときに、宴会の席でふと好奇心が働き、「行ってらっしゃいのチュー(キス)をしているご夫婦はどれ位いますか?」と質問したところ、その席にいた約20名の半数以上の男性が手を上げた。
これって、予想外の驚きの比率。その後、更に好奇心にかられ、他社で同じ質問をしても、同じように大体半分位の方が手を上げます。案外日本人の旦那さん、"頑張ってる"と思ったものです。30代とかもっと若い層の男性になると、「お前、チューくらいしないと駄目だよ」と、チューなしの男性同僚を諭す人も出てきます。
それと面白いのが、この結果を見て「行ってらっしゃいのチューをしていない夫達」の反応です。
彼等は、結果に対してものすごく驚愕し、チューをしているという男性達に対して「何だ?!お前ら、それ本当か?なんでそんなことしているんだ?」と、信じられないといった感じで質問したりします。
大体、"行ってらっしゃいチュー"をしている男性に聴くと、奥様に求められて習慣となっていると答える方が多く、まぁ言い換えれば、皆さんそれぞれ奥様に愛されているとも言えるでしょう。女性の方が愛を続ける努力をする人が多いのかもしれません。
さて思い返せば、私達の結婚生活の最初の1年間は、相手と自分との習慣の違いや価値観の違いに改めて気づき、それを受け入れるストレスが、結構大きかったように思えます。特に女性が働いている場合は、家事の負担が増えるので、結婚して数ヶ月後にドっと疲れが出る人もいる。
男と女、元々が違う性を持つ生き物。
お互いに違うからこそ、磁石のように惹きつけられるんだろうけれど、結婚すると逆にその違いが、揉め事のもとになったりするから、やっかいである。
そして、互いの違いがよく分かってくると、抗うことを止めて、どこかお互いに妥協するラインを自然に見出したりする。
お互いに片目をつぶって相手を見るようになるし、ケンカの種になるような余計なことも言わなくなる。
彼が口をあけて寝ていようと、おまんじゅう6個を、目にも止まらぬ速さで平らげてしまったのを見ても、まったく動じなくなるものである。
更に共稼ぎの我が家の場合、二人のエネルギーは外、仕事に向かいがちであると思う。
お互いに出張で家を空けることもあるため、かつては月に1日しか顔を見なかったことだってある。
もしかしたら、男が二人家にいるようなものかもしれない
顔をあわせれば、あ~でもない、こ~でもないと最近の仕事の話しや情報を交換したり、最低限必要なコミュニケーションを取っているが、案外自分達についての深い話しをしていないものである。
だから、気がつくとお互いの状況や気持ちを分かっているようで、まったく分かっていない時がある。
気をつけないと"すれ違い"というものが、知らず知らずにうちに起きている。
冒頭の部分に戻るが、先日の満月の夜のことである。
冷戦を止めて、食後テラスに出た私達は、お互いに静かにそ~っと、月を相手にしたのか、伴侶に言えないような本音の打ち明け話しを、まるで同性の親友にでも打ち明けるように、したのである。
それはまるで、決して相手が自分を責めることがないと、互いに知っているような感じだった。
その夜、何とも言えない開放感が心の中に広がった。
思いがけずギフトを貰ったような気分だった。
よく、アメリカの映画やがTVドラマで、夫婦が二人で、関係をリセットするためにカウンセリングを受ける場面が出てくるが、上手く行く夫婦のカウンセリングって、こんな感じなのかなぁ~とふと思ってしまった。
もしかしたら、その夜は月が私達のカウンセラーだったのかもしれない。
by bandoh
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2009-05-06 Wed
雨が降る日、ぬれた道路を車で走る。
手術を終えたばかりの友人を見舞うため。
GW中とあって、道路は比較的空いている。
思っていたよりも早く到着。
友人から頼まれた「のど飴」と、週刊新潮を抱えて病室へ。
受付を済ませてエレベーターに向かう途中、ふと亡くなった父を思い出した。
こんな風に、あの頃も病院へ来てたなぁ...。
手術を終えたばかりの彼女は、幾分やせたせいなのか、目がひときわ大きく見える。
長い髪をお下げに編んだ友人は、普段以上に若く見え、さながら女性学生のようだ。
思っていたよりも元気な姿にホっとする。
リハビリがてら、ゆっくりと一緒に歩き、病院の中のタリーズへ移動。
それにしても、人間の回復力ってすごい。
つい4-5日前にお腹を切ったばかりなのに、もう歩けて一緒にお茶まで飲める。
友人の場合、まだ年齢も若いし、バイタリティもあるから回復もきっと早いと思う。
でも、いつも忙しい日々を送っている友人にとって、病院で安静を保ってじっとしている日々はさぞ退屈だろう。
いつもは見ないTVに夢中らしい。
「TV番組って案外面白いって知ってた?フミちゃん。もうすっごく面白くて病み付き。」
「へぇ~、何が面白かった?」
「え~とねぇ、、NHKの番組とか、すごくいい。」
「そう、NHKっていい番組あるよねぇ。私も好きな特集とかある。バラエティはどう?島田伸介の番組とか?」
「島田伸介って、上手いよね。あの人が司会すると面白い。」
などと、たわいないのない話しをしていると、彼女のBFと同僚も見舞いにやってきた。
会話は広がり、賑やかなお見舞いとなってきた。
見舞いに来た同僚は、最近の会社でのサプライズとなるニュースを運んでくれた。
実は、彼女達が働く会社につい数週間前に、将来有望な敏腕男性社員が入社したらしい。
仕事は正確で速く、幅広く仕事をこなす。
また性格はまじめで温厚、年齢が若いのに落ち着いていて判断力があり、誰にでも対応できる"マチュア"なタイプとのこと。
(今時得がたい人材ですよね~)
彼は仕事先の紹介を経て、このたび彼女達の会社に入社が決まり、会社の役員も当然のこと喜んで彼を迎えた。
(ちなみに入院している友人のプロジェクトを引き継き、後釜のリーダーとなったのは彼である。彼には数多くのスタッフがつけられ、自分の時との待遇の違いに、友人は正直な話し、ちょっとムっとしたらしい。)
先月の彼の結婚式には、会社の社員全員が二次会のパーティで彼の結婚を祝った。
そして、彼の今後に期待を寄せた。
しかしながら、GWに突入する前のある日、前途有望で"マチュアな彼"は突然姿を消してしまった...。
その日の朝、珍しく彼は出社時刻を過ぎても姿を現さなかった。
遅刻かもしれないと、周りは当初思ったらしい。
しかし、しばらく待てども彼は姿を現さない。
その日は既にクライアントと幾つかのミーティングを抱えた大事な日である。
異変を感じた同僚は、彼の携帯電話に連絡を入れるが繋がらない。
家に電話をかけても出ない。
日頃優秀でまじめな彼のことゆえ、連絡なしに休暇を取ることはないだろうと誰もが思った。
もしかしたら、どこかで行き倒れてしまったんじゃないか、トイレのユニットの中か何かで倒れてそのままなんじゃないかと、周りは心配し憶測を始める。
そこで、消防署に連絡を入れて倒れて病院に担ぎ込まれた人や、事故に遭遇して身元が分からなくなっている人はいないかを確認したところ、そういった人物はいないと分かる。
万事休す。一体何が起ったんだろう??
しばらくして、彼の妻が働いている会社を憶えている人がいたので、電話番号を探りあてて彼女に連絡を入れることに。
彼の妻は会社にいた。
そして電話口に出た彼女は、静かに相手にこう告げたらしい。
「前にも同じようなことがあったので、大丈夫だろうと思います。」
実際に彼の家にいってみると、彼は自宅にこもっていた。
どうやら、ストレスが重なって出社できなくなったらしい。
「へぇ~、そんなことってあるんだ!あんなに、み~んな、優秀な人がきたって騒いでたのにね~!!」
と入院している正直な友人は、少々勝ち誇ったような口調になる。(その気持ち分かる)
「彼、真面目だったから、ドンドン仕事を振ってこられても、イヤって言えなかったんじゃない?」
「社長も、"彼は仕事がとってもできる人だから期待してる"なんて、みんなに紹介してたでしょ。あれって入社して間もない人にはプレッシャーだよね。逆に最初は慣れないだろうから、まずはゆっくりペースをつかんでくださいって言われる方がずっと楽だよね~。」
「でも、彼の妻、絶対に強いわ。結婚式の日、顔を一目見たときからそう思ってた、この人、気の強い人に違いないって。彼は彼女の横で、すみませんって感じだったもん。」
「それにしても、男の人で職場から失踪するというか、逃げちゃう人って案外いるよね?」
「そういえば、私も何人かそういう男性知ってる。でも逆にあんまり女の人で職場から逃げた話しとか聞かないよねぇ。」
「だって、女の場合は仕事が一杯になって仕上げられないって思ったら、"これ以上は出来ません。もしどうしてもと言うなら優先順位をつけてください"とか、一杯一杯になる前に言う人の方が多くない?」
「それって言えてる。前の会社の上司も、"だから、女は嫌なんだ!出来ませんって平気で言っちゃうんだもんな"って言ってた。」
「でも、出来るって言ってて、出来ない方が、ずっと物事を悪くしない?責任果たせないじゃない。」
「賛成、だって、そこから会話がスタートして状況が見えてきて解決策が出るってもんよ。」
「そう思う!ハイ出来ます!って毎回出来ないのに引き受けて、ギリギリになって出来ないと思ったら、行方をくらまして、妻の会社にまで連絡入れられたら、それこそ最悪じゃ~ん!」
「男って、やっぱり子供の頃から縦社会の枠にしっかり組み込まれてて、上司にNOってなかなか言えないよね。」
「男の方が女よりも、仕事が出来ないってことを、クヨクヨに気にするのよ。やっぱり女よりも繊細なんじゃない?」
私も会社を失踪し辞めてしまった人をこれまで3人知っているが、全員男性である。
何が理由か分からないが、突然職場を放棄しいなくなってしまった。
先日久しぶりに会った同僚のご主人も、職場でパニック症候群を起こして以来、ずっと仕事に復帰できないでいるらしい。
男と女、どちらが強いかなんて比べてもしょうがないが、身のまわりをみたら、女性の方がストレスに対応できている人が多いのかもしれない。
今の時代、男も女も外で働き、お互いに評価やポジションをめぐって競争することも珍しくない。
昔の女性のように、家にいて家庭を守り、"主人の仕事についてはまったく分からない"などということは、益々減っていくだろう。
"男性の仕事は聖域で、女性には分からないミステリアスなもの"ということは、もはやない。
私達男女が、互いに助け合い、今後も互いにパートナーとして生きていくとしたら、働く私達女性は男性の繊細な面をより意識する必要があるのかもしれない。ストレス社会に弱いのは"弱音をはけない"男の方だと。
by bandoh
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2009-05-02 Sat
GWの真っ只中、同級生との食事
水天宮の「コルレオーネ」で待ち合わせ。
4人の予定だったが、ひとりはあいにく旦那様の仕事が入り3人で会うことに。
学生時代からの付き合いゆえ、今さら気取れない遠慮のない仲間でもある。
女性の場合、結婚するのかしないのか、はたまた仕事や子供を持つか持たないかでお互いの境遇が変わる。
それゆえに、接点が薄くなり付き合いが遠ざかるケースも多いと思う。
私のように、会社を飛び出し、結婚しても子供がいなければ、尚のこと子持ちの友とは疎遠になりがちだろう。
しかしながら、幸いにもわが友は、嫌がらずにきちんと私を仲間に入れて誘ってくれる。大変ありがたいことである。
さてそれぞれ境遇が異なる私たち。
今回、参加できなかった友人Aは、エンジニアリングの会社を経営する旦那様と中学生の一人娘を持つ専業主婦。
同じく小学生の一人娘を育てながらほぼフルタイムで働く友人Mは、旦那さんは奈良で単身赴任中。
中学生からの付き合いの友人Tは、料理教室の講師をパートタイムで勤めながら、なんと4人の子供を育てている。
(私に子供がいない分、社会のためにTがその埋合せをしてくれていると堅く信じている私)
友人Mは、数年前に夫の奈良転勤が決まったときに、長年勤めぬいた会社を退職し、家族で引っ越したが、昨年彼女と娘はこちらに戻り仕事に復帰した。今回のGW中、旦那さんは奈良から、最近購入したばかりの愛車を6時間以上かけて運転し戻っているらしい。
Mは、現在派遣社員として働いている。
彼女にとってこの数年は変化の連続だったと思う。リスクを覚悟で娘を高齢出産し、会社に復帰、その後夫の転勤。
会社を退職して見知らぬ土地へ移り、慣れぬ土地で年下のママ達に混ざり、専業主婦として関西弁を起用?に喋る娘の育児に専念。
そして再びこちらに戻って、働くママとなり、初の転職を体験することに。
久しぶりに再会できた私達3人は、それぞれビールとシャンパンで乾杯。
ついでにコルレオーネで決して外してはいけない、「いわしとなすとトマトのテリーヌ」、「ルッコラサラダ」を含めたアペタイザーをオーダー。
ちなみに、某飲料会社で働く夫を持つTの話しによれば、「レストラン・コルレオーネ」は、Tの旦那さんの友人の間でも美味しいイタリアンとして話題にあがっていた店らしい。(詳しく知りたい方は「こちら」へ)有名なんだわ、やっぱり。
転職したMは言う。
「何だか、以前の会社にいた頃は、あ~もうこんな会社嫌って思ってたけど、転職してみると元の会社の人達のこと、よく思えるんだよね~。」
分かる、分かる、その気持ち。私も初めて転職したとき、本当にそう思ったもん..。
案外、転職したことのある他の人も、皆そんな気持ちになるんじゃないかなぁ。
さて料理教室の講師を勤めるTは、フルタイムではないが、高校生を筆頭に1男3女を育てながらの仕事なので、両立は綱渡りのような側面もある。
例えば仮にTの子供4人のうち誰かが急に病気になったりしても、料理教室のクラスをキヤンセルすることはできないからだ。
でも、もしそんなことが起きたらどうするのか?(子供ゆえに転んで怪我するとか、急な腹痛・発熱などもあるだろう)
そんな場合は、自分の責任で、自分の替わりにクラスを受け持ってくれる講師を探し、クラスを担当して貰うそう。(大変)
毎回新しい料理を学び、そして生徒に教える。結構、大変な仕事だと思うが、収入はよろしくないらしい。
「子供を預けて交通費を払ったら、赤字とまでは言わないけど、あ~...みたいな世界よ。」
「でもねぇ、近所のスーパーでレジ打ってお金貰うよりも、その方がいいなって私は思う。だって安くたって、お金のために働いているわけじゃないし、ここで働きながら学べば、その先には何かあるって思える、夢が持てるじゃない。」とTは言う。
もともと、向学心が強く、いつも成長しようという努力を続けるTらしい考え方だと思う。
Tは昔からエネルギーが高い。子供が何人いようと、おそらくTは○○ちゃんのお母さんではなく、「自分自身であること」を怠らない女だと思う。見た目だって、とても4人の母とは思えぬ若さと美しさを保っている。
住宅ローンも繰上げして完済しているしっかり者のMの視点は、もっと現実的。
「う~ん、私は働いて収入を得ることは大事だなぁ。仕事は収入のためっていうの大きいよ。」
「本当に?でもMだってそんなにアクセクしなくても、旦那さんの収入だけでやっていけないことはないでしょう?」とMの答えに疑問符を投げかけるT。
しばし熟考してからMは答える。
「確かに旦那の収入だけでやっていけないことはないけど、この先、何が起るか分からないし、将来に備えておきたいよね。それに私、働くことって好きなんだと思う。例えば、前の会社で後輩とか派遣さんに仕事を教えて、その後でその人たちから"○さんのお陰です。すごく今役立っています。”って感謝された時、すっごく嬉しくなったんだよねぇ、何か人の役に立てているっていう感じがしてね。仕事のやりがいみたいなものかな。」とM。
「そうか~、私の場合は、、、」と
その後も意見は飛び交い、互いの今の立場が見えてくる。
TとMの仕事に対する考え方の違い、私はどちらかと言えばMに近いだろう。
しかし意見は違えど、よく聴いていくとTとMそして私の三人に共通するものがある。
それは皆、それぞれの目下の課題を抱えながら「仕事の中に自分の価値を見出そうとしている」ところだと思う。
それって、個人としての幸せ感の一つに繋がるんだろうなぁ...。
Fuuuum、「幸せ」とは、愛、仕事、お金、成長、美しくあることを、手に入れたとき?
もしかしたら、「幸せ」とは手に入れた時以上に、それらを追求する過程の中にあるのかもしれない。
今夜も、違った角度からの社会に気づかせてくれる"わが親愛になる友"に感謝と乾杯。
by bandoh
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