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2009-12-14 Mon
師走である。
この時期、私の場合も、会社の決算があったり、支払いが増えたり、来年度の提案があったりなど、何かと忙しくなってくる。
そう!忙しいんだけれども、、、、この時期、何だかゆるく楽しい気持ちになる。
(だって一歩街に出れば、クリスマスとお歳暮というギフト商戦のため、デパートをはじめどこの店も、クリスマスの楽しげなデコレーションと音楽で賑々しく飾り付けているんだもん)
だから、状況に反して「遊び心」と「ホリデー気分」が高まってくる。
それにこの時期、「忘年会」という、れっきとした言い訳があるので、「飲み会を企画せねば」という気持ちになり、どうせだから行ったことのないあの店に行ってみようなどと、浮き足だってしまう私は、やっぱり人と会ったり食べたりするのが好きである。
この時期は、銀座の街もいつも以上に華やかになり賑わしくなってくる。
毎年、ミキモト真珠のクリスマスツリーの前には人がたかる
ふとツリーのたもとに目をやると、
可愛い雪だるまのライトが、ほのぼのと立ち見客を歓迎している。
私は子供の頃、クリスマスが一年中で一番好きだった。
イベント好きの私の母は、クリスマス、お正月、節分、桃の節句、十五夜、誕生日など、祝ったり食事をしながら楽しむ機会を決して逃さない人である。
毎回、かなり気合を入れて、イベントを“決行”していたように思う。
私は子供の頃のクリスマス時期、
しまって置いたクリスツリーを箱から出して飾り付ける楽しさ、ツリーに赤と緑のライトがチカチカと点灯したときの嬉しさ、クリスマス曲のレコードを聴きながら食べたイブの食事と、クリスマスケーキの美味しさを、今でもしっかりと憶えている。
しかし何て言ったって一番嬉しかったのは、25日の朝である。
朝になると、母やおば達から贈られる沢山のプレゼントが、枕元に置かれていて、赤や緑や金・銀の鮮やかな包み紙とリボンが目に入るやいなや、「わぁ~」という喜びの声が出てしまったものだ。
お菓子が入っているサンタのブーツも必ず毎年ついていたが、これを見るとクリスマス・ギフトっていう感じがして、妙に心を弾ませたものだ。
だから、まだ月日の感覚がしっかりとない子供の頃は、朝になり目が覚めると、母が家で掃除機をかける音が聞こえて、あぁ~まだクリスマスじゃないんだ、、、と、何度ガッカリしたことか。
大体、母のイベント好きは、母方の家系の特徴のように思う。
母の兄は、自分の誕生日にわざわざジャズのバンドを呼んで、パーティを開いていたし、
母の実家に行くと、なぜかいつも人が沢山いて、ワイワイとお酒を飲みながら御飯を食べていた記憶がある。
そう考えてみると、もしかしたら、私の「食事行かない?」とか「お花見やらない?」などと人を誘って食べたり飲んだりしたがる傾向は、母方の血のなせる業かもしれない。
そうならば、この師走の時期、キっと口を結び眉間に皺を寄せて、せっせと働く緊張モードに陥るものが、ゆるく「ホリデイ・宴会モード」が高まるのは、いた仕方ない。(遺伝子のせいなんだから、避けられないってことでしょう)
さらにいえば、1歳上の私の従姉妹(母の兄の娘)もよく似ている。
大体連絡がくるときは、必ず「フミちゃん、何か美味しいもの食べにいかない?」である。
ラテンな家系?
それはともかくとしてもですが...、
私は「人生、何ていってもバランスが大事でしょう」と考えるタイプである。
いい仕事をして一生懸命働いて、家族や仲の良い友人と楽しい時間を過ごす、
だからこそ、人生を楽しく感じ、周りにも感謝の念が持てるのだと思う。
何事も「楽しむ」ことで、仕事も人間関係もより良いものになっていくと信じている。
今年も第3土曜日は初島に渡って、この一年を振り返り、来年に向けての展望を作る予定である。
楽しい仲間と楽しく、未来を見つめるための良い締めくくりとしたい!
by bandoh
徒然なるままに : 17:10 : comments (x) : trackback (x)
2009-12-04 Fri
姉と母に誘われて、東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で、「清方ノスタルジア」を観ることにした。
鏑木清方の日本画の展示である。
最近、知合いが購入した日本画を観て以来、日本画への関心が高まってきている。
実は東京ミッドタウンに出来た「サントリー美術館」へ行くのは初めてである
というよりも東京ミッドタウンには、これまで2度しか行ったことがない。
1回目は、食事の後で友人らと連れ立って、1階にあるバーか何かでワインを飲み、
2回目はオフィス棟に会社がある友人と会ってランチを食べただけである。
そういう意味でも、ミッドタウンを探訪できる今回はいい機会である。
期待に胸を膨らませながら入場すると、まず下記の「春雪」の絵にすぐにパっと目を惹きつけられた。
昭和21年、清方が68歳の時の作品で、
清方が戦争中に、鎌倉から再疎開した先の御殿場で描いたものだそうである。
清方は暗い戦争のさなか、富士山の美しさに心を癒されて絵筆を取ったのかもしれない。
女性の結い上げた髪の生え際と、うなじの柔らかさの、はかない美しさに目を奪われてしまう。
岩絵の具を使った、自然な色合いは、本当に心に優しく染み入ってくる感じがする。
どの絵の女性が着ている着物と帯を見ても、色合いが美しく、心が落ち着いてくる。
東京の神田で生まれた清方が育った明治の時代には、まだ街中に江戸の面影を残す情緒豊かな景色がたくさん残っていたのだろう。
木造の建物、川にかかる橋、町で商売を営む人々の暮らしぶり、着物、結い上げた女性の髪、、
おそらく、今のように豊かでなくとも、文化的にも精神的にも、熟成し調和の取れた美しさが、そこにはあったのだと思う。
どの絵を見ても、時の流れの緩やかさを感じる。
女性はどこまでも、可憐で、実際の女性よりも、ずっと儚く美しく優しさに満ちている
だから、見ているだけで、自分の呼吸が深く整ってくるような感じがして、身体の力が抜けていくようだ。
明治から大正の時代を生きた女性の美しさは、やっぱり今の女性の美しさとは違う。
一緒にいた母は、懐かしむような声で、
「何だか、絵の女の人を見ていると、死んだ坂東の薫おばぁちゃんのことを思い出すわぁ~」と何度か繰り返しため息をついていた。
どうやら、母は、母にとっては義理の母となる、父方の祖母を思い出したらしい。
私は、母の言葉を聞いて、ふと祖母が亡くなったときの父のとても悲しそうな顔を思い出してしまった。
父は葬儀のときに、「あんなに優しい女性はいなかった.....」と、遠くを見ながらしみじみとつぶやいた。
そして、私は、立ち姿の女性の絵を眺めながら、どんなことも寛容に受け止めた父の優しさは、祖母譲りだったのかもしれないと考えてしまう。
そんな思いの中にいると、何だか、まさに“ノスタルジア”な世界に迷い込んでしまったよう。
清方の絵を前にして、少しぼやけてセピアのように色あせた、父の静かな笑顔と祖母の顔を思い浮かべてしまった。
ふと、父と祖母のいた過去の記憶をなぞりながら、清方の絵を一つひとつ眺めている内に、あることに気がついた。
それは、描かれた女性の多くが、みな一様に着物をゆる~く着ている点だ。
もちろん花街の女性を描いたものも多いので、ゆるく着物を着ている女性も多いのだろうが、
普通の女性も含めて、皆キッチリと着物を着ておらず、ゆる~い感じなのだ。
このゆるさ加減が、観ている自分の肩の力を抜く作用もあるんじゃないかと思えてしまう。
目を節目がちにして、ゆる~く、そして縦長に見えるよう服を着ると、女性はエレガントで儚く美しく見えるのかもしれない....
こんなに女性の立ち姿やポーズが美しく見えるならば、ちょっと取り入れてみようかしらなどと、考えてしまった。
柔らかい素材の服を選び、縦長細身で、気持ちルーズなシルエットを作るというのがポイントかもしれない。
ちなみに、展示されている作品数は、若干清方以外の作品も含まれるが、他の美術館や個人のコレクションから集めてきたもので120点以上ある。
時間があれば、もう一度見に行ってみたい。
さて、私たちは、少し歩きつかれた足を休めるために、ミッドタウンの建物エントランス部分にあるスタバでコーヒーを飲むことにした。
美しい絵を鑑賞して、一息入れるときの充実感、都会に住んでいることの便利さを感じる瞬間である。
座ってコーヒーを飲みながら、ふと上を見上げると、思いのほか、組まれた柱と天井が綺麗なことに気づいた。
自宅に戻って空を見あげて気づいたが、綺麗な月である。
この月を眺めながら、今晩は残った仕事を片付けることにしよう
by bandoh
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