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2009-07-31 Fri
「私は、この仕事をこのまま続けていても良いのだろうか...」とか、「私の人生お先真っ暗、このまま孤独に死んでいくに違いない」、「自分は一体何を求めているんだろうか...」と、人生ふと思う時がある。
そんなときは、大抵人生に飽き飽きし、現役で元気に働くキヤリア・ウーマンなんか止めて、家に引きこもって一日中パジャマ姿でボ~っとしていたいと思う。
しかし、資産家の令嬢に生まれたわけでもなく、経済的にそんなことが許されない私の場合は、現実的にそんなこと出来るわけがない。
「そんなこと言って、バンドーさんの場合、ご主人がいて働いてくれるじゃないですか~?」と知り合いの誰かが、突っ込みそうな気がするが、世の中そんなに甘くない。主人の会社は目下資金繰りが悪化していて、2ヶ月間給料が出ていない状況で、3ヶ月目となる今月だって出るかどうか分からない。
こういう時だけ、「ア~、相方が大手企業のサラリーマンだったらどんなに楽か」と思ってしまう。
しかし仮に家に引きこもって植物でも育ててズルズルしていたところで、どうせ飽きっぽい私のこと、いつしかその生活にも飽きて、こんな生活もうイヤ!!っと叫びだすに違いない。
なにせ、飽きっぽいタチの私は、どうにも"刺激"がないと、人生を生き続けるモチベーションが湧かないのではないかと思う。
そういう意味では、10代や20代の世間知らずの若いお嬢さんだった頃は楽だった。
どこか食事に連れて行ってもらっても「わ~、私、フグ食べるのって初めてなんです~♪」とか、「東京の夜景を眺めながらのホテルのバーって最高!」なんて、いとも簡単に刺激を得られた。当時そんな私を誘って連れ出してくれた男性は、きっと気分が良かったと思う。
友人との食事会だって、ちょっと名の知られたレストランや人気店なら、どこにいっても文句も感じずに、「わ~すご~い!」って、喜んでいられた。
ところがどっこい、30代をちょっと過ぎ35歳を過ぎたあたりから、刺激→人生を生き続けるためのモチベーションアップ→「人生を楽しむこと」は、自分なりにちょっと"工夫"をしなくてはならなくなったように思う。(だから、会社辞めて独立しちゃったりするんでしょうけど)
30代後半を過ぎても「人生を楽しむこと」、それは人によっても色々と工夫は違うと思う。
子供がいる人は、子育ての中で工夫するのかもしれないし、私のように子供のいない人は、仕事や趣味の中で工夫しているんじゃないかと思う。
私自身は、何かしら刺激がないと人生を楽しく生きてはいけないタイプなので、人生を飽きないために、意図的に自分なりに色々とやっている。
それはまとめてみると、坂東富美代の「人生を楽しむ」ための八か条となる。
その一:親しい友人との時間を持つこと 日常的に
幅広く、男女や既婚・未婚、働いている・働いていないに関わらず、自分に何かしらプラスの影響を与えてくれる友人との時間を作ること。
これはとても大事だと思う。
自分と境遇の近い友人であれば、悩み相談したい時に力強い味方となってくれる。今の仕事の悩みや方向性なんかも参考になる意見を言ってくれたりする。それに、友人が何か新しいことにチャレンジしたり、頑張っている姿を見て、自分も頑張ろう!と勇気付けられる時もある。
また、男性の友人との会話も重要である。女性にとって男性側の視点ってなかなか得がたいものだし、友人であったとしても男性と会うことで、自分が"女性"であることを自覚できる。ま、男性の目を意識することで、より女性らしくなれるのも利点としてある。
専業主婦や子育てママとの話しは興味深い。地域の出来事や行政の仕組みなど、社会の現状を改めて知ることができるし、子育ての話しは新鮮で面白い。私の場合、子育てママの友人は、主に学生時代の友人となるが、久しぶりに会ったときのファッション感覚の違いにも新鮮で興味を惹かれる。購読している女性誌が多分違うんだろうと思う。学生時代は共にJ.Jなんか読んでいたと思うが、子育てママ友人(働いていない)達は、VERYとか読んでいるんじゃないだろうか。それに対して私の場合は色々読むけど、参考にするのはプレシャスだったりする。
その二:旅行すること 毎年必ず
旅行も必須エンジョイ項目で外せない。
今いる場所を変えることによって、気分転換を図る。
日常的には、車で2時間以内で週末にサっと出かけられる景色の良い温泉地なんかが好きである。
近場であったとしても、海や山の景色を見るだけで、気持ちがリセットされる。
よく行く初島は、地場が良いのか、成分的には大した温泉ではないと思うが、ずっと浸かっていると、体調がすごく良くなってしまうから不思議だ。
海外旅行は、時差が大きかったりすると、その分旅が楽しくとも、家に帰ってきてドっと疲れたりするが、新鮮で楽しい体験が多いので、やっぱり内面的な変化を感じる。どんなに疲れてもまた行きたい!と思ってしまう。
旅行は、私にとってもっとも費用対効果の大きいリフレッシュになる。
その三:美味しいものを食べること 日常的に
家で作るにしろ、レストランで食べるにしろ、美味しいものを食べている時は幸せ~と感じる。
特に素材がよくて新鮮なほど、幸せ度は高くなる。
食材やその扱い方の好みが一致するレストランにはわりと頻繁に通う。
そして、時々評判の良い新しいレストランにチャレンジするのも悪くない。経験からすると残念ながら、6割以上の確率で好みと一致しないのだが、ドンピシャじゃない料理を食べると、自分の好みがだんだん見えてくるという面白さがある。それに新しい美味しさも発見できる。
ただ食事は気をつけないと、カロリーを摂取しすぎで体調不良を起こしたりするので、バランスには気をつけている。
その四:自然の美しさに触れる/本物に触れること 日常的に
自宅近所の樹木や花、景色の美しい場所にいって自然と触れる機会をなるべく作るようにしている。
不思議と自宅のテラスに腰掛けてしばし風にそよぐ樹木や、流れる雲をじっと眺めていたりすると、パっと良いアイディアが浮かんだりする。
それと美術館に行ったり、京都のお寺や庭をめぐったりするのも楽しい。
美しいと思うものと出会うと、ハっとして何だか心や体の細胞の一つ一つが細かく動くように感じる。いつまでも見ていたいと思う。
私の仕事も、自然やアートの中にある美と同じように、「美しい!」と人が感動するような質まで高めたいと思うが、やっぱり本物の美を見て体験し、発想することが大事だと思う。
「本物の美」と言えば、コンサートやショー、歌舞伎、昔から代々続く老舗のブランドの作品などもその類に入るだろう。
その点、東京という都会に住んでいるというのは本当に便利だと思う。そういったものの数が多い。
その五:新しいことや興味のあるものを学びアップデートすること たびたび
仕事柄もあると思うけれど、興味あるテーマについてはちょくちょく講演やセミナーに参加している。読書もその範疇に入る。
セミナーは長いものだと2年間のコースで学ぶというものあるし、短いものだと2時間位の講演がある。
たとえ時間が短くとも、新しい分野の開拓者で、世界的に有名な人たちの講演は面白いし、実際参考になることが多い。
仕事を独立してから5-6年が経過した頃、仕事に行き詰ったことがある。
独立前に目指していたものの多くを実現し手にしたものの、次に何を目指すのか見えなくなったからだ。
ある程度仕事の結果は出ていたものの、自分なりの専門領域をもっと狭めて、これなら私は誰にも負けないし自信がある!と、心底思えるものがなかったせいなのかもしれない。
思えば30代前半の頃は、米国人によくある40代のアーリー・リタイアメントにあこがれ、50歳以降は隠居しようなどと思っていたが、実際に自分が40代になってみると、当時とは気持ちがまったく変わっていた。それは自分の経験を通して、年を取っても、社会との接点を持ち何かしら役立つことを続けて行きたいと思うようになったことが大きい。それに対して自分が生涯何ができるのか?と考えた時に、このままでいいのか?という疑問が湧いてきたのである。
だから、もっと自己投資して成長したいと思うようになった。
しかし、実際に学び続けていると、学ぶことや知ることの"楽しさ"の方が強くなっているのも事実である。講演やセミナーに限らず、読書によって何かしら知り、気づき啓発されると、何だか人生が深まったりちょっとでも前進したような気になるからだと思う。
肉体はある時期から衰えていく宿命を持っているけれど、人としての智恵は深まり進化していくことができるものだと思うので、この一歩づつでも成長しているという「進歩感」が、幸福とか楽しさに繋がっているのだろうと感じる。
その六:毎年スローガンを決めること 毎年1回
会社を辞めて以来、ず~っと続けていることの一つである。
ここ数年でそのやり方も、私なりに変化してきている。色々な友人と長く付き合いを続けていると、自分も含め、「人には人生の四季がある」と感じ始めたからだ。春・夏・秋・冬の法則があるように思う。
そして、春・夏・秋・冬、それぞれの季節に応じた過ごし方や成長の仕方があると思う。例えば「冬」の時期は、木枯らしが吹いたり暗くて厳しいことが多いけれど、この時に無理をせずコツコツと次の季節に備えて準備・努力を行うと、次の季節がより豊かになるというように。一つの季節が大体何年周期なのかは人によって違うようにも感じる。
私の場合は、ここ最近は、春夏秋冬を意識しながら、9年1サイクルを意識している。
例えば「1の年はスタートの時期だから何か新しいことを始めてみよう」など。そして自分の大切にしている価値基準に照らし合わせて、色々やることを大雑把に決めていく。これを毎年1回、年末の12月に仲間と共に行っている。
そうやって今後の2-30年の人生に向けて、1年間の大きな的を決めておくと、自然と身のまわりに何かしら必要なことが起きてくるから止められない。
知らない人が聞いたら「うっそ~!そんなに簡単に起きてくるわけないよ」と言いそうだが、そう言う人の場合、大体持っている「目標」とか「評価の基準」が私よりも高いのだと思う。
私の場合は、変化や成果は小さなことでも逃さず「やった!」と思うようにしている。そして次の一歩をどうしようかな~っと"ラフ"に考えるようにしている。大体私は、目標に向かってキチキチっと全体プランを作り、根をつめて取組んでいくのはあまり好きではない。多分、そんな風に取組むと、あまり楽しくなくなってしまうので、本末転倒になってしまうからだと思う。根っからお気楽で飽き性なんだろう。
もしかしたら、私の場合、これが「人生をより楽しく生きる」ための核になっているのではないかと感じる。
その七:家族との時間を大事にすること
夫婦、母・姉・甥・姪など、やっぱり感謝と思いやりを持って接することが大事だと思う。
家族とのコミュニケーションや関係は、社会との関わり方の基本になっていると思うので、おろそかにしてはいけないと感じる。
夫婦喧嘩して上手くいっていないと、イライラしていることが多くて、出る言葉もキツいことが多い。
ソニー生命の友人は、「夫婦仲が上手く行っていない奴は、表情や行動に出るから、周りはみ~んな分かっちゃう。そういう奴がいると、周りで"アイツ、絶対奥さんと最近上手くいってないよね..って、噂しちゃうんだよね。」と笑いながら言っていたが、その通りだと思う。
家族は身近ゆえに、相手に対してある種の期待(~するべき/あるべき)とか、甘え(ほっといても大丈夫/言わなくても分かるはず)が出やすいものだと思う。だから、やっぱり一緒に過ごす時間を、良いものにしようと思っておくのが、私なりの楽しさ/円満のコツかもしれない。
そうやって家族とのことも、相手の立場になって考えて行動すると、相手からも同じような反応が返ってきたり、おのずと会話にも楽しさやゆとりが出てくる。
(生身の人間ですから、時々憎まれ口をたたいて母・姉に叱られたり、相方をシャープな一言で恐怖のどん底に突き落とすことがありますが、私なりに努力はしています。(ハハハ)
相手に喜んで貰うと、自分も嬉しくなるのは、当たり前のようでいて日常忘れがちなことだと思う。
その八:人の役に立つことをする 気づいたら
つまりは、誰かに喜んで貰ったり、感謝されると、自分が嬉しくなってHappyになる。
といって、何か頑張ってボランティアに精を出しているわけではないし、特にマザーテレサのようになりたいというわけではない。
この八番目は、一番目から七番目までを意識すると、結果として八番目にたどり着くのではないかと感じる。
心に余裕と楽しさを持って、人に感謝し学ぶ姿勢を続けていると、おのずとWin-Winの気持ち、人を勝たせて自分も勝つという意識になるのだと思う。
何かしら誰かの役に立てる人でありたいなぁ..という感じ。
だから日々、仕事とか生活の中で、周りをよく観て出来る範囲で行動している。
自分がしたことで相手が喜んでいるのが分かると、私の場合、益々「頑張ろう!」と思ったり、「仕事続けていて良かったなぁ」とか「見知らぬ人だけど何か共鳴したな~」など、しばらくはとってもいい気持ちが続く。
だから人生を楽しく生きたかったら、人の役に立つことをするというのは、外せない。
人生をエンジョイする工夫は人によって違うものだろうけど、こうやってまとめてみると面白い。
もしかしたら、この先、また年齢を重ねるごとに、この八か条に何か加わるのかもしれないが、それもまた楽しみなのかもしれない。
by bandoh
徒然なるままに : 15:21 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-29 Wed
7月の3連休、山中湖に新しくオープンした
エクシブの"サンクチュアリ・ヴィラ"に宿泊した。
蒸し暑いヒートアイランドをちょっとの間、離れることが出来る。
そして、久しぶりの母、姉、私の親子三人での旅となる。
本来はここに姪も来る予定だったが、試験の最中で参加できなかった。
"食いしん坊"で好奇心の強い姪のことゆえ、この旅を逃したことは、さぞかし残念だったろうと察する。
私が仕事の関係で日程を変更したためで、姪には悪いことをしたと思う。
(あずさ、ごめんね。次回埋め合わせるからね。)
ホテルに到着後、メインロビーで出されたジュースを飲みながら、
新しい施設をキョロキョロと見回す。
天井の高いロビーの両サイドには、イタリアンレストランとライブラリーがある。
イタリアン・レストランはそれぞれが個室ということで扉がピタリと閉ざされているので、中を見ることはできない。
奥の壁は、富士山が見えるように、庭に出る扉をはさんで、全面がガラス貼りになっている。
となると、やっぱりガラスの扉を開けて、庭に出てみたくなる。
山中湖の後ろにそびえる富士山は、
真綿にくるまれたように雲が取り囲んでいる。
空気はひんやりと冷たく、季節が夏であることを忘れてしまいそうだ。
ここには、温泉があるのでちょうどいいかもしれないと思う。
お腹がすいた私達は、
ホテルの車に乗って、サンクチュアリから軽く食事が取れる本館のラウンジへ移動。
車といっても、ほんの1分くらいの距離である。
しかしながら、ずっと坂道を登ることになるので、
姉と私にとっては、歩けばちょうど良い運動になるが、
坐骨神経痛持ちの母にとってはちょっと厳しい道となる。
話しは変わるが、
ウチの母は、お昼に甘いものを食べる習慣がある。
ホットケーキ、菓子パン、ケーキなどのスイーツを必ず食べる。
お昼に外食しお蕎麦やパスタなどを食べても、必ず食後にデザートを食べる。
(戦時中の砂糖が欠乏している時代に育っているので、甘いものを求めるようになったのかもしれない。)
そして、私と姉の母、3人の中で最もよく食べる人は、"母"である。
齢70歳を超えても、食に対する好奇心は衰えていない。
この日も、いそいそとメニューから大好きなチョコレート系のケーキを選んでいた。
母は、甘いもの好きで、かつよく食べる人だが、太っているわけではない。
おそらく体質なんだろうと思う。
身長は150センチに満たないので、小柄で機敏にサササと動くタイプの人である。
だから私は、母をみると、ナッツなど"木の実"を連想してしまう。
小さいけれど、栄養が詰まっていて、歯ごたえがあり風味もしっかりとある。
だから母は実際に話したり付き合ってみると面白い。
いつの頃からだろうか、
私が大人になってからは、母のことを可愛いい人だと感じるようになった。
子供の頃は、母が般若のような怖ろしい形相で私達を叱るので、母のことはある意味怖ろしかった。(笑)
「何回言ったら分かるの~!!駄目だって言ったでしょう!!!!」
という母の怒った時の声とパワーをよく憶えている。
こうやって子供心にも、女性というのは感情的でおっかない生き物なんだと悟ったように思う。
そして、母の機嫌が悪い時に、尻尾を踏んではいけない....と。
大体にして、怒られるとき、私は姉の横で小さくなって目立たなくしていたように思う。
もしくは怒られる前にその予兆を察し、くるりと回避するなど。
妹の要領の良さは、こういったシチュエーションで磨かれるのかもしれない。
その点、姉は子供の頃からおっとりしていて、
母の怒りのバロメーターの変化に気づかないことがたびたび合った。
例えば、夕食後のお皿洗いを姉が母から頼まれたとする。
姉は「いいよ、私がやるから」と快く引き受ける。
しかしのんびり屋の姉は、皿洗いを引き受けたものの、
自分の好きなTV番組が始まってしまうと、居間でTVにじ~っと見入っている。
母は性格的に、ものごとは速やかにサッサと片付けるのを信条としている。
だから、姉ののんびりした様子を見ながらイライラしてくる。
最初は比較的冷静な声で、姉に声をかける。
「祐子、お皿洗わないの?」
「洗うよ。」
と母の声には振返りもせずにテレビを見ながら答える姉。
あ、、まずいな...と空気を感じ取る妹の私。
しばらくそんなやり取りが母と姉の間で続く。
その内、業を煮やした母が、
「もういい!!やらなくても。私がやるから!」
と腹立ち紛れにクワ~っと叫び、小さな体ですばやく台所に突き進む。
あ~やっぱり来た。
"お姉ちゃん、なんでお母さん怒るの分からないんだろう"と内心思う妹。
姉は姉で、自分がやるといったのに、母がお皿を洗い始めてしまったのを見て、あせって台所へと立つ。
「やるって言ってるんだから、テレビの後でもいいじゃない~。」
と半ば泣きそうになりながら、母を説得しようとする姉。
「こういうものは、すぐにやらなくてはならないものなの!」
と譲らない母。(母は潔癖症に近いくらいの綺麗好きでもある)
「今洗っても、後で洗っても、洗うことには変わりないじゃない~」
と必死で訴える姉の言葉は、宙をさまように力なく漂い細く消えていく。
母のテキパキお皿洗いをしている背中からは、
無言の「そんなの駄目です」オーラが燦然と放たれているからだ。
そんなノンビリ屋の姉も、今ではお皿も速やかに洗うテキパキした主婦になっていることを考えると、
母のあのピリっと怖い理屈を超えた?教育のせいかもしれない..。
そんな母も私達が大きくなると、叱ることはなくなった。
"娘も大人だから、もう言うのはよそう。"と思ってのことと以前は解釈していたが、
母よりもはるかに身長の高い私達を怒るとき、母は上を見上げて説教しなくてはならない。
その姿に、密かに滑稽さを感じていたのかもしれない。
さて私達姉妹は、そんな怒った母が怖かったとしても、母のことは大好きであった。
母が愛情深く家族や子供を大事にする人だからということもあるが、
母には天然系のユーモアがあるので、家に中にいつも笑いがあったことも大きいと感じる。
考えてみると、今でも母は、
私達姉妹が困っている時には、いつも尋常ではない素速さで、"目の前に登場する"のである。
「さぁ、私が来たから大丈夫よ!」という感じで、まさに助っ人登場である。
父が生きている頃は、おそらくノンビリ屋の父をたきつけて、車を運転させていたのだろうと思う。
幾つになっても、美味しいものには目がなく、
ワクワクするエネルギーを持つ母は、若々しくて可愛らしい人であると思う。
それと同時に、相手の心情を感じ取り、相手が手ひどい失敗をしたときは、決して責めず判断せず、話しをただじっと聞くことのできる懐の深さを持つ人であると思う。
先週のある日の午後、ティモシー・マクリーンというアメリカ人のカウンセラーの男性と会った。
仕事の話しを色々と聞き、お互いに情報交換するためだ。
そのティムが、私のことをこんな風に語った。
「Fumiさんは、若いワクワクするような女性のエネルギーと、落ち着いた大人の女性のエネルギーの両方を持っていますね」と。
私はその彼の言葉を聴いて、ハっとした。
それは、私が母に感じている雰囲気そのものだからである。
私も母のような可愛いおばあちゃんになれるのかなぁ.....なれたらいいけど、
そのためには、母から学ぶべき点が、多々あるのでしょうねぇ。
もっと、話しを聞かなくては!!
by bandoh
徒然なるままに : 11:33 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-20 Mon
前回の恋愛ホルモンパート2を書いた後、
「"オープン・クエスチョン"で相手に選ばせるっていうの、家庭内でも参考になりそうです。」
と男性から、メールでコメントが寄せられた。
実は私も、恋愛の場面というよりは、家庭内における自分のコミュニケーションを振返ってしまった。
考えてみると、
食事や旅行などは、私が幾つか考えて提案し、確認を取るケースが多い。
(休日にうっかり相手の提案を呑んで"蝋人形館"や"有名人宅巡り"に行くことを避けるなど、色々と理由はあるかもしれないが)
オープン・クエスチョンをあまり意識していないと思う。
ということで、
まずは旦那さんとの携帯メールのやり取りから、オープン・クエスチョンを意識することにしてみた。
>今晩はどこか食べに行きますか? 私
>OK。どこでもいいけど、さっぱりしたものがいいなぁ~ 彼
>了解。じゃ~、最近近所にできた店の"かんぴょう"なんかどう? 私
>いいです。 彼
>時間は? 私
>6時30分でお願いします。 彼
アンダーラインの部分が、意識した部分である。
いつもだったら、"かんぴょういこうよ~"から始まるものを
"どこか食べに行きますか?"とオープン・クエスチョンを使って、やり取りが進んだ感じ。
ちょっとしたコミュニケーションの工夫ですね。
さて約束の6時30分に"かんぴょう"に向かう私。
しかし、ショック
お店が閉まっている....
仕方ないので、気を取り直して生牡蠣とワインが飲める別の店へと向かってみる。
良かった、ここは開いている。
状況を伝えるため、相方の携帯にメールと、留守番メッセージの両方を残す。
しかし返事が戻ってこない。
また10分後に連絡を入れるが、留守電になっていてノーレス
既に約束の時間は20分を過ぎている。そして表は夕暮れ時とはいえ蒸し暑い...。
何となく嫌~な予感が走る中、
くだんの生牡蠣のお店で、軽く飲みながら相方の到着を待つことにした。
よく冷えた天然の岩がきと、真がきをそれぞれ1つづつ頼む。
そしてベリンジャーのシャルドネもグラスで頼む。
大ぶりな岩がきと、小ぶりであっさりした真がきがである。
カキを2つ食べ終えたが、相方からの連絡はない。
仕方なく、青パパイヤとエビのサラダを頼んだ。
そして、手に持っている新聞を読み始める。
サラダを食べていても連絡がないので、
仕方なく自家製さつま揚げを頼んだ。
自家製さつま揚げ、イカやしょうがが荒く入っていて結構美味しい
気づくと、出されたものは全て食べてしまった。
何だかお腹が一杯になってしまっている。(やばい)
とその時、携帯電話の着信音が。
相方から申し訳なさそうな声で
「あのね..今から、平町の事務所を出るんだけど、今どこ..?」
時計を見ると、何と既に午後7時20分。
"50分も待たせて連絡を入れないとは何事じゃ~!"
"しかも平町からここまでは、今から30分はかかるでしょ~!!"
と言ってみたい気もしたが..、
結構ムっとしながらも、オープン・クエスチョンの練習がどうしてもしたい私。
(先に食べちゃったから、罪悪感あるし)
「"かんぴょう"は閉まってたから、違うお店に来て食事してるところなんだけど、どうする?」
「あっ、じゃ、そっちに行くことにする。」
「分かった、じゃ私は駅前のカフェに移動しようと思うけど、どうする?」
「あ~あの店ね。分かった、そこに行く。じゃ待っててね。」
しばらくして、相手が怒っていることを予期し
しょぼくれたフレンチブルのような目をした彼がお店に到着。(何だかおかしい)
次のプランを決めた。
完璧なオープン・クエスチョンじゃないけれど、
色々なシチュエーションで使えることを改めて発見。
「遅れてばか~!早く来て!」と言うのも正直な表現でスッキリするんだけれど、
時々は、余裕を持って対応するのも悪くないと感じた夏の夜の一コマでした。
by bandoh
徒然なるままに : 11:46 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-16 Thu
なかなか好きな男性が現れないと言っていたアラフォー友人A子に、最近、好きな人ができた。
それを聞いて「恋愛ホルモンが来た!」と喜んでいる私。
恋もせず、ものすご~く仕事に没頭していた時期のA子とは雰囲気がやっぱり違う。
何だか、乙女のようだ。
いつもは、率直でクールな語り口のA子も、
話しが、好きな男性のことになると、
うつむいたり、なかなか言葉が出てこなくなったりと、180度態度が変わる。
かなり、可愛らしい...?感じである。
しかしながら、A子はまだ相手に告白をしていないし、
二人っきりで食事に行ってもいない。
仕事に対しては、ものすごく積極的だけれど、
恋に対しては、消極的となるようだ...。
ちなみに彼女が好きになった相手は、年下で、彼女の方が地位や給料も高い。
そして最近、また出世した彼女は、更に彼との距離(年収?)が開いたとも言える。
う~む、こういった"差"について、一般的に妙齢の男性はどう思うのだろうか???
先日、A子と私、他の二人の"女性の先輩"を誘って、4人で食事に出かけた。
お誘いした女性の先輩達は、仕事ができて、かつ二人とも恋愛能力も高い美人である。
片方の先輩は、妖艶で女優のソフィア・ローレンのような雰囲気を持っている。
そういえば、ソフィア・ローレン似の先輩は、
日本人の男性にもモテるが、外国人男性にもよくモテる。
大体、外国人男性の「恋愛ホルモン」の反応は分かりやすい。
美しいソフィア似の先輩と話しだすと、彼等の瞳は、パっと大きくなり、そのうちキラキラと光りだす。
さて、その夜の4人の話題は、当然、最近のA子の恋の話しとなる。
「え~、Aチャン、好きな人できたの~!」
「おめでとう!!」
と皆で声をそろえて、ひとまず乾杯
その言葉に、嬉しそうな顔をしながらも、恥ずかしそうにうつむく友人A子。
(あっ、また別人化していると思う私。)
「でも、あの~、実は、私まだ一度も二人で出かけたことがないんです...。」A子
「あら、そうなの~、それは出かけないとね。」
「そうなんですよ!だから、今度、思い切って"銀座に一緒に行かない?"って誘うかと思っているんです。」
と目を大きく見開きながら宣言するA子。
すると..
「Aちゃん、駄目よ、それは。」とキッパリ告げるソフィア似先輩。
「エ~、どうしてですか??」と声をそろえて驚く私とA子
「だって、"銀座に一緒に行かない?"っていうのは、
あなたがイニシアチブを取って決めてるってことでしょ?
そうじゃなくて、こちらから誘うなら、
"今度、一緒にどこか行かない?"って言わなきゃ駄目よ、Aちゃん。」
と諭すように語るソフィア似先輩
「.......。」二人
「つまりね、"銀座に行く"と、あなたが選ぶんじゃなくて、相手に行きたいところを選ばせなきゃ駄目。
自由に答えられるオープン・クエスチョンじゃないと。
そうやって相手に"イニシアチブを取らせる"形にするの。」ソフィア似先輩
「わたし、今まで、そんなこと考えたことがなかったです。今、目からウロコが落ちたような感じ~。」と甲高い声でやや興奮気味に反応するA子
「それに..、もし初めて二人で食事に行くなら、地下のお店は避けた方がいいわね。
窓から景色とかが見える"開放的な場所"の方がいいんじゃない?」とついでのアドバイスも忘れない先輩。
う~ん、男性にもてるソフィア似先輩ゆえに、そのアドバイスには信憑性を感じる。
(そうやって、男勝りな一面を持ちながら、男性諸氏を立てているのか....)
好きな相手には、オープン・クエスチョンで選ばせるか....
確かに"もし銀座に行かない?"って誘って、相手が"いいよ"って答えても、デートは成立するけれど..、
「今度の土曜日どこか行かない?」と誘って、相手が「いいよ」と答えたら、
その後こちらから、「じゃ、どこに行きたい?」って聴けば、相手は考えてどこかを答えることになる。
つまり相手も、考えて選んで提案することで、デートにより積極的な意識をもつわけだし、自分が二人の間では"イニシアチブを取れる"ことを、無意識が感じ取る。
それに、「あなたと出かけたい」ということを、よりアピールできることになる。
私だって、男性から「今度銀座に行かない?」といわれるより、
「今度どこかに一緒に行かない?」って誘われる方が、ドキっとする。
"銀座"って指定されると、
銀座に行きたいところがあって、ついでに私が誘われた感じが若干する。
でも、"どこかに一緒に.."と言われると、
"私と出かけたいんだ"という気持ちを、強く感じる。
「銀座に行かない?」と「どこか一緒に行かない?」
ほんの小さなコミュニケーションの違いだが、考えると意味は深い....。
すごいわぁ.....。さすが、先輩。
ともかくも、今後のA子の恋の行方が楽しみである。
ちなみに、4人で食事した店の"牛タン" 安くて美味でした。
恵比寿の炭火焼"りん"というお店です。
by bandoh
コーチング : 23:09 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-13 Mon
暑い日の夕暮れ時、久しぶりに会う友人と3人、青山で食事をすることに。
約束の時間の5分前にお店の入口に到着すると、
それよりも一足先に到着した友人の後ろ姿がある。
律儀な彼らしいと思いながら、その姿を見つめる。
もうひとりが到着するのを待ちながら、彼の最近の話しを聴く。
ニカっという特有の明るい笑顔を、時々見せて話す彼の話しは、仕事や家族の近況も含めて、毎回色々な示唆に富んでいて面白いと感じる。
友人は、個性的で大手企業の管理職なのだが、一見するとそういう風には見えない。
ジャージ姿で、顔を赤くして汗をダラダラかき、額にねじり鉢巻のように、タオルを巻いて飲んでいる姿などを見ると、威勢のいい大工の棟梁にも見える。
さて、今年の春頃に、新しい部署の管理職となった友人の部下は年上ばかりらしい。
何と10名近くいる部下のうち、1名を除いて全員が年上。
「え~、殆どが年上! それは、すごいね。」
「大変ですよ...。それはもう。」とつぶやく友人。
「それでどうやって、マネジメントしているの?」という私の質問で、実に興味深い彼の体験談を聴くことになった。
一番年上の部下は彼よりもはるかに年長で、20歳近く離れてる。
そして、唯一年下の部下は、彼よりもずっと若いが、問題のある部下で、困ったチャンらしい。
しかも、チーム全員が、友人の着任当初、現在のチームが嫌で、それぞれが、他の部門への異動を希望していたそうな。
しかし、引き受けたからには、きちんと成果を創りたいと思い、
とにかく頑張ろうと思ったと言う。
一番年長の部下X氏は、長い管理職としての経験があり、結構頑固一徹なタイプ。
私の友人に対しても、ミーティング中、
「君のやり方は間違っている」、「それは違う」といった指摘を、部下の前で度々していたそうだ。
そこで、友人はX氏とミーティングを設けることにした。
X氏の考え方など、汗をかきかき、じっくりよ~く聴いた。
その上で友人は改めて、
「僕は、このチームの責任者として、こういうことをチームで実現したいと思っています。」
という彼のチームのビジョンや方針をハッキリと伝えた。
そして、それについてX氏に「協力して貰えるよう"お願い"」したそうだ。
"部下といっても年上なんだから、頼む→お願いするのが当たり前でしょ"、というのが友人の考え方。
その考え方のベースには、「リーダーなんて、メンバーが動かなかったら、何にもできない。相手が協力してくれなければ、何も始まらない。」という考え方がある。
「だから、相手に対する感謝の念というのは、変な話し、いつもどこかにあるんですよ。
僕はそういう意識って、言葉には出さなくとも、相手にも伝わると思うんですよね~。」と友人はビールを飲みながら、しみじみ言う。
彼はリーダーシップを取る上では、「感謝の念」を持つことが、やっぱり大事と感じるそうだ。
ちなみに、「相手が年下部下だったら、どんな風に頼むの?」と私が好奇心から聴くと、
友人は、「一緒にやろうよ!って言うよ。」と当然のように答えた。
その後、友人はじっくりと最年長部下X氏を観察し、何かしら自分との共通項を探し始めた。
そしてある日、ふと、彼の話し方の特徴、地方出身者と思えるわずかなアクセントに気づいて、思い切って尋ねてみた。
「○○さん、失礼ですけど、どちらのご出身なんでしょうか?」
そして、X氏の答えを聞いて、友人は驚いた。
何と、自分と同じ県の出身で、しかも彼が育った町は、友人もよく知っている町だった。
「え~!!」という驚きが二人の間に走ったのは言うまでもない。
そこから、友人とX氏の距離はイッキに縮まった。
友人は、何か彼が興味を示しそうな、地元に関する記事やイベントがあると、さりげなくX氏に情報を渡すようにしている。
そして、X氏は、ともするとその頑固さからチーム内で孤立し浮きがちだったのだが、
友人はなるべく、チーム内で、X氏が孤立しないよう要所要所で配慮し、様々なことに橋渡しを心がけた。
更に、それらと同時並行的に、他の年上部下にも、基本的には同じ対応を取った。
じっくりと相手の話しをよく聴き、友人がチームで実現したいと思っていることを伝えて、「協力をお願いする。」
そして、部下の一人ひとりをじっくりと観察し、何かしら自分との共通項や相手の興味を発見し、地道な信頼関係を築いていった。
そして、部下がデータを分析し報告書をまとめれば、上長が集まる場での報告は、必ずメンバーに任せるなど、
実際に彼等の仕事へのモチベーションが高まるよう、彼等の仕事の手柄にスポットライトがあたるよう心がけた。
一段ハードルの高い、難しい仕事については事前に話し合い、
何かしら支援策を必ず立て、最後まで出来るようサポートを行った。
友人は、地道なルーティーンの仕事も含めて、必要な時には何かしら部下を手助けした。
そうこうする内に、チームの雰囲気はガラリと変わって明るくなり、誰もチームを出たいと言わなくなった。
ふ~ん、なるほど。
「積極性」と「謙虚さ」が微妙にミックスしている友人らしい話しと感じた。
彼には、昔から続けて、ずっとやってきていることがある。
非常に基本的なことだが、「挨拶」である。
相手が返事しようとしないに関わらず、自分から元気よく明るい声で、必ず全員に声をかけるそうだ。
「そうやって、何があっても自分から、毎回毎回、人に声をかけていると、必ずそのうちに向こうから声をかけてくるようになるんだよね~。」
と明るくニカっと笑いながら言った言葉を、ハッキリと私は憶えている。
「それっていつからやっていること?」とその時ふと訊ねたら、彼はこう答えた。
「中学校時代かなぁ~。」
年季が入っている。
「何がきっかけでそうなったの?」と再び私。
「実はさぁ、僕って転校生だったんだよね。それで、最初はクラスの番町格みたいな奴やその取り巻きに"なんだコイツ"って感じでいじめられたんだよ。」
「あ~、いるよね、そういういじわるな子、それで、どうしたの?」
「それでも、気にしないでニコニコ笑って、他の皆に声をかけてたんだよね。そしたらさ~、しばらくしたら、いつの間にかクラスの殆どの人間が、僕と仲良くなっちゃって。結局、番町格だった奴よりも味方が増えちゃったんだよ。」
「それって面白いね~。何だか、北風と太陽の話し、思い出すわ。」
「アハハ、そうかもね。でもさ、そしたらさ、いつのまにか番長の方から近寄ってきてさ、仲良くなっちゃったんだよね。」
職場内で部下を育成したり、チームをまとめて一つの方向性に導き成果を創っていくことは、リーダーとしての意識が高い人であれば、日々考えるテーマだと思う。
それぞれのやり方があると思うが、多くの仕事の出来るリーダーに共通する点は、「部下から信頼されている」ということだと、友人との話しで改めて感じた。
以前、安藤忠雄さんも講演会で、「リーダーは何かやりたいと思っても、チームがなくちゃ、成果は創れない。だから仲間とのパートナーシップはすごく大事なんですよ。」と語っていた。
チームというよりは、個のイメージ強い建築家の方ゆえに、その話しは新鮮に響いた。
そんなことを考えていたら、
翌日の朝、友人からのお礼のメールが届いていたことに気づいた。
> さて、実はここ最近仕事で、「なんなんだよ!」って、
> なんでもかんでも俺のところに仕事を回すんじゃない!
> って状態でかなり怒りモードだったので、昨日は本当に
> リフレッシュできました。感謝です!
私は、友人から色々と興味深い話しを聴けて感謝の気持ちを持っていたのですが、
先に彼からの「感謝」の言葉が送られているとは。
見習わなくては。
by bandoh
コーチング : 13:41 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-11 Sat
汐留で研修が終って、六本木アカデミーヒルズに駆けつける。
この日の夜の講演「"美"という21世紀の文化資本」に参加するためだ。
何となくタイトルに惹かれて、仕事には直接関係のない分野のテーマではあるが、1週間位前に申し込みをした。
スピーカーは、資生堂の名誉会長の福原義春さんと、
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授の伊藤俊治さん
大きな会場だったので、300名位の参加者がいたように思う。
テーマは、「美」について、その精神性を広義に学び、日本人が継承し、進化させるべき文化のゆくえについて考え、日本の最も重要な資源は美意識であることの確認とある。
対談形式の講演は、伊藤教授の"「美」という21世紀の文化資本を通して、今日本が見失ってはならないことは何か?"という問いかけから始まった。
講演では、次のようなことが語られた。
政治や都市の中で、"美"をみつけるのが難しくなってきてる。
"美"とは何か?
それは生きることと深く結びついており、日本で最も重要なもの"美意識"である。
日本人には"美意識"があり、あらゆる組織、会社、学校、団体など、皆"美意識"がある。
会社の製品やパッケージだけではない、マーケティング活動やあらゆるものに"美意識"がある。
資生堂の歴史から言えば、創業137年、明治5年に創業。
当初はデザイン的な思想はなく、ありきたりのパッケージと商品を使っていた。
その後、アールヌーボー、アールデコを取り込み、それらしい人を集めてデザインの傾向を決めていくことになる。
つまりヨーロッパのデザインを取り入れたのだ。
そして、19世紀にデザインで行き詰まっていたヨーロッパでは、中国やインド、日本などの異国的な要素を取り入れてアール・ヌーボー、アール・デコが生まれた。ヨーロッパでは一足先に東洋のデザインを取り入れていたのだ。
そうやって考えると、東洋のデザインや美の様式を取り入れたヨーロッパのデザインを、日本がまた輸入したことになる。
そして、資生堂はデザインを通して、それを再びヨーロッパに持っていたことになる。
今日では、当時の資生堂のデザインを、仏の学生達がずっと30分間眺めていたりする。
昔から文化はキャッチボールのように、常に交流していて、今や世界中に"美意識"が高まってきているといえるだろう。
ヨーロッパのブランドは、過去から現在に至るまでの独自の製品を保存している所が多く、美の変遷を時代の特性や過去のデザインを通して学ぶことができる。
例えば、ルイ・ヴィトンのトランクの形は、大西洋を船で横断する旅が主流だった頃は、船のベッドの下に入れるため、平たい形となっている。
しかし、旅が飛行機に取って代わると、トランクの形もまた変わっていく。
ただ残念なことに、日本の企業では、過去にいたる商品を保存しているところはあまりないらしい。
若い人たちが、日本の美の変遷について学ぶ資料があまりないということになる。
福原教授は語る。
「日本には"文化資産"はあるのだが、"文化資本"という概念が薄い。」
つまり、日本という国や会社には、歴史やプロダクトを通して"文化資産"はある。
しかし、その文化資産を使って、また新しい文化資産を創るのが、"文化資本"である。
次の世代の人たちが、見て学んで、光るクリエイションに繋げていくことが大事なのである。
1999年頃から、福原教授は"文化資本"という言葉を使い出し、その頃から意識するようになった。
これからの日本企業が、中国や東南アジアのように安い労働力に対抗していくことには限界が来ている。
そんな中、企業にとっては"美意識"という資源をどのように生かしていくのかが必要であり、発展の鍵でもある。
日本人がもう一度見直すことは、長い時間をかけて培ってきた、「美意識」を甦らせること。
美意識に基づいた、車、家電、ホテル、インテリア、家の中、ホスピタリティが付加価値として注目されている。
歴史を見ると
平安時代には、中国、宋や唐から文化が入ってくる。
その後、"大和的な文化"と"唐"や"ペルシャ"的なものが衝突して、両方ともに共存していくことになる。
江戸時代には、そういったものが洗練化されていく。
明治時代には、ヨーロッパの文化が流入。また、文化が衝突し、共存して今日に至る。
私たち日本人は、常に2つの傾向を行ったりきたりして、新しいものをクリエイトしてきたのである。
しかし今日を見ると、アメリカ文化が入ってきたが、衝突せずに、アメリカ文化に取り込まれてしまった感がある。
「異質なものを共存させて両方残してきたのが日本の特徴であり、今日ではそれが失われつつある。」
それが問題なのではないかと思う。
日本の「ハイブリッド・カルチャー」
常に2つのものを共存させることを通して、新しい物をクリエイトすること。
それが特徴である。
日本の第一世代が縄文時代だとしたら、第二世代は大陸から文化が入ってきた頃であろう。
そして第三、第四世代は、西洋文化を共存させることで、新しい日本が現れなくてはいけない。
特に21世紀は第四世代というべき時代で、多くの物を吸収しながら、新しいものをクリエイトしていく時代となる。
日本人の中には、長い年月をかけて培ったものが、"遺伝子"レベルに刻み込まれている。
明治から肉食が始まったが、そう簡単に体質は変わらないものである。
そう考えれば、すぐに覚醒しやすい環境にあると思う。
かつて日本に滞在したタルトは、日本の工芸や民芸に見せられた。
日本人が気づかないところに「美」を見出し、そして高崎や仙台の職人と共に、それらを徹底して調査、研究し、組織的に収斂している。
そして日本の作品の中に、「宇宙的な精神を見出そうとする」という特徴があるという。
「幻想的な原型意識」は、忘れてはいけない日本の物づくりの基盤であると。
日本の美意識の母体は自然である。
自然の奥底にある生命感がもとになっている。
だから現在のように、例えば高層マンションに住んで、風もシャットアウトし、自然を感じる機会がなくなってしまうのは、あまり良いことではない。
もっとエコロジー的なものが進めば、それにつれて日本人の美意識や感性も、もっと豊かになってくるだろう。
日本人が美意識を回復していくためには、
自然の中に奥深く入っていくことで、体験し、蓄積していくことが大事である。
それが美の体験学習となる。
もっと、自然と触れ合う時間を作ることが大事である。
子供の頃から、沢山の花を見、自然の風景を見て、その積み重ねがあればある程、美意識や感性が豊かになる。
また、いい映画や、本、美しい着物の衣装などの本物を見るなど、美の体験を積むことが大事である。
PCとゲームの繰り返しでは、美の感性は磨かれない。
美に触れると、人生において何が大切なのか考え直される。
生きのびることの指針を示すことになる。
不況や困難な時代であれば、人々には"美"が必要となるのではないだろうか。
美は、生命力や、活力を与えてくれるものであるから。
私は講演を聴きながら、色々なことを連想した。
今、起きているパリでのジャパン・エキスポのことや、三菱重工の高砂製作所で見た超巨大なガスタービン、最近観た阿修羅像など。
きっとスピーカーのお二人は、海外の若い人たちに強い影響力を持っている日本の漫画やアニメを美とは認めないだろうな...。
でも、私はそれらは、"文化資本"となる可能性の高い、日本の"文化資産"だろうと思う。
作品の全てではないが、その底にあるのは、大人の感情表現を理解し、子供心を残した若者の心を捉える、日本人の中だけにある独特な感性と表現力、ストーリーが磁力になっているのだろうと思う。
以前案内されて見た三菱重工のガスタービンには圧倒された。
案内してくれた男性管理職の方はこう力強く語った。
「良い製品は、こんな風に美しいものなんですよ。余計なものを全てそぎ落として、最良の形へと仕上がっていく。良い製品には必ずシンプルで美しいフォロムがあるんです。」
その言葉は強く印象に残ったので、今でもよく憶えている。
素晴しい製品は、機能を最大限に発揮するために、無駄なものが一切ない。
究極の形をしていて、調和され完成された美しさを放っている。
何だか、その言葉を聴いて、宇宙の真理を聞いているような気がしたからだ。
講演を聴いた後、自分の中でも考えはまとまりきらなかったが、
一つ思いを強くしたことがある。
日々の生活の中に、自然や美と触れる機会をなるべく創るということ。
おぼろげながらだが、自分自身も、やはり自然や美しいものから、活力やひらめきを得ていると感じるからだ。
やっぱり都心に引っ越さずに、世田谷にしばらく住もう。
私も究極的に美しい仕事がしたい。
by bandoh
徒然なるままに : 16:19 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-07 Tue
7月5日(日)日テレの報道番組「バンキシャ」にご意見番として出演する。
昨年の10月の出演に続き、これで二度目の出演となる。
司会の福澤さん、菊川レイさん、レギュラーのご意見番の河上和雄さんに加えて、ゲストのご意見番として毎週色々な方が出演している。
奈良県でおきた医療詐欺行為についてのコメント
父子家庭の苦労を追ったVTRだが、子供の可愛さやパパの奮闘ぶりに和んでしまう。
海外に広がるオタク文化
メイド・カフェにも沢山のオタクに興味のある海外旅行客が訪れるらしい
番組の最後
七夕の願いごとを、短冊に書いてほしいと急遽当日リクエストがあり、字がものすごく下手な私は控え室にて"エ~"とビビる。
そこで控室に一緒にいた友人に頼んで実は代筆を....
どういう願いにしようか幾つか考え迷った末、身近なことにした。
"夫婦円満"という部分の反響が案外大きく、色々な人から後でコメントを貰った。
"オノロケ"、"そこに持ってきたか.."、"爆笑した..."、"バランスが取れていた"など様々な意見が寄せられた。
番組の中では、私はジャパン・エキスポとオタク文化のテーマが一番興味深かった。
時間があまりなくてコメントとしては言えなかったが、
日本のポップ・カルチャー、アニメやまんがはやはり若い人にとって、強い魅力を持っているのだろうと思う。
「ドラゴン・ボール」などのアニメが大好きになり、あこがれる気持ちは分かる。
日本のアニメには、ディズニーやカーチューンにはない、キャラクターの複雑で豊かな感情表現、独特な躍動感溢れるアクション、神話や宇宙物、スポ根ものといった幅広いストーリーがあるからだ。
大人の心情や社会を理解でき、子供心の世界を残す"ティーン・エージャー"に、日本のアニメや漫画はピタリとはまったのだろう。
これまで、そこにはまるものがあまりなかったのだろうとも思う。
ゴッホやロートレック、モネ、マネなどが、浮世絵に強い影響を受けたのは100年前になる。
自分達の文化にはない、絵画のテーマ選び、構図、大胆でサイケデリックな色使いなど、きっと「何だこれは!!」と、強いインパクを受けたと思う。
しかし、浮世絵だって今は芸術作品として認知されているが、当時の江戸では、掛蕎麦一杯よりも安く買えるもので、大衆の娯楽の一つだった。
現代のアニメや漫画同様に、浮世絵だってポップ・カルチャー(大衆文化)だったはずだ。
今も昔も自国にはないユニークでインパクトの高い日本のポップカルチャーが、海外でうけているという点においては共通していると感じる。
無事放映が終わり、その後は友人と4人で渋谷で落ち合い食事をすることにした。
仲の良い友人は、コメントが率直。
かつ誰もコメントの内容には言及しない....もっぱらテレビ写りのことしか言わない。
「フミちゃん、本物の方がお洋服可愛い~。白のブラウス、テレビだとちょっと平面に見えてよくない。髪の毛の色も黒すぎてイマイチだった。」
「そのスカート、どこで買ったの???」
「菊川レイちゃんのお洋服の色は、彼女に似合っていてすごく綺麗に見えた~」
(そんな美人と比べるな~、顔のサイズも作りも"元々"が違うだろうが)
などなど、言いたいことを言い合い、深夜遅くまでカクテルを飲んで騒ぎあった。
by bandoh
徒然なるままに : 23:53 : comments (x) : trackback (x)
2009-07-01 Wed
「衆院選挙に、私は何を求めるのか?」
改めて考えている。
時代の変化と共に、世の中はドンドン変化しているが、
それに対応し何とか生き延びるべく、企業も頑張って努力を続けている。
その努力によって、職種が変わった人、もしくは突然職を失った人も少なくない。
去年の今頃、この事態を予測していた人は、どれ程いただろうか。
いずれにせよ、ますます"厳しい"世の中になってきたものだと思う。
私は、今後もマーケットが拡大し、グローバル化が進む以上、この問題はそんなに簡単に解決は出来ないと感じる。
トヨタやキヤノンのように米国やヨーロッパに市場を持つ大手企業は、今回の世界同時不況の影響をまともに受けた。
緩やかに売上げが落ちたわけではない、バンジージャンプで谷底へ飛び降りるようなまさかの急降下を味わった。
昨年、リーマンショックが起こり、米国やヨーロッパで信用不安が拡大し、次々と大手の投資銀行や国の財政などが破綻しかけた時、国内の世論は、当初、対岸の火事を眺めているような感じだった。
しかししばらくして、米国やヨーロッパの市場が冷え始めると、日本国内の優良企業の業績が急激に悪化し、余裕も束の間、"日本ってまずいんじゃないの~"という暗澹たる空気が漂い始めた。
私なりにシンプルに解釈すれば、世界で第二位の経済大国となった日本の場合、分かってはいたことだが、売り手先の大半は"よその国のお客様"という事実、つまり、日本はよその国の懐具合の影響をもろに受ける"商人国家"ということが、あからさまに露呈した感じだ。
しかも、ちょっと前までは優良企業はグローバルで展開しているからこそ、成長しリスクもヘッジできると思っていただけに、盲点をつかれた気がした。
下世話な言い方になるけれど、"まさか、国も違うクライアント様が、突然一斉にお金がなくなっちゃっうようなことが起こるとはねぇ~。"という感じだろうか。
仕事で、そういった企業との繋がりがあるので、その変化を身近なこととして感じてしまう。
私の仕事のパートナーのコンサルタントは、リーダー研修を行ったばかりのある企業の社員50名全員が、研修の1ヶ月後に解雇されたという。その話しを聞いて、思わずため息が出てしまった。
さて、そんな社会情勢の中で、この衆院選に何を求めるのか。
衆院選挙に何を求めるかとは、"政治"に何を求めるかであろう。
私は"期待と希望"を求めたい。
日本が戦後から目覚しく復興してきたように、頑張れば未来が開ける。そういった「期待と希望」が生活の中には必要だと思う。
この先の社会は、きっともっと良くなると思える「期待と希望」だ。
それは、日本がこの先、「みなが賛同できるビジョンを持つこと」がきっかけとなると思う。
つまり"そんな感じの国になっていたらいいよねぇ"とか、"そういう姿だったら納得できる"という理想的な将来像であり、かつその将来像を通して、他の国々にも貢献し信頼を勝ち得ている姿であろうと思う。
そういった分かり易いイキイキとした展望を通して、期待と希望を感じるものではないだろうか。
「こうなったらいいよねぇ」と未来を考えるとき、暗くなる人はいない。
ビジョンという長期的な方針は経済や福祉、更には環境や教育の分野にも影響してくるだろう。
今のように縦割り組織から起こるバラバラなものではなく、互いに連携し有機的に結びついたものとなってくるだろう。
私はシンプルに理解できることが好きだし、そうじゃないものは実現できないと思うタイプなので、
誰にでも分かるシンプルな国のビジョンを示すことを政治に求めたい。
そして、「そのビジョンを本気で実現しようと思っているリーダーに国を率いて欲しい」
大きな夢を実現する強烈な思いとコミットを持っている人だ。
しかし、この衆院選の勝敗に関わらず、仮に民主党への"政権交代"が起きたとしても、それは難しいと思っている。
「民主党」が勝ったとしても、その中から、分かり易く希望の持てるビジョンを示し、引っ張るリーダーは出ないだろうと思う。
自民も民主も、ふたを開けてみれば、1つの政党でありながら、政策については意見が分かれ、目標を共有していない寄り合い所帯のようになっていると感じるからだ。
また、仮に民主党が政権を取ったとしても、安定多数の与党になることはないだろうから、国会運営もスムーズにいかず、なかなか政策を実現できないだろう。
やはり、一度、自民も民主も解体し、政策ごとに政党をきちんと再編すべきなんだろうと思う。
そしてアメリカの大統領選挙のように、1年位かけてもいいから全国を遊説し、ビジョンと政策論議をじっくり交わすべきだと思う。
小さいスキャンダルや面白い知事のパフォーマンスに振り回されて、なんとなくの空気で、国のリーダーがチョコチョコ交替するような事態は避けるべきだと思う。
政策論議を深めて世論を熟成させ、じっくり国のリーダーと政党を選ぶべきだと思う。
そしてしっかりとした国民の合意を経て、一旦選ばれたリーダーと政党は、少なくとも2年以上3年は任期を全うした方がいいと思う。
会社の改革だって結果が出るまでには時間を要する。
まして国は1億数千万人の人が集まる大組織である、一つのことをなすには時間が必要だろう。
さらに経済や環境問題について、グローバル化が進めば進むほど、海外における国のリーダーの存在感とリーダーシップ能力は必要不可欠であると感じる。日本は資源を持たないで発展してきた"商人国家"である。今後はその特性を背景とし、国際的な場面での影響力や交渉力が、日本の首相や外相には益々必要になってくると思う。
小泉さんが、海外の人たちから評価され、その存在を注目されたのは、その任期の長さが根本的な理由の一つであることは間違いないと思う。1年未満で入れ替わってしまうような国のトップに、世界の人々が注目するわけがない。
今後、そういったことを政治に求めるならば、私は、今回の衆院選では、"解体と再生"が起こるようなことに一助をなしたい。
まずは選挙となったら、思いをこめて投票ですね。
by bandoh
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