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2011-10-06 Thu
今日は世界遺産の古都、中世の香りを残す「シエナ」へと向かう。
トスカーナ地方は広い、滞在しているパリのリゾートから空いた道を走ってシエナまでは1時間位の距離となる。
車の中で、迎えに来てくれたガイドのファビオから季節によって変わるトスカーナの風景を教えて貰った。
今は収穫の時期なので、道路ではワイン用のぶどうを満載してゆっくりカタカタと走る小型トラックとよくすれ違う。
道路の両端に目をやると、トスカーナ特有のうねりのある丘陵の風景は、緑と乾いたようなベージュ、茶のコントラストが目出つ。
今は大麦もトウモロコシも収穫した後なので、多くの畑はボコボコと耕された土で盛り上がっている。
このうねりのある丘陵はクレーテ・セネシと呼ばれていて、どこまでも波のように続くアンジュレーションが牧歌的ながら、何となく惑星的な世界を感じさせる。
この写真がそのクレーテ・セネシの風景の一つ。
更に5月が最も美しい風景を見られる時期だそう。
しっとりとした新緑にひまわりの黄色がまぶしく一面に広がっていて、息をのむほど美しいそう。
訪れる人の多くが感動する。
2つの写真は、ガイドさんが後で送ってくれたものです。この美しいひまわりを見にまた5月にトスカーナを観光してみたい、、、。
この時期、食べ物は最高、観光はやっぱり秋と春がいいですね。
さて、そんな風にトスカーナ特有の風景を眺めてドライブしながら、シエナに到着。
ここはフィレンツェからは60KM南下した場所にある人口約57000人のシエナ県の県庁所在地
14世紀にシエナ派の芸術が栄えたところです。
フィレンツェで色鮮やかなルネサンス芸術が花開いていた15世紀にシエナでは対照的に中世的なゴシック建築が全盛期を迎えます。
政治、経済、芸術、宗教、全てフィレンツェと対照的だったシエナは、今でもフィレンツェと仲が悪いそう。
戦争で負けたこともあるし、ライバル意識なのかな。
シエナの町に到着して、地図を手に入れ、母と二人、目印になるような建物や道順をいちいち口に出して憶えながら、一見迷路のように曲がっている道を歩き出す。
そしてまずは「カンポの広場」へ向かう。
トスカーナに限らずイタリアの町の扉や窓の木戸など、南のプーリアでも赤やグリーンのビビッドな色で塗られている。
乾いた空気の中で、それらの色は風景や建物とよくマッチしていると感じる。
東京のように湿度の高い空気の中では、空もここイタリアよりももっとグレイッシュで淡い水色に見える。だから日本ではビビッドな色よりも、ちょっと彩度を落としてくすんだ色の方が、景色にマッチするのだろうと感じる。日本人の感性もそういうところから生まれるのかしら。
秋とはいえ、日中陽が差していると汗をかくほど暑い。歩いているとジリジリと日差しが照りつけてくる。
しかし湿気がないので、日影に入ればすっと涼しくなるので、観光するのも歩き方次第で暑さは緩和できる。
日影を選んで歩く、休む、教会などに入って休むなどしていれば案外大丈夫。
それといずれにしても冬場でなければ、早朝から観光をスタートすることをお薦めしたい。
観光で気をつけなければならないのは「靴選び」。
デコボコした堅~い石畳を歩くので、底が薄い柔らかい靴、ハイヒールだと私は20分と持たない。
以前、ハイヒールを履いてフィレンツェの町を歩いて、数十分でお店に駆け込んでペッタンコの皮のサンダルを購入したことがある。
嘘のように足が楽になり、現地の靴ってすご~いと妙に関心したことがある。
丘の上に建てられた古都、シエナは起伏があり、カンポの広場に向かって歩くほど、下っていく感じ。
駐車場からどんどん降りていくと、大きな建物と広場のあるT字路にぶつかる。
この建物はイタリア有数のシエナの銀行「Monte al Parchi di Siena」世界で最も古いと言われている銀行
建物につけられた頭部の彫刻も印象的。
やっぱり銀行があって経済が栄えると芸術や文化って花開くのよね、、と実感。
帝政ローマの頃に、フランスとローマを結ぶ幹線街道の重要な中間に位置していたのが重要なポイントですね。
通商はやっぱり交通、位置が大事。
銀行を正面に人が歩いて行く方角に下っていくと、目の前に扇状の劇場のような広場が現れてくる!
扇状に広がっているのだけれど、なんとも言えない空間が演出されている。
これは歩いて過ごすよりは、冷たいものでも飲んでゆっくり眺めよう!
ふと見渡すと朝早いのでカフェはまだ空いていて、ヨーロッパの観光客はビールを頼んでいる。
母はアイス・コーヒーを注文
世界一美しいと言われている意味がよく分かる。今までみた広場の中では一番優雅でエレガントな感じがする。
しかし、ほんの40分位過ぎてくると人が増えてきて、そろそろ大聖堂に移動した方がいいかな、、という感じ。
by bandoh
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2011-10-05 Wed
La
9月、10月のフィレンツェは観光シーズンだそう。町の人も戻ってきているけれど、観光客の数も多い。
この先のポンテベッキオには人がどっと溢れている。
これだけ人が多いと、歩くときにもぶつからないように気を遣うため、渋谷を歩いているような気分にもなる。
午前中の早い時間帯は割と空いているのだけれど、12時過ぎると人が増えてくるように思う。
これから、トスカーナに向けて出発予定。
モンタルチーノからほど近いPariという場所に車で移動する。
16時に車がホテルまで迎えにくることになっているので、ホテルのカフェでレモンソーダを飲んで待つことに。
ローマ門を抜けて、街道に出る。
キヤンティを抜けてずっと進むこと2時間、今夜から泊まるホテルに到着
辺りは箱根の山の中にいるような静けさがある。
ホテルのテラスに出てみると、ずっと広がった景色が目の前に飛び込んでくる。
トスカーナの地方にしては珍しく新しい建物のリゾートホテルである。
「ペトリオーロ・スパ&リゾート」
実はこの地域は、箱根同様に温泉が出る。
だから少し下って渓谷まで降りると露天温泉があるようだ。
もちろん、ホテルにも温泉が引かれていてスパリゾートになっている。
ロビー
お部屋は広いし眺めも良い。着替えて1時間ほどゆっくりと過ごす
ホテルのダイニングは美味しい
フィレンツェのトラットリアとは違う薄味で身体に優しい食後感がある。
これはアミューズ:先付けの一品。カレー風味なチキン。
レストランの窓からは、形のきれいなふっくらした金色に輝くお月様がよく見えます。
周りにネオンとか照明がない山中の漆黒の夜なので、余計にきれいに見えるのだと思います。
母と二人また「きれいね~」と言いながら、月を眺めてお食事。
しかし、レストランにいる旅行客は誰一人として月を眺めたり話題にしている人はいません。
アジア人旅行客はいないし、やはり月見するのって日本人だけなのだろうか。
韓国人も見るような気がするけれど。
せっかくトスカーナに来ているだから、やっぱりワインを飲みたい。
2種類のワインをテイスティングしようと思っていたら、思わぬハプニングで1種類増えてしまった。
これは地元モンタルチーノのLe Poderina Rosso di Montalcino 100%サンジョベーゼ ルビーのような色で果実味が強く少し樽の香りがする。
トレンティーノ・アルトアディジェ州のRiserva Mazonの100%ピノノワール
オーストラリアに隣接した北イタリアの地方のワインです。
ベリー系の甘い香りがして華やか。
この地域は白ワインが有名、以前ゲビュルツ・トラミネールを飲んだけれどくちなしの香りがして美味しかった記憶が蘇る。
こちらのワインを実は隣のテーブルに座る一人旅の女性からご馳走して貰ったもの
トスカーナのFabula Monteregio
サンジョベーゼ100% スミレの花の匂いがありサンジョベーゼらしい味わい、飲みやすくて美味しい。
お裾分けしてくれたのは、スイスのジュネーブで働いているロシア人女性で、とにかく仕事のストレスを解放するためにこのリゾートを選んだそう。
昨晩までは食事もお部屋で食べていたけれど今晩はダイニングに来てみたらしい。
人がいっぱいいるところは疲れるので行きたくないし、のんびりスパに行って、毎日エステを受けてリフレッシュしているそう。
時々こうやって休暇を取って、疲れを癒やしているそう。
「スパのメニューではねぇ、アンチエイジングのフェイシャルトリートメントが最高だったわ。翌朝、お顔がなんて言うかぱっと若返った感じ。お薦めよ~」と教えてくれる。
彼女からマッサージの上手な女性の名前を教えて貰ったが、私の時にもたまたま彼女が担当だった。
私はアロマオイルを使ったボディ・マッサージを受けたが、力強くて確かにうまい。
ローマ在住の友人キヤロラインの話しによれば、最近こうやってスパに通ってマッサージを受けるイタリア人が増えているそう。
仕事のストレスをマッサージで癒やすというのは都会で働くイタリア人の間ではちょっとした流行になっているそうです。
ふ~ん、なるほどね~、でも日本の旅館やアジアのスパの方が、こちらの4つ★ホテルよりもずっといいサービスしてくれるな~と、サービス先進国日本から来た私は思うのでした。
赤ワインと一緒に食べたのは、もちろん地元キアナ牛のステーキ
お肉本当に美味しくて、柔らかい。
ホテルのダイニングは典型的なトスカーナ料理とは違い、ひねりを効かし洗練されたお料理が毎回出てくる。
またパスタもお肉もポーションを小さく出して貰っているので、最後まできちんと完食。
給仕の黒服の男性が、細かく要望を聴いてくれるので、サービスの厚みを感じる。
このホテルの中で最もホスピタリティの心と技術を持っていたのは、この黒服の男性マネジャー?でした。
あとのレストランのスタッフは地元採用???とっても緊張してまじめに働いてました。
本当にまじめな感じで、一生懸命サービスを憶えることに必死な雰囲気が伝わってきます。
がんばってねと一声かけたくなるきまじめさで、微笑みません。
プライドを持ってけっして笑ってはいけないと言われているのかもしれません。
さて、今晩は静かな渓谷でぐっすりと眠ることになりました。
by bandoh
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2011-10-04 Tue
メディチ礼拝堂、サンロレンツォ教会の通りには、市場があり、道にテントを張って沢山のお店がところ狭しとばかりに商品を並べています。
見ているとなかなかしっかり作られたバッグなどが80€くらいで売られていて、眺めながら歩くのも楽しい感じです。
市場で人がごった返す中を、メディチ家の礼拝堂を出て3分ほど歩くと、「中央市場」があります。
ここの建物には、野菜、ハム、果物、チーズなどの食料品店と、食堂がびっちりと入っています。
ここの商品は、普通のお店で売られているものよりももちろん割安。
見ていると旅行客も足を止めて飲み物を飲んだり、パニーニを食べていたりします。
ハムとチーズのお店、清潔でクリーンな感じ。おじさんが店員さんとのんびり会話しながら、ハムを買ってましたが、私を振り返ると「僕は彼の父親なんだよ、よく買いに来るんだ」と言ってました。
たぶん、家業なんでしょうね。
建物の2階は、通常青果を扱っているようなのですが、改修工事が入っているようで、多くのお店は建物の外側に出て、テントを張って開店していました。
とっても快活でテンポよくお薦めするお姉さんがいる青果とオイル、ワインを売るお店。
毎回「アローラ」と一声入れてから、テンポよくハスキーな声でお店の商品をちゃっちゃと押しつけることなくお薦めしてくれます。
ちなみにアローラとは、日本語だと「さぁさぁ、それじゃ」なみたいな言葉のようですが、接客上手のドンナはどこのお店でも、み~んなこの言葉を多用していました。
説明しながら、収穫されたばかりのいちぢくをさっとむいて、無料で食べさせてくれるタイミングも抜群、商売上手です。
ここで買ったオリーブオイルやワインなどは、ヤマトの宅急便などで日本に送ってくれるそう。ワインは1ダース送って確か90€でした。
ここのお店ではこんな風に乾燥したポルチーニやチェリートマトが売られています。
ポルチーニは、このまま水で戻さずにフライパンでパスタと一緒にオリーブオイルで炒めればOKだそう。へぇ~
このまま袋にバサっと入れて真空パックの状態にしてくれます。
あった、お目当ての黒トリュフのペースト。通常のショップよりもやっぱりお得な値段。
ハチミツとブレンドしたものなど色々あります。
さて、市場で果物やトリュフの瓶詰め、トマトやポルチーニを購入したので、お目当ての「プロカッチ」に行き休憩しようと。
このお店はトルナヴォーニ通りに面していて、「中央市場」から歩いて10分位の場所にあります。
先ほどのメディチの礼拝堂の通りを抜けて、近くのバールでお兄さんに道を聞いて確認して目的地へ。
「プロカッチ」は1885年の老舗のバールで、日本人女性のスタッフがいました。
フィレンツェのお店には案外日本人女性の姿が目立ちます。フィレンツェに恋してそのまま住み着いちゃった人って多いのではないかと想像。
ここのお店は小型のパニーノが有名なようですが、特にこのトリュフクリームを挟んだパニーノは秀逸。
自宅用に黒トリュフのペーストを購入したので、家でも作ってみよう!
それとここのグラスのシャンパン、とっても美味しかったです。
12時前からトリュフクリームのパニーノとシャンパン、あ~幸せを感じる、、、。
ちなみに、トリュフがあまり好きではない母は、ケーキを選ぶ。
甘さがやや控えめな感じで美味しい。
隣に座った地元の女性の食事を見ると、ガス入りのお水と白ワイン、それにプロシュートとパンの組み合わせ。
トスカーナのパンて、塩を使っていないのですっごく無味なんだけれど、塩気の強いプロシュートと食べると美味しいんです。
トスカーナの料理はおしなべて塩味が強いお店が多いのですが、パンに塩を使っていないせいなのでは、、、とも思います。
日本人がご飯炊くときにお水だけで炊くのと同じなのかもしれません。
さて、プロカッチで休憩した後、トルナヴォーニ通りに出て歩いていると、すごくステンドグラスがきれいな建物を発見
ピンク色と黄色が可愛いステンドグラスに思わず写真撮影。
その後、家庭料理の「マリオーネ」でお昼を食べる。
知り合いから推薦されたジェノベーゼのパスタを注文すると、デンとテーブルに荒っぽく大きな一皿が置かれた。
母はそのデンという置き方にびっくり。
ジェノベーゼの濃厚ソースがたっぷりと絡められたパスタは、一人では食べきれる量ではない!!!!
写真ではわかりにくいのですが、パスタの幅が広く、実際の目の前に出てきたパスタは2人前はあるような感じです。
すでにトマトのサラダなどを食べていた私の胃には入らない。(まぁその前に食べたパニーノも効いてますけどね)
この体験以降、私は全てのお店で「ハーフ・ポーション(半分の量)」で注文することを慣行することになります。
一度に一つのものを沢山食べるより、複数のものを少量づつ食べることに胃が慣れているので、どうしても前菜に一皿+パスタもしくはお肉ドカ~ンというスタイルに慣れませんでした。
by bandoh
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2011-10-04 Tue
「リカルディ宮」を出て、再び「サンロレンツォ教会」の方角に戻り、その裏にある「メディチ家の礼拝堂」へ向かう。
ちなみにこの写真は、サンロレンツォ教会の内部。
「メディチ家の礼拝堂では」入り口で一人6€を払う。
「リカルディ宮」では一人7€だったけれど、母の年を聴かれて無料になったので、一応「メディチ家の礼拝堂」でも確認してみたが、こちらはフィレンツェ在住でないと高齢者特典はないらしい。
この礼拝堂は「サンロレンツォ教会」の後ろに繋がって建てられている。
右側が「君主の礼拝堂」、左側が「新聖具室」。
歴代のトスカーナ大公の墓所となっていて、8角形の礼拝堂は床も壁も大理石や高価な貴石がふんだんに使われていてとっても豪華。
豪華といっても、墓所ということで使われている石は茶を中心とした大理石で渋く重厚な感じです。
この礼拝堂も外側からは分からないけれど、内部に入ると空間の広さとその贅沢さに圧倒されてしまう。
老コジモの時代に計画され、建築がスタートしたのはその次男フェルディナンド1世の時代から。
多量の石を使ったので、「貴石加工所」がこの時代に創られます。
フィレンツェのこういった名所や館を訪れていると、様々な色の大理石の美しさもさることながら、ラピスラズリなどびっくりするくらいの分量を使って飾られた壁や家具、壺などの装飾の贅沢さに驚いてしまう。ピッティ宮でも信じられないほど細やかで精緻な貴石を使ったモザイクのテーブルなどを数多くみたが、一つづつじっと目をこらして眺めていると時間が足りなくなってしまう。
ずっと上を見上げていくと、クーポラに細やかに書き込まれた天井画と八角形の形に従って配置された窓が見える。
この天井画はピエトロ・ベンベヌーティの19世紀の作品。
この八角形の形に従って建物内部の柱も全てデザインされている。
柱の基盤に入っている「フィレンツェの紋章」。柱には16都市の紋章が入っています。
色調を落とした渋い大理石の中、この紋章には華やかな色の、ラピスラズリ、アラバスタ-、珊瑚、真珠などが使われています。
大公棺の下に16都市の紋章を位置することで、大公の支配を表しているそうです。
この霊廟の隣の部屋「新聖具室」に行くと、そこにはミケランジェロの彫刻が並んでいる。
この写真の一番左がロレンツォ・イルマニーフィコ。
イルマニーフィコとは日本語では「豪華王」とか「偉大なる」と訳されているけれど、ロレンツォはメディチ家が築いた莫大な富をもとに、多くの芸術家達を支援した人。メディチはロレンツォの祖父となる老コジモの時代から富を築いてメディチ家の基盤が固まり、フィレンツェにおける芸術の支援・振興を行っている。
そしてロレンツォの時代にさらに華やかにルネッサンス芸術が華開いていくことになりますが、ご本人はこの像をみても分かるとおり、あまり美男ではないのです。他の彫刻の写真やデスマスクをみてもやっぱりごつい顔でロマンチックな容姿ではありません。ですから「リカルディ宮」のゴッツォリ作の若い頃のロレンツォの姿は、かなり美化されている、、、と感じてしまいます。説明されなければ、想像できてもロレンツォとは分からないと思ってしまいます。
でもロレンツォ・イルマニーフィコはその名に恥じない、歴史を動かす力を持った人物で、彼の人柄をベースにした外交手腕(富もありますし)と強烈な運の強さ無くして、フィレンツェは当時の数多くの都市国家の中で栄華を放ち、影響力をふるうことは出来なかったと思います。そしてそういう孫を育てた老コジモの教育も素晴らしかったのではないでしょうか。塩野七海さんの本など読んでいると、ロレンツォは若い頃から外国の王と謁見するような場への同行を許されて、諸国の王や力のある人たちとの社交や交渉を現場で学びます。まさにエリート教育。
しかしながら、ニコロ・マキヤベリが危機感を感じ強く自軍を持つよう提唱していたように、自軍を持たなかったフィレンツェは、フランスなど諸外国の庇護を受けなければならず、強運に恵まれ外交手腕を発揮したロレンツォの死後は、都市国家としての国家運営はだんだんと先細り的になっていきます。
一人の秀でた才能ある君主の能力によって、国家運営がぐらつくようでは宜しくないのですが、商業的には成功しても国家として機能し続けるシステム(特に安全保障に関するもの)がフィレンツェには欠けていたのですね。
マキヤベリがプリンチペ、「君主論」を書いたのは、そんな時代のフィレンツェで、官僚という仕事柄、諸外国に出向き、他国の王や人々、商人達と話してフィレンツェを外側から見ることの出来た彼は、いつでもすぐに自衛できる自軍を持たず、だんだんと先細りになる優柔不断で決断力のないフィレンツェを案じ、きっと歯がゆかったのでしょうねぇ。だから、冷徹でワンマン、自軍を率いて戦うチェーザレ・ボルジアに理想の君主の姿を見たのだと思います。
ミケランジェロ作のネムール公ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑「昼と夜」
ミケランジェロ作のウルビーノ公ロレンツォ・デ・ミディチの墓碑「曙と黄昏」
亡命中に亡くなった当時のメディチ家の当主。
しかし、なぜミケランジェロがロレンツォ・イルマニーフィコや老コジモではなく、わざわざネムール公やウルビーノ公を彫ったのだろう?と思いますが、政治的な意図があったようです。
時の教皇クレメンテ7世が、彼ら二人の少年を社会的に後押ししたためと言われています。
by bandoh
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2011-10-03 Mon
朝、ホテルを出てレ・プッブリカ広場を抜けて「サンロレンツォ教会」まで歩く。
ここは歴代メディチ家の菩提寺である。目立つことを避けたメディチ家だが、ドナテッロ、ブルネルスキ、ミケランジェロなどの芸術家を起用している。簡素な石積みの外部に反して内部の意匠は見事。
「サンロレンツォ教会」の後は、今日のお目当ての一つ、「メディチ・リカルディ宮」へ。
メディチ家の人々が暮らした場所である。
1444年にコジモ・デ・メディチの依頼でミケロッツォが設計、ほぼ正方形のプラン。その後16世紀後半にリッカルディ家が所有し、現在のカブール通りに面した部分が大きく延長された。
フィレンツェの市民感情を刺激しないよう、1階は城塞のように粗々しい石組みとなっているけれど上の階は滑らかな外観を持っている。
)
内部に上がって2階に行くと、ゴッツォリ作の「ベツレヘムに向かう東方の3賢王」の見事なフレスコ画が、礼拝堂の三方に描かれている。
フレスコ画がとても良い状態で残っていて、実在の人物が描かれているので興味深く眺めてしまった。
中央の若い王様の後ろに続くのがメディチ家のメンバーです。
後方の茶色のロバに乗っているのが「大コジモ」、その右隣で白い馬に乗っているのが息子の「通風持ちのピエロ」(ロレンツォ・イルマニーフィコの父)。
描かれた豪華な行列の中央の若い王様が、美化された少年時代のロレンツォ・イルマニーフィコです。
残された肖像画や彫刻とかなり違うので相当美化されて描かれたものと感じます。
フィレンツェの美しい館を見ていて思うのは、シャンデリアのこの美しさ。
美をどこまでも追求しようというあくなき姿勢を感じてしまいます。
ルカ・ジョルダーノのギャラリー、華麗で見事な天井画と装飾、そこにフィリップスタルクのモダン家具の椅子が並べられしっくりと調和しているが印象的。
この天井画の淡いブルーの色調の美しさ。
フィリッポ・リッピ作の「聖母子」
「四季の部屋」会議場として使われているようです。
中央には中庭があり、レモンの木などが植えられています。
近づいて見ると、緑色してますがレモンがちゃんとなっています。
中庭の石畳もきれいにメディチ家の家紋がデザインされて、敷かれています。
これがメディチ家の家紋の画像です。丸い玉のようなデザインは「丸薬」もしくは「お金」を示しているということです。
メディチ家はルネッサンスの時代、金融業で莫大な富を築きますが、もともと薬屋としてもお金を稼いでいた?
そういえば、昔、英語のメディスン(薬)はメディチという語源から来ていると聞いたことがあります。
by bandoh
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2011-10-02 Sun
フランクフルトから飛行機を乗り継いでフィレンツェに到着。
ちょうど陽がが沈みかけてくる時刻なので、シニョーリア広場を抜けて、紹介されたトラットリアへ向かう。
正面はベッキオ宮。ちょうどこの日は中秋の名月、満月の夜
Birreria Centraleというお店、テラス席まで人が溢れている。
地元の人や観光客など半々くらいの感じ。
途中から道に迷ってしまったため、お店の人に迎えに来て貰った。
時差ぼけでややボ~っとしていたけれど、初日の緊張感もあって眠気はあっても目はしっかり開いている。
しかしながら初日の夜って、あんまり食欲が湧いてこない。
時差があるので、ちょうど日本時間でいえば夜中の2時頃、だから食欲が湧かなくてもおかしかくない、、。
とはいえ、メニューを読む目は真剣そのもの。
パキパキ、テンポよくお薦め上手のお店の女の子のご推薦に従って、ブルスケッタなどミックスで盛り合わせた前菜を一人前。
出てきてびっくり、一皿が大きい~
お店の名物料理らしい「ニョッキ」も注文
いくつかの種類を迷った末、ブルーチーズなど複数のチーズをミックスしたソースと、バルサミコを使ったソースと2種類を半分半分でオーダー。
この濃厚なチーズソースは、かつて食べたことがない感じ。ニョッキにもとっても弾力があり、はじめて食べるニョッキの味です。
ローマにもこんなニョッキはないと聞きましたので、この店オリジナルなのかもしれません。
満腹になったお腹を抱えて母と歩く帰り道、ふと夜空を見上げると、この日は中秋の名月。
燦然と輝く満月が、ベッキオ宮のタワーの隣でものすごくキラキラ光っています。
こういうのが大好きな親子二人で「きれいねぇ~」とうっとりと足を止めて眺めてしまう。
周りには沢山の観光客がいて賑わっているのですが、見渡すと満月を愛でる人って少ない。
日本人ならではの感覚なのでしょうか。
by bandoh
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