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2009-01-16 Fri
最近の新聞、雑誌、テレビの報道を聞くと、不景気、不景気で、ドっと購買意欲が失せる内容ばかり。

なんとな~く、季節のせいだけではなく、体が冷えてくるように感じる今日この頃であります。
先日の安藤忠雄さんの講演の話し(12/19寄稿)から、
ふと江戸時代について思いを巡らせたのをきっかけに、5-6年前に購入した「現代に生きる江戸談義十番」を手に取り読むことに。
やっぱり、この本は興味深い、と改めて感じます。
内容的には、「江戸東京博物館」の館長、竹内誠さんが江戸通の研究家10名と、語り合い、その内容がまとめられた構成となっています。
江戸っ子には、「江戸っ子気質」といわれて、「宵越しの銭はもたぬ」とよくいわれますが、これは武士ではなくて江戸庶民の気質のこと。
そして、この気質は、江戸という都市の性格と大いに関係があります。
当時の江戸は参勤交代で諸藩の大名が行ったり来たりしているわけですが、その藩の数が約260、大名や藩士、また将軍の直臣の旗本・御家人と、彼らの家族を合わせると、武家人口だけでも50万人がいたそうです。(武家の都ですね)
さらに、藩士たちの殆どは単身赴任で来るわけですから、彼らを目当てにして商売をしようとする人たちも江戸に流れ込み、江戸の人口は幕末には、江戸100万都市といいますが、120万人までふえたと言われています。(1826年シーボルトは150万人と記録)
藩士たちの仕事は、週に3日位なので、皆暇をもてあまし、しょっちゅう江戸見物、物見遊山に出かけていたようです。(ですから、日本のからくり人形や大道芸、芝居小屋などの"見世物文化"というのは、この時代から発展していきます)
各藩の財政の約半分くらいが、江戸で使われていたそうです。
また、江戸に出てきて4-5日位滞在して観光し、故郷に戻るという旅行客や、荷を運ぶ人、そして訴訟のために江戸に来た人たちも、結構数多くいたようです。
江戸は「大消費都市」だったわけです。
ですから、江戸には人が働く場が常にあり、江戸っ子は、元気でさえいれば、食べていけたんですね。
江戸の外食というのは、本当にピンからキリまで揃っていたようで、例えば、「うなぎ」を例にあげれば、当時江戸におよそ400軒ものうなぎ屋があったとされています。そしてそれが番付となっていたそう。(江戸のミシュランでしょうか)大きなチェーン店のような店もあれば、地べたに座って炉で焼いている店もある。
また屋台が登場して、有名な「二八そば」、お稲荷さんや茶飯、鍋焼きうどんなど、色々なものを24時間営業で売っていて、町全体がコンビニエンス・ストア状態。外食産業がさかんだったようです。(シティライフをエンジョイしているようで、便利ですよね~。)当時は職人さんの日当が500文で、長屋の家賃が月額5~600文なので、日当で一ヶ月分の家賃が払えるので住宅費だって安い。(今で言えば家賃が1万円そこそこ)裏長屋は納税の義務もないし、お金は食費につぎ込めますよね。
それで食がエスカレートして、走りの「初鰹」なんかが、1本で1両2文(職人さんの月収)もしちゃったそうです。(バブリーな感じですよね。)
また、江戸は、太平の世が二世紀半(長い!)続いています。
これは世界史的にも類を見ないことで、江戸幕府がまさに実効的に日本全土を支配していわけですが、もし封建圧制やらひどい政策で農民搾取をし続けていたら、2世紀半も続かない。(百姓一揆とかありましたけど、反乱とかはない。そういえば、何だか学生時代に、日本史だと、この時期お百姓さんは食い詰めて、やたら百姓一揆をやっていたようなくら~い印象が、この時代あるんですけれど、あれって、もしかしたら、労働者の革命を起こしたかった共産党系とか左翼の教育者の方々の、意図した刷り込みなんでしょうかねぇ...。)
とにかく、ひどいことが続くと、必ずクーデターが起きたりするはずなので、江戸時代には太平を維持するシステムが「権力者側」にあり、「民衆側」にも智恵があったと作家の石川英輔さんが語っています。
例えば、国家財政は石高にあわせた年貢を徴収しますが、商品生産が高まったことによって、その流通過程で儲けている商人に、田沼意次の時代から明確に運上・冥加(営業税)をとり始める。そしてこれが大きな転換点になり、この頃から収得したものを他に貸し付けて、その利息を国家財政に使っていき、(公金貸付) 金融の論理を財政に持ち込みます。
江戸時代は遅れているというイメージがあるのですが、現在やっていることの芽は全部あるくらいだったようです。
庶民の立場から言えば、不法に拘束されることもなく、江戸中期以降になると旅行はほぼ完全に自由になっています。ですから、この時代すでに、今でいう日本観光旅館連盟会員のような旅館が登場していたそうです。
「あづま講」という看板が出ていれば、そこでは宿泊客は全部身元がわかっているから相部屋になっても、まず心配ないとか。人は自由に行き来しているんです。
記録では女性も、男性の案内人を雇ってグループで江戸に出ていたようですし、「最近の妻は、夫が働いているのに物見遊山に出かけて、ランチなどしているとはけしからん。」(今どきと同じですね)と、藩士によって日記に書き記された記録もあります。
江戸の町の物見遊山を言えば、本当に景色が綺麗だったようです。郊外は田畑が多く広がっており、美しい武家屋敷があったわけですから、小高い山から見下ろすと何ともいえない美しい風情だったんだろうと思います。観てみたいですよねぇ~。
また、教育面については、子供を育てるためには、「家庭教育」、「地域教育」、「学校教育」が三位一体となる必要がありますが、江戸の下町では、道幅の狭さや長屋が多かったという特色が生かされ、「うちも迷惑をかけているのだからお互いさまだ」と、常に他人を意識せざる負えない。「相互扶助の精神」が否応なく醸成される背景があった。
だから近所の大人が、他人の子供を育てる意識を持っており「地域教育」もしっかりとしていた。三位一体の中で、もっとも変わってきているのが、この「地域教育」だと思いますが、現代に生きる私たちは、江戸の子育てから、何か学ぶことがあると思います。江戸の子育てについては幾つか書籍も出ているようですね。
「江戸の子育て」文春新庫(中江和恵)、「江戸の躾と子育て」祥伝社新書(中江克己)、「江戸の子育て読本-世界が驚いた!(読み・書き・そろばん・しつけ)」小泉吉永など。
時代は明治初期となりますが、イギリス人で日本を旅行したイザベラ・バードが、その旅の記録「日本奥地紀行」に、日本人の人としての高潔さや誠実さについて書いています。彼女は「籠」で旅をするのですが、当初は、"なんてみっともない汚い男たちよ"と籠担ぎの二人を見ているのですが、そのうち、旅を続ける中で、だんだんと彼らの勤勉さ正直さ謙虚さに触れて、見方を変えていきます。そして最終的には、どこの国よりも安全で、出会う日本人の印象も含めて、感じたことを好意的に書き記しています。
この日本人の人として誠実でピュアーな部分は、やはり親と地域によって育まれた、"嘘をついちゃいけない"とか"お天道様は見ているよ"とか、ごくごく当たり前の「人としてのあり方」が、きっちり受け継がれていた結果だと思います。
「この国で出会った人々に苦悩の表情はない。貧しさはあっても貧困はない。真に進んだ社会。豊かな社会である。」と、江戸時代に英国人のラザフォード・オルコックが残しています。
幕末に日本に来たヨーロッパ人はみんな、日本人の教育程度の高さ、特に識字率の高さに驚いていますが、もう一つの驚きは、女性まで寺子屋で教育を受けていることだったそうです。そういうことは外国ではないと言っています。江戸の人たちの教育熱は高く、士農工商身分に関係なく武士の通う士藩校は300近く、寺子屋はなんと7万もあったそう。
明治以降の近代化が早かったのは、職人の技術の高さだけではなく、この国民全体の教育水準の高さも大きかったのだろうと思います。
江戸の町は、当時、人口面で言えば世界一だったと思いますが、前記のとおり経済面もすごかった。
参勤交代で江戸でお金を落とし、各藩の年貢を持ってくるので、藩財政の半分くらいは江戸に投下されていて、インフラがしっかり整っていた。し尿処理などはヨーロッパよりも進んでいて、「金肥」として周辺農村と契約を結び、江戸にずっと置いておくことはない。ですからヨーロッパからの旅行客は「江戸はどうしてこんなにきれいなのか」と驚いて記録に残しているそうです。ロンドン、パリよりもずっと清潔だったということですね。(確か当時、フランスの人々は、窓から「溜めたもの」を投げ捨てていたと何かの本で読んだことがあります。ルーブルも建物の隅をトイレにしちゃう貴族が多く、当時糞尿の匂いがひどかったらしい。香水が発達した理由の一つです。)
こうやってみると、現代の日本の経済力や技術力は、西洋化によってもたらされたものと漠然と思っていましたが、案外今の流れに通ずる殆どのものが、実は「江戸」で芽を出している、と感じことを、思い出しました。
そして、江戸に当時あって、今私たちが失っているものは、「目に見えないものを敬う意識」、「自然に対する感謝の意識」、「お互いを助け合う相互扶助の気持ち」ではないかと感じました。
もっと、私たち大人の一人一人が、色々なものに対する畏怖の心を持つ、感謝の気持ちを持って生きる、そして迷惑かけるのはお互い様という謙虚な気持ちを持ち、相互に助け合っていきはじめると、ガラリと世の中が変わる、とっても生き易くなるんじゃないでしょうか。
心の中の平安も増えて、より幸せ感を得られると思いますねぇ~。
理想郷ですが、昔の日本人が出来ていたのならば私たちにできないことはないですよね。
そんな大人を見ていれば、子供だって影響受けると思います。
まずは、自分から始めることが大事ですね。
そして、皆さん、お互いに助け合う気持ちを持って、収入に応じてそこそこにお金を使いましょう。

昨今よく言われていますが、景気は「気」ですからね。
お金は天下の回りもの、私が使わないと困る人が出るんです。お互い様でございます。
by bandoh
徒然なるままに : 21:45 : comments (x) : trackback (x)
2009-01-03 Sat
お正月の元旦、家族と一緒におせち料理を食べることに。
母の家へ行き、姉夫婦と甥、姪、私達夫婦の7人で新年を祝う。
私は、母が作った紅白の「生酢」をみると、お正月だなぁ~と実感します。
うちの旦那さんは札幌出身なので、家の母が作る北海道風のおせち料理を、涙が出るほど懐かしがって食べてくれます。
「お義母さん、こんな料理を作れる人は今時いませんよ。ホントに旨いなぁ~。」と褒め上手な夫は、母をババころがし。
母は嬉しそうに、「何だかそんなこと言われると、もっと張り切っちゃうわぁ。」と満更ではなさそうです。
大の「煮物好き」の甥とうちの旦那さんの前には、別に大皿に盛られた煮物がドンと置いてあります。
幸せそうに煮物を、遠慮なくドンドン食べる二人。
私は、久しぶりに会う姪や甥に、近況の話しを聞きます。
「ケンタは、最近、デートした?」
「うん。」
「うそ、お兄ちゃん、絶対にしてない。」
「うるさいぞ、妹。」
「それで、就職はどうするの?」
「僕はね、JRに入りたいんだ。」
その一言で、昔、甥がまだ小さかったことを、ついこの間のことのように思い出しました。
電車が大好きで、駅の車掌さんの帽子をかぶって制服を着込み、すっかり駅員さんになりきって、真剣に駅のホームで電車に敬礼をして見送っていたケンタ。
今年大学4年生になる甥っ子の就職はこれからです。大事な甥の将来のために、何かできることはないかなぁ~と、叔母は思ってしまいます。
手作りの料理に舌鼓を打ちながら、こうやって食事を通して、大事な人と繋がる時間を持つというのは、大切なことだと思いました。
手作りのお料理には、美味しい物を食べさせてあげたいという、「作り手」の愛情がしっかり篭っていると思います。
そんな料理を、お互いに楽しく話して、美味しく食べたら、絶対に「体」にも「心」にも、栄養が行き届くと感じます。
手作りの心の篭った料理には、人を癒す力が絶対にあります!

特に日本人の場合、伝統的な食材をみると、体に優しく、食事で癒すってことを、無意識的にやっているような気がします。
科学的な根拠はないのですが、シンプルな素材の味を生かした、日本料理を食べていると、"やさしさ"が増すような感じがしてくるんですよね~。

そういえば、友人がこんなことを先日言ってました。
「私のピラテスの先生がニューヨークへ行ってきて、アメリカ人の参加者の雰囲気に驚いたらしい。」と友。
「それって、どういう風に驚いたの?」と私。
「アメリカ人の場合、ピラテスを一緒にやっていると、参加者にものすごく高いストレスがあるのを感じるらしいよ。だから何だかどっとエネルギーを奪われる感じで疲れちゃうんですって。
でも日本人だと、例えばこの時期だと、忘年会なんかをしょっちゅうやって、一年のことは一年で終わりにして忘れちゃう。そうやってリセットして、新しい一年を迎える。上手く区切りをつけてストレスを抜いて、生きている感じがするんだって。だからこの時期、東京でピラテスを教えていても、NYみたいに参加者の人たちから強いストレスを感じることはなく、疲れないんだって。」
「ふ~ん、なるほどね。そうすると、アメリカ人の場合は、そういう締めくくりをする習慣がないから、何だかずっとエンドレスで走っている感じなのかしらねぇ。だから夏休みは日本人よりも長く必要なのかもねぇ。」
考えてみれば、日本人て、お風呂とか温泉につかって疲れを癒すとか、食事で癒す、それから会社や個人の自宅を見ても、強烈な色彩はなく、どちらかと言えば癒し系の淡い色とかグレイッシュな色を使っている場合が多いと思います。
案外、「癒し」を生活に取り入れるのが上手い民族なのかも。
(だから、世界でもっとも長寿の国を実現しているのかしら~。)
実家の「昆布巻き」は、"身欠きにしん"を中心に巻いて作ります。
これ、家によっては、鮭を巻くとか違ってくるんですよね。
でも美味しさの決め手は、昆布の質と堅さじゃないかと私的には思います。
噛むと柔らかいけど、微妙に歯ごたえがあるっていうのが大事。
母が毎回、とっても気を使って作るのは、「黒豆」じゃないかと思っています。
豆の選びから、煮込み時間、甘さ、柔らかさの具合まで、案外難しい料理に感じます。
この黒豆は、毎年、ビンに詰めて、分けて貰います。
うちの旦那さんは、帰り道、「料理、全部持って帰りたかったなぁ~」とボソっと呟いていました。
今年もこうやって、お正月をいつものように家族で祝いましたが、ふとみると母の手首が腫れているではありませんか。
どうやら、年末から「おせち料理」作りを頑張りすぎて、腱鞘炎のようになってしまったとのこと。
やっぱり、年を取ったんだなぁ~と思わずせつない気持ちになってしまいました。
それと同時に、家族で食卓を囲んで楽しく話せる機会にも限りがあることを、改めて認識。
毎回の時間を、「より豊かに楽しく過ごす」という気持ちを持つことが、大事だと感じました。
でも、家族って、当たり前のように存在しているから、ついついそのありがたみを忘れることが多いんですよねぇ。
母の存在と手料理に、心より感謝。
それと、今年は姪の受験があります。
志望校目指して、最後の追い込み、頑張れ~

by bandoh
徒然なるままに : 01:04 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-28 Sun
夫婦で久しぶりに週末映画を観にいくことに。
上映までの時間、「文化村」に立ち寄り、地下のブックショップの"ナディッフモダン"をのぞいてみます。
アート中心で、古書も含め面白い本があるんですよね。
本をよく買う旦那さんは、どのコーナーの本も手にとり目を通しています。
私も幾つか書籍を購入しました。
手にした本を少し読むのに、二人でドゥ・マゴ・パリでお茶を。
私は昔、ここでお茶をするのが好きでした。
ビルの吹き抜けを利用したお店の外側のカフェは、通りでお茶を飲んでいる気分になれます。
それと"カフェ・オレ"、自分でミルクとコーヒーを配分して飲めるのも嬉しい。

美味しそうに飲んでいる私を、じっと見ている主人の"目"

「ハイハイ、分かってますよ。飲みたいんでしょ。」

エスプレッソWを、あっという間に飲み干した旦那さんのカップに、ミルクとコーヒーを注ぎます。
余談ですが、彼は何でも飲み干すタイプの人です。
ビール、焼酎、ソーダ、日本酒、お茶、ワイン、何でも同じようにグイグイ飲みます。
熱いものでも平気らしく、かなりアッついお茶も、グーっと飲んでいる姿を見ると、猫舌の私は恐ろしくなります。

私の友人達は目撃者なので、皆知ってますが、生ビールなんかも、最初の一息で中生グラスの約9割を飲み干します。
ある意味、特技だと思いますが、お高いワインとか、喉越しにグイグイ飲んでる姿を見ていると、本当にもったいないと感じます。

近くの映画館で上映している「TOKYO JOE」を観に行くことに。
映画は、ジャズっぽい曲を、スタジオで録音をしている場面からスタートします。
演奏者たちの会話と、メローな曲が流れてきます。
そして、当時東京ジョーこと、"ケン・エトー"のFBI担当捜査官であり、供述を取った「エレイン・スミス」の回顧録の場面に、切り替わります。
暗いホテルのような一室で、エレイン・スミスが、「最初見た彼は、典型的なマフィア、冷酷で残忍な殺し屋だという印象でした。」と語ります。
フィルムは、ドキュメンタリーで淡々と進んで行きますが、次第にその内容に引き込まれていきます。
マフィアが君臨する当時のシカゴがどういう町であったのか、
組織の幹部の一人であった、ケン・エトーの「証言」の意味が、当時、どれ程大きな意味とインパクトがあったのかが、じっくりと伝わってきます。
日系人マフィアであるがゆえに長い間、マークされなかったこと(彼が大物であるという認識は、当時のFBIにはなかったらしい)、シカゴマフィアによる、約1千件を超える暗殺のうち、失敗したケースは彼しかないという事実(エトーは頭に3発の銃弾を打ち込まれて奇跡的に助かっている)、また義理を重んじる日系人としての彼のメンタリティを考えると、組織を壊滅へと追い込んでいく証言が取れたことは、「数千分の1」の確率でしか、起こりえない奇跡だったのではなかったかと私は感じてしまいました。見方を変えれば、彼がシカゴマフィアの大幹部となり、命を狙われて助かってしまうのは、運命だったのかもしれない。
また、彼がどういう生い立ちであったのか、そしてどういう人物であったのかを、エレイン・スミスのインタビューを中心に、彼の父親、母親、弟、息子、関わった人物などの視点から、人物像を掘り下げています。
自分の中でも、複雑な気持ちになりました。
ケン・エトーが、冷酷な殺人者・悪党であるのに、人物としは"魅力がある"からです。
過酷な少年時代を乗り越えてきた「賢さ」、「人物をするどく見抜く目」、「どんな事にも動じない冷静さ」、「組織を仕切れるやり手」、「ユーモア」、「タフさ」など、舞台が変われば同じようにリーダーシップを発揮して、世の中に貢献することも出来たろうにと感じてしまいました。
「どうだった、映画」と私。

「う~ん、俺はいまいち物足りなかったかな、、、。」

「どんな風に?」

「なんていうか、俺、本で読んでるからね。」

「描ききれていない部分があった?」

「そうだな、何でエトーが組織から命を狙われたのか、もっと理由があったはずと思う。」

「それって、彼が"賭博開帳容疑"で検挙されて、刑量を下げるためFBIと裏取引し、組織のことをしゃべると、マフィアから疑われたからじゃない?」

「うん、でももっと色々あったと思う。組織をだまして裏で稼いでいたとかさ。だって、銃で撃たれる日、彼は殺されると分かって車に乗るんだよ。おかしくないか?」

「そうだねぇ~、そこのところは、エレイン・スミスが彼に、"殺されると分かっていて、なぜ、逃げなかった?"と聞いたけど、彼は"行くしかなかった。"としか答えていないんだよね。
でも、私はあの部分、彼の"生き方"を暗示していると感じたなぁ。だって、彼17年間の膨大なFBIへの供述で、一度も追加・修正をしていないんだよね。それってエレイン・スミスも言っていたけれど、あり得ないことだと思う。だけど、そのことは、彼が思考や生き方において、洞察力があり、迷いのない一貫性を、持っていたと感じさせる話しだよね。」

「そうかもね。彼はマフィアの「掟」を、十分に分かっていたろうしね。だから、状況を自分なりに分析して、殺される覚悟を決めた。そして一番いいスーツに着替えて車に乗った。自分の美学にのっとってね。」

「"潔さ"を選んだだろうね。」

と、映画談義を続ける私達は、食事を終えそのまま渋谷のレガートのバーへと流れます。
お店の内装がちょっと面白いんですよねぇ。
これ、バーカウンターの天井です。
カクテル、とっても美味しいです。
それとお酒の量が、グラスが大きくて欧米のバーなみで、お値段も手ごろだし、サービスもいいし、お得です。
(なんで日本のカクテルバーって、あんなにグラスが小さくて量が少ないんでしょうねぇ。)
ここでは、うちの旦那さん、周りが興味深いのか観察に忙しくて、ガブ飲みはしていませんでした。

by bandoh
イベント、観劇 : 10:31 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-22 Mon
12月20日(土)から1泊2日で恒例ワークショップ
"ビジョン&ミッション・メイキング・セミナー"を開きました。
このワークショップは、私自身が会社を興す2年前の1995年に、雑誌の切り抜きや画像を使って、ビジョンを創ったことがきっかけとなっています。
仕事やプライベートのことなど、手にしたい"未来像"を幾つかの分野にまとめてじっくり考え、そのイメージに合う画像を探し、ペタペタをポスターサイズの模造紙に切り張りしていきます。
会社を興して1年経ったあるとき、ふと振返って考えると、作成したビジョンのとおり、バッチリ手に入れたいと思っていたことがかなっていて、我ながら驚きました。
そして、その後、一緒にビジョンを創る仲間が増え、毎年12月の第3週の土曜日から1泊で、1年間のビジョン・メイクを行うことに。
熱海港から船に乗って、初島へ向かいます。
毎年第3土曜日は晴れが多く、今年もいいお天気です。

こういう日は、"船の最後尾の甲板に出て"、"景色を楽しみ"、"風に当たり"、"ラベンダーの香り"をかぎながら、私は船酔いを防ぎます。

初島到着後は迎えの送迎バスで、会場となる初島クラブへ。
とってもいい笑顔。今年は満ち足りた年だったのでは..?と思いつつパシャリ。
今年は赤ちゃんが、ママとなった参加者と一緒に初参加!(6ヶ月の女の子です)
"ママ"は、このセミナーで結婚して子供を持つことを描いていました。(成果です)
終始ニコニコと愛想がよくかつ大人しい、いい子でした。
ワークショップ会場となるお部屋から見える富士山。
手前に見えるのはホテルのヨットハーバーの一角です。
スイートルーム(約100平米)を使ってワークショップを開催します。
まずはみんなで集まって、今年1年間の振返りをします。
それぞれが"こうだった"、"ああだった"と1年の振返りを
実りの多い1年もあれば、ガッツが必要な1年も、人によってそれぞれに状況は違います。
私はこれを人生の春夏秋冬と感じます。
"新しいことを始めて期待感に満ちている春"、"予期せぬ変化や障害があっても情熱で目標に向かって進める夏"、"成果を享受できる実りの秋"、"春に向かってじっと我慢の子で準備を行う冬"。
秋ばっかりだといいなぁと思いますが、どの季節も、後で振返ってみれば、必ず必要だったことが分かります。
それが分かれば、"それぞれの季節をそれなりに楽しむ方法"が見えくることも。
それぞれの1年のシェアリングが終わったら、早速「作業開始」。
皆各々の場所で模造紙を広げ、雑誌やパンフから画像を切り抜き、ビジョンを作り始めます。
部屋中を使って皆でせっせと作業します。
途中、色々な言葉が飛び交います。「誰かモニカ・ベルッチの画像を見つけたら教えて~」、「パーティ風景があったら下さ~い」、「それって女性が創ったビジョン??」、「この音楽そろそろ変えようよ」など。掛け声、独りごとが聞こえてきます。
そうこうするうちに日も暮れて、ふと見ると夕日を浴びてピンクオレンジに染まる富士山が。
日の入りの早さに驚きながら、「まだ出来ていな~い」

それでも、何とか私たちは何とか完成させ、食事の時間まで「温泉」にゆったりと浸かります。
毎年一人か二人位は延長となりますが.....。

さて、温泉でのんびりした後は、レストランに集まり、皆でシャンパンでカンパ~イ。

続いて三種の前菜の盛り合わせ
ビールを飲む人が多いですが、私を含め数名は白ワインを。
1本目は魚とも相性のよいサンセールを。
コースもそろそろ終盤へ。牛肉と季節の野菜の炒めが出る頃にはお腹も一杯に。
宴会では大人はお酒を飲んではしゃいでいますが、
今年は赤ちゃんが参加したせいで、その盛上がりはさらに高まったような.。
この位の年だと人見知りもせず、歩き回るわけじゃなく、喜んで抱っこされてくれます。
大人がはしゃぐ宴会の席でも、泣きもせず本当に場の読める?いい子です。(主催者は心より感謝

外はもう真っ暗ですが、ホテルの中庭にはクリスマスのイルミネーションが。
この景色を見ながら、私たちは食事後、2次会でさらに盛り上がるのでした...。
さて、一晩明けて

各々創ったビジョンを発表します。"木"のメタファーを取り入れた"I Show You-愛笑友"のビジョン。
来年は"やる!-I will"のビジョン
"悠々として急げ!"がキーワードのビジョン
皆さん、一人一人の"願いと思い"があります。
いっしょに作成することで、"実現する"ことを共に祈念。
さて1泊2日のワークショップを終えて、
皆手には、"作成したビジョン"を持って、帰路の船に乗ります。
やっぱり、達成感のあるニコニコ顔で乗船。
結構風がありましたが、元気に甲板に出ている赤ちゃん。
そして赤ちゃんにいたく好かれ、昨晩からギュっと袖を掴まれているT女史。
「私ってどこに行っても老若男女、赤ちゃんからお年寄りまで本当に好かれるのよ~」とT女史。
確かにそうだと思います。












さて熱海からの帰り道、品川でいったん降りて何人かはオイスターバーに立ち寄ります。
ワークショップ後の昼下がり、ちょっと寄って美味しい~牡蠣とワインで乾杯すると幸せ感が増すんですねぇ~。

私はあっさりめの牡蠣が好きなので、日本の牡蠣をよく食べました。
この日よく食べたのは、右から「厚岸」、「赤碕」、「九十九島」。
厚岸が一番美味しかったです。
私の2009年のビジョンのキーワードは「表現する」こと。
仕事もプライベートも含めて、楽しい1年になることを祈って.....。
by bandoh
講演会、セミナー : 11:38 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-19 Fri
アカデミークラブで行われた安藤忠雄の組織の条件、リーダーの条件に参加。
久しぶりに講演を聴いて胸がジ~ンと熱くなりました。
今までも安藤さんの講演を聴いたことはあるのですが、今回はタイトルのせいかもしくは自伝を出版されたことで熱がこもったのか、とっても熱く語っていらっしゃると感じました。
また熱く語ることに加えて、大阪のご出身ですので、やっぱり話しは面白いんです。
3分に1回位は絶対に笑わせてくれます。
深くていぃ~話ししているんですけど、ちょっと外して笑わせたりする。
格調の高い大きなプロジェクトについても、スライドを見ながら堅苦しくならずに親しみやすく内容をずっと聴いていられます。
安藤さんの世界中のプロジェクトの話しから、"リーダーはチームがないと成果を作れない"、"パートナーが必要である"、"好奇心が大事"など、再認識させられた話しが沢山ありましたが、
私が今回、安藤さんの話しを聴いて非常に印象に残ったのは、"東京を世界一美しい町にしよう!"と安藤さんが呼びかけたことです。
そして、最も感動したのは、安藤さんの熱く情熱を込めて話しによって、"本気でやれば実現できるんじゃないの"って、こちらが本気で信じられたことです。
「大きくて夢のある」元気な未来を、イキイキと語って聴衆を魅了し、勇気を分けてくれるそのパワーに圧倒され、包み込まれました。
その話しを聴きながら、なぜか感動して胸が熱くなり涙がす~っと流れてしまいました。
人をその気にさせる力を持っている方だなぁ...。

改めて、リーダーが夢を語ることの意味と大事さを実感しました。

さすが世界の安藤忠雄、才能は建築デザインだけではないですね。
人を動かすパワーとコミュニケーション力を持った方だと感じます。
そうやって、自分自身が表現することによって、リーダーの条件を語るだけでなく、リーダーシップを体現していると思いました。
安藤さん、"東京を世界一美しい町に出来るイメージ"を、「明確」に示してくれたと思います。
地球環境に徹底的に配慮し、都市の機能を持たせ今の町の形体を生かしながら、東京を緑あふれる美しい都市へと変えていく。
そして次のオリンピックを東京で開催し、世界に向けてこれからの未来社会のあり方を東京から世界へと発信し、希望と理想を示せる町へとなっていく。
そんな東京のビジョンを想像したら、ものすごくワクワクしてきました。

今までは東京オリンピック、あまり乗り気ではありませんでしたが、今回の話しでものすごく乗り気になってしまいました。(単純!)
彼がこれまでの海外で行ってきた数々のプロジェクトや、「海の森」プロジェクトなど、これまで成しえてきたものを考えると、出来るかもしれないと感じるからです。
そして、その東京のイメージは、私の中では勝手にかつての江戸の町へと繋がっていきました。
かつて、海外の人々が訪れ、その美しさと清潔さ、人の真摯さ誠意さに感動した町、「江戸」。
「均一感のある木造建築と瓦屋根,が広がる町」(今の東京からは想像できませんねぇ)、「平民が外食したり、旬で走りの食べ物に拘ったり、そこそこ豊かに暮らす町(当時諸外国では、平民が江戸町民のように豊かに暮らせる社会はどこにも無かった)、「ちょっと郊外に出ると、目前に広がる緑豊かな美しい田園風景」、「そして侘びさびを表現する美しい日本庭園」(画家ゴッホも強く影響を受けている)、「町で出される人糞は肥料となり船に乗って千葉へと運ばれる(江戸の人が食べる野菜畑がある)という、今でいう"エコなシステム"が出来ていた」など、海外から東の果ての国、Nipponに来て驚き、そして感動した外国人は沢山いました。
私たち日本人は、皆がその気になって信じれば、祖先から受け継がれたDNAを生かし、未来に向けて一歩進んだ社会を構築できるかもしれない。
もしかしたら、唯一、そういう社会を実現できるのは、日本人しかいないのでは.....。
そんな世の中、実現したいですねぇ~。
by bandoh
徒然なるままに : 16:37 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-11 Thu
和食の「かんだ」で友人のリカと会うことに。

彼女は39歳、アメリカ人のご主人を持つ日本人女性。
東京とサンフランシスコの両方に家を持って、ご主人の仕事の都合で行ったり来たりしています。
会社から程近い元麻布にあるお店へ一足早く行き、彼女を待つことに。
とそこへ、長い髪を揺らしながら彼女が登場。
「久しぶり~!! 」
と私とリカ、そして"かんだ"の神田さんの三方から声が飛びます。
お互いに再会を喜びながら、私はすぐに彼女のファッション、ヘアスタイル、そして"お腹"へと目を走らせます。
彼女は私が知っている女性の中でも、飛び切りスタイリッシュでイケてる女性。
そんな彼女が、今年めでたく"ご懐妊"、お腹には今6ヶ月の赤ちゃんがいます。
お腹もふくらみが目立ち始めていますが、ほっそりしたあご、特徴的で人を見抜くような目、長い手足を優雅に動かしながら椅子に座る様子、やっぱり綺麗な人は何をやってもさまになる.....。

さて、今回の赤ちゃんは、夫婦にとっては初めての子供で、かつ予想していなかった(ずっと出来ないと思っていた)だけに驚きだったようです。
39歳の初産、ちょっと心配な点もあると思います。
高齢出産となるので、出産時のアクシデントにきちんと対応できる病院を選ぶということが大事になります。
高齢出産を経験しているママの話しでは、日赤とか愛育は×だとか。
母となった働く女性には厳しいところらしい。
ジェルを使ったネイリストの知合い(高齢出産+初産)は、昨年出産。
黒でデザインを施していた爪を、日赤病院のベテラン看護婦にチラっと見られて
「あら、そんなお爪では困ります。母になるのだからもっと自覚を持って下さい」と言われて、即座に日赤を移ったそう。
「冗談じゃないわよ。働きながら子供育ててるんだから、それぞれに事情ってもんがあるのよ。昔ながらのやり方だけを押し付けてサービスを提供するなっていいたい。」とやや興奮気味に話してくれました。

最近、身の回りで増えています、"高齢出産"。
婚期が遅くなってきているのと連動していると思いますが、私の周りの友も皆年齢を超えて出産、頑張っています。
ただ、彼女たちは、若いママと比べると間違いなく体力的に不利ですが、独身時代に一生懸命働いた分、専門性があったり管理職を経験していたり、手に職をつけているので、子供を産んだ後の仕事の復帰は比較的スムーズのように感じます。
とっても元気に働き、会うと面白おかしく仕事と子供の両方の話題を提供してくれます。
「でもねぇ~、フミちゃん。アメリカの医療費って結構高いのよ。向こうで妊婦の血液検査をやったんだけれど、保険のカバーがない場合、どれ位かかると思う?」とりか。
「それって高いってことよね。」
「そうよ、900ドルもするのよ、1回の血液検査だけで。」
「900ドル!!!!それって約10万円てこと」


「サンフランシスコの医者に、マンモグラフィー(乳がん検査)を受けたことがあるって伝えたら、"あなたの年で?"ってちょっと驚かれたわ。日本だと子宮ガン検診と同じでそんなに珍しいことじゃないでしょ。でもアメリカだと高額だから受ける人も少ないんじゃない?」
"アメリカは先進国で唯一国民健康保険のない国です。"。
民間の保険費用は平均で年間一人35万円、家族4人だと年間140万円になります。ですからなんと、5000万人の国民は健康保険未加入者です。
加入者は保険会社と契約してプランを選ぶようになっていますが、負担率、受けられる医療の種類など、金持ちはきちんとした医療を受けられても、お金の無い人にとっては、いざという時に医療を受けられないようなケースも珍しくなく、お金のない人には徹底的に厳しい国と感じます。
なるほど...。
ちょっと余談ですが、海外ドラマの「グレイズ・アナトミー」で、"ナチ"というあだ名の女医ベイリーが「フリークリニック」(無料で受診できる病院)の設立に奮闘するエピソードがあります。こういう話しを聴くとやっぱり必要ですよねぇ。
そんな彼女、出産は東京の病院の予定。
「それで、リカ、子供の学校はどうするの?」
「サンフランシスコのインターナショナルのプレップスクールにこれから申し込む予定。」
「えっ!出産前から????だって、まだ2-3年も先の話しでしょう?」
「そう、でもスクールに入るのも結構大変なので、今から通ってコネクション作っておかないと駄目みたい。」
日本のお受験ママは大変ですが、アメリカのママもやっぱり大変のよう....。
そういえば、私の友人ママは、受験に備えて小さな娘相手に、ボタンのあるお洋服の脱ぎ着の特訓をしていました。
彼の仕事にくっついて、日米をしばらく往復している彼女も、
子供が学校に通うようになると向こうで暮らすようになると思います。
子供が話す言葉については英語が主体となるでしょうが、やっぱり日米のおばあちゃまがそれぞれいて、それぞれ母国語しか話しません。
両方の祖母ときちんとコミュニケーションが取れるよう、子供にはバイリンガルに育って欲しいと話す友人。
赤ちゃんは、来年3月、東京で出産予定。
どっち似になるのかしら???
絶対、見に行く。


by bandoh
徒然なるままに : 09:00 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-08 Mon
昨晩、浅草で"シタール"と"タブラ"の演奏を聴きました。
会場はギャラリー・エフという「土蔵」を生かした場所で、浅草駅を出てすぐ近くにあります。
"土蔵でシタールを聴く"ということに、私は一番興味を惹かれました。
お店に入りドリンクを頼んで待機していると、
整理係りの女性がお店の一番奥にある土蔵の扉を開きます。
予約を入れた順番ごとに名前が呼ばれ、1組づつ土蔵に入り、希望の場所に座ります。
Aki UedaさんとU-zhaanさんによる、インド古典音楽の演奏の始まりです。
土蔵の扉をぴたりと閉じ、照明を落とすと、静かに細くシタールの音色が滑り出します。
シタールは邦楽と同じで楽譜がなく、師匠から口伝で継がれるものだと記憶しています。
師匠が声で奏でるメロディーを、弟子がシタールで弾いて表現します。
そうして曲を積み重ね演奏していくのを、ガイアシンフォニーの6番で観ました。
シタール奏者として最も有名なラヴィ・シャンカールと、その娘アヌシュカが奏でるシタールの場面です。
ちなみに、あまり知られていないようですがラヴィ・シャンカールはノラ・ジョーンズの父親でもあります。
ですからノラ・ジョーンズの才能は親譲り。またもう一人の娘、アヌシュカのシタールのCDも、グラミー賞にノミネートされています。
タリラルラリ リラリルララ~

タリラルラリ リラリルララ~

何度か同じメロディーを繰り返しながら、シタールが暗闇の土蔵全体に広がっていきます。
そして静かに、タブラの鼓動がそれに続きます。
密閉された土蔵の中では、どんなにひそやかなタッチのタブラの音も、全て聞こえてきます。
まるで自宅のリビングで二人の演奏を聞き入っているかのよう。
海の揺るやかな波の動きに、身を預けて漂っているような心地よさがあります。
そして......途中から、不思議なことが起こり始めました。
なぜかインド的なシタールの音が、三味線の音のように耳に響いてくるのです。
目をつぶって聴いていると、シタールの音色の中で、私は着物を着た武士になり、夜のとばりを必死に早足で駆け抜けようとしているイメージが浮かんくるんです。
曲はテンポを増し、それと共にとてもリラックスした躍動感(変な表現ですけど)が沸き起こってくるのですが、私は武士で夜に山中にいるんです。
そして、それはどうやら三味線を連想させるシタールからおきていると感じました。
西洋の弦楽器とは違う、シタールの弦を爪弾いた後に残る引っ張るような物悲しい音色。土蔵の中だとその音がCDで聴く時よりもハッキリと響いて聞こえます。その引っ張るような物悲しい音色が三味線を連想させるのです。
"土蔵の中でのシタール"は、そんな不思議な感覚を呼び起こしました。









さてこの後、私たちは人形町に移動してスペイン料理の"スパニッシュバー・ソル"へ行きました。
麻布の"バルレストラン ミヤカワ"も美味しいと思いますが、ここもかなり美味しい。
お料理の費用対効果で考えるならばこちらに軍敗が間違いなくあがりそうです。
さらに読みたい方は、私の"お薦め情報"を開けてください。

by bandoh
イベント、観劇 : 09:00 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-06 Sat
師走です。
この時期になってくると打合せや忘年会が増えてきます。

最近あった忘年会の席で、"理屈"とか"論理"についてふと考える会話がありました。
「実は娘に"お父さん嫌い!"って言われちゃったんですよ。」

「どうして?」

「"理詰めでずっと来るから逃げ場がない。"嫌になるって。」
このお嬢さん、中学受験の真っ最中だそうです。
知合いは、娘思いで"勉強さぼりたいのに、さぼらせないようにするコミュニケーション"にあれこれ長けたパパなんだろうと思います。

が、お嬢さんもしっかり親の理屈を理解しながら、また彼女なりの理屈で抵抗したようです。
やらなければならなことをサボっている自分について、相手は自分で分かっていますからね。
正直、自分のペースで放っておいて欲しいときもあるんでしょう....。
しかしながら、「お父さん嫌い、なぜならば理詰めでくるから逃げ場がない、だから嫌なの。」、
この論理で父をハっと引かせたとしたら、彼女理屈を使って自分の欲しい結果を手にしています。

「理屈」で動く父には「理屈」で応酬。父をよく観て学んでいます。
実は、この「理詰」め、私も自宅で時々やってしまうことがあります。
最近、少々言い過ぎたかなと思ったことがありました。
だって、そのときは、言わないと分からないと思っちゃうんですよねぇ。










よく女よりも男のほうが論理的だといいますが、現実は決してそんなことはないと感じます。
女は男よりもずっと「現実的で成果主義」、手に入れたいものが「明確」です。
ハイハイと言って聞き流す、黙る、ふくれる、泣く、怒る、
そして論理が必要な時には、徹底して根拠と理屈を述べたて、「あなた、あの時こういったじゃない?」、「あなた日ごろから言っていることと矛盾してるでしょ。」など。
とにかく柔軟に持てる"技"を使って、「欲しい結果」を手にしようとします。
意図するしないに関わらず、
女が泣いたり、わめいたり、黙ったりするのは、理屈では結果を得られないときの対応策です。
そして理屈が必要なときには、一転「思考」と「記憶」が冴え渡り、実に端的に論理を展開してみせるのも女性です。
しかしながら必要のない場面では(成果が明確でない)、無駄な議論はしない。
無駄なことにエネルギーを使いたくないんでしょうねぇ。
だから、男性同士が飲みながら、互いに議論を戦わせて熱くなってるのって、女性からみると、何ていうか、歩いてすぐの近所の自動販売機でジュース1本買うのに、ぴっちり着替えて車に乗って行くような感じ。

どうでもいいところで、エネルギーを使っている感じなんじゃないでしょうか。
大体、昔から古いお宝を積んだ沈没船探索とか、徳川の埋蔵金発掘なんかにロマンを感じて行動おこすのは男性。
女性の多くは、本当にあるかどうか分からないお宝なんて、探しに出かけたいと思わないんですよね。
女性とは実に現実的で成果主義な生き物のように思います。

さて、そんな家庭内の女性の「成果」に向けた念と技に押されるのか、
女性の元気を貰いたいのか、定かではありませんが.....、
男の人も結婚してしばらく経つと、表向きは別として夫婦間で主導権を女性に渡す人が、結構多いと感じます。
また50歳を過ぎた頃から奥様に頼る、甘える男性が増えてくるように感じます。












そんなことをツラツラ考えていたら、隣に座っていたちょっとコワモテ風の麻生総理似の50代の男性Hさんが、
「バンドーさん、こんどウチの嫁さんと海外旅行に行くんですよ!どこがいいと思いますか?」

「海外旅行、いいですねぇ。Hさんはどこに行きたいんですか?」

「ぼくは嫁さんが行きたいところだったら、どっこでもいいんです。」
「ふ~ん、本当にそう思っていらっしゃいます?」

「ウチは嫁さん中心で、嫁さんが満足してくれたら僕はそれでホンマに嬉しいんです。」

そうですか、じゃ、こんなとこはどうですか?とあれこれ話す私の横で、「えっ、イタリアのどこ?プーリア?、ハワイはカウアイ島?」と、酔っ払いながらも一生懸命にメモをとり、質問し確認するHさん。
その姿に、何とも言えない、長い期間を経て築かれている"夫婦間の絆とバランス"を感じて、
日本の男性って、このくらいの年齢になった方が、案外可愛いんでしょうかねぇ~??
どう思いますか?女性の皆さん?
by bandoh
コーチング : 01:38 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-03 Wed
六本木のラシュエットの紹介です。
ナパでラ・シュエットに行きましたので、六本木のお店に来れて本当に嬉しかった。
2階にテーブル席はありますが、ソムリエの方といつでも話しができるカウンター席に座ります。
3人で行きましたのでコーナーを挟んで座りました。
この情報、詳しくお知りになりたい方は、「お薦め情報」を開いてください

by bandoh
レストラン、ショップ : 17:52 : comments (x) : trackback (x)
2008-12-02 Tue
私の住んでいる世田谷の木は「けやき」だそうです。
私の住んでいる家の近所には沢山の「けやき」があります。
もう季節も秋の終わりですが、よく晴れた日

「けやき」にも茶色い葉も混じり始め、もうすぐ葉が落ちてしまいますが、ひと時の眺めを楽しみます。
そして、畑の多いこの地域は猫も多く、そこかしこに猫がひょっこり姿を現します。
この子は一番人懐っこい子で足が短い。いつもとってもリラックスしてます。
晴れた日には~、シャッターによっかかって身づくろい

"俺のこと撮ってる?撮ってるの?" でも絶対ここから降りないからね。
何かその"半目"とポーズ、案外怖い....
フン、この女また見てやがる。モデル料お安くないよ。
猫好きな私は、猫を見るとどんなブス猫でも、ララララ~とゆるくなり、幸せになるのです。

by bandoh
徒然なるままに : 13:24 : comments (x) : trackback (x)