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世界同時不況だって乗り切れる? 江戸から学ぶ生き方

最近の新聞、雑誌、テレビの報道を聞くと、不景気、不景気で、ドっと購買意欲が失せる内容ばかり。しくしく
なんとな~く、季節のせいだけではなく、体が冷えてくるように感じる今日この頃であります。

先日の安藤忠雄さんの講演の話し(12/19寄稿)から、
ふと江戸時代について思いを巡らせたのをきっかけに、5-6年前に購入した「現代に生きる江戸談義十番」を手に取り読むことに。



やっぱり、この本は興味深い、と改めて感じます。

内容的には、「江戸東京博物館」の館長、竹内誠さんが江戸通の研究家10名と、語り合い、その内容がまとめられた構成となっています。

江戸っ子には、「江戸っ子気質」といわれて、「宵越しの銭はもたぬ」とよくいわれますが、これは武士ではなくて江戸庶民の気質のこと。

そして、この気質は、江戸という都市の性格と大いに関係があります。
当時の江戸は参勤交代で諸藩の大名が行ったり来たりしているわけですが、その藩の数が約260、大名や藩士、また将軍の直臣の旗本・御家人と、彼らの家族を合わせると、武家人口だけでも50万人がいたそうです。(武家の都ですね)
さらに、藩士たちの殆どは単身赴任で来るわけですから、彼らを目当てにして商売をしようとする人たちも江戸に流れ込み、江戸の人口は幕末には、江戸100万都市といいますが、120万人までふえたと言われています。(1826年シーボルトは150万人と記録
藩士たちの仕事は、週に3日位なので、皆暇をもてあまし、しょっちゅう江戸見物、物見遊山に出かけていたようです。(ですから、日本のからくり人形や大道芸、芝居小屋などの"見世物文化"というのは、この時代から発展していきます) 
各藩の財政の約半分くらいが、江戸で使われていたそうです。
また、江戸に出てきて4-5日位滞在して観光し、故郷に戻るという旅行客や、荷を運ぶ人、そして訴訟のために江戸に来た人たちも、結構数多くいたようです。

江戸は「大消費都市」だったわけです。
ですから、江戸には人が働く場が常にあり、江戸っ子は、元気でさえいれば、食べていけたんですね。

江戸の外食というのは、本当にピンからキリまで揃っていたようで、例えば、「うなぎ」を例にあげれば、当時江戸におよそ400軒ものうなぎ屋があったとされています。そしてそれが番付となっていたそう。(江戸のミシュランでしょうか)大きなチェーン店のような店もあれば、地べたに座って炉で焼いている店もある。
また屋台が登場して、有名な「二八そば」、お稲荷さんや茶飯、鍋焼きうどんなど、色々なものを24時間営業で売っていて、町全体がコンビニエンス・ストア状態。外食産業がさかんだったようです。(シティライフをエンジョイしているようで、便利ですよね~。)当時は職人さんの日当が500文で、長屋の家賃が月額5~600文なので、日当で一ヶ月分の家賃が払えるので住宅費だって安い。(今で言えば家賃が1万円そこそこ)裏長屋は納税の義務もないし、お金は食費につぎ込めますよね。
それで食がエスカレートして、走りの「初鰹」なんかが、1本で1両2文(職人さんの月収)もしちゃったそうです。(バブリーな感じですよね。)

また、江戸は、太平の世が二世紀半(長い!)続いています。
これは世界史的にも類を見ないことで、江戸幕府がまさに実効的に日本全土を支配していわけですが、もし封建圧制やらひどい政策で農民搾取をし続けていたら、2世紀半も続かない。(百姓一揆とかありましたけど、反乱とかはない。そういえば、何だか学生時代に、日本史だと、この時期お百姓さんは食い詰めて、やたら百姓一揆をやっていたようなくら~い印象が、この時代あるんですけれど、あれって、もしかしたら、労働者の革命を起こしたかった共産党系とか左翼の教育者の方々の、意図した刷り込みなんでしょうかねぇ...。)
とにかく、ひどいことが続くと、必ずクーデターが起きたりするはずなので、江戸時代には太平を維持するシステムが「権力者側」にあり、「民衆側」にも智恵があったと作家の石川英輔さんが語っています。

例えば、国家財政は石高にあわせた年貢を徴収しますが、商品生産が高まったことによって、その流通過程で儲けている商人に、田沼意次の時代から明確に運上・冥加(営業税)をとり始める。そしてこれが大きな転換点になり、この頃から収得したものを他に貸し付けて、その利息を国家財政に使っていき、(公金貸付) 金融の論理を財政に持ち込みます。
江戸時代は遅れているというイメージがあるのですが、現在やっていることの芽は全部あるくらいだったようです。

庶民の立場から言えば、不法に拘束されることもなく、江戸中期以降になると旅行はほぼ完全に自由になっています。ですから、この時代すでに、今でいう日本観光旅館連盟会員のような旅館が登場していたそうです。
あづま講」という看板が出ていれば、そこでは宿泊客は全部身元がわかっているから相部屋になっても、まず心配ないとか。人は自由に行き来しているんです。
記録では女性も、男性の案内人を雇ってグループで江戸に出ていたようですし、「最近の妻は、夫が働いているのに物見遊山に出かけて、ランチなどしているとはけしからん。」(今どきと同じですね)と、藩士によって日記に書き記された記録もあります。
江戸の町の物見遊山を言えば、本当に景色が綺麗だったようです。郊外は田畑が多く広がっており、美しい武家屋敷があったわけですから、小高い山から見下ろすと何ともいえない美しい風情だったんだろうと思います。観てみたいですよねぇ~。

また、教育面については、子供を育てるためには、「家庭教育」、「地域教育」、「学校教育」が三位一体となる必要がありますが、江戸の下町では、道幅の狭さや長屋が多かったという特色が生かされ、「うちも迷惑をかけているのだからお互いさまだ」と、常に他人を意識せざる負えない。「相互扶助の精神」が否応なく醸成される背景があった。
だから近所の大人が、他人の子供を育てる意識を持っており「地域教育」もしっかりとしていた。三位一体の中で、もっとも変わってきているのが、この「地域教育」だと思いますが、現代に生きる私たちは、江戸の子育てから、何か学ぶことがあると思います。江戸の子育てについては幾つか書籍も出ているようですね。
江戸の子育て」文春新庫(中江和恵)、「江戸の躾と子育て」祥伝社新書(中江克己)、「江戸の子育て読本-世界が驚いた!(読み・書き・そろばん・しつけ)」小泉吉永など

時代は明治初期となりますが、イギリス人で日本を旅行したイザベラ・バードが、その旅の記録「日本奥地紀行」に、日本人の人としての高潔さや誠実さについて書いています。彼女は「籠」で旅をするのですが、当初は、"なんてみっともない汚い男たちよ"と籠担ぎの二人を見ているのですが、そのうち、旅を続ける中で、だんだんと彼らの勤勉さ正直さ謙虚さに触れて、見方を変えていきます。そして最終的には、どこの国よりも安全で、出会う日本人の印象も含めて、感じたことを好意的に書き記しています。
この日本人の人として誠実でピュアーな部分は、やはり親と地域によって育まれた、"嘘をついちゃいけない"とか"お天道様は見ているよ"とか、ごくごく当たり前の「人としてのあり方」が、きっちり受け継がれていた結果だと思います。

「この国で出会った人々に苦悩の表情はない。貧しさはあっても貧困はない。真に進んだ社会。豊かな社会である。」と、江戸時代に英国人のラザフォード・オルコックが残しています。

幕末に日本に来たヨーロッパ人はみんな、日本人の教育程度の高さ、特に識字率の高さに驚いていますが、もう一つの驚きは、女性まで寺子屋で教育を受けていることだったそうです。そういうことは外国ではないと言っています。江戸の人たちの教育熱は高く、士農工商身分に関係なく武士の通う士藩校は300近く、寺子屋はなんと7万もあったそう。
明治以降の近代化が早かったのは、職人の技術の高さだけではなく、この国民全体の教育水準の高さも大きかったのだろうと思います。

江戸の町は、当時、人口面で言えば世界一だったと思いますが、前記のとおり経済面もすごかった。
参勤交代で江戸でお金を落とし、各藩の年貢を持ってくるので、藩財政の半分くらいは江戸に投下されていて、インフラがしっかり整っていた。し尿処理などはヨーロッパよりも進んでいて、「金肥」として周辺農村と契約を結び、江戸にずっと置いておくことはない。ですからヨーロッパからの旅行客は「江戸はどうしてこんなにきれいなのか」と驚いて記録に残しているそうです。ロンドン、パリよりもずっと清潔だったということですね。(確か当時、フランスの人々は、窓から「溜めたもの」を投げ捨てていたと何かの本で読んだことがあります。ルーブルも建物の隅をトイレにしちゃう貴族が多く、当時糞尿の匂いがひどかったらしい。香水が発達した理由の一つです。)

こうやってみると、現代の日本の経済力や技術力は、西洋化によってもたらされたものと漠然と思っていましたが、案外今の流れに通ずる殆どのものが、実は「江戸」で芽を出している、と感じことを、思い出しました。

そして、江戸に当時あって、今私たちが失っているものは、「目に見えないものを敬う意識」、「自然に対する感謝の意識」、「お互いを助け合う相互扶助の気持ち」ではないかと感じました。

もっと、私たち大人の一人一人が、色々なものに対する畏怖の心を持つ、感謝の気持ちを持って生きる、そして迷惑かけるのはお互い様という謙虚な気持ちを持ち、相互に助け合っていきはじめると、ガラリと世の中が変わる、とっても生き易くなるんじゃないでしょうか。
心の中の平安も増えて、より幸せ感を得られると思いますねぇ~。
理想郷ですが、昔の日本人が出来ていたのならば私たちにできないことはないですよね。
そんな大人を見ていれば、子供だって影響受けると思います。
まずは、自分から始めることが大事ですね。

そして、皆さん、お互いに助け合う気持ちを持って、収入に応じてそこそこにお金を使いましょう。チョキ
昨今よく言われていますが、景気は「気」ですからね。
お金は天下の回りもの、私が使わないと困る人が出るんです。お互い様でございます。





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