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アビシニアンがチュ

本日はご近所に住んでいる先輩のYさんのお宅に伺うことに。

昨年から土曜日にYさんの知り合いの、空空さんという女性が行っている「気功」のような治療を受けることが目的。
昨年は母も一緒に通っていたのですが、母は坐骨神経痛がそれで楽になりました。オッケー

どういう原理で痛みが治まるのかはよく分からないのですが、ともかくも痛みがなくなるので母は4回ほど通うことに。
空空さんの治療を受けていると、体が暖かくなってくるのも不思議です。むむっ

またY先輩、かなりの健康通?であり、色々な治療の経験者でもあるので、すっきりと居心地の良いリビングの空間には、健康によさそうな興味深いものがあります。
例えば、リビングの壁も、湿気や化学物質を吸収し、また乾燥しているときには適度に湿度を放出してくれるとう「珪藻土」を塗っているので、お部屋全体の空間が落ち着いた感じがして、なんだか座っているとホっとします。

"冷え性に効果あり"と評判の、Yさんが作った"しょうが入り紅茶"をゆっくりと頂きながら、本日来ている友人としばし語らうのも楽しい時間です。

そして、Yさんのお宅に行く楽しみは他にもあります。
それは2匹の猫ちゃん "フクちゃん"と"ハナちゃん"

向かって左側、後ろ姿でジっと考えながら
右猫を見下ろしているのがフクちゃんです。


そしてこれがハナちゃん
細長くて繊細な感じのエレガントな猫ちゃん
動きをみていると、ヒョウとかメスライオンを思い出します。


そしてこのパッチリお目目がフクちゃん
ハナちゃんよりもずっと年上の猫ちゃんでとっても大人しい。
(考えると猫っていいですよね。年をとっても毛で覆われているからしわも隠せるし、目が大きいからつぶらな感じで可愛いし。)


この2匹のまったりして、安心しきった姿を見ているだけで心が和みます。

そして、ハナちゃんを見つめていたら面白い出来事が。

ソファーに座っている私のところへハナちゃんがツトツトと近寄ってきたと思ったら、ぱっとソファの上に上がり、私の髪の毛を舐め始め、ふっと顔を寄せてきたかと思ったらおでこのところにチュチュっとキスをして、おでこを今度は舐め始めます。
さらにまた髪の毛を舐め、同じことを数度繰り返します。

その間、時々前足でソファを互い違いにモミモミと押してましたから、きっと甘えていたのだと思われます。

しばらく頭をはさんで左右同じようなことをしていました。

もしかしたら、猫があまり好きじゃない人だったら、この出来事、「やだ~」となるかもしれませんねぇ。

でも、私、大の猫好きですから、

「何だかとっても可愛い~ハート
こうやって愛情表現されると、さらに和み感が増します。

私って前世は猫だったのかしら.....ねこねこ

空空さんの治療を倍加してくれる猫ちゃんパワーでした。

ねこねこねこねこねこねこねこねこ





徒然なるままに : 19:57 : comments (x) : trackback (x)
チェ・ゲバラを観る

月末の金曜日、雨。

前回の私のブログを読んだ姉から心配して「ふみちゃん、体調悪いみたいだけど大丈夫?」と聞かれてしまった。
あのように書くと、やはり身内は心配になるらしい。

私としては、働いていれば、肩こり、腰痛、腹部ぼうまん感、肥満など、誰にでもあることとして、"いや~、やっぱり無理はできませんねぇ~。お互い気をつけましょう"的なメッセージで書いたつもりなのだが、わざわざブログに書いたりすると、よっぽど体調が悪いと思われるのかもしれない。

大体、私は子供の頃、姉と比べると、発育が遅くて、背も低く痩せていて(ものすごい偏食で、大体いつも給食は残していた)、髪の毛も細くて薄くて(小学校低学年の頃は、心配した母が毎朝養毛クリームを頭皮にすりこんでいたらしい)、体力があって強い子供というよりは、ひ弱な感じであろう。姉はきっとその頃のイメージが抜けないのではないだろうか。

しかしながら、体調を崩して深刻な病気にでもなると、仕事で迷惑をかけることになるので大変。
異変を感じたら、すぐに生活態度を改めて対応策を取るのは、会社を辞めて独立して以来のポリシー。
ということで、わが身について、敏感にならざるを得ません。

雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨


最近何だか映画づいています。

今晩は、旦那さんに合わせて映画を観にいくことに。
新宿の「ピカデリー」で待合せて、"チェ・28歳の革命"を。

彼自身、「チェ・ゲバラ」についてはものすごく興味を持っているようです。
映画館につくと、「パンフレットを買わなくちゃ」と真っ先に前のめりになりながら、パンフレット売り場へ急行。

しかしながら、映画館のパンフレット売り場で「のパンフレット下さい。」というのはなぜなんだろうか?(カタカナ言葉についてはなぜか本当に弱い)
お店の人が一瞬?という表情をしているので、横から「"チェ"でしょう」と、フォローすることに。
彼の中では「ゲ・チェバラ」になってしまったらしい。

そういえば知り合いの女性にも似たような人がいて、毎回カタカナを間違える。
カルメンのことをカマロンというし、ユミリーをエミリーと言うので一緒にいると私の記憶が変になります。




新宿のピカデリー、初めて来ましたが見やすい。

新しい映画館がそうであるように、ピカデリーも一列ごとの高低差が結構あるので、前に座高の高い人が座っても気にならないし、正面の椅子にバッグをかけるフックもあるので便利。
スクリーンも思っていたよりも大きく、音もとっても響く。

前売りだと「夫婦割引」もきいて、二人で行くと一人1800円のチケットが1250円になるのも嬉しい。オッケー
しかも夫婦割引は証明書の必要もないので、恋人同士でも使えそう。

私が「チェ・ゲバラ」の名前を初めて知ったのは、確か1985年頃の秋。
読んでいた故宮本美智子さんの本の中で、彼女が住んでいた1970年代のニューヨーク、ビレッジのアングラ劇場で公開されていた、2時間の性交芝居"チェ"が話題になっていたという内容だったと思います。
なぜ革命家"チェ"の名前を使った芝居で、そんなシーンが多いのか不明だが、擬似であるとはいえ、性交のシーンが始まると、当初話題を聞きつけて集まってきた50名の観客も一人減り、二人減り、最後まで席を立たずにいたのは、たったの七名しかいなかったとか。(この芝居、その過激なシーンで上演禁止になったらしい)
最後まで残っていたカップルの白人女性の方は、あまりのシーンの過激さに一緒にいた男性の肩に顔を埋めたままだったらしい。
そんなことならわざわざ行かなきゃいいのにと思うが、パーティの多いニューヨークのスノッブにとって、センセーショナルなものは全て話題になるらしく、一応目を通しておくということもあるそう。

そんな異色な芝居の情報や、"チェ"という短い音の名前のインパクトもあり、革命家-チェ・ゲバラは私の記憶に強く残ることになる。また彼の伝記などを読むと、チェ・ゲバラ自身が、一貫性を持った意志の強い大変興味深い人物であることが分かります。
その後、89年に私がニューヨークで暮らしているときに、英雄チェ・ゲバラの似顔絵のTシャツを着ている人が多いのにも驚いた、"チェ・ゲバラは、反体制の国、アメリカ人の若者にとっても英雄なんだ"と。


さて本題に戻すと、フィルムは、想像以上にドキュメンタリータッチに描かれていて、言語もスペイン語を使っているので、つい本物のチェ・ゲバラをインタビューしながら制作された映画を観ているような気になってしまいます。そういう意味では、これまでに見てきた映画とは一味違うと感じました。
演じているベニチオ・デル・トロも、ストイックに抑制の効いた演技で渋い。

モノクロとカラーの映像をうまくシーンごとに使い分けていて、国連の総会などの場面は回顧録を思わせるモノクロで表現して時代性を感じさせると共に、革命の真っ只中の戦闘シーンは、カラーで今目の前で起きているような臨場感を持って伝えているなと感じました。

映画の中のチェは、抑えた演技の中でも、高い道徳心を持っていた人であり、高い理想と洞察力を持った魅力的な人物であることが伝わってきます。そして高い理想と道徳心を持つゆえに、貧しい人や苦しんでいる人に対しては深い思いやりを持ち、革命を成功させるためのルールとそれを破る人には厳罰を処す厳しい人です。

また、チェが行う国連でのスピーチそして反論は説得力があり、とても印象深いものがあります。チェが使う言葉を通して、「スペイン語」って美しくていいなぁ~と思わず聞き入ってしまいました。英語よりもずっとシラブルがはっきりしていて、日本人の耳には聞こえやすい。

ただチェ・ゲバラの「人」としての心中を察っして共鳴するには、何か物足りないような。何というか一枚ガラスをはさんで、チェを眺めているような気分が続くんですよねぇ。
逆に、だからこそ見る人によって、それぞれチェに対する解釈が生まれる可能性のある映画とも感じ取れましたが。
その不足感が、パート2の「チェ 39歳別れの手紙」への呼び水となり、鑑賞後の「完了感」を作るのかもしれませんね。

次回パート2を早く見たいものです。

帰りは、伊勢丹の近くにある"和味 凛"へ。




明治通り沿いにある、新宿には似つかわしくないほど静かで落ち着いた店です。

"かわはぎのお造り"
キモを乗せて、ぽんずをちょっと付けてパクっと食べる


聖護院かぶのかにあんかけ
とろりとしたカニの風味がよく出たあんと絡んだ、しっとりと煮込んだ蕪がホクホクと口の中で美味しく溶け込んでいきます。


家の旦那さん、美味しい、レベルが高い、、と唸りながら、いつものごとく飲み込むようにあっという間に食べていました。
あまり咀嚼しなくても平気ということは、胃腸が強いんでしょうねぇ。

とはいえ夫婦で「健康管理」を意識して、、、
本日は"お魚のお造り"、"野菜の小鉢"、"焼き魚"、"野菜の煮物を3種類"とご飯であっさりと。

やっぱり、和食っていいわぁ~。ハート






イベント、観劇 : 00:39 : comments (x) : trackback (x)
女のコーチング 疲れている...

疲れた...。しょぼん
ここのところの暴飲暴食と寝不足が祟ったのか、体が重い。
明らかに重いと思ったら体重が「3キロ」も増えていた。ぎょぎょぎょ

何となく内蔵も腫れている感じで、横から鏡を見るとウェスト回りが一回り大きくなっている。

今朝、○年前に買ったお気に入りのイタリア製のスーツを選んだものの、スカートをはいてみるいと、なんともお見苦しい。
「細身」のI型のタイトスカートが、臀部と太ももにピタピタピタピッタシ張り付いて、横に伸びていてまったく別のデザインのよう。がーん
10センチくらい丈が縮んだみたいで、しかも張り付いているので動きづらい。あうっ
また最悪なことに、すご~く無理している"オバサン"のように見える。
嫌だ~~、こんなの許せな~い!!!しくしくしくしくしくしく

慌てて、スカートだけを、違うものに取り替えて、ごまかすことに。

ここのところ寒いので、研修の日ではあるが、"パンプス"を選ばず"黒のブーツ"に手を伸ばす。

長いブーツに足を差し入れジッパーをグイっと引き上げ、左肩にハンドバッグをかけ、右手にPCを入れたブリーフケースを抱えていざ出勤。ホールで新聞を取りバッグに入れてカツカツと足早に歩きはじめます。

外に出ると「ピュー」と吹きすさぶ冷たい北風をおでこに受けて、思わず身震い。
体もキュっと硬直します。

今朝は研修の初日なので、午前5時に起きたので、寝不足気味。
ショボショボとした目に寒風はやけに冷たく感じます。

そういえば、お腹が硬くなっている感じだし、1日の終わり頃にはどっと引力が強くなるのか、足がむくんで膝がなんとなく曲げにくいし、肩はガッチガチに凝っているし。

調子が悪いじゃないの、私は!!

最近、ちょっと予定が立て込んでいて、"疲れ気味なのかもしれない..."と自覚。

そう、何かしら切り替えもしくは充電が必要だわ!


月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月


こんな日は~、仕事が終わったらどうするか~音符

と一人頭の中で、クルクルと輪唱しながら方策を練ることに。

やっぱり、「足裏マッサージ」でしょうチョキハートひよこ

と仕事の帰り道、一路、ネットで検索した場所へルンルンで向かうことに。



"整体・リラクゼーション癒健屋IKEYA"

なんか、とっても素敵なメニューがあります。

足裏マッサージは、"足の疲れ、むくみ、冷え性、内蔵の活性化などに効果的です"
(まさに私にピッタリだわ)

"ポッコリお腹に腹部マッサージ"
(これも私のためのようなメニュー)

"眼精疲労、顔のむくみ、引き締めにヘッドマッサージ"
(次回はもっと時間を取ってこのコースも入れなくては)

今回は、足裏に加えて、肩と首もマッサージして貰うことにオッケー

癒しの音楽以外、物音ひとつしない、ものすご~く静かな店内の中、施術のベッドに横になります。

適度な圧のかかった経絡に沿った肩・首周りのマッサージが気持ちよい~。

至福な時間~ハート

足裏も、あまり力をいれずに押して貰うことに。
でも膝回りに来て、ギョっとしました。軽く押して貰っているのに、痛い...。
初めて膝が痛いと自覚。
こういう所に来ないと初期症状って自覚できないことが多いと実感。

次回は、きっちりと時間を取って週末にかけて来店しようと決意を固めることに。

施術終了後は、暖かいお茶を頂きながら、ゆっくりと座って今日1日を振返ります。

帰りは夜道を、元気に歩いて自宅へと。
しっかりと明日へのエネルギーを充電させて貰えました。

タンゲ店長に感謝。
ありがとうございました。





コーチング : 21:16 : comments (x) : trackback (x)
男と女のコーチング 必見 都会で働く女の恋愛事情

友人に、恵比寿のガーデンプレイスでやっている映画を誘われる。
仕事が終わってないので、どうしようか...と思いつつも、ストーリーに興味を引かれて行くことに。映画は、「ブロークン・イングリッシュ

この映画、30代、40代の働く独身女性であれば、ものすご~く共感を持てるのではと感じました。



主人公は30代の独身女性 ノラ・ワイルダー
NYのダウンタウンとおぼしきお洒落なホテルで働いています。

ノラは綺麗だし、仕事も出来るし、気立ても悪くない。けれど、恋人がいない。
なぜかずっと、いい男性とめぐり合えていない。

そんな中、久々に夜の食事(=デート)に誘う男が。
でもこの男、言葉は相手を尊重しているけれど、行動はミエミエなほど、遊びが目的。
あ~、このままだとマズイよ~と思っていると、案の定。

そしてだんだんと男性に対して消極的になっていくノラ。
そんなノラを心配して慰める母親。

私って世界イチ、男運がないのよ」とノラ
そんなことないわ、だってあなた以前は、沢山男の子とデートしていたじゃない。」と母
沢山のデート?ママ、嫌だ...それって大学の時の話しじゃない..。」ノラ
きっと、あなたたちの世代って、私たちの時とは違って恵まれているようだけど、選択肢がありすぎて選ぶのに困っちゃうのよ。」母

私って男運がないしくしく

これって、30代、40代の女性だったら、誰しも一度はチラっと思ったことのあるセリフじゃないでしょうか?

"付き合っている男性が、自分のことをどれ位思ってくれているか分からない"
"デートしても長続きしない、相手は結婚を意識していない"
"自分もどれ位相手のことを好きなのか分からない"
"友達は一杯いるけれど、出会いのチャンスがない"
"惹かれるけれど、相手は自己中で超自分勝手な振り回し男"
"自信がなくてデートだと変に緊張しておかしな行動を取ってしまう"
"付き合っている男が他の女と浮気していた"
"好きになる相手はいつも結婚している男"
"結婚してみたものの夫は自分の価値観とは相容れない"
"結婚後、夫は自分への興味をすっかり失っている"


などなど、男と女の関係は、仕事のようにはコントロールできませんからね。

色んな意味で、殻の中に閉じこもっていくように、固まっていく自分をどうしようもできず悩むノラ。
そんなノラの姿に、思わず自分の姿を重ねてしまう女性って、案外多いのではと感じます。

でも、あることがきっかけで、彼女の人生は変わっていきます。
また、その展開がハリウッド映画によくあるような話しではないのが、いいんですよねぇ。オッケー
(内容はこれから見る人もいるので書きません)

映画で扱うテーマは、よく考えると、「恋愛」だけではなく、この年齢の男女が抱えがちな課題だと思いました。
そういう意味では、男女で観にいって、その後お互いに感想を語り合うのもいいかもしれない映画です。
(ハートが筋肉質な男性は避けましょう。)

それに、監督がゾエ・カサヴェテスという女性で、ヨーロピアンなので男性を見る視点が面白い。
アメリカの男とフレンチの男の違いを、ヨーロピアンの視点からうま~く描いています。

お時間があれば、ぜひどうぞ。オッケー


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映画の帰りに立ち寄った恵比寿のカフェ。
ここもなかなか、いい感じ。お奨めです。

Rue Favart
ちょっとcosyな感じのこじんまりとしたお店、3階がいいです。


天井に大胆にペイントされた、とんぼとか蝶が、異空間を演出します。
落ち着いてドリンクとスィーツを頂けますし語り合いができます。


黒板を見ると、ワインメニューもあるよう、06年のサンセールがグラスで980円。安い
また立ち寄ってみたいお店です。



コーチング : 01:29 : comments (x) : trackback (x)
セルフコーチング 逆境を生きる

致知出版主催の講演会、「今をどう生きるのか?」に参加。

五木寛之さんと松原泰道さんのお二人による講演です。
「致知出版」の創刊30周年の新春企画とあって、結構力をいれたイベントだろうと思います。

私は開講のギリギリの時間に到着したのですが、
東京プリンスの大きな「鳳凰の間」に、既に約1000名の参加者が集っていました。
会場には髪に白いものが混じっている方が数多く座っていて、アラ50、アラ60のパワーを感じました。



松原さんも五木さんも、共に「仏道」を中心にしながら色々とお話しをされていたのですが、今のような先がまったっく見えない時代だからこそ、その内容が私たちに響くのだと感じました。

個人的には、改めて「宗教」とは、何か特別に行うものではなく、私たちがより良く生きていくための日常の生き方、心のあり方を示す道なのだと思いました。




特に「松原泰道」さんのお話しは、聞いていると「心が温かくなり、希望と勇気が湧いてくる」ような素晴しい内容でした。

松原さん自身のお人柄だと思いますが、謙虚で優しい語り口で親しみやすく話しをされます。まるで、松原さんのご自宅の居間で松原さんを囲んで、話しを聞いているような気持ちになります。

決して偉ぶらず、上から押し付ける感じもなく、101歳という人生の大先輩でありながら、非常に可愛らしくチャーミングな方だと感じました。
苦しい時代において、庶民に近づき、対話によって苦しみを少しでも救おうとした昔の仏教のお坊さんとは、こういう感じだったのではなかろうかと感じてしまいました。

そして更に素晴しい点は、松原さんは、お釈迦様が説いた仏道の深い意味を、誰にでも分かるように、分かりやすく話しをされることです。

私がメッセージとして強く受け取ったことは、この「逆境の世をどう生きていくのか」ということについてです。

松原さんは、「逆境の世においては、"依頼心"を捨てなくてはならない。」と言います。
つまり、依頼心を捨てるとは、苦しくとも問題から逃げずに向き合って受け入れていくことであり、向き合うことによってその苦しみを超えることができる。

そのためには、儒教の格言に「まことに日に新たにせば、日々新たまた日に新たならん」とありますが、
同じ日は二度とは訪れないもので、快晴の日であろうと、風の日であろうと、雨の日であろうと、日を迎えられることに感謝をし、感動する心を持って一生懸命に生きることが大事である。
そして、その中で毎日少しでも成長する、1日1日進歩することを意識することが大事なのだろうと思います。

逆境は、自らを鍛えてくれる成長させてくれる機会である。

そして、私たちが困難な道を進む時、自らを支える「杖」があれば、私たちはその道を前進していくことができる。

私たちが困難な人生を歩むとき、自分を支える「杖」となる言葉、「杖言葉」が必要であると松原さんは語ります。

たとえ逆境にあっても、「杖言葉」を持ち、「今を生きる」ことで、私たちは苦しみを乗り越えることができるのだと私は解釈いたしました。

「苦しみや問題と向き合う」とは、言うは易しなのですが、これは人によって、実はとても難しいことと個人的には感じています。 
なぜならば、多くの場合、人は通常自分の問題と向き合うことができず、問題をそらしてしまうからです。例えば、人のせいにしたり、他の人の悪口を言ったり心配をすることで自分の問題を見えなくしてしまいます。
殆ど無意識に行っているので、自分では自分の問題をそらしていることに、全く気づかない場合が多いと思います。

「苦しみや問題と向き合う」とは、心をまっすぐに向けていないと出来ないことだと感じます。

私も「日に新たにせば、日々新たまた日に新たならん」を"杖言葉"に、1日1日成長していきたいと感じました。


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講演会の後は、またまた大好きな和食の店「食幹」へ

大きなゆったりとしたカウンターが魅力です。


ここのお奨め「野菜の刺身」は、トマトがベースのディップがキモです。
本当にまろやかな味で野菜を美味しく頂けます。
オーナーからしっかりレシピを教わって自宅でも作りましたが美味しいです。ハート



墨イカと、さより、石鯛のお造りも、新鮮で美味しい。お酒とバッチリあいます。



写真はありませんが、ここの「野菜の炊き合わせ」もお奨めです。

そういえば、先日神戸で研修をしていたのですが、その某企業の担当者のOさんは、私のブログを読むとお腹が空いてくるそうな。

食べ物の画像が多いですもんねぇ。肉りんごケーキラーメンワイン






コーチング : 14:53 : comments (x) : trackback (x)
セルフコーチング 現代に生きるお釈迦様の教え

神戸に到着。
こちらも東京と同じく、寒い、そして雨。

昨日、今日と某企業さんで研修を行っていました。
久しぶりの、20代前半の若者に対する研修です。

朝会場に入ると、皆さん、何だか爽やか~なエネルギーを出して、笑顔で座っています。
なんかこうまとめて絞ると、水色の液体が出てきそうな。(妙な表現ですが)
いつも、30代から40代の方を対象とした研修が多いので、その新鮮さがコントラストとなって感じられるのでしょうか。
何だか、いいですね~。音符

2日目の今日、参加者の女性が「仏陀」の写真と「遠藤周作」さんの本を持っているのが目に止まり、会話が始まりました。

私の世代が遠藤さんの本を読んでいるというのは珍しくないと思いますが、今時の20代の女性が読んでいるとは意外。
何だか、親しみも感じます。にこっ

私、変ですかねぇ~、何か、遠藤さんとか、仏陀とか好きなんですよぉ~。宗教っぽいみたいでちょっと恥ずかしいんですけど。」と参加者女性うさぎ
全然変だと思わないわよ~、それよりも、親近感を憶えるわ。そうか、だから、さっきGeiner(Men's雑誌)の男性モデルを見て、"やだ~、男のくせにチャラチャラしてバカみたい~"とか言ってたのねぇ。」と私ねこ
そうなんですよ!私、ああいうのは嫌いなんです。」うさぎ

もう少し時間があれば、彼女が遠藤さんと仏陀の何にひかれているのか、もっと掘り下げて聞いてみたいところでした。
そんなことがあった後、新幹線の中で、レッツノートをネットに繋ぐと、"学び仲間"の某企業のH氏よりメールが届いていました。

タイトルは「釈尊三つの教え:厳粛、敬虔、邂逅」
何とも本日の体験と繋がるタイムリーなテーマチョキねこ

メールは、Hさんのバラク・オバマの就任演説の和文の中で、今興味を引かれた一言から始まります。
以下、Hさんのメールをそのままに書かせて頂きます。

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「私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、・・・」と口火を切って演説をはじめました。

この中で私が惹かれたのは「厳粛」という用語でした。

それと言うのも、今購読している「いまをどう生きるかのか」=松原泰道師
五木寛之氏の共著の中で、松原師が語っていらっしゃる「釈尊の三つの教え」の一つでもあったからです。

とりわけ、松原師は次のように語っています。

(前略)私は現代人に釈尊の教えをわかり易く解説すると、次の三項目に帰着すると思うんです。

それは、「厳粛(げんしゅく)」「敬虔(けいけん)」「邂逅(かいこう)」
「厳粛」というのは、いわゆる無常観で、いまはいましかない。いまは帰ってこない。
いまを大切に生きるということ。

そして、これを現代語で表すと「ありがとう」の挨拶語に置き換えられる。
厳粛というのは、“ここに在る”ことが容易な事実ではなく稀有だということ。
だから「有り難し」から「ありがとう」に。

第二の「敬虔」は、「おかげさま」なんですね。自分ひとりで生きているんじゃないということ。

これを現代語で表すと「すみません」という挨拶語。
「すみません」は、過ちを犯したから謝るというのではなく、「済んでいない」未済ということ。
何が未済かというと、「おかげ」に対するご恩返しが済んでいない。
そういう意味での「す(済)みません」

第三の「邂逅」は、出会い、めぐり合わせ。めぐり合わせによって人生は変わっていくということ。

これを現代語で表すと「はい」という挨拶語。
つまり、天地が与えてくれた“めぐり合い”は肯定するしかないので、「はい」

以上をまとめてみると、、、

私は、釈尊の教えを現代人が日常生活に体得するには、
この「ありがとう」「すみません」「はい」という挨拶ことばどおりに実行することだと思うんです。(松原泰道師)

それでは、「ありがとう」「すみません」「はい」という三つの言霊を大切に!

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年初から、この「三つの言葉」を意識して、運気よく、豊かに暮らしたいものですねぇ。ねこ
いいこと、教えて頂きました。Hさん、ありがとうございます。

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さて、今回は、前泊の際、研修チーム3人で、食通の友人お薦めの、会場近くにある「イタリア家庭料理」を食べに行きました。
これが結構美味しくて安い。オッケー

JR南武線の「向河原」駅にある
ナチュラというお店です。



月曜日の夜でしたが、店内はカウンターも含めて満席。

ワインよりもビールがお薦めということで、黒ビールをオーダー。
初めて飲んだ国内ブランド(銘柄思い出せず)でしたが、コクがあって美味しい。
何より泡がクリーミー。

カルパッチョ
たことセロリのサラダ
あなごのセモリナ粉のフリット(この粉に隠し味の工夫が!)
エビとレタスのオーリオ・アーリオ
牡蠣のグリル
下仁田ネギとたらこのグラタン
プロシュートとたっぷりのグリーンレタスの乗ったカリカリのピッツァ
デザートとコーヒー
などなどを次々とオーダー





ビールとワインを飲んで、一人4千円ほど。
毎回、ここの研修会場の来たときの定番のお店になりそう。ビール





コーチング : 19:44 : comments (x) : trackback (x)
世界同時不況だって乗り切れる? 江戸から学ぶ生き方

最近の新聞、雑誌、テレビの報道を聞くと、不景気、不景気で、ドっと購買意欲が失せる内容ばかり。しくしく
なんとな~く、季節のせいだけではなく、体が冷えてくるように感じる今日この頃であります。

先日の安藤忠雄さんの講演の話し(12/19寄稿)から、
ふと江戸時代について思いを巡らせたのをきっかけに、5-6年前に購入した「現代に生きる江戸談義十番」を手に取り読むことに。



やっぱり、この本は興味深い、と改めて感じます。

内容的には、「江戸東京博物館」の館長、竹内誠さんが江戸通の研究家10名と、語り合い、その内容がまとめられた構成となっています。

江戸っ子には、「江戸っ子気質」といわれて、「宵越しの銭はもたぬ」とよくいわれますが、これは武士ではなくて江戸庶民の気質のこと。

そして、この気質は、江戸という都市の性格と大いに関係があります。
当時の江戸は参勤交代で諸藩の大名が行ったり来たりしているわけですが、その藩の数が約260、大名や藩士、また将軍の直臣の旗本・御家人と、彼らの家族を合わせると、武家人口だけでも50万人がいたそうです。(武家の都ですね)
さらに、藩士たちの殆どは単身赴任で来るわけですから、彼らを目当てにして商売をしようとする人たちも江戸に流れ込み、江戸の人口は幕末には、江戸100万都市といいますが、120万人までふえたと言われています。(1826年シーボルトは150万人と記録
藩士たちの仕事は、週に3日位なので、皆暇をもてあまし、しょっちゅう江戸見物、物見遊山に出かけていたようです。(ですから、日本のからくり人形や大道芸、芝居小屋などの"見世物文化"というのは、この時代から発展していきます) 
各藩の財政の約半分くらいが、江戸で使われていたそうです。
また、江戸に出てきて4-5日位滞在して観光し、故郷に戻るという旅行客や、荷を運ぶ人、そして訴訟のために江戸に来た人たちも、結構数多くいたようです。

江戸は「大消費都市」だったわけです。
ですから、江戸には人が働く場が常にあり、江戸っ子は、元気でさえいれば、食べていけたんですね。

江戸の外食というのは、本当にピンからキリまで揃っていたようで、例えば、「うなぎ」を例にあげれば、当時江戸におよそ400軒ものうなぎ屋があったとされています。そしてそれが番付となっていたそう。(江戸のミシュランでしょうか)大きなチェーン店のような店もあれば、地べたに座って炉で焼いている店もある。
また屋台が登場して、有名な「二八そば」、お稲荷さんや茶飯、鍋焼きうどんなど、色々なものを24時間営業で売っていて、町全体がコンビニエンス・ストア状態。外食産業がさかんだったようです。(シティライフをエンジョイしているようで、便利ですよね~。)当時は職人さんの日当が500文で、長屋の家賃が月額5~600文なので、日当で一ヶ月分の家賃が払えるので住宅費だって安い。(今で言えば家賃が1万円そこそこ)裏長屋は納税の義務もないし、お金は食費につぎ込めますよね。
それで食がエスカレートして、走りの「初鰹」なんかが、1本で1両2文(職人さんの月収)もしちゃったそうです。(バブリーな感じですよね。)

また、江戸は、太平の世が二世紀半(長い!)続いています。
これは世界史的にも類を見ないことで、江戸幕府がまさに実効的に日本全土を支配していわけですが、もし封建圧制やらひどい政策で農民搾取をし続けていたら、2世紀半も続かない。(百姓一揆とかありましたけど、反乱とかはない。そういえば、何だか学生時代に、日本史だと、この時期お百姓さんは食い詰めて、やたら百姓一揆をやっていたようなくら~い印象が、この時代あるんですけれど、あれって、もしかしたら、労働者の革命を起こしたかった共産党系とか左翼の教育者の方々の、意図した刷り込みなんでしょうかねぇ...。)
とにかく、ひどいことが続くと、必ずクーデターが起きたりするはずなので、江戸時代には太平を維持するシステムが「権力者側」にあり、「民衆側」にも智恵があったと作家の石川英輔さんが語っています。

例えば、国家財政は石高にあわせた年貢を徴収しますが、商品生産が高まったことによって、その流通過程で儲けている商人に、田沼意次の時代から明確に運上・冥加(営業税)をとり始める。そしてこれが大きな転換点になり、この頃から収得したものを他に貸し付けて、その利息を国家財政に使っていき、(公金貸付) 金融の論理を財政に持ち込みます。
江戸時代は遅れているというイメージがあるのですが、現在やっていることの芽は全部あるくらいだったようです。

庶民の立場から言えば、不法に拘束されることもなく、江戸中期以降になると旅行はほぼ完全に自由になっています。ですから、この時代すでに、今でいう日本観光旅館連盟会員のような旅館が登場していたそうです。
あづま講」という看板が出ていれば、そこでは宿泊客は全部身元がわかっているから相部屋になっても、まず心配ないとか。人は自由に行き来しているんです。
記録では女性も、男性の案内人を雇ってグループで江戸に出ていたようですし、「最近の妻は、夫が働いているのに物見遊山に出かけて、ランチなどしているとはけしからん。」(今どきと同じですね)と、藩士によって日記に書き記された記録もあります。
江戸の町の物見遊山を言えば、本当に景色が綺麗だったようです。郊外は田畑が多く広がっており、美しい武家屋敷があったわけですから、小高い山から見下ろすと何ともいえない美しい風情だったんだろうと思います。観てみたいですよねぇ~。

また、教育面については、子供を育てるためには、「家庭教育」、「地域教育」、「学校教育」が三位一体となる必要がありますが、江戸の下町では、道幅の狭さや長屋が多かったという特色が生かされ、「うちも迷惑をかけているのだからお互いさまだ」と、常に他人を意識せざる負えない。「相互扶助の精神」が否応なく醸成される背景があった。
だから近所の大人が、他人の子供を育てる意識を持っており「地域教育」もしっかりとしていた。三位一体の中で、もっとも変わってきているのが、この「地域教育」だと思いますが、現代に生きる私たちは、江戸の子育てから、何か学ぶことがあると思います。江戸の子育てについては幾つか書籍も出ているようですね。
江戸の子育て」文春新庫(中江和恵)、「江戸の躾と子育て」祥伝社新書(中江克己)、「江戸の子育て読本-世界が驚いた!(読み・書き・そろばん・しつけ)」小泉吉永など

時代は明治初期となりますが、イギリス人で日本を旅行したイザベラ・バードが、その旅の記録「日本奥地紀行」に、日本人の人としての高潔さや誠実さについて書いています。彼女は「籠」で旅をするのですが、当初は、"なんてみっともない汚い男たちよ"と籠担ぎの二人を見ているのですが、そのうち、旅を続ける中で、だんだんと彼らの勤勉さ正直さ謙虚さに触れて、見方を変えていきます。そして最終的には、どこの国よりも安全で、出会う日本人の印象も含めて、感じたことを好意的に書き記しています。
この日本人の人として誠実でピュアーな部分は、やはり親と地域によって育まれた、"嘘をついちゃいけない"とか"お天道様は見ているよ"とか、ごくごく当たり前の「人としてのあり方」が、きっちり受け継がれていた結果だと思います。

「この国で出会った人々に苦悩の表情はない。貧しさはあっても貧困はない。真に進んだ社会。豊かな社会である。」と、江戸時代に英国人のラザフォード・オルコックが残しています。

幕末に日本に来たヨーロッパ人はみんな、日本人の教育程度の高さ、特に識字率の高さに驚いていますが、もう一つの驚きは、女性まで寺子屋で教育を受けていることだったそうです。そういうことは外国ではないと言っています。江戸の人たちの教育熱は高く、士農工商身分に関係なく武士の通う士藩校は300近く、寺子屋はなんと7万もあったそう。
明治以降の近代化が早かったのは、職人の技術の高さだけではなく、この国民全体の教育水準の高さも大きかったのだろうと思います。

江戸の町は、当時、人口面で言えば世界一だったと思いますが、前記のとおり経済面もすごかった。
参勤交代で江戸でお金を落とし、各藩の年貢を持ってくるので、藩財政の半分くらいは江戸に投下されていて、インフラがしっかり整っていた。し尿処理などはヨーロッパよりも進んでいて、「金肥」として周辺農村と契約を結び、江戸にずっと置いておくことはない。ですからヨーロッパからの旅行客は「江戸はどうしてこんなにきれいなのか」と驚いて記録に残しているそうです。ロンドン、パリよりもずっと清潔だったということですね。(確か当時、フランスの人々は、窓から「溜めたもの」を投げ捨てていたと何かの本で読んだことがあります。ルーブルも建物の隅をトイレにしちゃう貴族が多く、当時糞尿の匂いがひどかったらしい。香水が発達した理由の一つです。)

こうやってみると、現代の日本の経済力や技術力は、西洋化によってもたらされたものと漠然と思っていましたが、案外今の流れに通ずる殆どのものが、実は「江戸」で芽を出している、と感じことを、思い出しました。

そして、江戸に当時あって、今私たちが失っているものは、「目に見えないものを敬う意識」、「自然に対する感謝の意識」、「お互いを助け合う相互扶助の気持ち」ではないかと感じました。

もっと、私たち大人の一人一人が、色々なものに対する畏怖の心を持つ、感謝の気持ちを持って生きる、そして迷惑かけるのはお互い様という謙虚な気持ちを持ち、相互に助け合っていきはじめると、ガラリと世の中が変わる、とっても生き易くなるんじゃないでしょうか。
心の中の平安も増えて、より幸せ感を得られると思いますねぇ~。
理想郷ですが、昔の日本人が出来ていたのならば私たちにできないことはないですよね。
そんな大人を見ていれば、子供だって影響受けると思います。
まずは、自分から始めることが大事ですね。

そして、皆さん、お互いに助け合う気持ちを持って、収入に応じてそこそこにお金を使いましょう。チョキ
昨今よく言われていますが、景気は「気」ですからね。
お金は天下の回りもの、私が使わないと困る人が出るんです。お互い様でございます。





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おせち料理 料理は癒しだ!

お正月の元旦、家族と一緒におせち料理を食べることに。
母の家へ行き、姉夫婦と甥、姪、私達夫婦の7人で新年を祝う。

私は、母が作った紅白の「生酢」をみると、お正月だなぁ~と実感します。
うちの旦那さんは札幌出身なので、家の母が作る北海道風のおせち料理を、涙が出るほど懐かしがって食べてくれます。
「お義母さん、こんな料理を作れる人は今時いませんよ。ホントに旨いなぁ~。」と褒め上手な夫は、母をババころがし。



母は嬉しそうに、「何だかそんなこと言われると、もっと張り切っちゃうわぁ。」と満更ではなさそうです。

大の「煮物好き」の甥とうちの旦那さんの前には、別に大皿に盛られた煮物がドンと置いてあります。
幸せそうに煮物を、遠慮なくドンドン食べる二人。

私は、久しぶりに会う姪や甥に、近況の話しを聞きます。
「ケンタは、最近、デートした?」
「うん。」
「うそ、お兄ちゃん、絶対にしてない。」
「うるさいぞ、妹。」
「それで、就職はどうするの?」
「僕はね、JRに入りたいんだ。」
その一言で、昔、甥がまだ小さかったことを、ついこの間のことのように思い出しました。
電車が大好きで、駅の車掌さんの帽子をかぶって制服を着込み、すっかり駅員さんになりきって、真剣に駅のホームで電車に敬礼をして見送っていたケンタ。
今年大学4年生になる甥っ子の就職はこれからです。大事な甥の将来のために、何かできることはないかなぁ~と、叔母は思ってしまいます。

手作りの料理に舌鼓を打ちながら、こうやって食事を通して、大事な人と繋がる時間を持つというのは、大切なことだと思いました。

手作りのお料理には、美味しい物を食べさせてあげたいという、「作り手」の愛情がしっかり篭っていると思います。
そんな料理を、お互いに楽しく話して、美味しく食べたら、絶対に「体」にも「心」にも、栄養が行き届くと感じます。
手作りの心の篭った料理には、人を癒す力が絶対にありますねこ

特に日本人の場合、伝統的な食材をみると、体に優しく、食事で癒すってことを、無意識的にやっているような気がします。
科学的な根拠はないのですが、シンプルな素材の味を生かした、日本料理を食べていると、"やさしさ"が増すような感じがしてくるんですよね~。ひよこ

そういえば、友人がこんなことを先日言ってました。
「私のピラテスの先生がニューヨークへ行ってきて、アメリカ人の参加者の雰囲気に驚いたらしい。」と友。
「それって、どういう風に驚いたの?」と私。
「アメリカ人の場合、ピラテスを一緒にやっていると、参加者にものすごく高いストレスがあるのを感じるらしいよ。だから何だかどっとエネルギーを奪われる感じで疲れちゃうんですって。
でも日本人だと、例えばこの時期だと、忘年会なんかをしょっちゅうやって、一年のことは一年で終わりにして忘れちゃう。そうやってリセットして、新しい一年を迎える。上手く区切りをつけてストレスを抜いて、生きている感じがするんだって。だからこの時期、東京でピラテスを教えていても、NYみたいに参加者の人たちから強いストレスを感じることはなく、疲れないんだって。」
「ふ~ん、なるほどね。そうすると、アメリカ人の場合は、そういう締めくくりをする習慣がないから、何だかずっとエンドレスで走っている感じなのかしらねぇ。だから夏休みは日本人よりも長く必要なのかもねぇ。」


考えてみれば、日本人て、お風呂とか温泉につかって疲れを癒すとか、食事で癒す、それから会社や個人の自宅を見ても、強烈な色彩はなく、どちらかと言えば癒し系の淡い色とかグレイッシュな色を使っている場合が多いと思います。
案外、「癒し」を生活に取り入れるのが上手い民族なのかも。
(だから、世界でもっとも長寿の国を実現しているのかしら~。)


実家の「昆布巻き」は、"身欠きにしん"を中心に巻いて作ります。
これ、家によっては、鮭を巻くとか違ってくるんですよね。
でも美味しさの決め手は、昆布の質と堅さじゃないかと私的には思います。
噛むと柔らかいけど、微妙に歯ごたえがあるっていうのが大事。


母が毎回、とっても気を使って作るのは、「黒豆」じゃないかと思っています。
豆の選びから、煮込み時間、甘さ、柔らかさの具合まで、案外難しい料理に感じます。
この黒豆は、毎年、ビンに詰めて、分けて貰います。
うちの旦那さんは、帰り道、「料理、全部持って帰りたかったなぁ~」とボソっと呟いていました。





今年もこうやって、お正月をいつものように家族で祝いましたが、ふとみると母の手首が腫れているではありませんか。

どうやら、年末から「おせち料理」作りを頑張りすぎて、腱鞘炎のようになってしまったとのこと。

やっぱり、年を取ったんだなぁ~と思わずせつない気持ちになってしまいました。

それと同時に、家族で食卓を囲んで楽しく話せる機会にも限りがあることを、改めて認識。

毎回の時間を、「より豊かに楽しく過ごす」という気持ちを持つことが、大事だと感じました。

でも、家族って、当たり前のように存在しているから、ついついそのありがたみを忘れることが多いんですよねぇ。

母の存在と手料理に、心より感謝。

それと、今年は姪の受験があります。
志望校目指して、最後の追い込み、頑張れ~チョキ





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