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2010-04-07 Wed
内宮参拝を無事終えて神宮会館に戻り、皆でのんびりと朝食をとることにした。
食いしん坊の母は、私よりも朝はしっかりと食べる。
食べないとイライラするらしい。
娘である私は、逆に朝沢山食べてしまうと、調子が悪くなってしまう。
嬉しそうに朝食を食べる母を見ながら、Y女史が感心して
「お母様、本当に明るいエネルギーで、開けていて素晴らしいわぁ~」と褒めたので、
76歳の母は、嬉しそうに「そうですか、、ウフフ」と顔をほころばせて上機嫌。
母は年を重ねるごとに、かつての"鬼のような気迫と威厳"は影をひそめ、何だか天然で可愛らしい感じになってきている。
これからも、可愛い系のおばあちゃんに、ますますなっていくのだろうと思う。
(時々、その天然ぶりを発揮して、娘も孫も、ヒェ!っと引くようなことを、のたまうのですが...)
(大体、母は数年前まで、銀行に定期預金というものがあることを知らなかった人である)
そんなことを考えながら、時計を見ると、まだ午前9時である。
あれだけお参りしたのに、まだこんな時間とは...、
"早起きは三文の徳"というけれど、ホント1日を有効活用できて素晴らしい。
朝食を終えて、会館をチェックアウトした私たちは"志摩"に向けて出発
途中F女の提案で、五十鈴川で車を停めた。
川にかかる浦田橋の上から眺めると、両側の土手には延々と桜が続いている。
橋のたもとで咲いている桜は山桜である。あまりに可愛いので写真を撮ってしまった。
伊勢志摩スカイラインを30分ほど走ると、「伊勢志摩国立公園」に到着した。
Y女史は、英虞湾を上から眺める景色を、是非私たちに見せたいと思い、ここを選んでくれたそうだ。
早速、「横山展望台」に昇ってみると、すごい。
眼下に英虞湾の複雑に入り組んだリアス式海岸と沢山の島、水平線が広がっている。
今まで見たことがない景色なので、母と二人で「すご~い!」と歓声をあげてしまった。
まるでラグーンが数多く点在しているようにも見える。
坐骨神経痛が持病の母は、こういうときに案外驚くほど元気。
痛いとは決して言わずに、元気に皆についてセッセと歩く。
高いところに昇る話しは、炎天下でない限り、今まで断ったためしがない。
F女とT女史は、一段高いところから景色に見入っていたが、
F女は「景色は変わらないから、昇ってこなくても大丈夫」と無駄足を運ばせないようコメントを伝えてくれる。
母の足を考えてのコメントだろう、やはり気配りの人である。
さて、私たちは国立公園を後にして山を下り、展望台から見下ろしていたであろう場所へと移動した。
志摩随一のホテルである「志摩観光ホテル」へ立ち寄る。ホテル好きの私には、かなり嬉しいプランである。
写真は、志摩観光ホテル・クラッシック(つまり旧館)のアプローチです。
この辺りの桜は、咲くのが早いようで、私たちが行ったときには、見ごろを終えてすでに大部分の花は散っていた。
想像したとおり、ホテルの庭からの眺めは素晴らしく、ウネウネと青く伸びたリアス式海岸が見える。
プライベートビーチの上に立つ別荘から景色を眺めているような静けさがある。
景色が見えるホテルのロビーで、お茶を飲みながら本でも読んで小1時間は過ごしたい場所である。
名ホテル&抜群の景色となれば、
皆で記念写真を撮りたくなるものである。
ホテルの内部のインテリアは古く、子供の頃に泊まったホテルの調度を思い出させる。
そう、70年代調の格式あるホテルが、綺麗にメンテナンスされ、使われている感じである。
無駄な装飾がなくシンプルで、色使いが少なくコントラストは弱め、インテリアはセクシーじゃないけど品がある。
メインダイニングのレストランをチラリとみると、格式を感じさせる雰囲気がある。
昔の「箱根プリンス」のレストランにちょっと趣が近い。
さて、クラッシックに続いて、次は、少し離れた場所にある
「志摩観光ホテルベイコート」へと移動。
ホームパージを見て、泊まるならばベイコートにしようと私は思っていた。
エントランスから入ると、水に浮かぶバラが出迎えてくれる。
フロントの天井から下がり、ホールを照らすライト
蜂の巣のような金属の線で造られたオブジェについているプツプツしたものは、全て英虞湾で採れた真珠だそうだ。
小規模高質なホテルのサービスを思わせるラウンジは小ぶりで、居心地が良い。
クラッシックとの比較でいえば、ベイコートは、モダンにアジアンが加味された感じ。
色使いは、ベーシックな茶系でまとめられ、さし色のブルーとオレンジが効いていてエネルギーを感じる。
中庭のプールだけ見ていたら、アジアのリゾートホテルかと思ってしまう。
でもプールの側にバーがないのは、艶消しで、ちょっと面白みがないなぁ....。
そうこうする内にランチの時間である。
Y女史の推薦で予約していた「プライムリゾート賢島」へと向かう。
ここは、オレンジ色の瓦屋根に白い壁を持つ、南欧風のリゾートホテル。
ここからも美しい英虞湾の海が見下ろすことができます。
ホテルの窓からからみえる景色でいえば、志摩観光ホテルよりも、こちらのリゾートの方が開放的な感じがします。
特にホテルのレストラン、"アッシュ・ドール"からは湾の景色が綺麗に広がって見えます。
スタッフの方々が、私たちのテーブルをセットしてくれています。
5人でアッシュ・ドールの座席に座ったところで、記念撮影。
しかし、海辺の日差しは暑い。
ジリジリと照りつける日差しを浴びて、着ている服を脱ぎ捨てたくなってしまった。
朝寒いかなぁと思い、タートルネックを着たことを後悔してしまう。
コースの一皿目は
ココット入り半熟卵 小エビとシャンピニオンのクリームソース
そしてレンズ豆のスープ うなぎスモークの浮身
サーモンのポワレ オゼイユ添え シブレット・ソース
そして、骨付きポーク 背肉のソテープラム添え
お腹がかなり一杯になったところで、
デザートは、クレメ・ダンジュ
ちょっと食べすぎたかな、、、。
私よりしっかりと朝食べていた母も、ポークは残してしまった。
ボリュームのあったランチの後、
コーヒーを飲みながら、私たちはややまったりとしてしまった。
しかし、ここでY女史、F女、T女の3人が、
「お母様、お肌がとっても綺麗、とっても70歳を超えているなんて思えない」
「お若いわ~。それにとっても明るくって素晴らしい!」
「髪の毛もきれいな白で、フサフサしているしねぇ」
と口々に褒めそやすので、母はまったりなんかせずに、すっかり嬉しそうにはしゃいでいる。
娘の目からは、今の母は様々な責任からすっかり開放されて
自由に人生を謳歌しているようにみえる。
私もいつかこんな風に、老後を迎える日がくるのだろうか?
こんなに明るく76歳を迎えることができるのだろうか?
そうなりたいと願う。
ともかく、ちょっと難儀な面も時々ありますが、元気で明るく楽しい母は最高です。
そして夕方が近づいてくる頃、私たちは志摩を後にし、
鳥羽へと向かった。
今晩は、予約していたエクシブ鳥羽に泊まる予定。
しかし志摩から鳥羽に向かうルートが渋い。
ナビが示す最短距離のルートなんだろうけれど、農道とか林道のように細く、しかも曲がりくねっている。
対向車がきた場合、私だったら絶対に通り抜けできないに違いない。
1つの車で命をかけた?運命共同体の5人は、固唾を呑みながら、この"獣道"が早く終わることを祈りつつ、緊張感を紛らすためにジョークを飛ばす。
果てしなく続く"獣道"を、Y女史が果敢に通り抜け、やっと表通りに出ると、すぐにエクシブが見えてきた。
無事宿泊場所に到着。ホッ
しかし、ホっとしたのもつかの間、車を停めてホテルのロビーに入ると、ものすごい人でごった返している。
老若男女、お子様から学生さん、ご夫婦、おじいちゃま、おばあちゃまたちで、ロビーはすごいことになっている。
今までの志摩観光ホテルやプライムリゾート賢島の静けさとは対照的である。
(まぁ、メンバーシップを持っているホテルの経営が上手く行っていると思えばいいのでしょうけれど)
ともかくも、喧騒を抜けるようにサッサと部屋にチェックインし、少し休んで温泉につかることにした。
エクシブのお部屋からも、海が見える。
今度は鳥羽の海である。
母と二人、しばらくベッドで横になって休んだ後、
人の少ないであろう夕方5時以降を狙って、スパにいったが、やや混み状態である。
あ~という感じであるが、温泉は、とってもツルツルしていて、お肌に効きそう。
「名湯」といわれているのがうなずける感じがした。
温泉から上がって、しばらくすると、部屋の電話がなり、
寿司会席の席があいたという連絡が入った。
母と二人着替えて連れ立ち、イソイソとレストランへと降りていく。
カウンターに座ってメニューを開き、すぐに「伊勢海老の会席」を食べることに決めた。
魚介は全て地のものであるらしい。
付き出し1
ホタルイカの酢味噌
付き出し2
エビと竹の子
こうなるとキリっと冷えた冷酒が飲みたくなってくる..
辛口の義左衛門(ぎざえもん)純米吟醸をお願いする。
季節のお吸いもの
季節のお作り
お薦めのさざえの壺焼き
煮物
伊勢海老の具足煮
そして、その後は「握り」を9種類
伊勢海老からスタートして、トロ以外のネタは、全て地のものだそうだ。
本当に小さく「シャリ小」にお願いして握って貰っているので、ちょっとバランス悪くネタがよれて写っていますが、
とっても美味しかったです。
タコ、タチウオもいけてました。
(美味しいと写真忘れます)
伊勢海老の赤だし
これ意外な感じがしました。白味噌のイメージが出来上がっているんだと思います。
ちなみに、全国のエクシブの中でも、お鮨を出しているのは鳥羽だけだそうです。
板前さんの感じがよくて、サービスも料理もとてもよい感じです。
もっと増えるといいのに。
美味しいものを食べているときは、人間誰でも幸せである。
「伊勢、志摩、鳥羽っていいところねぇ...」
と母と二人で、幸せ気分にひたりながら、夜は更けていく....。
明日は、遷都1300年の奈良へ
by bandoh
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2010-04-06 Tue
翌朝、目が覚めるとまだ薄暗い...。
畳の匂いと、木の天井で神宮会館であることを思い出す。
今日の内宮参拝を考えるとワクワクしてきた。
いつもより元気よく起きて準備を整えて、いざ出発しようと靴を履いている最中に母が部屋の扉をノックした。
グッド・タイミングである。
表に出ると、空は青く澄み渡り、薄蒼いピンク色の桜の花が、目に眩しく飛び込んでくる。
まず内宮参拝の前に「猿田彦神社」へお参りにいく。
猿田彦大神は、天照大御神の孫、ニニギ尊(ニニギノミコト)が、神々の国である高天原(たかまがはら)から宮崎県の日向(ひゅうが)の高千穂に向かう際、猿田彦大神がその道案内をしたことから、道や境界を守る神様、方位の神様として信仰を集めるようになったそうだ。
これから何か始めようとするときや、今後の方向性に迷っている人など、ここで参拝すれば道が開けると言われている。
道案内ということで、参拝の前に参っておくとよい神社なのだと思う。
そして、次は皇大神宮別宮の「月讀宮」を参拝
こちらは天照大神、須佐之男命と合わせて三貴神とされる、「月讀尊」をお祀りしてあり、月讀尊は天照大御神の弟神となります。
早朝の参道はすがすがしく、冷たい空気も心地よく感じられます。
原生林のように自然の姿を残して茂る樹木が、キシキシと玉砂利を踏み進む私たちを静かに見守っているように感じるから不思議。
奥に進んでいくと、四宮が並んで南を向いてお祀りされています。
ご兄弟の順に参拝するというY女史に従い、向かって一番左から「伊佐奈弥宮」、「伊佐奈岐宮」、「月讀宮」、「月讀荒御魂宮」の順にお参りをしました。
月讀宮は、月を奉るお宮なのだそうだ。
月は、太陽と地球のバランスを取っていて、月がないと地球は自転が2/3も速くなって大変なことになるらしい。
太陽は男性性、月は女性性をあらわすが、そういう意味では、バランスを取る神様なのです。
2つのお宮を参拝した後は内宮へ。
宇治橋につくと、檜で作られた橋が朝日の中で燦然と輝いています。
五十鈴川の上にかかる、あまりにも美しい宇治橋に感動。
こんなにミニマムに優雅で美しい橋をかつて見たことがあるだろうか...。
宇治橋の中央線はやや高くなっていますが、
冬至の日の太陽は、ちょうどこの中央線の延長線上に昇るそうです。
最初に宇治橋を作った人たちは、すごい。
橋の両端には二つの大鳥居がありますが、これらは内宮、外宮の旧御正殿(きゅうごしょうでん)の棟持柱(むなもちばしら)をリサイクルしたものだそうです。
さらに二十年経つと他の土地の鳥居に、さらにそのあとも他の神社へと、どんどんリサイクルされていくのだそうです。
大鳥居をくぐって、参道を進むと、青く広がる空と満開の桜と松が見えてきます。
南から放射状に走る雲が、「特別参拝」に向かう静粛な気持ちに高揚感をプラスしてくれる。
そう、今日は昨日から申し込んでおいたので、内宮の「御正宮」で一歩内部に入って参拝できることになっている。
第一の鳥居をくぐって参道をしばらく進むと、右手に石畳が広がり、五十鈴川の御手洗場へと下りていけます
更に進むと、参道は深い森に包まれ、静かで神々しい雰囲気に包まれます。
それと同時に空気もヒンヤリとしてきます。
五十鈴川の後は、そのまま表参道に戻り御正宮に向かうルートが一般的なようですが、
「滝祭神」で参拝。
滝祭神は、五十鈴川を守る神様をお祀りしている重要な神社です。
竜神様への参拝の後は、そのまま森の中を進み、しばらく歩くと、新しくかけられた鳥居と橋が見えてきます。
風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)の鳥居です。
新しい橋と並んで、古い橋はカバーがかけられていたので、建替え工事をしているのか?
風日祈宮橋を渡ると風の神様の「風日祈宮」です。
風日祈宮には、外宮の「風宮」と同じく、風の神様がお祀りされています。
「風日祈」とは、風雨の災害のないようにとお祈りする神事のことを言うそうです。
内宮の開運の鈴のお守りと、天照大神の御札を受け取った後、神楽殿を左に見ながら進む。
いよいよ、伊勢神宮・内宮 御正宮参拝です。
神楽殿を過ぎたら、表参道を歩き、「御正宮」に向かいます。
三十段あまりの石段の上を見上げると御正宮が見えます。
そして、写真のとおり石段はゆるくカーブしていますが、これは、真正面から神様に近づくのを避けるために、わざと造られているようです。
石段を昇り切ったら、一番外側の「板垣南御門」をくぐります。
太陽の神、天照大御神がお祀りされている伊勢神宮・内宮の「御正殿」は、四重の垣根に囲まれた一番奥にあります。
一般の参拝者は、外玉垣甫御門(とのたまがきみなみごもん)の前までしか入れませんが、
今回は特別参拝を申し込んでいたので、外玉垣甫御門にかかる白絹の御幌の向うの
御垣内(みかきうち)と呼ばれる清浄な神域に入って、特別参拝を行いました。
申し込んだ5人で、御門横の南宿衛屋にいる神職さんに「特別参宮章」を出した後、
まずはコートを脱ぎ、一列に並んで神職さんからお祓いを受けます。
そして、そのまま神職さんに続いて、御垣内の外側の番塀から、御垣内に入って、中重鳥居の前まで進みます。
しかし、御垣内の玉じゃりが、何とも大きなサイズの石で、うっかり踏み損なうとバランスを崩して転びそうな感じで、ややヨロヨロしながら進みます。
こんな神聖な場所でころんで、ずっこけたくない。
私が代表者として、「中重鳥居」の側で参拝させて頂いたのですが、
二拝二拍手一拝の最後の拝が、かなり長かったようで、神職さんがタイミングを合わし損ねていたそう。
はい.....ついついここでもお願いごとを。(知らぬということは恐ろしい)
母から後で「長すぎ」とチクリと言われました。
特別参拝の申し込みの際に、第六十二回神宮式年遷宮への奉賛として、御造営資金をご奉納しました。
御正宮でのお参りを終えたら、伊勢神宮・内宮第一の別宮
「荒祭宮(あらまつりのみや)」へ
ここは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂をお祀りしています。
荒御魂(あらみたま)は、昔から困ったことや願い事があると、この別宮に頼ってきたと言います。
新しい仕事に着手するときや、困ったことが起きて先に進めなくなったときなどに、荒祭宮にお参りするとよいとされています。
そして、最後に再び宇治橋へ。
新しい宇治橋を桜の満開の時期に見れるとは、なんと幸運なのか。
もともと桜の季節を狙ったわけでは無かったので、この機会を下さった神様に心より感謝の念が湧いてきてしまった。
「神様、本当にありがとうございます」
母も道々、「桜がホント綺麗だわ~、いい時期にお参りできたわ~」と何度か繰り返し、嬉しそうな様子。
喜んでいるので、宇治橋でのポーズも決まっている?
しかし、この幸運、考えてみたら、
あれこれと人が喜ぶために気を配るF女の日ごろの行いが宜しいのかもしれません。
となると、「ちもちゃん、どうもありがとう!」と再度感謝の言葉を伝えたい。
朝8時頃に参拝を終えた私たちは、そのまま神宮会館に戻り、朝食をしっかりと頂きました。
さて、伊勢神宮参拝の後は、志摩と賢島へ向かいます。
by bandoh
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2010-04-06 Tue
自宅前の桜がようやく満開となった朝早く、伊勢神宮に向けて出発。
写真は無事伊勢につき、外宮の手水舎で心身を清めている母と私たち一行
母から以前より「フミちゃん、連れて行って!」と何度かリクエストのあった"お伊勢参り"の旅である。
私の周りには、ここ数年、伊勢神宮にお参りをしている人が沢山いる。
本格的な人は、滝打たれの行のような禊ぎをしてから、お参りをしている。
うちの旦那さんも、伊勢神宮には仕事の出張も兼ねて、何度かお参りをしている。
戻ってきてから「いや~、良かったよ~」とやや自慢げに語るので、私の中では、"お伊勢参り"は、ミステリアスかつ「絶対に行くべき場所」として刷り込まれてきた。
しかもお参りしてきた人たちの話しを聞くにつけ「それなりに本格的に参らねば....」という思いも強くなっていった。
「本格的に参る」と、
神事にはとんと疎い私が行くと決めたなら、それなりに本格的に参るために、"しかるべき人"に案内をお願いしなくてはならない。
ありがたいことに、近しい人の中に"しかるべき人"がいるものである。
私がソニーミュージックエンタテインメントに営業をしていた15年前頃から、当時は教育の担当者として、今はうちの会社の仕事を手伝って貰ったり、ご飯を一緒に食べる相手として付き合いの長い、しっかりもののF女に案内を願いでた。
F女は、神社と関係のある家系から神事に明るい。
F女は、私が「今度伊勢に行こうと思っているのよ」とつぶやくと、
「大丈夫。バンちゃんが伊勢に行く時には、それなりの人を紹介するから」と頼もしい笑みと共に引き受けてくれた。
あまり多くを語らずとも、本当に親切になんでもかなえてくれるスーパーウーマンである。
おかげさまで、神事に疎くせっかちな娘と、やや天然な母の親子連れは、めでたく旅に向けて出発。
しかし、旅の1日目となる朝、東京駅につくと、強風のため、東海道新幹線の運行が遅れているというアナウンス。
どうなることかと思ったが、数分遅れで無事名古屋駅に到着し、予約していた近鉄特急に無事乗り換えることができた。
危惧していた朝からの雨もあがり、お参りに傘を差す必要もなさそうで、ホっとする。
もっとも、私の心配をよそにF女は朝から余裕たっぷりで、
「大丈夫よ、バンちゃんとの旅で雨にあたったことなんて無いじゃない」と全く心配していないから、この人はすごいと思う。
伊勢駅で、F女が親しいY女史とT女史の二人と落ち合い、まずはY女史が運転する車に5人乗り込み、外宮へと向かう。
Y女史は今は関東に住んでいるが、志摩に長らく住んだことがあり、F女と同じく家系的に神事に明るいし、日本書紀なども勉強していて詳しい。
Y女史は、私の知らない世界を紹介して頂ける、大事な水先案内人兼先生でもある。
外宮の北参道の駐車場につくと、Y女史はなぜか駐車スペースの一角の中にまっすぐ停めず、対角線となるような形で、車を斜めにパークした。
「もしかして、これも何か意味があるのかもしれない」と密かに思ったりしたが、毎回そんな風なので単に停め直すのが面倒らしいと判明した。
Y女史はいたって大らかな性格で優雅な感じがするが、経営者としての貫禄もある。
すごいわ~と関心するだけでなく、この駐車のエピソードによって、Y女史にはすっかり親近感を感じてしまった。
これは、外宮の御池の近くにある超パワースポット、「三つ石」
ここでお参りの前に手を合わせた。
そして、いよいよ神様がいらっしゃる「御正宮」
御正宮は、四重の垣に囲まれている。
一般の人の参拝は、一番外側の御門をくぐり、外側から二番目の御門まで。
その二番目の御門となる「外玉垣南御門」
純白の絹の御幌(みとばり)ごしに参拝します。
次に参拝するのは、風の神様の「風の宮」
鎌倉時代に神様が力をあわせて神風をふかし、モンゴル軍の襲来から日本を守られたといわれています。
次に参拝するのは荒御魂(あらみたま)を祀る「多賀宮(たかのみや)」
多賀宮には、外宮のご祭神、豊受大御神の「荒御魂」をお祀りしています。
個人的なお願いごとは、ここで初めてできるそうです。
そのようなことも知らなかった私は、ずっとお願いごとを重ねていて、本当にお恥ずかしい限りで、日ごろから神頼みしかしていない自分に反省。
荒御魂は、願いごとに対してパワーを与えてくれる神様なのです。
ちなみに、神様の魂には
・穏やかで優しい和御魂(にぎみたま)
・行動的で激しい荒御魂(あらみたま)
があるそうで、外宮では和御魂を「御正宮」に、荒御魂を「多賀宮」に分けてお祀りしているそうです。
次は土地の神様である別宮の「土宮」(つちのみや)に参拝
ここに祀られているのは、土地の守り神の大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)です。
土地にまつわるようなこと、引越しとか不動産の売買など考えている人は参拝すべき神様です。
外宮の参拝を終えて、この日泊まる「神宮会館」に全員でチェックイン。
神宮会館は、内宮とおかげ横丁のすぐ側にあり、とっても便利な宿泊施設です。
ただし、予約が早くから入ってしまうので、新館に予約を入れたい場合には、早めの予約が必要。
この日は、4日(日)の奉納相撲があるので、神宮会館の入り口に書かれた予約名を見ると、相撲部屋の親方一行も宿泊している。
荷物を預け、母と私はいそいそと「おかげ横丁」へと向かい、
薦められた「赤福本店」でお茶と赤福で一服。
母と二人火鉢にあたりながら、店内に座って見ていると、次から次へと観光客が来ては出て行く。
みな滞在時間が短いので、回転数がすごい。
ふと帰り際に、赤福を作っている現場をみると、
若いお嬢さんたちが、赤福をせっせと作っている。
その手際の良さは、早廻しのビデオを見ているようである。
通りに出ると、赤福を食べたばかりなのに、またまた食欲をそそる、貝が焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
その匂いに釣られて近づいてみると、牡蠣である。
この後、少ししたらフレンチの夕食を食べる予定なので、食べ過ぎてもどうかと...と迷いつつ、
旦那さんから通称"ラッコちゃん"といわれている貝好きの私である、
やっぱり牡蠣も大アサリも食べることに。
神宮会館に戻って一休みした後は、
予約を入れてもらったフレンチ・レストラン、"ヴォン・ヴィヴァン"で夕食
郵便局の古い建物の中にあるレストランで、クラッシックで落ち着いた雰囲気のお店
そういえば、東京にも80年代に"ロアラブッシュ"というフレンチがオープンしたけれど、ちょっと似ている。
母は神都ビール、私はワインで乾杯
アミューズが可愛く、特に松坂牛が美味しい。
かぼちゃのスープ、
前菜の魚介のサラダ、
メインの松坂肉のみすじ肉といちぼ肉を食べた後は、デザート
私はフランボアーズ以外全ての種類をトライ。
本当にちょうど良いボリュームで美味しかった。
夜も更けて、非日常の刺激的な一日が過ぎさろうとしているが、
この夜、私は伊勢に来ているという実感がまだ湧いていない気がした。
多分、あれやこれやと物珍しく、キョロキョロしていたせいで、地に足がついていなかったのかもしれない。
この感覚は、ローマに行ったときにもあった。否、過去の旅行でも初日はいつもそんな感じのように思える。
伊勢参りをした昔の江戸に住む人たちが、遠く長い道のりを、何日も歩いて到着するのと違い、
今日、伊勢参りをする私たちは、東京からほんの数時間もかければ、すぐに伊勢についてしまう。
物理的に長い距離を移動してきたわりには、鉄道や飛行機という便利な交通機関があるせいで、早く現地についてしまい、頭では遠くにきていると理解していても、体の細胞は遠くに来たということを認識できないでいるのかもしれない。
ともかく、神々の御霊が鎮座している伊勢の地と空気に早く溶け込もうと、神宮会館の布団の中でスっと目を閉じた。
明日は、早朝6時30分に出発である。
by bandoh
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2009-11-25 Wed
11月の勤労感謝の日を利用して、与論島へ出発した。
ANAの7時発の那覇行きの飛行機の中で、仕事気分はすっかり抜け、すでに休暇モードになっている。
初めて行く場所は、やはりワクワクする。
「那覇空港」に着くと11月なのに暑い。
次の飛行機の登場まで、2時間近くある。暑がりの友人は、早速着ていた服を1枚脱いでいる。
与論島へは、琉球エアーを使って乗り継ぐ。
与論島は鹿児島県となるが、沖縄からの方がずっと近い。
沖縄よりも、北部にあるためか、この時期の与論島は沖縄よりもやや寒い。
招待してくれた知合いは、11月は最高の時期だと言っていたが、元気に泳ぐにはちと寒いように感じた。
宿泊する先は、「楽園荘」
与論島に到着すると、若女将が「楽園荘」と書かれた案内を持って、立っている。
(島根県出身で、美人な人である。1年位前に結婚して移ってきたそうだ。ダイビングが大好きだそうだ。)
楽園荘に到着して、荷をほどいて一息ついた後、
近所の「皆田海岸」まで散歩することにした。
夕暮れ時で、空は曇っていたが、皆田海岸は綺麗だった。
水は透明度が高くて、浜は白く、まるでプールの水のように青く見える。
浜に行くと、漁を終えたおじいさんが、釣った魚をさばいていた。
おじいさんに声をかけると
「イカと針千本、獲れたんだぁ。今日はちょっと時間がかかったなぁ~」と言う。
写真は、その“針千本”の写真である。目が大きくて離れていてユーモラスな風体が可笑しい。
怒ると水を含んでプーっと風船のように膨らみ、太い針を全身に立てて身を守ろうとする。
可愛いが美味しくなさそうだな、、と眺めながらついつい思ってしまう
夕日を散歩しながら眺めた後は、宿に帰って、食堂で用意されていた夕食を食べる。
そして、部屋に戻って時計を見ると、なんとまだ7時30分である。
外は真っ暗で何もないし、テレビも4チャンネルしかない。
この後の時間、一体どうしたら、いいんだろうか...。
どうしたらいいのか分からなくなった私達は、とりあえず食堂の冷蔵庫にシャンパンがあったことを思い出し、再び食堂へと向かう。
“やっぱり、あった!”と喜び、とりあえず若女将に、幾らか聞いてみた。
すると、「あっ、別にいいです。勝手に飲んでください、お金要りません」と言う。
「あの、悪いので、、」というと、「大丈夫です」とまた答える。
なんとも不思議な、商売っ気のない宿だわと思いながら、あれやこれや、長い夜を二人でシャンパン飲んで過ごすことにした。
2日目の朝は、ポツポツと時々雨を感じるあいにくの曇り空
ちょっと肌寒い感じがする。
この日のお昼は、リクエストして、亡くなった森瑤子さん推薦のあの「ヨロン丼」を作って貰った。
楽園荘のおばあさんが、森瑤子さんの料理本である「森瑤子の料理手帖」を持っていたらしい。
このヨロン丼、思ったとおりかなり美味しい!
楽園荘に感謝!
宿にあるその森瑤子の「料理手帖」をパラパラとめくると、美味しそうな料理のレシピが、森さんのライフスタイルを紹介しながら、沢山掲載されている。
写真は、おそらくヨロン島の森さんの別荘の側で、ご飯のおかずとなる魚を釣っている森さんだろう。
イギリス人のご主人と結婚したためだろうと思うが、欧風な料理も多いが、和とアジアの創作系のような料理もある。
どれも食通であった森さんの幅広い味覚から練られた魅力的な料理が多く、たちどころに興味を惹かれてしまった。
行動の早い私は、その日のうちに早速ネットで、中古本を買ってしまった。
“しゃこ貝の潮水サラダ”、“パパイヤとかにのサラダ”など、暑い日に飲む冷えた白ワインとピッタリ合いそう。
下の写真は、別荘の中庭で、パーティの準備をしている森さんである。
テーブルは、ヨロンでサバニと呼ばれる小船を使っている。
今、この別荘の中庭は、ヨロン島で結婚式をあげるカップルのために、ガーデン・ウェディングとして貸し出されているそうだ。
英国人の牧師さんが結婚式を挙げるらしい。
本園さんの案内で、近所にある森さんの別荘へ行ってみたが、アプローチの作り方、ガジュマルや彩の綺麗な花などの植栽、コテージ風の建物、中庭、プライベートビーチも含めてまさにアジアのリゾート、楽園そのものに見えた。
エッセイにヨロンのことを恋人のように語っていたが、その気持ちがよく分かった。
本園さんの話しによれば、彼が子供の頃、開放的な森さんは、プライベート・ビーチでスッポンポンになって泳いでいたそう。
ヨロンの少年にとっては、衝撃的な思い出だそうだ。
下の写真は、別荘のすぐ横に創られた森さんのお墓である。
確か森さんはガンで亡くなる前に、葬儀の方法や埋葬、お墓のことまで全て自分で決めていた。
ヨロンの海を愛した森さんらしく、海を見下ろせるように創られている。
森さんの別荘に立ち寄った後は、ヨロンの民族村へ出かけた。
魚、貝、植物など、地にあるものを、すべて最後まで有効的に使い、
自然と上手く調和した暮らしを送っていた島民の、伝統的なライフスタイルや住居の話しは興味深いと感じた。
あいにくの曇り空とポツポツと時折降る肌寒い天気。
私達は車で5分くらいの場所にある陶芸の工房で、陶器を作ることにした。
陶芸の先生は、60代の女性陶芸作家で、ヨロン島ならではの青を生かして作品を作っているようだ。
工房の入り口や中には、先生の作品が沢山並んでいた。
私は、やや大きめのシンプルなお皿を2枚作ることにした。
手作りの工芸は、幾つになっても楽しいものである。
二人共、すっかり夢中になって作ってしまった。
この後、工房の釜で焼いてもらい、1ヶ月後には自宅に届けてくれる。
待ち遠しい~
工房を出て表に進むと、なんと生まれたばかりのヤギの赤ちゃんが
島ではヤギをたまに見かける。
楽園荘でも、ヤギをペットとして二匹飼っているが、若女将の奥様が時々散歩に連れて行くらしい。
ちなみに、ヨロンでは黒毛牛が沢山飼育されている。
島民の数よりも牛の数の方が多いとのこと。ニュージーランドの羊と島民みたいだ。
しかし、何でも、ここの黒毛牛が数年たつと国内の畜産業者に購入され、その後産地の○○牛とかブランドが付いて売られているらしい。
2日目の夜は、宿の食堂で夕食後、ヨロン名物/伝統の「ヨロン献奉」を体験した。
「ヨロン献奉」とは、鹿児島藩の治世の時代から始まったらしい。
鹿児島藩に年貢となる、焼酎を納めるのだが、島で作った焼酎は地元民も楽しめるように取っておくのが習慣で、取っておいた焼酎は、皆で集まり、杯で回し飲みしてありがたく頂戴するという習慣が根付いたようだ。
ちなみに、親が皆に注いで回ることになるのだが、親から注がれた杯は一気飲みするのが流儀である。
そして、一揆飲みした後は、残った焼酎を手のひらにつけて、頭にかけるのもお約束のようである。
まずは楽園荘の本園さんが、親となり「有泉」(ゆうせん)という焼酎の一升瓶の蓋を開けて皆に注いで回る。
この日は援軍?の、「サンシャインヨロン」のコウジ君がやってきていた。
彼は数年前まで東京で仕事をしていたが、
3人の姉と2人の妹を持つ長男で、跡を継ぐためにヨロンに戻ったらしい。
ヨロン献奉後は、本園さん達と一緒に、名物の「かりゆしバンド」の演奏を聴きに、島の「中心部へ出かけた。
しかし、ここでもまた“ヨロン献奉”は続く...
まぁ、杯の中に氷を沢山いれているので、一気飲みも何とか、フゥ~
「かりゆしバンド」は皆で演奏を聴くというよりも、皆“踊って”いる。
沖縄の踊りにもよく似た動きだが、この際、乗ってしまおうと決めた私も遠慮なく踊りを楽しんだ。
3日目の朝は、雨という予報だったが、曇りと晴れ。
こうなると思ったよりも、暖かい。Tシャツ1枚でもOKという感じだ。
本園さんの提案で、この日はシュノーケリングをすることになった。
暖かい感じはするが、やっぱり11月。風が吹くと寒いので、宿からウェットスーツを借りることにした。
(しかし、“11月は最高のシーズンですぞ”と紹介者からは聞いていたのだが、島民やリピーターからは間逆の話しを聴いた。あの話しは一体....。)
海までは、軽トラックの荷台の上に乗って移動する。
軽トラックの荷台に立って、海まで進む感じは、とっても楽しい。
寒がりの私は全身用のウェットスーツを選び、暑がりの友人は短いウェットスーツを着る。
海に入る前に堤防にたたずむ女二人。
写真を見て思ったが、まったくサマになっていない。(私は15メートルしか泳げないし、友人はもっとひどい)
しかし、海の中はパラダイスである。
本園さんが運転するジェットスキーに3人で乗って、「百合が浜」(夏の干潮時に潮が引くと白くて丸い砂地が姿をポッカリ姿を現すが、この時期には見られない)を目指すと、右手側に、森瑤子の別荘とプライベートビーチが見える。
ゴ~ン、ゴ~ンとジェットスキーで波を乗り越えながら、海を眺めると、今まで見たことがないような、嘘みたいな青さ、コバルトブルーの海が広がっている。
夏になると、百合が浜や皆田海岸は、風がなくベタ凪ぎとなるため、まるでホテルのプールそのもの、鏡のようになるらしい。
皆田海岸でのシュノーケルでは、静かで少し怖いくらい平和な海底を覗けた。
白い海底の上には、様々な珊瑚と、多種の熱帯魚、蛍光グリーンのように明る藻がソヨソヨとなびいている。
そして、ポイントを変えると、
今度は、ものすごく綺麗で幻想的な「紫色のイソギンチャク」と、その中に引きこもっている“隠れクマノミ”を発見。
「ニモだぁ~」と喜んでしまった。
この日の夜、宿の食堂で夕食の席につくと、広島から来られたという一人旅の女性がいた。
ダイビングが目的である。彼女は、ダイビングが大好きでよくヨロンか宮古島に来ているらしい。
気がつくと、私達以外の宿泊客の殆どが、ダイバーである。
“命”に関わるような遊びが苦手で、生きることへの執着心の強い私達二人は、この先ダイビングにはまることはないと思うのだが、シュノーケリングでも十分に楽しい。
森さんのようなプライベート・ビーチを備えた別荘でも持てたら、最高だろうなと思う。
毎年友人を招いて、料理作って、泳いで釣して、美味しい酒飲んで、夕日や星空眺めて悦に入ると思う。
読みたい本や、映画を用意して、行くだろう。それに陶芸にすっかりはまるかもしれない。
4日目の昼間、そんな空想を膨らませながら、また訪れる日に備えて、私達は最後の海に別れを告げることにした。
by bandoh
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2009-11-11 Wed
父が生きていた時は、母と三人でよく山中湖か箱根に紅葉を楽しみに出かけていた。
大体11月の第1週の週末であったと思う。
今年は、従姉妹と母と私の三人で出かけた。
運の良いことに、今年は先週末が、紅葉の見頃の時期と重なったようだ。
赤く燃えるようなもみじと、楓の色が折り重なってものすごく綺麗である。
この日は、思った以上に気温が高く、山中湖に着いたら、車の幌を上げてオープンにしてドライブすることにした。
車の幌を上げて、エンジンをスタートさせてから、後ろのシートに座っている母をバックミラーで確認すると、オレンジ色の花柄のスカーフを〝マチコ巻き〟にして、めがねをかけている。
ふと、その母の姿を見て、何かに似ていると気づいた。
はっきりと思い出せないけれど、何かによく似ている。
こういうことを思い出せないって気持ち悪い。
しばらく運転しながら、記憶を辿っていたらようやく思い出した!
マトリョーシカである!
あのロシアのお土産に出てくる、人形の中に人形が入っていて、またその人形の中に人形が入っていてと延々と続く、一度見たら絶対に忘れない木製のお人形である。
そう、あのマトリョーシカに似ているのである。
母は首が短いせいか、スカーフを頭からマチコ巻き風に巻いても、首のところで細くならずに、頭頂部から流線型のようなシルエットに出来上がっている。
ちょうどアザラシが、水から頭を出したときのような感じである。
思い出したことですっかり嬉しくなり、運転しながら後ろを振り向きざまに、
「お母さん、今の姿、マトリョーシカに似てる!」と大きな声で言ってしまった。
隣のシートに座っていた従姉妹は、爆笑。
母は、「マトリョーシカって一体何よ?」といぶかしんでいる。
うちの母は、サングラスをかけているときは、一見「オノ・ヨーコ」風のおばあちゃんなのだが、スカーフをマチコ巻きにすると、マトリョーシカに変身できることを発見。
それにしても、良いお天気である。
青い空と富士山、湖畔の眺め、紅葉、女三人、ドライブをしながら
「何かすご~く、綺麗じゃない~、すごくいいよねぇ」と盛り上がった。
ふと亡くなった父が、空の上から、この姿を見ているかもしれないと感じた。
ホテルでは温泉に入った後に、夕食を、中華レストラン〝翠陽〟で食べることにした。
前菜の盛り合わせ
甲州地鶏とフカヒレおぼろスープ淡雪仕立て
こんにゃくシートの野菜5色巻き
ワインは、自宅から誕生日の時に頂いたイタリアの赤ワインを持ち込ませて貰った。
レストランで気を利かせてくれて、1時間前位にボトルを開けておいたらしい。
ほんの少しチョコレートの香りがする深みのあるカベルネで美味しい!
贈ってくれたIさんに心より感謝である。
翌朝、従姉妹がセットした目覚ましのピピピピっという大きな音でパっと目が覚めてしまった。
時計を見たら、まだ朝の6時である。
なんとも、リゾートでこの時間に目が覚めるとは....
しかし、その早起きにはご褒美があった。
朝焼けに染まる富士山を部屋の窓から見ることが出来た。
山中湖畔の上には霧もしくは雲?が漂い、とっても幻想的である。
山頂の雪の帽子は、朝日に染まって薄オレンジ色に見える。
しかし、1時間もたたないうちに、朝焼けは終わり、
白い世界が再び戻ってきた。
美しい~
by bandoh
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2009-06-15 Mon
「ナパで飲むワインは、どうして東京で買って飲むワインより美味しいのか?」
ナパで買ったワインを東京で飲んでも美味しい。
時々自宅に人を招いて、ナパで買ったワインを飲む機会があるが、友人も同じように感じるようだ。
ワインに混入する安定剤とか、輸送の時のコンディションとか諸々のことが影響しているのだろうか。
誰か詳しい人がいたら、教えて欲しいと感じる。
それにしても、ワイナリー巡りは楽しい。
元々は、日本の飲料メーカーのSに勤務する友人夫妻がオーストラリアに転勤している時に、彼等を訪ねてシドニーへ遊びに行った事があり、その時に"ハンターバレー"のワイナリー巡りをしたのが、一番最初だった。
その時テイスティングし購入した"マウント・ビュー・エステート"の1987年のシャルドネがすっかり気に入り、後にワイナリーに連絡を取り、同じ87年のマウント・ヴュー・エステートのシャルドネを、1ケース自宅へ航空便で郵送して貰った。
マウント・ビューのオーナーは、大変気が利くタイプの人でかつワイン愛好家を育てる情熱を持っていたのだろうと思う。
87年のシャルドネの中に、1本だけ1991年のシャルドネを加えてくれた。
事前にFAXでのやり取りで、「年代による気候などの違いや、時間がワインに与える変化を、これで体験し学習してみて下さい」とあり、面白いと思って1本だけ91年のシャルドネを入れることにしたのだった。
飲み比べてみると、87年と91年では、同じワインと思えなかった。
「ワイナリー巡りが楽しいのは、沢山の理由がある。」
ワイン畑を中心とした牧歌的な景色や自然と触れるのも楽しいし、何より、それぞれの造り手の情熱と努力によって造られるワインは、芸術品のようでテイスティングの機会をとても貴重に感じられる。何かしらありがたい感じがするのだ。
また、ナパのようなニューワールドのワイナリーでは、夢とサクセス・ドリーム、又はプレステージを求めてワイン造りに挑戦している人たちのエネルギーや心意気が溢れているように感じる。そのエネルギーが私たちゲストを高揚させるのかもしれない。
来年は、このナパで毎年定例となっている「ビジョン&ミッションメイキングセミナー」を開催したい。
サンフランシスコ空港へ戻る途中 ベイブリッジ
by bandoh
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2009-06-14 Sun
セント・ヘレナ地区からルーサーフォード地区に南下して、"フルーリー"へ向かう。
ここはツアーガイドの推薦のワイナリー。地図にも記載されていないブティック・ワイナリーである。
樽から直接、ワインを飲ませて貰うことが出来るらしい。
"FlEURY Estate Winery"
到着してみると、他のワイナリーとは全く違う雰囲気を持つところである。
建物や敷地全体の造作は、とてもシンプルでミニマムな様式である。
オーナーのブライアン・フルーリーは、10年前にナパに移ってきた元ビジネスマンで、ワイン好きが嵩じてコレクターとなり、遂にはワイナリーを持つまでに至ったらしい。今では、ルーサーフォード地区だけではなくセント・ヘレナ地区と、ハウェル・マウンテン地区にも畑を持っている。
このオーナー、日本の花王などの大手企業と一緒に働いていたこともあるそうです。
建物の中は巨大テントのようになっていて、中央にワイン樽がズラリと並んでいる。
奥に進むと、横並びで小テントが3つほどあり、そこではプライベートを守りながら、座ってテイスティングが出来るようになっている。
ふと目をやると、壁にはビビッドな色を使ったモダンアートが飾られている。
何となく、ワイナリーというよりは、NYのSOHOの誰かのアトリエにでもいるような気分にもなる。
ツアーガイドのランディ
敷地の外も通常のワイナリーのように、草花を植えているわけでもなく、超シンプルにミニマムに椅子とテントが置かれている。
新しくて斬新という意味では、これまで周ったワイナリーの中では突出している。
07年シャルドネからスタートして、07年ピノ、05年ZCAB(ジンファンデルとカベルネS)、06年ナパと05年ハウェル・マウンテンのカベルネ・ソーヴィニヨンをテイスティングした。
う~ん、特徴ある味わいだと思うが、やはりだんだんと舌と脳が麻痺し始めている..。
しかしながら、テイスティングシートを見ると、カルネロスの07年のピノ・ノアールはたったの200ケースしか作っていないようだ。
やはりピノは試しに購入して、開けるのを待ってみようと思い購入。
立ち上がろうとした瞬間、スタッフの男性が思い出したように、
「そうだ、すごくこれからの時期に飲みやすいワインがあるんだ。夏の夕暮れ時期に飲むのにピッタリのものがある、ちょっと待って..」と言い、樽から取り出して直接飲ませてくれた、ソーヴィニヨンブランは、かなり美味しかった。
まだ瓶詰めもしていないので、買える状況ではないのだが、フレッシュで香りが良く、持って帰りたいと思ってしまった。
写真はちょっと暗くて分かるづらいが....
オーナーのブライアン
話すとものすごくテンションが高く面白い人で、ハリウッド俳優のジャック・ブラックによく似ている。
ランディに聞くと、「そう、彼ってよくジャック・ブラックに似てるって言われるよ。いい奴なんだよねぇ。」と笑いながら答えた。
東京で販売したいという女性がいるそうで、その女性は東京でワインショップを開くらしい。
場所を聞いたら、東京のロデオドライブのような一等地だという、ものすご~くアバウトな回答が帰ってきた。
一等地って、麻布近辺かしら??もしかしたら、今度東京でここのワインと出会えるかもしれない。
さて次はフルーリーを後にして、同じ地区にある"サリバン"へ向かうことに
"Sullivan Vineyards"
ガイドのランディー推薦のもう1つのブティック・ワイナリーが"サリバン・ヴィンヤーズ"
ここの敷地は印象的だった。近くに池があるせいかもしれないが、建物と敷地の感じが上手く調和している。
蔦に囲まれた建物が何棟かあるが、ここはテイスティングルーム
ここはゲストハウスか、オーナーの自宅?
テイスティングで説明してくれるおじさん
ここでは、06年シャルドネ、06年メリテージのRed Ink(カベルネS、メルロー)、06年メルロー、05年カベルネSを試飲。
もう一人キャッシャーにもオジサンがいるのだが、彼は以前はサテライトに関わる技術職だったそう。
退職して、気候の良いナパで楽しみながらアルバイトでもしているのだろうか。
テイスティングで出しているワインは、いずれもサンフランシスコの地元や海外のコンテストでメダルを取っているものだった。
05年のメルローと06年のカベルネが結構美味しいと感じる。
敷地内は木立が多く日陰を上手く作ってくれる。
蔦も手入れをすると、ここまでなるものか。
イギリスの田舎のコージーな東屋のような雰囲気が漂っている。
うちの旦那さんは、池もあるここのワイナリーの雰囲気が一番気に入ったそうだ。
"サリバン"を更に南下し、オークビル地区にあるケイクブレッドへ
ここは以前から白、赤共にお気に入りのワインがある。
"Cakebread"
ケイクブレッド・セラーの入り口
中にはステンレスタンクがあり、その中央の空間にテイスティングできるテーブルがある。
建物の中の写真
木箱に入ったケイクブレッドの6本セット
いいなぁ~、アメリカに住んでいたら買ってるかもなぁと思う。
ここでのお気に入りは、赤の"Rubaiyat(ルビヤット:日本ではルバイヤート)"と、ソーヴィニヨン・ブランである。
今回テイスティングしても、やはり赤は05年のカベルネよりも07年のルビヤットが美味しいと感じる。
さて、"ケイク・ブレッド"を出た私たちは、最後に"ケラム"へと移動。
当初、前回ケラムでゆっくり滞在出来たことや、時間の関係上、ここを周る予定はなかったのが、最後にどうしても寄りたくなってしまった。
ここもナパの地図には載っていないブティックワイナリーだが、セント・ヘレナ地区のジンファンデル・ロードを入ったところにある。
ここは、私は一番好きなワイナリーの一つでもある。
明るく女性的な気配りがあり、景色も施設のファニチャーを見ていても楽しい。
庭が広く視界を遮るものがないせいか、ここのワイナリーで見る青空が一番ナパでは青く見える。
”Kelham"
いつもは、ワイナリーの門は閉ざされているようだが、前もって予約を入れておいたゲストを入れる仕組みになっている。
門が開くと、まっすぐなドライブウェイがある。
試飲もできる建物だが、中は写真やアートが飾られており、通常テイスティングはテラスで楽しむことになる。
建物の正面には、庭とワイン畑が広がっている。
建物の横には、テイスティングできるテラスがある。
白のテントが緑の中で引き立ち、テラスの雰囲気もぐっと良くなる。
女性のグループでのゲストが結構多い。先ほど、1グループが出たところだ。
オープンのテラス席から見えるワインを詰める工場
建物の中のインテリア
多分こちらはワイン樽か、瓶詰めした後の倉庫?
テイスティングルームとテラスを遠くから撮った写真
こちらのグループもそろそろ引き上げるようだ
先ほどのボトリングの工場
工場の中で、実際に瓶詰めしている風景
??? 前回ここに来たときには見落としていたが、ワイナリーではあまり見かけないマークが...
これってもしかして龍?
???更にこれは、タイでよくみかけるタイプの祠では???
もしかしてオーナーって、アジア地域の仏教とかの信者なのだろうか?
もしかしたら水の神様か何かを祀っているのかもしれない。
オーナーの奥さんのスザーナ
とても明るくて親切な女性です。前回訪れた時にも親切に色々と対応してくれました。
テイスティングのお礼を言って、今年のシャルドネが特に美味しかったという話しをしたら、
「そうなのよ、あなた、今年のシャルドネって、信じられない出来で、、」と興奮気味に話し出した。
しかし、残念ながら、時間が足りなくて、スザーナさんとの会話もそこそこに切り上げて、ホテルに戻ることにした。
私は、ここの白ワインが好きである。シャルドネ、ソーヴィニヨンともに和食にピッタリと合う。
主張が強すぎず、クリスピーでグレープフルーツのような香りがあり、これからの季節にはちょうど良いと感じる。
最後に、ケラムに来れて、良かった....。
by bandoh
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2009-06-13 Sat
乾いた空気が気持ち良いナパの翌朝
ホテルでの朝食前に、近所を散歩
ナパでヨーントビル地区は何かと便利
歩いていける距離に、スーパーマーケットや郵便局はあるし、レストランもあるし、そして美味しいパンも売っているビストロ"Bochon"もある。
ここは、トーマス・ケラーが手がけるレストランの一つ、確かニューヨークにもお店があったはず。
前回来た時の夕食は、同じグループの"フレンチ・ランドリー"で食事をした。
朝早くからベーカリーをオープンして、てパンを売っているので、幾つか買ってホテルに戻ることに
そういえば、NYとナパに来てからレストランで毎回パンを食べているが、とても美味しいと感じる。
東京のレストランで出されるパンより、やや固めで、味が深い。
MoMaのレストランの中のバーカウンターで出されたパンも美味しかった。
さて、ホテルに戻ってから、ビュッフェでの朝食をゆっくりと済ませ(旦那さん、多分全てのメニューにトライしたと思います)、ホテル玄関のポーチに腰掛けて待っていると、ワイナリーツアーを頼んだ”マグナム・ツアー"のドライバーがやってきた。
車は黒のセダンを用意してくれている。互いに自己紹介し、周りたいワイナリーなどの相談をして、ツアーをスタート。
ナパ・バレー(谷間 盆地)のワイナリーは周りやすい。
ナパ・バレーは、南北を走る二つの山脈に囲まれた盆地で、この盆地を走る大動脈が"ハイウェイ29号線"である。有名なナパのワイナリーは、この29号線とその東を並行するシルバラードトレイルという、二本の道路沿いにほとんどがずらりと立ち並んでいる。
ナパ郡の総面積51万3000エーカーであるが、うちブドウ畑は約40000エーカーにブドウ畑が作られている。
なので、実際に土地を見た感じでは、農地はほとんどブドウ畑であるといった感じだ。
カベルネ・ソーヴィニヨン種を主に植えているナパの面積を、同じくカベルネ・ソーヴィニヨン種を主に育てているフランスのボルドーと比較すると、ナパはボルドーの1/8ほどの大きさしかないが、この小さなバレーは、とても複雑な土質、地形、そしてマイクロ・クライメート(地域の違いによる細かな気候の区分)を持っている。
例えば、暑く砂漠っぽい気候を持つナパの北部の地区では、カベルネ・ソーヴィニヨン種を作るのに適しているが、デリケートなピノ・ノアール種の場合は適さない。
ナパ南部のカルネロス地区のように、もっと涼しい地域の方が良質なピノ・ノアール種ができる。ナパの場合、南にあるサンパブロ湾からの霧、冷気、風の影響で北部地区(オークヴィルやルーサーフォード)よりも南部地区の方が涼しい。
同じく冷涼なフランスのブルゴーニュで作られるピノ・ノアールと、ナパやソノマのピノノアールとでは、やはり違う。
ブルゴーニュの緯度を見ると、ナパよりも高く、その位置によって冷涼な地域となっているが、日中の日差しはナパよりも弱い。
ナパの場合には、サンパブロ湾から流れ込む霧や冷気によって涼しい地域となっているが、日差しは強い。それが、ナパのワインをブルゴーニュのワインよりも、フルーツ味と香りの強いフルーティなワインに仕上げている。
「ナパのワイナリーの地図」
それぞれのワイナリーの特定地域を示す地区:「アペラシオン」(特有の土質や気候を共有する地区)が記載されている。
赤文字部分で書かれている「アペラシオン」は、北(上部)から"カリストーガ"、"セント・ヘレナ"、"ルーサーフォード"、"オークビル"、"ヨーントビル"、その東隣に"スタッグス・リープ"地区(赤文字ではない)、その南部に"オークノル"(赤文字ではない)がある。
それ以外にも北部東側に、"ハウェル・マウンテン"、そこから東側の細長い"チルズ・バレー"、更にそこから南下した"アトラス・ピーク"
"ヨーントビル"の西側に広がる"マウント・ヴィーダー"、その南部に広がる"カルネロス"地区がある。
カルネロス地区の南には、サンパブロ湾が広がっている。
これらの地区の特性が、それぞれの地域に適したブドウや、ワインを特徴づけている。
そしてその特性を持ったぶどうを、素晴しいワインに仕上げるのは"ワイン・メーカー"と呼ばれる醸造技術を持った人たちである。
特にカリフォルニアでは、"スター・ワインメーカー"と呼ばれる人たちへの注目度と信頼度が抜群に高く、"スクリーミング・イーグル"や、"ハーラン・エステート"など一部の"カルトワイン"は、そういったスター・ワインメーカーの手によって作られている。
だから、スター・ワインメーカーの醸造方法や動向は常に注目されている。
ただし、そういった一部カルトワインの売られ方は、ちょっと独特で、例えば生産量を極端に減らして、販売する際にはオークションにかけて身内でダ~っと先に買い占めてしまうという話しを、あるナパのワイナリーのオーナーから聞いた。
買い占められたワインは、市中に出回らないので1本辺り10万、20万円と値段がつりあがっていくことになる。
なので、これらのワインについては、色々と賛否両論もあるようです。
まずは、ヨーントビルを出てオークビル地区のワイナリーを幾つか訪ねることに。
オークビルで採れるカベルネ・ソーヴィニヨン種は一般にはバランスが絶妙で、天秤にのせたようとも言われる。
ブドウは温度、水分、太陽の絶妙のバランスを受けているからだ。
この地区で作られているワインはナパの"伝統的ワイン"といわれる。それは歴史的な意味の伝統ではなく、ナパの恵まれた風土の特徴をみごとに反映しているという意味である。土地に色々と手を入れて改良する必要はなく、自然に耕すだけで十分という。
そういう意味では、その少し上にあるルーサーフォード地区も同じようなものである。
"Silver Oak Cellars"へ
実は2006年の火災で建物は消失してしまっていて、07年に訪れたときには、建物はまだ建設中で友人と仮設施設でティスティングをした。
私はここのカベルネ・ソーヴィニヨンが好きである。
シルバーオークのワインのラベルに出てくる"アイコン的"なWater Tower
ワインは、2004年のものがリリースされている。
2種類のワインをティスティングした。
1つはナパ・バレーのカベルネ・ソーヴィニヨン種、もう1つはアレキサンダー・バレー(ソノマ郡)のカベルネ・ソーヴィニヨン種
まだ午前10時なので、ワイナリーは空いている。
個人的な好みだと、アレキサンダーバレー(ソノマ郡)の方が美味しいと思う。
ナパの方は複雑な深みがあるが、アレキサンダーバレーの方が果実味が豊かで香りが華やかに広がると感じる。
さて次は、シルバーオークのすぐ側のオーパス・ワンへ
"Opus One Winery"
オーパスワンは、ナパワインにあまり詳しくない旦那さんもよく知っているワイナリーのようだ。
夜の銀座のクラブで、高級ワインとしてしばしば出されるので、高級などこかのワインとしてイメージが残っているそうだ。
ここには、初めてナパを訪れる人のために、話しのタネとして立ち寄るが、私個人はそんなに強くここに愛着を感じていない。
同じように美味しいワインや、もっと個性的なワインが、違った価格で存在しているせいもある。
話してみると、地元の人たちも、私と同じような感想を持っている人たちが多い。
建物は、よく磨きこまれた石灰岩の一枚岩をふんだんに使って作られたシンプルで豪華な建物である。
内装もゴージャスである。ここのワイナリーはフランスの"シャトームートン・ロットチルド"の所有者と"ロバート・モンダビ"が共有で所有していると記憶する。
1979年に最初のワインを発売したが、日本でも突出した人気のある超プレミアムワインである。これは"メリテージ"、つまりボルドー種がブレンドされたワインで、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルロー、マルベック、プティ・ヴェルドなどの中からその年のブドウの出来具合によって適切な品種をブレンドして作っている。
テイスティングルーム カウンター横のコーナー
オーパスワンの畑
よく見るとヨーロッパのぶどう畑によく似ている。
ぶどうの木と木の間が狭く、背が低くよく光があたるように植えられている。
この畑を進むと29号線が走っていて、29号線を挟んで向かいにあるのが、ロバート・モンダビである。
2階のテイスティングルームで出されたワインを、3階のオープンテラスで畑やオークビル地区の景色を見ながら楽しむことも出来る。
オーパスワンのワインは、安定していつ飲んでも美味しいというイメージがあるが、値段が値段なので、ふ~んというのが正直な感想。
私はお気に入りのSilver Oakでリリースされた04年のカベルネS(アレキサンダーバレー)を購入し、旦那さんはオーパスワンでワインを1本購入した。(おみやげ用だそう)
そしてオーパスワンの後は、その先の"ルーサーフォード地区"にある"Cakebread"が近いのだが、予約時間の関係上見学は後にすることに。
"ルーサーフォード地区"も"オークビル地区"と同様に、良いカベルネ・ソーヴィニヨン種を出す地域である。
このバレーの中心あたりで作られるカベルネ・ソーヴィニヨンはしっかりしたボディを持ちながら、香りや味に微妙なバランスが取れていることで特徴づけられている。
ここは、豊かなローム質の深い土質、適切な気温、降水量や太陽光線、高度に恵まれている。つまり、何らかの手を加えて栽培方法や土壌に変化を加える必要がなく、ただ正しく栽培すればよいと言われるほど最高の自然環境に恵まれている。
"Caymus"のスペシャルセレクション、"Beauliew"のプライベート・リザーブ、Niebaum-Coppolaのルビコンなどは、このルーサーフォードのぶどうを使ってできたものである。
南の"オークビル"との違いを探すとすれば、男性的と言われるオークビルのカベルネ・ソーヴィニヨンより、ややエレガントでフルーツ味が濃いと評価されている。ルーサーフォードでは、カベルネ・ソーヴィニヨンが主であるが、他にメルロー、カベルネ・フラン、そして涼しい低地にはシャルドネやソーヴィニヨン・ブランが栽培されている。
シャルドネでは、"Grgich Hills Celler"(ガーギッチ・ヒルズ)が有名。ここのクロアチア出身のマイク・ガーギッチは、カリフォルニアワインが台頭している時期に、世界にその実力を示した偉大なワイン・メーカーである。
ザグレブ大学で醸造学を学んだ後、カリフォルニアに渡りボーリューの技術者、ロバート・モンダビの主席醸造責任者となっている。そして、"シャトー・モンテリーナ"で作った彼のシャルドネンが、1976年のパリ世界博での「ブラインド・ティスティング」で最高のシャルドネに選ばれた。しかも、そのとき、カベルネ・ソーヴィニヨンでは、同じくナパの"Stag's Leap Wine Cellers"が優勝してしまったため、ナパワインは世界的な名声を得ていくことになった。
当時、フランス側にはアメリカ産のワインを軽んじ、こうした場であらためて、フランスのワインとの格の違いを見せ付けようという意図もあったと思われるが、フランスのワイン専門家たちは並みいるボルドー、ブルゴーニュの名門ワインではなく、ナパのワインを選んだのである。
ワインの専門家達が自信を持って選んだボトルの覆いが取られると、最高級のボルドーまたはブルゴーニュと確信したはずのワインはナパのワインだった。
その後も81年に行われた、カナダのワールド・テイスティング・コンテストでも、ナパから出されたカベルネ・ソーヴィニヨンが、フランスの5大シャトー(ラトゥール、ラフィット、マルゴー、シャトー・オーブリオン、ムートン)を破って一位から五位を占めてしまった。
さて、"ルーサー・フォード地区"を更に北上し、"セント・ヘレナ地区"へと進みアージャー・マルツッチを目指す。
ところで、私もルーサーフォード地区のガーギッチ・ヒルズのシャルドネを大変美味しいと思うが、もう少し樽の香りが弱く繊細な感じがするセント・ヘレナにある"Kelam"などのシャルドネの方が好みである。すごくコクがあってどっしりして樽香の強いシャルドネだと、食事の前やスタートの時に重過ぎると感じる。
"セント・ヘレナ"は歴史的ワイナリーが多い。"ベリンジャー"、"クルッグ"、"ルイス・マーティニ"などが開いたワイナリーがそのまま残っている。
一方で、新しくは"Heitz"、"Duckhorn"、"Spottswoode"などがある。
セント・ヘレナは、町の西側を除いて、その他の地域よりは暖かい「地域Ⅲ」に分類される。低い小川のあたりは素晴しい"シャルドネ"、バレーに西側にあたる丘の斜面は、"カベルネ・ソーヴィニヨン"、東側の丘の斜面は熱い西日を受けて"ジンファンデル"や"シラー"に適した環境となっている。
まずは、"アージャー・マルツッチ"へ
"Arger Marutucci"
ここは家族で経営するワイナリーで、日本ではネットで購入できるとは思うが市販されてはいない。
小さい家族経営のワイナリーである。
私たちを迎えたくれたオーナーとセールス担当者は、
このプールサイドのテーブルで、数種類のワインを詳しく説明してくれた。
ワイン作りは、全ては「理念」から始まると説明するセールス担当のおじさん
ここのワイナリーは名前で分かる通り、イタリア系をルーツとしている。
イタリア人が愛するワインは料理の邪魔をしない主張しすぎないワインであり、フランス人が愛するワインは主張が強く、料理以上に存在感を示すものであると。
つまり、我々が目指すワインは、バランスの取れた、料理をより引き立てる素晴しいワインであると。
だから、オーク香の強いアメリカン・オークを使わずに、フレンチ・オークでワインを熟成させる。
彼等が作るピノ・ノアールは、カルネロス地区で栽培されているものである。
また、彼はなぜ、ピノ・ノアールにはカルネロス地区が適しているかについて、ナパのマイクロ・クライメートの話しを交えて分かりやすく説明してくれる。
試飲した中では、ピノ・ノアールはブラック・チェリーとプラムの香りを含み繊細な感じがした。
もともと私はここのメリテージワイン、ODYSSEYが好きなので、少し考えて2つを買うことに。
写真左から二人目がオーナー一族(息子:次男?)である。
最近、息子さんは結婚したようで、彼の奥さんは中庭でクリスタルストーンを使ったアクセサリーを作成し販売している。
ワイナリーを経営する人と結婚して、自分の好きな仕事を、同じ場所で出来るなんて、なかなかいい人生ですね。
ここで飼われている猫
私たちがアクセサリーを眺めていると、近づいてきてすぐ側の木にガリガリと登っていった。
「やばいなぁ~」と思いながら見ていると、案の定、上の木の枝の辺りまで上ったら、降りられなくなって固まっている。
猫って、どうして自分で降りられないくせに木に登るんだろうか?
猫の木登りを初めて見た旦那さんは、ビックリして親切に、猫に引っ掻かれながらも木から下ろしてあげていた。
それで気を許したのか、猫は私たちの足元で寝そべっている。
さて、丁寧な説明と説明にお礼を述べて次なる場所へ移動
同じルーサーフォード地区の"ハイッツ・セラー"
"Heitz Celler"
ジョー・ハイッツが1965年にカベルネ・ソーヴィニヨンを使った最初のヴィンテージを発表。
翌年から"オークビル地区"にある「マーサズ・ビニヤード」のブドウを使ったカベルネ・ソーヴィニヨンを作る機会を与えられて、1968年と1970年のヴィンテージが、ハイッツとジョー・ハイッツを世界中に知らしめた。
現在は、ワイナリー以外に、「ワイン・メーカー(人)」がよりスターになる傾向があるが、ハイッツの歴史は、「スター・ワインメーカー」の誕生と、ブドウの畑を特定する「シングル・ビニヤード(地区より細かい特定畑)」を表示するトレンドの始まりと重なっている。
「マーサズ・ビニヤード」は、オークビル地区の西側にある小さな畑(34エーカー)であるが、ハイッツ・セラーだけにブドウを販売している。
そしてこのブドウを使って、年間約4000ケースのカベルネ・ソーヴィニヨンが作られている。
同時に、ハイッツではシャルドネも作っているが(結構美味しいそして比較的安価)、何といってもその地位を築いてきたのは、カベルネ・ソーヴィニヨンである。なかでもマーサズ・ビニヤードを表示する68年、69年、74年のヴィンテージが、カリフォルニアで作られた最高のワインとも言われている。
深いカラント、ミントとユーカリの香り、熟成とともに味わいが増すこのスタイルは、長らくカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニヨンのモデルとなった。
2007年に偶然、マーサズ・ヴィニヤードのヴィンテージワイン(確か70年代だった)を、レストラン「REDD」で、隣のカウンターに座るワイナリーオーナーからおすそ分けして貰い、飲んだことがある。(女同士で来ると、嬉しいハップニングがある)本当にミンティで驚いた。
マーサズ・ビニヤードのすぐ隣には、古いユーカリの木の森がみっしりと茂っていて、そこから漂う香りがワインにミントでユーカリな香りをプレゼントしている。
そのユーカリの下に座ると、天然のフレッシュなアロマテラピー効果でずっと座っていたくなるそう。(行ってみたい)
07年にお裾分けして貰ったハイッツのマーサズ・ヴィニヤードのヴィンテージワインの写真
テイスティング・コーナー
建物の裏にあるワイン畑、とても綺麗。
ここまで試飲していると、正直少しクラクラしてきます。
少しポーチで休んだ後、私たちは再びUターンして”ルーサーフォード地区"へ向かうことに。
次に向かうはナパの地図には掲載されていない"Fleury"へ。
by bandoh
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2009-06-12 Fri
ニューヨークを飛び立って6時間と少し、サンフランシスコ空港に到着
ここからはナパへ向かうリムジンバスに乗る。
空港からはベイブリッジを通ってナパへ向かいますが、毎回ナパへの道は渋滞
空いていれば1時間位で着くのではないかと思いますが、道が混んでいるせいで2時間前後はかかります。
ナパの停留所からは、タクシーに乗り換えようやくナパに到着。
時計を見ると、時刻は午後4時。
でも、まだまだ8時頃までは明るいので、近所を歩くには十分な時間がある。
今日から泊まるのは、ヨーントヴィル地区にある"Villagio Inn & Spa"
中庭にあるテラス席では、ワインを楽しんでいる宿泊客がチラホラいます。
テラス席のすぐ横にはプールもある。
6月のこの季節は、日本と同じくアジサイの花が
ホテルの敷地内も外にも、花が綺麗に植えられ手入れされ咲いています。
テラスを通って通路を歩いていくと、宿泊棟が敷地内に広がっています。
このホテルには宿泊棟に加え、大中小の会議室、そして大きなスパ施設があります。
近辺のワイナリーがテイスティングを楽しめる時間であることを確認し、歩いてすぐ側にあるスパークリング・ワインで有名な"Domaine Chandon"へと向かいます。
ここはフランスの"モエ・ヘネシー社"のグループ傘下にあるワイナリーです。
各種のスパークリング・ワインをシャンパン方式で作っています。
Domaine Chandonの門から、ティスティングルームへと続く道
建物の中に入り、階段を昇るとティスティングルームがあり、沢山の人で賑わっています。
カウンターでは、数種類のシャンパンをテイスティングできます。
ティスティングルームを出て庭へ出ると、テラス席がありここではオイスターなどの食事と一緒にシャンパンを楽しめます。
ヨーントヴィルのホテルに泊まるならば、ここのワイナリーに来てゆっくりと過ごすのも悪くない方法です。
また、ここの"フレンチ・レストラン"はナパでも有名ですので食事をしても良いかもしれません。
ホテルに戻ると、ホテル内ではサービスの一環として、"無料"のティスティングを行っています。(無料っていうのが、いいですよねぇ~)
セント・ヘレナ地区にある"NEYERS VINEYARDS"からのワインです。
旦那さんと、シャルドネとメルロー、カベルネ・ソーヴィニヨンをそれぞれティスティングしましたが、彼は"Domaine Chandon"に続いてこのワインも美味しいことにビックリ。
「何で、ナパのワインって、こんなに美味しいの??東京で飲むのと違う~」と感動。
ちなみに、ホテルのサービスは結構気が利いていて、この無料ワインティスティング・イベントも楽しいですが、お部屋にもサービスで、"Belinger"のシャルドネが1本、ワインクーラー、グラスと共に置かれています。それと部屋には暖炉とその側に薪が置いてあり、ぐっと気温が下がる夜(ナパは日中は陽の日差しが強く暑く、早朝と夜、冷え込みます)には、薪をくべて火を焚くことができます。
夕食は、ホテルの前の道路を挟んでお向かいにある"REDD"へ。
ここの料理は、野菜とお肉、魚介を使って、あっさりとライトティストに仕上げる"ワイン・カントリー・キュイジーヌ"です。(ナパのことをアメリカ人は、ワイン・カントリーと呼びます。)
ここのシェフは、以前"Auberge du Soleile"というナパの中で最もラグジャリーなホテルのレストラン出身で、ナパで"REDD"をオープンしてまだ間もないのですが、すぐに人気店となり、事前予約がないと席が取れません。
私は個人的に、アメリカだったら、ニューヨークとナパのレストランが一番美味しいと感じます。
両方ともに、日本を含めたアジア料理の影響を受けて、斬新な料理を作るシェフがいるせいだと思いますし、そういった味のフュージョンを理解する、比較的富裕層のゲストが沢山いるせいだと思いますが。
"REDD"のテラス席
お料理の中の1品
ホタテとカリフラワーのピュレ ガーリックとアーモンド添え バルサミコ
そら豆とシラスのリングイーニ パルメジャンクリーム
REDDの料理は、2年前に来たときよりも全体的に美味しくなっていると思いました。
上記以外にも、"ジンジャーソースを添えたハマチの刺身"や、"カリカリに揚げたイカとタマリンドソース"なども食べてみたのですが、前回はソースの味が強すぎたり、刺身の臭みが出ていたりと、残念と思うことが多かったのですが、今回はそんなこともなく”あら、美味しい”という感じです。(進化したのか?私の舌が変わったのか?)
旦那さんは、ここのワインにすっかり感動状態。
ワイナリーでも、ホテルでも、レストランでも、グラスで飲むワインが美味しくて、
「東京で売られているワインには、混ぜ物が入っているんじゃないか」と疑っていました。
(実は私もそう思うときがたびたびあります。)
明日はいよいよ、ワイナリー巡りです。
by bandoh
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2009-06-11 Thu
「僕はもう一度、国連に行かなきゃならない。」と旦那さん
何でも国連のミッションが書かれたBookを買い忘れたらしい。
といっても彼は、もともと国連のミッションに強く共鳴しているとか、世界平和に何としても貢献したいというわけではない。
彼の会社が昨年から活動を支援しているNPO法人が、国連傘下の団体らしい。
先日、国連を見学しているときも、東京に電話をかけて、あれこれと必要なものを確認していた。
もしかしたら、休暇を取っている罪悪感?も手伝い、「休んでいるけど、仕事のことも忘れてないよ」という、日本のビジネスマン的な意思表示かもしれない。
私だって、旅行に来てまでもPC持参で、仕事のメールのやり取りを深夜にしているので、同じようなもんだけどね。
ということで、前置きが長くなったが、本日は午前中は二人で別々の行動を取って、ミートパッキングにある人気のレストラン”スパイス・マーケット"で12時30分に待合せることに。
私はイーストヴィレッジまでタクシーで移動し、そこからグリニッジヴィレッジまで西に向かって歩き、そこから少し北上してミートパッキングエリアまで歩いて見て周ることにした。
イースト・ヴィレッジ、以前からワイルドなイメージがある。
私がNYにいた、80年代終わりから90年代初めはSMのショーとかが流行っていた。
アメリカ人の学生も海外留学生も皆、面白がって出かけていた。
イースト・ヴィレッジの通り沿いの店のショーウィンドーを見上げると、不気味な人形が、、、
建物はどこも綺麗なグリーンやお花で飾られていて、6月のニューヨークの散歩は楽しい。
夏の暑い季節に入ると、蒸し暑くなるので、散歩も結構辛いものになる。
サイキック・クリスタル・リーディングのお店を発見
占い好きの私としてはちょっと興味はあるが、紹介された場所じゃないと、ちょっと入る気になれない。
色々なストアを覗きながら、ゆっくりと1時間ほど歩き、ようやくミートパッキングエリアへ。
Spice Marketの入り口付近
店内に入って予約名を告げると、旦那さんはまだ到着していなかった。
大丈夫かな~....と少し心配しながら、バーカウンターで食事のメニューを眺めていると、旦那さんが入り口から入ってくるのが見えた。
良かった、現れた!とほっとする。
さてジャン・ジョルジュがプロデュースするカジュアル・レストラン”スパイス・マーケット"でのランチはいかに
店内はアジア的なエキゾチシズムを意識した内装で、ほの暗くお香の匂いがプーンと漂ってきそうな雰囲気。
プロデューサーの遊び心を感じるお店です。
それと、ミートパッキングエリアのお店の多くは、工場を活用しているので、天井が高く広い作りになっています。
店内は私が一番目のゲストで、まだ席はガラガラでしたが、この後、続々と人が入ってきて、窓際の席は満席となりました。
メニューを見ると、タイ料理や食材などを中心としたアジア料理のキュイジーヌで、タイ料理好きの私は、どのメニューも全部食べたくなるような感じ。
お通しの一品
このソースが美味しかった。
酸味があって、少し辛味がピリっと利いていて、お腹が空いていたのでパクパク食べちゃいました。
一見サルサソースっぽいのですが、それよりも柑橘系の香りがちょっとあって、タイっぽい感じ。
スパイスド・チキン・サモサ シラントロ(コリアンダー)・ヨーグルト
インド系料理のサモサからヒントを得た一品でしょう
このヨーグルト・ソースも美味しい。今まで食べたことがない感じでした。
ヨーグルトにコリアンダーの取り合せ、初めて。
もしかしたらソースに少しアボカドも、入っていたかもしれません。
シュリンプ・トート・マンプラ きゅうりとピーナッツの風味のソース
タイ料理の定番、トート・マンクンをいじった料理だと思います。
エビと豚肉を細かく練り物にして油であげたものです。
ソースは、若干コリアンダーを入れた酢の酸味に、かなり細かく刻んだきゅうりとピーナッツの相性がいい。
きゅうりのプチプチとしたフレッシュな風味と食感、それにピーナッツの香ばしさと堅さのマッチングが口の中で面白い。
チャード・チリ・ラブド・ビーフ・スキューアー/タイバジルのディッピング・ソース
牛串の炭火のあぶり焼き/タイバジルのディップ
これは日本の焼き鳥の"つくね"とインドネシア料理のサティを掛け合わせた感じの料理です。
思いのほか淡白な牛のつくねが、柔らかくフワっと焼きあがっていて、やや濃い目のディップと案外相性がよくて驚き。
ディップはシトラスを絞ると、酸味と香りが加わるので、ソースの味を引き立てます。
マンゴーサラダ チェリートマト クリスタライズド タマリンド
このサラダ、今まで食べたことがないサラダで、インパクトがありました。
全体として甘めですが、辛いお皿が多いので、このサラダを挟んで色々と食べるとちょうど良い感じです。
細長く刻んだマンゴーに、チェリートマトやコリアンダーやナッツなどがミックスされています。
そこに、タマリンドをベースにしたドレッシングがたっぷりとかかっています。
ジンジャー・フライドライス
お皿が運ばれてきたときには、「えっ!」と思いました。
これって、何となくちょっと薄く延ばした牛カツ "カツ丼"っぽくありませんか?
でも実はご飯の上に乗っかっている揚げ物は、豆腐なんです。
その下には、しょうがをたっぷり使って炒めたチャーハンがあります。
これは、先に豆腐の揚げ物を細かくザクザクと刻んで、サっとチャーハンと卵と混ぜて食べます。
混ぜるとこんな感じになります。
最後はお腹が一杯になったので、軽めのデザートで締めくくり
想像していたよりも、アジアっぽい料理をうまく創作していて、とっても美味しいと思いました。
絶対に東京でもウケル味だと思います。
逆にタイ料理とかインドネシア料理、インド料理は、東京よりもNYの方が美味しいかなぁ~とも思います。
特にラーメンとかチャーハンとか、B級グルメっぽい料理が大好きなうちの旦那さんは、とっても嬉しかったらしく、「今晩もまたここに食べに来ようよ!」と一言。
よっぽど気に入ったのだと思います。
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by bandoh
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