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初めてのヨロン

11月の勤労感謝の日を利用して、与論島へ出発した。チョキ

ANAの7時発の那覇行きの飛行機の中で、仕事気分はすっかり抜け、すでに休暇モードになっている。
初めて行く場所は、やはりワクワクする。にこっlove

「那覇空港」に着くと11月なのに暑い。太陽
次の飛行機の登場まで、2時間近くある。暑がりの友人は、早速着ていた服を1枚脱いでいる。

与論島へは、琉球エアーを使って乗り継ぐ。
与論島は鹿児島県となるが、沖縄からの方がずっと近い。


沖縄よりも、北部にあるためか、この時期の与論島は沖縄よりもやや寒い。
招待してくれた知合いは、11月は最高の時期だと言っていたが、元気に泳ぐにはちと寒いように感じた。むむっ

宿泊する先は、「楽園荘」
与論島に到着すると、若女将が「楽園荘」と書かれた案内を持って、立っている。
(島根県出身で、美人な人である。1年位前に結婚して移ってきたそうだ。ダイビングが大好きだそうだ。)


楽園荘に到着して、荷をほどいて一息ついた後、
近所の「皆田海岸」まで散歩することにした。

夕暮れ時で、空は曇っていたが、皆田海岸は綺麗だった。
水は透明度が高くて、浜は白く、まるでプールの水のように青く見える。


浜に行くと、漁を終えたおじいさんが、釣った魚をさばいていた。
おじいさんに声をかけると
「イカと針千本、獲れたんだぁ。今日はちょっと時間がかかったなぁ~」と言う。

写真は、その“針千本”の写真である。目が大きくて離れていてユーモラスな風体が可笑しい。ハート
怒ると水を含んでプーっと風船のように膨らみ、太い針を全身に立てて身を守ろうとする。
可愛いが美味しくなさそうだな、、と眺めながらついつい思ってしまう汗



夕日を散歩しながら眺めた後は、宿に帰って、食堂で用意されていた夕食を食べる。
そして、部屋に戻って時計を見ると、なんとまだ7時30分である。ぎょ
外は真っ暗で何もないし、テレビも4チャンネルしかない。あうっ
この後の時間、一体どうしたら、いいんだろうか...。

どうしたらいいのか分からなくなった私達は、とりあえず食堂の冷蔵庫にシャンパンがあったことを思い出し、再び食堂へと向かう。
“やっぱり、あった!”と喜び、とりあえず若女将に、幾らか聞いてみた。
すると、「あっ、別にいいです。勝手に飲んでください、お金要りません」と言う。

「あの、悪いので、、」というと、「大丈夫です」とまた答える。

なんとも不思議な、商売っ気のない宿だわと思いながら、あれやこれや、長い夜を二人でシャンパン飲んで過ごすことにした。


雲雲曇りのち雨曇りのち雨雲雲雲雲曇りのち雨

2日目の朝は、ポツポツと時々雨を感じるあいにくの曇り空曇り
ちょっと肌寒い感じがする。

この日のお昼は、リクエストして、亡くなった森瑤子さん推薦のあの「ヨロン丼」を作って貰った。にかっ
楽園荘のおばあさんが、森瑤子さんの料理本である「森瑤子の料理手帖」を持っていたらしい。
このヨロン丼、思ったとおりかなり美味しい!オッケーオッケー
楽園荘に感謝!


宿にあるその森瑤子の「料理手帖」をパラパラとめくると、美味しそうな料理のレシピが、森さんのライフスタイルを紹介しながら、沢山掲載されている。
写真は、おそらくヨロン島の森さんの別荘の側で、ご飯のおかずとなる魚を釣っている森さんだろう。


イギリス人のご主人と結婚したためだろうと思うが、欧風な料理も多いが、和とアジアの創作系のような料理もある。
どれも食通であった森さんの幅広い味覚から練られた魅力的な料理が多く、たちどころに興味を惹かれてしまった。
行動の早い私は、その日のうちに早速ネットで、中古本を買ってしまった。むむっ
“しゃこ貝の潮水サラダ”、“パパイヤとかにのサラダ”など、暑い日に飲む冷えた白ワインとピッタリ合いそう。オッケー

下の写真は、別荘の中庭で、パーティの準備をしている森さんである。
テーブルは、ヨロンでサバニと呼ばれる小船を使っている。


今、この別荘の中庭は、ヨロン島で結婚式をあげるカップルのために、ガーデン・ウェディングとして貸し出されているそうだ。
英国人の牧師さんが結婚式を挙げるらしい。

本園さんの案内で、近所にある森さんの別荘へ行ってみたが、アプローチの作り方、ガジュマルや彩の綺麗な花などの植栽、コテージ風の建物、中庭、プライベートビーチも含めてまさにアジアのリゾート、楽園そのものに見えた。
エッセイにヨロンのことを恋人のように語っていたが、その気持ちがよく分かった。

本園さんの話しによれば、彼が子供の頃、開放的な森さんは、プライベート・ビーチでスッポンポンになって泳いでいたそう。
ヨロンの少年にとっては、衝撃的な思い出だそうだ。

下の写真は、別荘のすぐ横に創られた森さんのお墓である。
確か森さんはガンで亡くなる前に、葬儀の方法や埋葬、お墓のことまで全て自分で決めていた。
ヨロンの海を愛した森さんらしく、海を見下ろせるように創られている。


森さんの別荘に立ち寄った後は、ヨロンの民族村へ出かけた。
魚、貝、植物など、地にあるものを、すべて最後まで有効的に使い、
自然と上手く調和した暮らしを送っていた島民の、伝統的なライフスタイルや住居の話しは興味深いと感じた。

あいにくの曇り空とポツポツと時折降る肌寒い天気。曇り

私達は車で5分くらいの場所にある陶芸の工房で、陶器を作ることにした。
陶芸の先生は、60代の女性陶芸作家で、ヨロン島ならではの青を生かして作品を作っているようだ。
工房の入り口や中には、先生の作品が沢山並んでいた。

私は、やや大きめのシンプルなお皿を2枚作ることにした。
手作りの工芸は、幾つになっても楽しいものである。
二人共、すっかり夢中になって作ってしまった。むむっ
この後、工房の釜で焼いてもらい、1ヶ月後には自宅に届けてくれる。
待ち遠しい~love


工房を出て表に進むと、なんと生まれたばかりのヤギの赤ちゃんがぎょ
島ではヤギをたまに見かける。


楽園荘でも、ヤギをペットとして二匹飼っているが、若女将の奥様が時々散歩に連れて行くらしい。

ちなみに、ヨロンでは黒毛牛が沢山飼育されている。
島民の数よりも牛の数の方が多いとのこと。ニュージーランドの羊と島民みたいだ。
しかし、何でも、ここの黒毛牛が数年たつと国内の畜産業者に購入され、その後産地の○○牛とかブランドが付いて売られているらしい。むむっ

月星月星月星月星月星月星

2日目の夜は、宿の食堂で夕食後、ヨロン名物/伝統の「ヨロン献奉」を体験した。

「ヨロン献奉」とは、鹿児島藩の治世の時代から始まったらしい。
鹿児島藩に年貢となる、焼酎を納めるのだが、島で作った焼酎は地元民も楽しめるように取っておくのが習慣で、取っておいた焼酎は、皆で集まり、杯で回し飲みしてありがたく頂戴するという習慣が根付いたようだ。
ちなみに、親が皆に注いで回ることになるのだが、親から注がれた杯は一気飲みするのが流儀である。
そして、一揆飲みした後は、残った焼酎を手のひらにつけて、頭にかけるのもお約束のようである。

まずは楽園荘の本園さんが、親となり「有泉」(ゆうせん)という焼酎の一升瓶の蓋を開けて皆に注いで回る。


この日は援軍?の、「サンシャインヨロン」のコウジ君がやってきていた。
彼は数年前まで東京で仕事をしていたが、
3人の姉と2人の妹を持つ長男で、跡を継ぐためにヨロンに戻ったらしい。


ヨロン献奉後は、本園さん達と一緒に、名物の「かりゆしバンド」の演奏を聴きに、島の「中心部へ出かけた。


しかし、ここでもまた“ヨロン献奉”は続く...
まぁ、杯の中に氷を沢山いれているので、一気飲みも何とか、フゥ~


「かりゆしバンド」は皆で演奏を聴くというよりも、皆“踊って”いる。
沖縄の踊りにもよく似た動きだが、この際、乗ってしまおうと決めた私も遠慮なく踊りを楽しんだ。チョキ

晴れのち曇り晴れのち曇り太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽

3日目の朝は、雨という予報だったが、曇りと晴れ。晴れのち曇り
こうなると思ったよりも、暖かい。Tシャツ1枚でもOKという感じだ。

本園さんの提案で、この日はシュノーケリングをすることになった。
暖かい感じはするが、やっぱり11月。風が吹くと寒いので、宿からウェットスーツを借りることにした。
(しかし、“11月は最高のシーズンですぞ”と紹介者からは聞いていたのだが、島民やリピーターからは間逆の話しを聴いた。あの話しは一体....。)

海までは、軽トラックの荷台の上に乗って移動する。
軽トラックの荷台に立って、海まで進む感じは、とっても楽しい。

寒がりの私は全身用のウェットスーツを選び、暑がりの友人は短いウェットスーツを着る。
海に入る前に堤防にたたずむ女二人。
写真を見て思ったが、まったくサマになっていない。(私は15メートルしか泳げないし、友人はもっとひどい)


しかし、海の中はパラダイスである。
本園さんが運転するジェットスキーに3人で乗って、「百合が浜」(夏の干潮時に潮が引くと白くて丸い砂地が姿をポッカリ姿を現すが、この時期には見られない)を目指すと、右手側に、森瑤子の別荘とプライベートビーチが見える。

ゴ~ン、ゴ~ンとジェットスキーで波を乗り越えながら、海を眺めると、今まで見たことがないような、嘘みたいな青さ、コバルトブルーの海が広がっている。


夏になると、百合が浜や皆田海岸は、風がなくベタ凪ぎとなるため、まるでホテルのプールそのもの、鏡のようになるらしい。

皆田海岸でのシュノーケルでは、静かで少し怖いくらい平和な海底を覗けた。
白い海底の上には、様々な珊瑚と、多種の熱帯魚、蛍光グリーンのように明る藻がソヨソヨとなびいている。

そして、ポイントを変えると、
今度は、ものすごく綺麗で幻想的な「紫色のイソギンチャク」と、その中に引きこもっている“隠れクマノミ”を発見。
「ニモだぁ~」と喜んでしまった。

星星星星月月月月月

この日の夜、宿の食堂で夕食の席につくと、広島から来られたという一人旅の女性がいた。
ダイビングが目的である。彼女は、ダイビングが大好きでよくヨロンか宮古島に来ているらしい。
気がつくと、私達以外の宿泊客の殆どが、ダイバーである。

“命”に関わるような遊びが苦手で、生きることへの執着心の強い私達二人は、この先ダイビングにはまることはないと思うのだが、シュノーケリングでも十分に楽しい。

森さんのようなプライベート・ビーチを備えた別荘でも持てたら、最高だろうなと思う。
毎年友人を招いて、料理作って、泳いで釣して、美味しい酒飲んで、夕日や星空眺めて悦に入ると思う。
読みたい本や、映画を用意して、行くだろう。それに陶芸にすっかりはまるかもしれない。

4日目の昼間、そんな空想を膨らませながら、また訪れる日に備えて、私達は最後の海に別れを告げることにした。







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