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2009-07-29 Wed
7月の3連休、山中湖に新しくオープンした
エクシブの"サンクチュアリ・ヴィラ"に宿泊した。
蒸し暑いヒートアイランドをちょっとの間、離れることが出来る。
そして、久しぶりの母、姉、私の親子三人での旅となる。
本来はここに姪も来る予定だったが、試験の最中で参加できなかった。
"食いしん坊"で好奇心の強い姪のことゆえ、この旅を逃したことは、さぞかし残念だったろうと察する。
私が仕事の関係で日程を変更したためで、姪には悪いことをしたと思う。
(あずさ、ごめんね。次回埋め合わせるからね。)
ホテルに到着後、メインロビーで出されたジュースを飲みながら、
新しい施設をキョロキョロと見回す。
天井の高いロビーの両サイドには、イタリアンレストランとライブラリーがある。
イタリアン・レストランはそれぞれが個室ということで扉がピタリと閉ざされているので、中を見ることはできない。
奥の壁は、富士山が見えるように、庭に出る扉をはさんで、全面がガラス貼りになっている。
となると、やっぱりガラスの扉を開けて、庭に出てみたくなる。
山中湖の後ろにそびえる富士山は、
真綿にくるまれたように雲が取り囲んでいる。
空気はひんやりと冷たく、季節が夏であることを忘れてしまいそうだ。
ここには、温泉があるのでちょうどいいかもしれないと思う。
お腹がすいた私達は、
ホテルの車に乗って、サンクチュアリから軽く食事が取れる本館のラウンジへ移動。
車といっても、ほんの1分くらいの距離である。
しかしながら、ずっと坂道を登ることになるので、
姉と私にとっては、歩けばちょうど良い運動になるが、
坐骨神経痛持ちの母にとってはちょっと厳しい道となる。
話しは変わるが、
ウチの母は、お昼に甘いものを食べる習慣がある。
ホットケーキ、菓子パン、ケーキなどのスイーツを必ず食べる。
お昼に外食しお蕎麦やパスタなどを食べても、必ず食後にデザートを食べる。
(戦時中の砂糖が欠乏している時代に育っているので、甘いものを求めるようになったのかもしれない。)
そして、私と姉の母、3人の中で最もよく食べる人は、"母"である。
齢70歳を超えても、食に対する好奇心は衰えていない。
この日も、いそいそとメニューから大好きなチョコレート系のケーキを選んでいた。
母は、甘いもの好きで、かつよく食べる人だが、太っているわけではない。
おそらく体質なんだろうと思う。
身長は150センチに満たないので、小柄で機敏にサササと動くタイプの人である。
だから私は、母をみると、ナッツなど"木の実"を連想してしまう。
小さいけれど、栄養が詰まっていて、歯ごたえがあり風味もしっかりとある。
だから母は実際に話したり付き合ってみると面白い。
いつの頃からだろうか、
私が大人になってからは、母のことを可愛いい人だと感じるようになった。
子供の頃は、母が般若のような怖ろしい形相で私達を叱るので、母のことはある意味怖ろしかった。(笑)
「何回言ったら分かるの~!!駄目だって言ったでしょう!!!!」
という母の怒った時の声とパワーをよく憶えている。
こうやって子供心にも、女性というのは感情的でおっかない生き物なんだと悟ったように思う。
そして、母の機嫌が悪い時に、尻尾を踏んではいけない....と。
大体にして、怒られるとき、私は姉の横で小さくなって目立たなくしていたように思う。
もしくは怒られる前にその予兆を察し、くるりと回避するなど。
妹の要領の良さは、こういったシチュエーションで磨かれるのかもしれない。
その点、姉は子供の頃からおっとりしていて、
母の怒りのバロメーターの変化に気づかないことがたびたび合った。
例えば、夕食後のお皿洗いを姉が母から頼まれたとする。
姉は「いいよ、私がやるから」と快く引き受ける。
しかしのんびり屋の姉は、皿洗いを引き受けたものの、
自分の好きなTV番組が始まってしまうと、居間でTVにじ~っと見入っている。
母は性格的に、ものごとは速やかにサッサと片付けるのを信条としている。
だから、姉ののんびりした様子を見ながらイライラしてくる。
最初は比較的冷静な声で、姉に声をかける。
「祐子、お皿洗わないの?」
「洗うよ。」
と母の声には振返りもせずにテレビを見ながら答える姉。
あ、、まずいな...と空気を感じ取る妹の私。
しばらくそんなやり取りが母と姉の間で続く。
その内、業を煮やした母が、
「もういい!!やらなくても。私がやるから!」
と腹立ち紛れにクワ~っと叫び、小さな体ですばやく台所に突き進む。
あ~やっぱり来た。
"お姉ちゃん、なんでお母さん怒るの分からないんだろう"と内心思う妹。
姉は姉で、自分がやるといったのに、母がお皿を洗い始めてしまったのを見て、あせって台所へと立つ。
「やるって言ってるんだから、テレビの後でもいいじゃない~。」
と半ば泣きそうになりながら、母を説得しようとする姉。
「こういうものは、すぐにやらなくてはならないものなの!」
と譲らない母。(母は潔癖症に近いくらいの綺麗好きでもある)
「今洗っても、後で洗っても、洗うことには変わりないじゃない~」
と必死で訴える姉の言葉は、宙をさまように力なく漂い細く消えていく。
母のテキパキお皿洗いをしている背中からは、
無言の「そんなの駄目です」オーラが燦然と放たれているからだ。
そんなノンビリ屋の姉も、今ではお皿も速やかに洗うテキパキした主婦になっていることを考えると、
母のあのピリっと怖い理屈を超えた?教育のせいかもしれない..。
そんな母も私達が大きくなると、叱ることはなくなった。
"娘も大人だから、もう言うのはよそう。"と思ってのことと以前は解釈していたが、
母よりもはるかに身長の高い私達を怒るとき、母は上を見上げて説教しなくてはならない。
その姿に、密かに滑稽さを感じていたのかもしれない。
さて私達姉妹は、そんな怒った母が怖かったとしても、母のことは大好きであった。
母が愛情深く家族や子供を大事にする人だからということもあるが、
母には天然系のユーモアがあるので、家に中にいつも笑いがあったことも大きいと感じる。
考えてみると、今でも母は、
私達姉妹が困っている時には、いつも尋常ではない素速さで、"目の前に登場する"のである。
「さぁ、私が来たから大丈夫よ!」という感じで、まさに助っ人登場である。
父が生きている頃は、おそらくノンビリ屋の父をたきつけて、車を運転させていたのだろうと思う。
幾つになっても、美味しいものには目がなく、
ワクワクするエネルギーを持つ母は、若々しくて可愛らしい人であると思う。
それと同時に、相手の心情を感じ取り、相手が手ひどい失敗をしたときは、決して責めず判断せず、話しをただじっと聞くことのできる懐の深さを持つ人であると思う。
先週のある日の午後、ティモシー・マクリーンというアメリカ人のカウンセラーの男性と会った。
仕事の話しを色々と聞き、お互いに情報交換するためだ。
そのティムが、私のことをこんな風に語った。
「Fumiさんは、若いワクワクするような女性のエネルギーと、落ち着いた大人の女性のエネルギーの両方を持っていますね」と。
私はその彼の言葉を聴いて、ハっとした。
それは、私が母に感じている雰囲気そのものだからである。
私も母のような可愛いおばあちゃんになれるのかなぁ.....なれたらいいけど、
そのためには、母から学ぶべき点が、多々あるのでしょうねぇ。
もっと、話しを聞かなくては!!
by bandoh
徒然なるままに : 11:33 : comments (x) : trackback (x)