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「美」と「日本」について考える

汐留で研修が終って、六本木アカデミーヒルズに駆けつける。

この日の夜の講演「"美"という21世紀の文化資本」に参加するためだ。
何となくタイトルに惹かれて、仕事には直接関係のない分野のテーマではあるが、1週間位前に申し込みをした。

スピーカーは、資生堂の名誉会長の福原義春さんと、
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授の伊藤俊治さん



大きな会場だったので、300名位の参加者がいたように思う。

テーマは、「美」について、その精神性を広義に学び、日本人が継承し、進化させるべき文化のゆくえについて考え、日本の最も重要な資源は美意識であることの確認とある

対談形式の講演は、伊藤教授の"「美」という21世紀の文化資本を通して、今日本が見失ってはならないことは何か?"という問いかけから始まった。

講演では、次のようなことが語られた。

政治や都市の中で、"美"をみつけるのが難しくなってきてる。
"美"とは何か? 
それは生きることと深く結びついており、日本で最も重要なもの"美意識"である。

日本人には"美意識"があり、あらゆる組織、会社、学校、団体など、皆"美意識"がある。
会社の製品やパッケージだけではない、マーケティング活動やあらゆるものに"美意識"がある。

資生堂の歴史から言えば、創業137年、明治5年に創業。
当初はデザイン的な思想はなく、ありきたりのパッケージと商品を使っていた。
その後、アールヌーボー、アールデコを取り込み、それらしい人を集めてデザインの傾向を決めていくことになる。
つまりヨーロッパのデザインを取り入れたのだ。

そして、19世紀にデザインで行き詰まっていたヨーロッパでは、中国やインド、日本などの異国的な要素を取り入れてアール・ヌーボー、アール・デコが生まれた。ヨーロッパでは一足先に東洋のデザインを取り入れていたのだ。

そうやって考えると、東洋のデザインや美の様式を取り入れたヨーロッパのデザインを、日本がまた輸入したことになる。
そして、資生堂はデザインを通して、それを再びヨーロッパに持っていたことになる。
今日では、当時の資生堂のデザインを、仏の学生達がずっと30分間眺めていたりする。

昔から文化はキャッチボールのように、常に交流していて、今や世界中に"美意識"が高まってきているといえるだろう。

ヨーロッパのブランドは、過去から現在に至るまでの独自の製品を保存している所が多く、美の変遷を時代の特性や過去のデザインを通して学ぶことができる。

例えば、ルイ・ヴィトンのトランクの形は、大西洋を船で横断する旅が主流だった頃は、船のベッドの下に入れるため、平たい形となっている。
しかし、旅が飛行機に取って代わると、トランクの形もまた変わっていく。

ただ残念なことに、日本の企業では、過去にいたる商品を保存しているところはあまりないらしい。
若い人たちが、日本の美の変遷について学ぶ資料があまりないということになる。

福原教授は語る。

日本には"文化資産"はあるのだが、"文化資本"という概念が薄い。」

つまり、日本という国や会社には、歴史やプロダクトを通して"文化資産"はある。
しかし、その文化資産を使って、また新しい文化資産を創るのが、"文化資本"である。

次の世代の人たちが、見て学んで、光るクリエイションに繋げていくことが大事なのである。

1999年頃から、福原教授は"文化資本"という言葉を使い出し、その頃から意識するようになった。

これからの日本企業が、中国や東南アジアのように安い労働力に対抗していくことには限界が来ている。
そんな中、企業にとっては"美意識"という資源をどのように生かしていくのかが必要であり、発展の鍵でもある。

日本人がもう一度見直すことは、長い時間をかけて培ってきた、「美意識」を甦らせること。
美意識に基づいた、車、家電、ホテル、インテリア、家の中、ホスピタリティが付加価値として注目されている。

歴史を見ると

平安時代には、中国、宋や唐から文化が入ってくる。
その後、"大和的な文化"と"唐"や"ペルシャ"的なものが衝突して、両方ともに共存していくことになる。

江戸時代には、そういったものが洗練化されていく。

明治時代には、ヨーロッパの文化が流入。また、文化が衝突し、共存して今日に至る。

私たち日本人は、常に2つの傾向を行ったりきたりして、新しいものをクリエイトしてきたのである

しかし今日を見ると、アメリカ文化が入ってきたが、衝突せずに、アメリカ文化に取り込まれてしまった感がある。

異質なものを共存させて両方残してきたのが日本の特徴であり、今日ではそれが失われつつある。」

それが問題なのではないかと思う。

日本の「ハイブリッド・カルチャー」
常に2つのものを共存させることを通して、新しい物をクリエイトすること。
それが特徴である。

日本の第一世代が縄文時代だとしたら、第二世代は大陸から文化が入ってきた頃であろう。
そして第三、第四世代は、西洋文化を共存させることで、新しい日本が現れなくてはいけない。

特に21世紀は第四世代というべき時代で、多くの物を吸収しながら、新しいものをクリエイトしていく時代となる。

日本人の中には、長い年月をかけて培ったものが、"遺伝子"レベルに刻み込まれている。

明治から肉食が始まったが、そう簡単に体質は変わらないものである。
そう考えれば、すぐに覚醒しやすい環境にあると思う。

かつて日本に滞在したタルトは、日本の工芸や民芸に見せられた。
日本人が気づかないところに「美」を見出し、そして高崎や仙台の職人と共に、それらを徹底して調査、研究し、組織的に収斂している。

そして日本の作品の中に、「宇宙的な精神を見出そうとする」という特徴があるという。
「幻想的な原型意識」は、忘れてはいけない日本の物づくりの基盤であると。

日本の美意識の母体は自然である
自然の奥底にある生命感がもとになっている。

だから現在のように、例えば高層マンションに住んで、風もシャットアウトし、自然を感じる機会がなくなってしまうのは、あまり良いことではない。
もっとエコロジー的なものが進めば、それにつれて日本人の美意識や感性も、もっと豊かになってくるだろう。

日本人が美意識を回復していくためには、
自然の中に奥深く入っていくことで、体験し、蓄積していくことが大事である。
それが美の体験学習となる。
もっと、自然と触れ合う時間を作ることが大事である。

子供の頃から、沢山の花を見、自然の風景を見て、その積み重ねがあればある程、美意識や感性が豊かになる。
また、いい映画や、本、美しい着物の衣装などの本物を見るなど、美の体験を積むことが大事である。

PCとゲームの繰り返しでは、美の感性は磨かれない。

美に触れると、人生において何が大切なのか考え直される。
生きのびることの指針を示すことになる。

不況や困難な時代であれば、人々には"美"が必要となるのではないだろうか。
美は、生命力や、活力を与えてくれるものであるから。

ねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこ


私は講演を聴きながら、色々なことを連想した。

今、起きているパリでのジャパン・エキスポのことや、三菱重工の高砂製作所で見た超巨大なガスタービン、最近観た阿修羅像など。

きっとスピーカーのお二人は、海外の若い人たちに強い影響力を持っている日本の漫画やアニメを美とは認めないだろうな...。
でも、私はそれらは、"文化資本"となる可能性の高い、日本の"文化資産"だろうと思う。
作品の全てではないが、その底にあるのは、大人の感情表現を理解し、子供心を残した若者の心を捉える、日本人の中だけにある独特な感性と表現力、ストーリーが磁力になっているのだろうと思う。

以前案内されて見た三菱重工のガスタービンには圧倒された。
案内してくれた男性管理職の方はこう力強く語った。
「良い製品は、こんな風に美しいものなんですよ。余計なものを全てそぎ落として、最良の形へと仕上がっていく。良い製品には必ずシンプルで美しいフォロムがあるんです。」
その言葉は強く印象に残ったので、今でもよく憶えている。

素晴しい製品は、機能を最大限に発揮するために、無駄なものが一切ない。
究極の形をしていて、調和され完成された美しさを放っている。

何だか、その言葉を聴いて、宇宙の真理を聞いているような気がしたからだ。

講演を聴いた後、自分の中でも考えはまとまりきらなかったが、
一つ思いを強くしたことがある。

日々の生活の中に、自然や美と触れる機会をなるべく創るということ。

おぼろげながらだが、自分自身も、やはり自然や美しいものから、活力やひらめきを得ていると感じるからだ。

やっぱり都心に引っ越さずに、世田谷にしばらく住もう。むむっ

私も究極的に美しい仕事がしたい。


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