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相手を見る目がない?

先日、西麻布での食事を済ませ、お茶の場所へ友人と移動した。

友人は女性で、40歳、目下恋人を探している。
彼女の場合、割と男性から多く声がかかるのだが、次のステップに進むのが難しい。

一つには、あまり好みではない相手から声がかかる。
二つ目には、自分が良いと思った男性からは、気のない返事が返ってくる。

なかなか、上手くいかないのよぇ」と、ハーブティを飲みながら、友人はため息をつく。

土曜日の夜に、最近知り合った男性と、デートの予定があるらしい。
しかし、相手に対して、彼女はあまり魅力を感じないとのこと。

今度、3回目のデートになるんだけれど、今イチな感じなのしょぼん
「どうして?落ち着いた感じで性格も良さそうだし、食事の趣味もあうみたいじゃない?」ねこ

そうなんだけど、1回目のデートは期待していないで、出かけたから、連れて行ってくれたお店とか、選ぶ食事とか、私とピッタリ好みがあうし、彼の感じもよくて、意外な感じでビックリしたのようさぎ
「へぇ~、それで何が駄目なの」ねこ
それで2回目のデートにも出かけることにしたんだけれど、2回目のデートが何だかあんまりよくなかったんだよねうさぎ
「良くないって、どんな風に?」ねこ
彼って、何だかここにいないような感じで、こっちの目を見て話さないし、1時間ちょっと過ぎた辺りで結局お店を出たのうさぎ
「何か理由があるんじゃない?」ねこ
う~ん、私が選んだお店に行ったんだけれど、そこが落ち着かなかったのかもしれないし、それにちょうど海外との仕事の連絡があったみたいで、それに気を取られていたような気がするうさぎ
「ふ~ん、じゃ、仕事のことに頭が行ってたのかもね」ねこ
でも、私、その日彼が私の手の上に、自分の手を重ねようとした時、パっと引っ込めちゃったのよ。何だか、触られたくないって感じだったの。それで、〝あっ、駄目かも〟って思っちゃったうさぎ

なるほど、とっさに手を引っ込めたのか....。
それは、彼も、〝俺に気がない?〟っと思った可能性高しだなぁ。むむっ

「じゃ、生理的に駄目ってことかな?」ねこ
そんな感じ。私、ドンドン積極的に来るような人だと、身構えちゃうの。だから、勘違いされないように、1回目のデートの時なんか、モロ普段着っぽいジーンズに、白のワイシャツで、シャツは第1ボタンからキッチリ全部とめて、〝私はあなたに気がありません〟ていうメッセージを送ったもんうさぎ

う~む、極端なドレスダウンか。
相手はそれをどう見たんだろうか???

「それで、どうしてわざわざ3回目のデートに行くことにしたの?」ねこ
3回目のデート、結構、悩んだんだけれど、私って、これまで、ずっと相手を見る目がなかったような気がするのよ。だってこれまでそれで躓いてきたでしょう。だから一応、もう一度、トライしてみようかと思ってうさぎ
「なるほどねぇ、相手選びを間違えているかもしれないか。まぁトライしてみる価値はあるかもね」ねこ
そうなの。でもね、彼に〝好きだ〟って誤解されちゃ困るから、私は絶対にまたドレスアップして行かないつもりうさぎ
「1回目のデートとまったく同じ服装で行ったりしてね」ねこ
キャハハハハ....。それ、面白い。彼、ゲっと思うかも。私2着しか服を持っていないとか言っちゃおうかな~、後、顔に絆創膏張っていこうかな~。キャハハハうさぎ

話しは最終的に、いかに変な格好をして、相手の気をそぐかで、すっかり盛り上がってしまった。

「でもね、もし、それで彼から嫌われたらどうするの?」ねこ
ぜんぜん、そんなこと気にならない。平気、平気うさぎ

そんな会話を持った後、先週の土曜日の夜に、友人から電話がかかってきた。

聞いて。彼とのデート、これまでの人生で一番、楽しかった!青山で会って食事して、ジャズのお店に行ったんだけれど、ものすごく雰囲気が良くて、最高な場所だった。ブルーノートなんかよりも断然に良かったうさぎ
「これまでの人生で一番楽しかった? すごいじゃん。私も今度そこに行ってみたいな」ねこ
いいよ、絶対に一緒に行こう。すっごく楽しいから、フミちゃんを案内したいうさぎ
「それで彼はどうだったの?」ねこ
そうねぇ、感じが良くて、この前と違った。彼も多分、楽しんでいたと思ううさぎ
「そう、それは良かったね。それで、今後、彼とは進みそう?」ねこ
う~ん、そうかも。でも別にそうでなくとも構わない。彼からもしも連絡がこなくても、大丈夫うさぎ

この辺りの友人の気持ちは、不思議だなぁ~と思う。
私だったら、そういう状況で連絡が来なかったら、やっぱり気になると思う。

彼女がもしその程度な感じだっとしたら、彼も鈍い人じゃなさそうだから、気がつくと思うけどなぁ。なんたって、2回目のデートで、彼女から手を引っ込められちゃったくらいだし。あうっ

「僕だったら、デートの相手から手を引っ込められたら、それでもう撤退します」
と、一緒に土曜日の夜に3人で食事をした、20代の男性は言った。

「だって、負け戦が分かっているのに、それ以上は攻める気がしないじゃないですか?毎回彼女が地味で同じ服装してくる?それはあんまり大きな問題じゃないですね。逆に好きな子だったら、何かプレゼントしてあげようかなと思っちゃいます」
と更に答えた。

そうかぁ、男性は女性の洋服のセンスよりも、手を引っ込められたことの方がずっと堪えるものなんだ。
女性の場合、男性の服装って結構気になるものだけどね。

ウェストポーチとか、ヴィトンの昔はやったセカンドバッグみたいなのを持って、デートに現れたら、辛い。あうっ

曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨

今朝、その友人からメールが届いた。
タイトルは「悲しい結末」

なんだろうと思って開いたら、日曜日の朝に彼にお礼のメールを送ったのだけれど、彼から返事が戻ってこないらしい。

>いつもはすぐに返信くれるのに。ずっと返事なし。絶対に嫌われたと思う。うさぎ

〝絶対に嫌われた〟って、またオーバーな表現だなぁ...。
大体、彼女は毎回そういう極端な傾向がある。

以前にも、〝彼も絶対に楽しかったと思う。私たちって、すごくウマがあってピッタリなんだと思う〟と彼女が言った後、相手からパッタリと音沙汰がないとかいうこともある。思い込みが強い。

しかし、不思議だ。むむっ
あれほど生理的にいやだとか、彼から連絡こなくても平気とか言っていたのに。
人間、追われると逃げるし、逃げられると追いたくなるものなんだろう。

う~ん、状況が変わると、簡単に人の心って変わるものなんだなと改めて実感。むむっ

この先、どうなるんだろう。彼から再度お誘いはあるのか?はたまた彼女から誘うのか?



徒然なるままに : 13:32 : comments (x) : trackback (x)
秋の夜空を駆け抜ける

本日は、久しぶりに自分の車を使って都内を移動した。
最近は、なるべく電車を使うことにし、車を運転しないようにしている。

地球に優しいとか、エコとかということもあるけれど、実は今年の初め、ちょっとショックな出来事があった。

今年、夫婦で日枝神社に初詣に出かけ、境内に通じる石段を、相方と一緒に昇ったのだが、結構急勾配な石段で、私は途中でハァハァと息切れし、足が止まってしまった。あうっ
しかし、なんと相方はスイスイと平気で昇っていき、上から「困ったもんだ...これ位で」という顔で私を見下ろしているではないか。
しかも、その止まっている私の左横を抜けて、70歳近そうなおばあさんが、スタスタとノンストップで石段を昇っていった。
「何だか、フミちゃん、やばいよね...にひひ」という相方の声が、私の耳の中で勝手にこだましていた。むむっ

温泉場での卓球の勝負で、彼に勝ったことのある私としては、なんともクヤシイ一瞬である。
「卓球で負けたくせに偉そうに」と負け惜しみを、つぶやきつつ、私は再び重い足をあげて、私は石段を昇り始めた。

そんなことがきっかけで、歩かねば!と心に誓った私は、積極的に電車を使うことにした。

そして、久しぶりの車である。
この車は、私がずっと欲しかった車である。
5年前に購入し、車が自宅まで届けられたときには、ドキドキしてしまった。ハート
初めて運転したときにはワクワクして、ずっと運転していたくなった。ハートハート

さて、そんな我「愛車」を、今日は、久しぶりに運転している。
天候も良いし、風も心地よいので、帰り道は幌を上げて、オープンにして走った。
麻布から、恵比寿を抜けて、代官山へ、そして、そのまま246へ出た。


道は比較的空いていて、アクセルを踏んで飛ばすことができる。
オープンにしていると、風を感じるので、スピード感を体で直に感じられる。


アクセルを踏んでスピードを上げると、身体がバケットシートにピタリを吸い付く。
そして、回転する低音のエンジンの音が聞こえ、風が顔や身体に当たる。

ものすごい快感であるチョキ
風と一緒に道路を走っているような気分になった。

久々のせいかもしれないが、車の運転で、すっかり気分転換が出来てしまった。

この車、やっぱり愛着を感じるなぁ..ハート

週末に時間が取れたら、遠出して運転しよう。



徒然なるままに : 20:08 : comments (x) : trackback (x)
秋の台風の中での新たな気づき

台風18号、寒気と暖気が組み合わさると風が強くなるらしいが、この季節の台風は突風や竜巻が起りやすいらしい。
ニュースを見ていると、各地で倉庫が倒れたり、トラックが横転したり、大変なことになっている。
被害に会われた方は、本当にお気の毒である。

さてそんな台風の中、私はノコノコ出かけたのだが、その甲斐があって、新しいことに気づいた。

実は私は、瞑想とか座禅とか、じ~っと黙って座っていることが苦手である。
これまで何度かトライしたことがあるのだが、いずれも飽きてしまって、途中でキョロキョロしてしまったりする。
いい年をした大人が、落ち着きがなくてみっともないと思うのだが、やっぱりキョロキョロしてしまう。
私の周りには、瞑想する人は割と多くいて、瞑想を薦めてくれるのだが、これまでイマイチ、ピンとこなかった。

しかし、瞑想、私にも出来るかもしれないと最近思ってしまった。

きっかけは2つあるのだが、1つは先週末に参加した、エニアグラムのワークショップである。

下記の写真は、ワークショップの2日目、終った後に写したものである。
左が主催者のティム・マクリーン氏と中央が私、そして右が講師のラス・ハドソン氏である。



エニアグラムのワークショップは、もう随分前に二度ほど参加したことがあるが、
今回は数えると十数年ぶりの参加となる。
講師のラス・ハドソン氏は毎回セッションが始まる前に、
チベタンベルをリ~ンと1度鳴らし、
「自分自身の本質と繋がる静かな時間を持ってください」と
3分前後の静かな時間を取る。

「自分自身の本質と繋がる」と言っても、結構難しい。
色々とどうしたら繋がるんだろうか...などと雑念が混じってしまう。
しかしそのうち、椅子に深く座って、ゆっくりと深呼吸を繰り返していると、
だんだんと落ち着いてくる。
ザワザワ~っとしていた気持ちも、ゆっくりと落ち着いてくる。
また、3分前後なので私もキョロキョロせずに静かにしていられる。

2日間で、何度か繰り返すうちに「なかなかいいな」と思えるようになった。

そして、2つ目は、台風の中、知合いのお誘いで参加した「フロー」の研究会である。
「フローの状態」というのは聴いたことがあるのだが、詳しくは知らないので好奇心から参加しようと思ったからだ。
短いワークを、NLPを教えている平本さんがリードしてくれた。

五感を使って「フローの状態」を感じることができるワークを1つ行ったのだが、
私はそのときに、何とも言えず落ち着いて深くリラックスすることができた。

何と言うか、自分がものすごく満たされていて、体が温かい感じで、
風とか土とか周りの自然の中で一体となって、安心していられる感じがした。

以前にも、これに近いワークをNLPで実践したことがあるのだが、
私はこの状態を、気持ちいい~っと思っていても、特にその後、活用しなかった。

しかし、今回、エニアグラムで短く行った瞑想タイム?の際に、「自分の本質と繋がる」というラスさんのメッセージが深く心に残っていた。

おそらくフローの体験も、「自分の本質と繋がる」という要素を含んでいると感じる。

今回、意識して、その深くリラックスした状態から人と話すと、何だかとても人と波長があって繋がっている感じがする。
あれこれと、フィルターなしに人の話しを聴くことができるし、「人と一緒にいる」という感じがするのだ。
スルスルと必要な言葉も出てくるし、それでいて深く落ち着いている感じがするのである。

自分の状態管理、エネルギーは大事である。
ゆっくりと深い呼吸をし、自分自身と繋がることが、
日々リソースに溢れた自分でいるための基本であると思った。

何だかこの発見が、妙に嬉しい。にかっ
毎日、これなら無理なく実行できそうである。



徒然なるままに : 00:12 : comments (x) : trackback (x)
秋の味覚とお神輿し

日曜日の夕方、駅前に買物に出かけるとなにやら賑やかな...
と思ったら、町内会の人たちが〝お神輿〟を担いでいる。


皆で声を出しながら、わっしょい、わっしょいと進んでくる。
思わず足を止めて見てしまった。


お神輿を担いでいるのをみると、
ゆっくりとした進みの中にある躍動感とエネルギーで、こちらも見ていて興奮するが、何だか不思議と胸がじ~んとする。
なぜか、その様子に毎回「いいなぁ~」と感動してしまう。

町に住んでいる年配の人、若い人、子供、皆が一緒になって力を合わせ、一つのことをしている姿に感動するのか..
それとも、夢中になってお神輿を担ぐ人たちの姿に感動するのか..
はたまた、日本古来より伝わるお祭りの儀式によって、日本人としてDNAが触発されるのか...

いずれにしても、ワクワク、ドキドキ、ジ~ンを体験できる。

そういえば私は、「力を合わせる」という言葉を使うとき、よくこのお神輿のイメージを思い出す。
〝一体感をもっとも感じられる、分かりやすいシーン〟の一つだからなのかもしれない。

ちなみに、お神輿しを担いで方向転換するのは、結構難しいと聴いたことがある。
皆の歩調とか角度がきちんと合わないと、重心が動いてダダダ~っと崩れるかららしい。
ずっと昔、夏の千葉県の多古市の近辺で、お神輿しが何度か崩れかけたのをみたことがある。

そのためには、テンポを合わせて進めるリーダーが必要である。
担いでいる一人ひとりは、リーダーの舵取りに注意を向け、重さに耐えて周りのテンポに合わせなくてはならない。
結構な重労働である。重い神輿しならば、大変である。

だからこそ、担ぎ手は、集中して一生懸命になるのだろう。
「会社組織にも、こういう躍動感を生み出したいなぁ~」と、仕事柄ついつい考えてしまう。

お神輿を見た後、嬉しくなって、〝収穫〟となる秋の味覚をついつい買いすぎてしまった。むむっ
地元のお神輿は、地元の経済に貢献している????


徒然なるままに : 13:24 : comments (x) : trackback (x)
チェンマイ・ドリーミング 再びリトリートの世界へ

2年前の2007年11月にタイのチェンマイで
ビジョン・メイキング・セミナー」を行った。
1年を振返り、翌年以降の自分の夢・目標など、〝ビジョン〟を探求する旅の企画である。

このセミナー自体は、毎年12月に「初島」で行っているのだが、
タイ在住のタミー女史のコーディネートに〝あやかれる音符〟ということで、
07年は、チェンマイのリゾートで行うことにしたのだ。

そして、このチェンマイの旅で、いつでもどこでもカリンバを奏でていた「堀田峰明」くんは、かの地で泉のようにドンドンと新しい曲のインスピレーションが湧き、このたび、その曲を基にしたCD、「チェンマイ・ドリーミング」を制作し発売した。

12日(土)は、その発売記念コンサートとパーティを、
南青山の「カ・アンジェリ」というレストランで行った。
チェンマイのセミナーに参加した人たちや、内輪の友人など50名前後の人たちが、彼のオカリナとカリンバの演奏に聴き入った。


私は特に、カリンバの演奏による組曲「はじまり」~「予感」~「あこがれ」~「ざわめき」~「それから」に引き込まれた。
音楽を聴きながら、チェンマイの風景、匂い、風の感触をものすごくリアルに思い出したからだ。
何ともいえない、居心地の良い音とメロディである。


環境音楽家の小久保隆さんも、来られていて、
彼の楽曲の中に、川のせせらぎや、虫の音など、自然の音を組み合わせていくのだが、これも心地よさに繋がっていたのかもしれない。

ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2

さて、その07年のチェンマイを振返ってみたい。

チェンマイの市街地の喧騒から離れ、山と田園に囲まれた
フォーシーズンズ・ホテル」は、エキゾチックでそれでいて懐かしく、
静寂が漂う、最高!の場所だった。
写真は、フォーシーズンズのレストランのテラスから撮影したものである。
私たちは、ここに泊まりセミナーを行った。


偶然にも「ロイカトン」という満月の時に行われる、
水の神様に感謝するお祭りの時期となったため、
特別な飾りつけや、お祭りのイベントが用意されていた。


リゾートの中はロビーやレストラン、階段、スパ、部屋、通り道など
あちこちに、色鮮やかな花が綺麗に飾られていて、見ているだけで華やかな気分になる。


セミナーは3泊5日中の半日となるため、
それ以外の時間は各々、リゾート内で過ごす、象乗りに出かける
川くだりをする、ショッピングをする、古都をお寺を中心に周るなどした。






またタミー女史の取計らいで、2日目の夜は、
フォーシーズンズのクッキング教室で、タイのシェフに、料理を実演してもらって、
代表的な料理トートマンクン(エビのさつま揚げ)などの御料理を教えて貰い、
皆でとっても美味な、タイ料理のコースを食べた。


コースの一品である、ヤムウンセン(春雨とエビのサラダ)
器となるくり貫かれたフルーツの色が、とっても鮮やかなピンクで、タイならではのプレゼンテーションである。


翌日の夜は、やや市街地に近い「マンダリン・オリエンタル・ホテル」にて、
タミー女史の〝招待!〟で、全員がロイカトンのディナーを楽しんだ。
綺麗なタイ女性のダンサーが、私たちの個室にも来て踊ってくれた。


マンダリン・オリエンタル・ホテルのコーディネーターの女性が、
記念の集合写真を撮影してくれた。


ロイカトンのお祭りでは、自分の願いを込めて、
バナナの皮を編んで作った船に、お供えの花とフルーツ、お香を乗せて池に流した。

しかし、もう一つのイベントとして、皆で来年の豊穣(自分の成果)を願って、熱気球を空高く飛ばした。
全員で熱気球のすそを持ち、気球の中の温度が上がるまで待って、気球を一斉に離すようにする。


すると、気球は空高くグングンと上昇していき、あっという間に米粒ほどの大きさになり、最後は見えなくなってしまった。


ロイカトンのお祭り中の夜は、チェンマイ市街から夜空を見上げると、ダーっと〝宇宙人の襲撃?〟のごとく、100個以上の気球がゆらゆらと見える。
各家庭、ホテルや街中で、皆が上げるのだから、そういうことになるのだろうが、バンコックでは安全上の問題で、熱気球は上げないそうだ。
しかし、初めてみる眺めであり、これは圧巻であった。

翌日は、王室ゆかりのお寺である、山頂にあるドイ・ステープ寺院にお参りに行った。
タイ独特の〝ピカー〟っとした黄金色の屋根と、真っ青な空のコントラストが綺麗である。
ここは山頂であるがため、空気も乾いていて肌寒く、バンコックのお寺とはまた違う雰囲気がある。
ここのお寺では、お坊さんのお経の後、「仏様のお守り」と「自分」にお坊さんから「聖水」をかけて頂いた。


この旅は3泊5日という短い期間だったが、
皆で、〝チェンマイの豊かな自然と風景に浸り〟、〝お祭りを楽しみ〟、〝美味しいものを食べ〟、〝来年以降のビジョンを作り〟、〝仏様と自然の神様から、沢山のご加護を貰って戻ってくる〟というかなり贅沢なものになった。
いつかまた、チェンマイの地で開催してみたい...。(来年はナパにコミットしているが)


今回は、堀田さんの「チェンマイ・ドリーミング」のCD発売記念という機会によって、再びこのチェンマイの時の感覚を取り戻せたのは嬉しかった。

今晩は、余韻を楽しむべく虫の音を聴きながら、彼のCDを聴こう。




徒然なるままに : 16:15 : comments (x) : trackback (x)
パワフルウーマン

月曜日、『ACT4(アクトフォー)』を発行している〝サトマリ〟こと、「佐藤真理子」さんと家の旦那さんの3人で広尾で食事をした。

『ACT4』は、オペラやコンサートの情報を満載した情報誌だが、音楽とともに東欧など色々な国の食や、文化、歴史などをきれいな写真とともに紹介しているので、クラッシック音楽に詳しくない人が読んでも面白い雑誌だと思う。

『ACT4』が主催する「クラブ・インプレサリオ」という5000名の会員組織があるのだが、そこに入会すると、ACT4の定期購読と、優先的に入手が難しいコンサートのS席を確保、クルージングやパーティなどの様々なイベントに参加することができる。
ちなみにパーティでは、皆さんロングドレスとタキシードというドレスコードである。
いわゆる〝セレブ〟向けのサービスである。
全国でも、クラッシック音楽を中心とした「アッパー・マーケット層」のクラブ組織はない。
というよりも、きちんと囲い込みのできたクラブ組織は滅多にないと思う。
だから、『ACT4』の「クラブ・インプレサリオ」は希少である。

真理子さんは、一目でひきつけられるオーラを持っている。
彼女が持っている情熱や信念が、エネルギーとなって発散されているのかもしれない。
真理子さん自身が主催して、クラッシックの音楽会を開催したりすることがあるが、
それ自体、大変なエネルギーが必要であると思う。
そういえば、雅楽演奏家の「東儀秀樹」さんを最初に一般に紹介したのは、真理子さんだそうだ。
以前仕事を通じて、東儀さんの演奏を初めて聴いたときに、宇宙と繋がる感じがして、「これは、もっと世に紹介しなくては!」と思ったそうだ。

「音楽好きの知り合いから勧められて、ピアニストの大田さんの演奏を聴く機会があったの。私も色々な人の演奏を聴いているでしょう、でも、彼の演奏にズンズン引き込まれていく自分がいて、これは素晴らしい...と思った。彼は、もっと海外で挑戦するべきだわ」と、キラキラと瞳を輝かせて、熱く若いピアニストの大田さんについて語る真理子さんの話しを聴いていると、思わずその世界に引き込まれてしまう。
このご時世でも、「クラッシックの音楽会」の開催などに向けて、なぜタイアップする「スポンサー」をきちんと引き込めるのかも、うなづける。

また、真理子さんと私は、案外共通の知人が多いのだろうと思う。
「一流ホテルの支配人」や、「名旅館の女将」、「ジャガーやBMWのクラブ組織」のサービスの運営をしている会社の社長など、共通の知人の話題で盛り上がる。
真理子さんはもともとセレブ向け雑誌「セブンシーズ」の編集長をしていたのだから、そういった知り合いは多いと思うし、私も「一流ホテル」と「名旅館の顧客サービス」をやっていた時があるので、かぶる人は多いと思う。

真理子さんとは、うちの旦那さんから紹介されて会ったのが最初である。
うちの旦那さんは自分の仕事以外に、「14の団体」の事務局とか事務局長をしているので、驚くくらい色んな人を知っている。
14もの団体に顔を出すことや予定を考えると、「ゲッソリ」してしまう人も多いと思うが、彼の場合は人に会うのが大好きなので、少々疲れても、普通の人のようにそれが苦になることはないようだ。
楽しそうにイソイソと毎日出歩いている。

彼のそういったご縁のおかげで、私も色々な人と出会えるのは、ありがたいことである。
それは昔からそうだが、今も昔も変わらない。

特に真理子さんのような女性とのご縁は格別である。
国を超えた広い視点と、その視点をきちんとビジネスに繋げられる柔軟な発想と手腕。
一緒に話していると、楽しくなりこちらの発想もグンと広がってくる。

クラッシック音楽を通して、自分の感性を広げることにグっと興味が湧いてきてしまった。


徒然なるままに : 10:28 : comments (x) : trackback (x)
恋愛における東京市場

新橋近辺へはよく行くが、「烏森口」に出るのは初めてだった。

周りを見渡すと、雑居ビルと無数の看板、サラリーマン風の男性が多く、
しばしどこへ行ったらいいか迷ってしまった。

久しぶりに会う男性友人Aと会うために、待合せの場所に到着したのだが、
約束の時間よりも30分早い....。

とりあえず、駅から一番近いカフェでアイスコーヒーを飲むことにした。
鋭角で細長い三角形でできたビルの中にあるカフェは、1階はカウンターのみで2階と3階が座席となっていた。

1階でコーヒーを買って、2階に上がって席を探すと1席しか空いていない。
隣の席は、怪しげな真っ黒に日焼けした痩せた小柄なお兄ちゃん風の男性と、10代後半位の化粧が濃い金髪ヘアの女の子達二人の三人が座っている。

両面ガラス張りの店内からは、烏森口の景色をよく見渡せる。
こうやって見渡すと、烏森口ってちょっとだけレトロ..80年代な臭いがする。

タイムスリップしたような気分になりながら、コーヒーを飲んで本を読んでいると、携帯電話に連絡が入った。
友人Aからである。待合せ場所に着いたらしい。

急いで店内を出て、Aと落ち合い、彼が案内する店へと向かう。
内心、この辺りのお店ってどんな場所なんだろう...とやや不安になりながら彼の後を着いて行く。
彼は道路を曲がって、細い路地をまっすぐ進み、小さな雑居ビルへと入っていく。
「ここだよ。」と彼が、指差す方向を見ると、古くて小さなビルには不釣合いな上品な扉が見える。

何だか猥雑な通りとは別世界を感じさせる、モダンでシンプル、上品な入口である。
和食の「をん」という店であった。

扉を開けると、L字の白木でできたカウンターだけの席がそこにはあった。
カウンターは8席しかいない、こじんまりとした店だ。
そのカウンターの中に、静かな雰囲気の30代位の男性が立っている。
店主の伊東さんと紹介された。京都の祇園で修行して東京にお店を構えた人らしい。

一番奥の席に案内されて座ると、まずは冷たいお絞りで手を拭き、久しぶりの再会にビールで乾杯した。ビール

友人Aは、保険会社で営業の管理職をしている。
忙しい身の上だが、昨年、口腔外科で大きな手術をしてしばらく入院をしていた。
そのせいで、噛む事がままならず、しばらくは食事がシッカリ取れなかったらしい。

以前と比べると、幸か不幸か(幸だね)痩せた。
随分と体が引き締まって、一回り細くなったように見える。

「をん」で出される旬の食材をつまみながら、
しばし、仕事を中心としたお互いの近況についてあれこれと語り合った。

話題はやがて、彼のプライベートライフへと移る。
友人Aは、離婚暦が2度あり、目下3度目の結婚相手を探している。

「それで、この間ちょっと聞いたけど、新しい彼女はどうしてるの?」

「元気にしてるよ。」

「どんな人なの?」

「いい子だよ。明るくて前向きなタイプで、俺のことを好いてくれてるしさ。両親にも紹介されたよ。」

ちなみに、彼女は30代前半で今年ちょうど50歳になったAとは随分年が離れている。

「へぇ~、いい感じみたいねぇ。それで、結婚は?」

「う~ん、いい子なんだけどさぁ...。何ていうか..、決められない。」

「どうして、何か引っかかる部分でもあるの?」

「いや、別にそうじゃないんだ。性格もいいし、仕事も一生懸命やっているみたいだし。」

「特に悪いところがなくて決められないって...何か"物足りない"とか?」

するとAは大きくうなづいた。
「そう、"物足りない"ってやつかもしれない。彼女いい子なんだけどさぁ、さっぱりしてて"ボーイッシュ"な雰囲気なんだよね.....。」

その言葉でピンときた。むむっ
そういえば、Aは昔から、濃い目の顔で、色っぽい雰囲気の女性が好きなのだ。
ちょっとインドっぽいというか、目鼻立ちがハッキリしていて、面長タイプの色っぽい女性が好みなのだ。

「なるほどね~。でもさぁ、前回の結婚、それで失敗してるじゃない。色っぽいけど性格が合わなくて。今回の相手は性格がかみ合うんだったら、多少色っぽくなくてもその方がいいんじゃないの?」

「まぁね~。周りにも、お前も50になるんだから、相手に全部を求めずに、いい加減決めろって言われてるんだけどね。」

「そうだよ。相手の子もプロポーズ待ってるだろうし、Aも子供を早く作りたいって思ってるんだから、決めちゃえばいいのに。」

「でもさぁ、俺、バカだと思われるかもしれないけど、いつか理想の女性が現れるんじゃないかって思えるんだよね~。」

その言葉に思わず「はぁ~」と思い、やや意地悪な気持ちが湧いてきた私。
「贅沢言ってるわ。そんなこと言ってたら、いつか気づいたら汚いオジサンになっていて、相手を選ぶどころじゃなくなってるかもよ。」

「そうなんだろうけどねぇ、でも俺のこと信頼してくれてる後輩でさぁ、独身の女の子紹介してくれるって奴が結構いるんだよ。」

「だったら、さっさとその女性達を紹介して貰って、今の彼女と比較して、自分を納得させてみたら?」

「いや~、それがさぁ、実際会ってみると、それぞれに素敵な女性でさぁ、み~んないいと思えちゃうんだよねぇ、ハハハハ」

と困ったような、それでいて心から嬉しそうに笑いながら答えるA。

その様子を見て、真面目に話しを聞くのが何だかアホらしくなってしまった私。

それにしても、この余裕。むむっ
昨年の手術前までは、こんなに余裕シャクシャクではなかったのだが....、
痩せたことによって、男としての自信がよみがえって来たのか?
それとも、昇格も決まり心に余裕が生まれたのか???


ひよこひよこひよこひよこひよこひよこひよこ


しかし、考えてみれば、Aの話しは、「恋愛における東京市場」をよく表していると感じてしまった。

つまり、美人で高学歴で高収入の30歳以上の独身女性がワンサカ溢れているが、
彼女達に見合う妙齢の独身男性は少ない。

さらに、日本人男性の傾向と言えるが、彼らは欧米人男性に比べると、恋人探しにあまり熱心ではない。
また、セダクティブに大人の女性を扱う術と、自分を魅せる技を持っていない。
ゆえに、大人の独身日本人女性は、なかなか"恋愛ホルモン"(造語)も活発化しない。

これはあくまでも私の仮説だが、縄文時代からの"稲作文化"と深い関係があるのではないかと睨んでいる。むむっ

稲作文化というのは、部落などの単位で、皆が集団となり力を合わせて稲作を行い、食べていくための日々の努力を重ねる文化である。

狩猟民族のように、短期的にエネルギーを集中して獲物を取るアグレッシブなエネルギーとは違い、
稲作文化では穏やかでタンタンと長く続けるエネルギーが求められる。

そんな日本人男性は、古来よりずっと、親類やら村の長から嫁を紹介して貰い自らの嫁を娶っていた。
穏やかなエネルギーで真面目にコツコツと働く男であれば、セクシーでなくとも大人から信頼されて嫁を手にすることができたであろう。

社会のシステム(見合い)がそうなっているのだから、男は女探しにアグレッシブにはならない。
お洒落や、話し上手でなくとも真面目であればいいのだ。
いや、逆にアグレッシブでないからこそ、せっせと親類やら村の長が嫁を紹介していたのかもしれないが。

狩猟民族は、そうではないと思う。
アグレッシブで、獲物を取る能力が高い男が、自力で女を手に入れていたと思う。
だから、狩猟民族の末裔は、今でも女性探しについては、アグレッシブである。

大体、欧米系の男子は、子供の頃から女性に対する対応を、周りの大人を見て学んでいる。
その影響も大きいと感じる。

一方、稲作文化の末裔の日本人男性達の嫁探しのDNAは今も根深く残っていて、
世の中が見合いではなく、自由恋愛が中心となっていても、
"アグレッシブな女性探しのスイッチ"が入らないのかもしれない。

もしくは30歳以降の"アグレッシブなスイッチ"が入っている男は、
既に結婚していて、更には不倫でもしていて、20代後半の女性の結婚を阻んでいるかもしれない。むむっ

昔、アキバにPCを買いに行って、驚いたことがある。
(あの頃はそういえば、道端でオウム心理教の信者が、マーハポーシャのチラシをよく配っていた。)
売り場に行くと、サラリーマン風の男性が山ほどいるのだが、皆同じように見えてまったく見分けがつかないのだ。
同じようなグレーのスーツ、白いワイシャツ、色の薄いネクタイ、ボサボサっとした油っけのない短い髪か、七三に分けた頭、めがね、つやのない顔、肩からかける塩化ビニール性か合成皮革風のバッグ。
何だか、驚くほど特徴が似ていて、見分けがつかない。そしてあまりにもお地味......。


さて、"恋愛における東京市場"の話しに戻るが、
友人Aのような男性にとって、今の東京市場は天国かもしれない。

友人Aを客観的に見れば、
50歳になったといっても見た目に若く、ハンサム。
清潔感がある、服装センスOK、年収も悪くない、会話も幅広い。
頭もいいし、美味しいものを食べるのも好きだ、そして独身。
そして、女性については、アグレッシブに探し対応している。

その気になれば、モテるであろう。

"恋愛における東京市場"においては、
Aのように、伴侶となる女性を積極的に探し、
自分の見た目にも気を使い、センスもまぁまぁという独身男性があまりにも少なすぎるのではないか?

「どの人も、実際に会うとそれぞれに素敵でねぇ~。みんな好きになっちゃう。」
なんていうセリフは、私の友人の独身女性達からは一度も聞いたことはない。

東京においては、
女子向けには「恋愛ホルモン活発化講座」を開き、
男子向けには「独身男性改造講座」でも開くべきかもしれない。


徒然なるままに : 14:46 : comments (x) : trackback (x)
2000年代に求められる男と女

ノリピーの事件には驚いた。ぎょ
夫が覚せい剤所持で逮捕、逃亡、行方不明、そして本人も容疑者として逮捕。

「エ~ッ!あのノリピーが!!」と世の中の人は皆たまげたと思う。
何だか、まったくそんな事件とほど遠い知合いがつかまった驚きに近いように思う。
うちの相方は、山のように事件を報じているスポーツ新聞を買い漁って帰ってきた。
私が"レッドクリフパート2"を楽しんで見ている横で、
「お願いだから、ノリピーの事件を扱っているニュース番組を見せて。」と手を合わす。(やれやれ)

しかし、世の中、何が起こるか本当に分からないもんだとつくづく思う。むむっ
矢田あきこの旦那の事件なんて、すぐに影が薄れてしまった。


さて土曜日は、知合い同志で集まる機会があり、お昼過ぎから水天宮へ行くことになった。
知人の浜本氏が定年を機に、新しく「いろり塾」という共に学ぶ場を提供することをスタートすることになり、その発足ワークショップと懇親会に出席するためだ。

ちょっと何を着ようか思案したが、おめでたい場でもあることを考え、
洋服は華やかなターコイズブルーのブラウスを選ぶ。

最近の高層住宅には、会議やセミナーを開ける集会場を併設している物件が多いが、
今回の発足ワークショップも、知人が借りて住んでいるマンションの「集会場」を利用している。

こういった新しい「集会場」は、とても便利だと感じる。

昨今、少しでも自分を成長させたいと思い、色々なことを学ぶ人が増えている。
資格取得を目指す人もいれば、今の仕事に役立たせたいと思い、コミュニケーションスキルなどを学ぶ人も多い。

また、世の中、医療が発達し高齢化社会が進む中、見た目も若く元気なアフター60は益々増えている。
そんな中、持てる時間を使って、自分の趣味や知的刺激を求めて、何かを学びたいという高齢者は着実に増えるだろう。
逆に自分が知っていることを、仲間やニーズのある人に教えたいという人たちも、増えてくるだろうと思う。

「物質的」なものを求める社会から、より「内面的」なものを求める傾向が高まりつつあると感じる。
定年を迎えた浜本氏が発足する「いろり塾」も、時代の流れにピタリとはまっているのかもしれない。

しかしながら、そういった学習の場を企画しても、
都内中心部で、手ごろな会場を探すのがなかなか大変である。
安価な価格で利用でき、かつ申し込みも面倒臭くないマンションの「集会場」は、
個人でそういった活動を行っていく人には、とても便利だと思う。

さて、会場に到着し、「いろり塾」のワークショップがスタートした。
見渡すと集まった人たちの大半は女性であった。
20代の女性が一人いたが、後の女性は30代、40代、50代、60代と幅広い層が参加している。

知合いも数多くいたが、初めて会う方も半分くらいいた。
その中、強く印象に残る女性も結構いた。

その中の一人は50代後半位の女性で、自己紹介の際、自分のことを話すハスキーな声がとてつもなく大きい。
マイクを持って話しているんじゃないかと思うくらい大きい。
パっと目に付く華やかな目鼻立ちと表情たっぷりの顔と手振りがあいまって、かなりのインパクトがある。
一度お会いしたら絶対に忘れないタイプの女性だと思う。

ずっと専業主婦としてお子さんを育てながら、
学校のPTAで役員などを務めている時、"不登校"になる"保健室にこもる"など、
精神的に病んでいる子供が多いことに対して、何かしてなくてはいけないと感じていたそうだ。
しかし、もとを正せば親が精神的に未熟だったりするケースが多く、
解決には親が学ばないと駄目だと思ったらしい。

そんな中、ある日、これまで問題を抱えて暗くなっていた知合いが、
何だかとっても明るくなって楽しくしているのを見て、
不思議に思い、興味を引かれてつい聞いてしまったらしい。
「あの、あなた最近何か変わったことでもあったの?」と。

すると、その知合いはこう答えたそうだ。
「あのね。実はNLPっていうのを学んでいるのよ。」

「NLP?何?」と思ったらしい。
注)NLP=神経言語プログラミング。米国で生まれたコミュニケーション心理学

そこで彼女は、NLPに俄然興味を持って学ぶことに決めたそうだ。
そうする中、あれよあれよという間にNLPを学び、
気がついたら数年前にセミナーやカウンセリングなどを行う組織を設立してしまったそうだ。

そんな経緯を、その女性はややつんのめり気味に感情を込めて一気に話した。
そして高らかな声で笑いながら最後にこう付け加えた。
「私は、囲炉裏のように人が温まるような火に憧れてるんですけど、私には無理なんです。私って山火事タイプなんですよねぇ!」

う~ん、山火事、何ともエネルギッシュな....。
エネルギーが高いから、必然的に声のボリュームも大きくなるのかもしれない。

子育てが終り、50代の半ば近くになってから、今の活動を始めたのだろうと思うけれど、
やっぱり人間、夢とか目指すものがあれば、幾つになっても元気でいられるもんなんだなぁと感じた。
それと、今の仕事を始めたのがここ数年なので、情熱の炎が熱く燃え盛っている最中なのかもしれない。
まさに、内面は情熱の山火事なのかも。むむっ

しかし、こうやって子供達が健全に育つ環境を増やしていく活動が、
子育てを経験した女性の手によって増えていくのは、とてもいいことだと思う。

他にも、自分でカフェを経営し、アルバイトの学生を、お店を持って独立するまで育てている女性がいた。
彼女は、雇ったアルバイトの学生さん達を、しっかりと育て、それぞれ社会に送り出していくことが自分の生きがい/使命だと感じるらしい。
現在、カフェは3店舗になったそうだ。彼女は離婚して子供を育てながら、今の経営を始めたとのこと。
う~ん、シングルで働きながら子供を育ててるママはすごいと思う。
なおかつ経営者としてアルバイトも社会人として通用するように育てているのだから、なおのことすごい。オッケー
こちらは山火事さんとは対照的な感じで、静かな声とたんたんとクールな表情で話す。
「いえ、私は皆さんとは違って、ぜんぜん大したことしていないんですが、...」と前置きを入れて語る。

しかしながら、そのクールな物腰とは逆に、彼女の目には「決意」や「意思の強さ」を表す力がキラリと宿っている。
なんか、控えめな物言いなんだけど、迫力あるなぁ~という感じ。

世の中、やっぱり色々な生き方をしている人がいるもんだ。

しかし、ふと見渡すと、この場に来ている女性陣って、
一見大人しそうに見える人もいるが、話すと皆パワフルである。
イキイキと自らの目的や夢を語る。

これはもしかしたら、「いろり塾」の主催者が、パワフルな女性を好む?集めたがる?傾向にあるのかしら????
それともパワフルな女性が、囲炉裏のようなほのぼのとした温かさを持つ主催者に集まるのか????

今の日本を変えられるのは、民主党じゃなくて、
生活者として元気に世の中の役に立つことを考えて、実行する女性なのかもしれない。むむっ

そして、そういうパワフルな女性を支援する囲炉裏のような男性が2000年代に求められる男性像かも!!!!

懇親会で再び挨拶する浜本氏



宴もたけなわの頃の私達



徒然なるままに : 23:33 : comments (x) : trackback (x)
人生をエンジョイする私の八か条

「私は、この仕事をこのまま続けていても良いのだろうか...」とか、「私の人生お先真っ暗、このまま孤独に死んでいくに違いない」、「自分は一体何を求めているんだろうか...」と、人生ふと思う時がある。

そんなときは、大抵人生に飽き飽きし、現役で元気に働くキヤリア・ウーマンなんか止めて、家に引きこもって一日中パジャマ姿でボ~っとしていたいと思う。

しかし、資産家の令嬢に生まれたわけでもなく、経済的にそんなことが許されない私の場合は、現実的にそんなこと出来るわけがない。しくしく
「そんなこと言って、バンドーさんの場合、ご主人がいて働いてくれるじゃないですか~?」と知り合いの誰かが、突っ込みそうな気がするが、世の中そんなに甘くない。主人の会社は目下資金繰りが悪化していて、2ヶ月間給料が出ていない状況で、3ヶ月目となる今月だって出るかどうか分からない。あうっ
こういう時だけ、「ア~、相方が大手企業のサラリーマンだったらどんなに楽か」と思ってしまう。
しかし仮に家に引きこもって植物でも育ててズルズルしていたところで、どうせ飽きっぽい私のこと、いつしかその生活にも飽きて、こんな生活もうイヤ!!っと叫びだすに違いない。むむっ

なにせ、飽きっぽいタチの私は、どうにも"刺激"がないと、人生を生き続けるモチベーションが湧かないのではないかと思う。

そういう意味では、10代や20代の世間知らずの若いお嬢さんだった頃は楽だった。
どこか食事に連れて行ってもらっても「わ~、私、フグ食べるのって初めてなんです~♪」とか、「東京の夜景を眺めながらのホテルのバーって最高!」なんて、いとも簡単に刺激を得られた。当時そんな私を誘って連れ出してくれた男性は、きっと気分が良かったと思う。
友人との食事会だって、ちょっと名の知られたレストランや人気店なら、どこにいっても文句も感じずに、「わ~すご~い!」って、喜んでいられた。

ところがどっこい、30代をちょっと過ぎ35歳を過ぎたあたりから、刺激→人生を生き続けるためのモチベーションアップ→「人生を楽しむこと」は、自分なりにちょっと"工夫"をしなくてはならなくなったように思う。(だから、会社辞めて独立しちゃったりするんでしょうけど)


30代後半を過ぎても「人生を楽しむこと」、それは人によっても色々と工夫は違うと思う。

子供がいる人は、子育ての中で工夫するのかもしれないし、私のように子供のいない人は、仕事や趣味の中で工夫しているんじゃないかと思う。

私自身は、何かしら刺激がないと人生を楽しく生きてはいけないタイプなので、人生を飽きないために、意図的に自分なりに色々とやっている。

それはまとめてみると、坂東富美代の「人生を楽しむ」ための八か条となる

その一:親しい友人との時間を持つこと 日常的に
幅広く、男女や既婚・未婚、働いている・働いていないに関わらず、自分に何かしらプラスの影響を与えてくれる友人との時間を作ること。
これはとても大事だと思う。
自分と境遇の近い友人であれば、悩み相談したい時に力強い味方となってくれる。今の仕事の悩みや方向性なんかも参考になる意見を言ってくれたりする。それに、友人が何か新しいことにチャレンジしたり、頑張っている姿を見て、自分も頑張ろう!と勇気付けられる時もある。
また、男性の友人との会話も重要である。女性にとって男性側の視点ってなかなか得がたいものだし、友人であったとしても男性と会うことで、自分が"女性"であることを自覚できる。ま、男性の目を意識することで、より女性らしくなれるのも利点としてある。
専業主婦や子育てママとの話しは興味深い。地域の出来事や行政の仕組みなど、社会の現状を改めて知ることができるし、子育ての話しは新鮮で面白い。私の場合、子育てママの友人は、主に学生時代の友人となるが、久しぶりに会ったときのファッション感覚の違いにも新鮮で興味を惹かれる。購読している女性誌が多分違うんだろうと思う。学生時代は共にJ.Jなんか読んでいたと思うが、子育てママ友人(働いていない)達は、VERYとか読んでいるんじゃないだろうか。それに対して私の場合は色々読むけど、参考にするのはプレシャスだったりする。

その二:旅行すること 毎年必ず
旅行も必須エンジョイ項目で外せない。オッケー
今いる場所を変えることによって、気分転換を図る。
日常的には、車で2時間以内で週末にサっと出かけられる景色の良い温泉地なんかが好きである。
近場であったとしても、海や山の景色を見るだけで、気持ちがリセットされる。
よく行く初島は、地場が良いのか、成分的には大した温泉ではないと思うが、ずっと浸かっていると、体調がすごく良くなってしまうから不思議だ。
海外旅行は、時差が大きかったりすると、その分旅が楽しくとも、家に帰ってきてドっと疲れたりするが、新鮮で楽しい体験が多いので、やっぱり内面的な変化を感じる。どんなに疲れてもまた行きたい!と思ってしまう。
旅行は、私にとってもっとも費用対効果の大きいリフレッシュになる。

その三:美味しいものを食べること 日常的に
家で作るにしろ、レストランで食べるにしろ、美味しいものを食べている時は幸せ~と感じる。
特に素材がよくて新鮮なほど、幸せ度は高くなる。
食材やその扱い方の好みが一致するレストランにはわりと頻繁に通う。
そして、時々評判の良い新しいレストランにチャレンジするのも悪くない。経験からすると残念ながら、6割以上の確率で好みと一致しないのだが、ドンピシャじゃない料理を食べると、自分の好みがだんだん見えてくるという面白さがある。それに新しい美味しさも発見できる。
ただ食事は気をつけないと、カロリーを摂取しすぎで体調不良を起こしたりするので、バランスには気をつけている。

その四:自然の美しさに触れる/本物に触れること 日常的に
自宅近所の樹木や花、景色の美しい場所にいって自然と触れる機会をなるべく作るようにしている。
不思議と自宅のテラスに腰掛けてしばし風にそよぐ樹木や、流れる雲をじっと眺めていたりすると、パっと良いアイディアが浮かんだりする。
それと美術館に行ったり、京都のお寺や庭をめぐったりするのも楽しい。
美しいと思うものと出会うと、ハっとして何だか心や体の細胞の一つ一つが細かく動くように感じる。いつまでも見ていたいと思う。
私の仕事も、自然やアートの中にある美と同じように、「美しい!」と人が感動するような質まで高めたいと思うが、やっぱり本物の美を見て体験し、発想することが大事だと思う。
「本物の美」と言えば、コンサートやショー、歌舞伎、昔から代々続く老舗のブランドの作品などもその類に入るだろう。
その点、東京という都会に住んでいるというのは本当に便利だと思う。そういったものの数が多い。

その五:新しいことや興味のあるものを学びアップデートすること たびたび
仕事柄もあると思うけれど、興味あるテーマについてはちょくちょく講演やセミナーに参加している。読書もその範疇に入る。
セミナーは長いものだと2年間のコースで学ぶというものあるし、短いものだと2時間位の講演がある。
たとえ時間が短くとも、新しい分野の開拓者で、世界的に有名な人たちの講演は面白いし、実際参考になることが多い。
仕事を独立してから5-6年が経過した頃、仕事に行き詰ったことがある。
独立前に目指していたものの多くを実現し手にしたものの、次に何を目指すのか見えなくなったからだ。
ある程度仕事の結果は出ていたものの、自分なりの専門領域をもっと狭めて、これなら私は誰にも負けないし自信がある!と、心底思えるものがなかったせいなのかもしれない。
思えば30代前半の頃は、米国人によくある40代のアーリー・リタイアメントにあこがれ、50歳以降は隠居しようなどと思っていたが、実際に自分が40代になってみると、当時とは気持ちがまったく変わっていた。それは自分の経験を通して、年を取っても、社会との接点を持ち何かしら役立つことを続けて行きたいと思うようになったことが大きい。それに対して自分が生涯何ができるのか?と考えた時に、このままでいいのか?という疑問が湧いてきたのである。
だから、もっと自己投資して成長したいと思うようになった。
しかし、実際に学び続けていると、学ぶことや知ることの"楽しさ"の方が強くなっているのも事実である。講演やセミナーに限らず、読書によって何かしら知り、気づき啓発されると、何だか人生が深まったりちょっとでも前進したような気になるからだと思う。
肉体はある時期から衰えていく宿命を持っているけれど、人としての智恵は深まり進化していくことができるものだと思うので、この一歩づつでも成長しているという「進歩感」が、幸福とか楽しさに繋がっているのだろうと感じる。

その六:毎年スローガンを決めること 毎年1回
会社を辞めて以来、ず~っと続けていることの一つである。
ここ数年でそのやり方も、私なりに変化してきている。色々な友人と長く付き合いを続けていると、自分も含め、「人には人生の四季がある」と感じ始めたからだ。春・夏・秋・冬の法則があるように思う。
そして、春・夏・秋・冬、それぞれの季節に応じた過ごし方や成長の仕方があると思う。例えば「冬」の時期は、木枯らしが吹いたり暗くて厳しいことが多いけれど、この時に無理をせずコツコツと次の季節に備えて準備・努力を行うと、次の季節がより豊かになるというように。一つの季節が大体何年周期なのかは人によって違うようにも感じる。
私の場合は、ここ最近は、春夏秋冬を意識しながら、9年1サイクルを意識している。
例えば「1の年はスタートの時期だから何か新しいことを始めてみよう」など。そして自分の大切にしている価値基準に照らし合わせて、色々やることを大雑把に決めていく。これを毎年1回、年末の12月に仲間と共に行っている。
そうやって今後の2-30年の人生に向けて、1年間の大きな的を決めておくと、自然と身のまわりに何かしら必要なことが起きてくるから止められない。
知らない人が聞いたら「うっそ~!そんなに簡単に起きてくるわけないよ」と言いそうだが、そう言う人の場合、大体持っている「目標」とか「評価の基準」が私よりも高いのだと思う。
私の場合は、変化や成果は小さなことでも逃さず「やった!」と思うようにしている。そして次の一歩をどうしようかな~っと"ラフ"に考えるようにしている。大体私は、目標に向かってキチキチっと全体プランを作り、根をつめて取組んでいくのはあまり好きではない。多分、そんな風に取組むと、あまり楽しくなくなってしまうので、本末転倒になってしまうからだと思う。根っからお気楽で飽き性なんだろう。
もしかしたら、私の場合、これが「人生をより楽しく生きる」ための核になっているのではないかと感じる。

その七:家族との時間を大事にすること
夫婦、母・姉・甥・姪など、やっぱり感謝と思いやりを持って接することが大事だと思う。
家族とのコミュニケーションや関係は、社会との関わり方の基本になっていると思うので、おろそかにしてはいけないと感じる。
夫婦喧嘩して上手くいっていないと、イライラしていることが多くて、出る言葉もキツいことが多い。
ソニー生命の友人は、「夫婦仲が上手く行っていない奴は、表情や行動に出るから、周りはみ~んな分かっちゃう。そういう奴がいると、周りで"アイツ、絶対奥さんと最近上手くいってないよね..って、噂しちゃうんだよね。」と笑いながら言っていたが、その通りだと思う。
家族は身近ゆえに、相手に対してある種の期待(~するべき/あるべき)とか、甘え(ほっといても大丈夫/言わなくても分かるはず)が出やすいものだと思う。だから、やっぱり一緒に過ごす時間を、良いものにしようと思っておくのが、私なりの楽しさ/円満のコツかもしれない。
そうやって家族とのことも、相手の立場になって考えて行動すると、相手からも同じような反応が返ってきたり、おのずと会話にも楽しさやゆとりが出てくる。
(生身の人間ですから、時々憎まれ口をたたいて母・姉に叱られたり、相方をシャープな一言で恐怖のどん底ぎょに突き落とすことがありますが、私なりに努力はしています。(ハハハ)オッケー
相手に喜んで貰うと、自分も嬉しくなるのは、当たり前のようでいて日常忘れがちなことだと思う。むむっ

その八:人の役に立つことをする 気づいたら
つまりは、誰かに喜んで貰ったり、感謝されると、自分が嬉しくなってHappyになる。
といって、何か頑張ってボランティアに精を出しているわけではないし、特にマザーテレサのようになりたいというわけではない。
この八番目は、一番目から七番目までを意識すると、結果として八番目にたどり着くのではないかと感じる。
心に余裕と楽しさを持って、人に感謝し学ぶ姿勢を続けていると、おのずとWin-Winの気持ち、人を勝たせて自分も勝つという意識になるのだと思う。
何かしら誰かの役に立てる人でありたいなぁ..という感じ。
だから日々、仕事とか生活の中で、周りをよく観て出来る範囲で行動している。
自分がしたことで相手が喜んでいるのが分かると、私の場合、益々「頑張ろう!グー」と思ったり、「仕事続けていて良かったなぁにこっ」とか「見知らぬ人だけど何か共鳴したな~love」など、しばらくはとってもいい気持ちが続く。
だから人生を楽しく生きたかったら、人の役に立つことをするというのは、外せない。

ねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこねこ

人生をエンジョイする工夫は人によって違うものだろうけど、こうやってまとめてみると面白い。
もしかしたら、この先、また年齢を重ねるごとに、この八か条に何か加わるのかもしれないが、それもまた楽しみなのかもしれない。



徒然なるままに : 15:21 : comments (x) : trackback (x)
母と娘

7月の3連休、山中湖に新しくオープンした
エクシブの"サンクチュアリ・ヴィラ"に宿泊した。

蒸し暑いヒートアイランドをちょっとの間、離れることが出来る。
そして、久しぶりの母、姉、私の親子三人での旅となる。

本来はここに姪も来る予定だったが、試験の最中で参加できなかった。
"食いしん坊"で好奇心の強い姪のことゆえ、この旅を逃したことは、さぞかし残念だったろうと察する。
私が仕事の関係で日程を変更したためで、姪には悪いことをしたと思う。しょぼん
(あずさ、ごめんね。次回埋め合わせるからね。)

ホテルに到着後、メインロビーで出されたジュースを飲みながら、
新しい施設をキョロキョロと見回す。
天井の高いロビーの両サイドには、イタリアンレストランとライブラリーがある。
イタリアン・レストランはそれぞれが個室ということで扉がピタリと閉ざされているので、中を見ることはできない。
奥の壁は、富士山が見えるように、庭に出る扉をはさんで、全面がガラス貼りになっている。

となると、やっぱりガラスの扉を開けて、庭に出てみたくなる。

山中湖の後ろにそびえる富士山は、
真綿にくるまれたように雲が取り囲んでいる。


空気はひんやりと冷たく、季節が夏であることを忘れてしまいそうだ。
ここには、温泉があるのでちょうどいいかもしれないと思う。オッケー



お腹がすいた私達は、
ホテルの車に乗って、サンクチュアリから軽く食事が取れる本館のラウンジへ移動。車
車といっても、ほんの1分くらいの距離である。

しかしながら、ずっと坂道を登ることになるので、
姉と私にとっては、歩けばちょうど良い運動になるが、
坐骨神経痛持ちの母にとってはちょっと厳しい道となる。

話しは変わるが、
ウチの母は、お昼に甘いものを食べる習慣がある。
ホットケーキ、菓子パン、ケーキなどのスイーツを必ず食べる。
お昼に外食しお蕎麦やパスタなどを食べても、必ず食後にデザートを食べる。
(戦時中の砂糖が欠乏している時代に育っているので、甘いものを求めるようになったのかもしれない。)

そして、私と姉の母、3人の中で最もよく食べる人は、"母"である。
齢70歳を超えても、食に対する好奇心は衰えていない。

この日も、いそいそとメニューから大好きなチョコレート系のケーキを選んでいた。




母は、甘いもの好きで、かつよく食べる人だが、太っているわけではない。
おそらく体質なんだろうと思う。
身長は150センチに満たないので、小柄で機敏にサササと動くタイプの人である。

だから私は、母をみると、ナッツなど"木の実"を連想してしまう。
小さいけれど、栄養が詰まっていて、歯ごたえがあり風味もしっかりとある。
だから母は実際に話したり付き合ってみると面白い。

いつの頃からだろうか、
私が大人になってからは、母のことを可愛いい人だと感じるようになった。

子供の頃は、母が般若のような怖ろしい形相で私達を叱るので、母のことはある意味怖ろしかった。(笑)

「何回言ったら分かるの~!!駄目だって言ったでしょう!!!!」
という母の怒った時の声とパワーをよく憶えている。

こうやって子供心にも、女性というのは感情的でおっかない生き物なんだと悟ったように思う。
そして、母の機嫌が悪い時に、尻尾を踏んではいけない....と。

大体にして、怒られるとき、私は姉の横で小さくなって目立たなくしていたように思う。
もしくは怒られる前にその予兆を察し、くるりと回避するなど。
妹の要領の良さは、こういったシチュエーションで磨かれるのかもしれない。むむっ

その点、姉は子供の頃からおっとりしていて、
母の怒りのバロメーターの変化に気づかないことがたびたび合った。

例えば、夕食後のお皿洗いを姉が母から頼まれたとする。
姉は「いいよ、私がやるから」と快く引き受ける。

しかしのんびり屋の姉は、皿洗いを引き受けたものの、
自分の好きなTV番組が始まってしまうと、居間でTVにじ~っと見入っている。

母は性格的に、ものごとは速やかにサッサと片付けるのを信条としている。
だから、姉ののんびりした様子を見ながらイライラしてくる。
最初は比較的冷静な声で、姉に声をかける。

「祐子、お皿洗わないの?」

「洗うよ。」
と母の声には振返りもせずにテレビを見ながら答える姉。

あ、、まずいな...と空気を感じ取る妹の私。きゅー

しばらくそんなやり取りが母と姉の間で続く。

その内、業を煮やした母が、
「もういい!!やらなくても。私がやるから!」
と腹立ち紛れにクワ~っと叫び、小さな体ですばやく台所に突き進む。

あ~やっぱり来た。あうっ
"お姉ちゃん、なんでお母さん怒るの分からないんだろう"と内心思う妹。

姉は姉で、自分がやるといったのに、母がお皿を洗い始めてしまったのを見て、あせって台所へと立つ。

「やるって言ってるんだから、テレビの後でもいいじゃない~。」
と半ば泣きそうになりながら、母を説得しようとする姉。

「こういうものは、すぐにやらなくてはならないものなの!」
と譲らない母。(母は潔癖症に近いくらいの綺麗好きでもある)

「今洗っても、後で洗っても、洗うことには変わりないじゃない~」
と必死で訴える姉の言葉は、宙をさまように力なく漂い細く消えていく。

母のテキパキお皿洗いをしている背中からは、
無言の「そんなの駄目です」オーラが燦然と放たれているからだ。

そんなノンビリ屋の姉も、今ではお皿も速やかに洗うテキパキした主婦になっていることを考えると、
母のあのピリっと怖い理屈を超えた?教育のせいかもしれない..。

そんな母も私達が大きくなると、叱ることはなくなった。
"娘も大人だから、もう言うのはよそう。"と思ってのことと以前は解釈していたが、
母よりもはるかに身長の高い私達を怒るとき、母は上を見上げて説教しなくてはならない。
その姿に、密かに滑稽さを感じていたのかもしれない。

さて私達姉妹は、そんな怒った母が怖かったとしても、母のことは大好きであった。
母が愛情深く家族や子供を大事にする人だからということもあるが、
母には天然系のユーモアがあるので、家に中にいつも笑いがあったことも大きいと感じる。

考えてみると、今でも母は、
私達姉妹が困っている時には、いつも尋常ではない素速さで、"目の前に登場する"のである。
「さぁ、私が来たから大丈夫よ!」という感じで、まさに助っ人登場である。
父が生きている頃は、おそらくノンビリ屋の父をたきつけて、車を運転させていたのだろうと思う。

幾つになっても、美味しいものには目がなく、
ワクワクするエネルギーを持つ母は、若々しくて可愛らしい人であると思う。
それと同時に、相手の心情を感じ取り、相手が手ひどい失敗をしたときは、決して責めず判断せず、話しをただじっと聞くことのできる懐の深さを持つ人であると思う。

先週のある日の午後、ティモシー・マクリーンというアメリカ人のカウンセラーの男性と会った。
仕事の話しを色々と聞き、お互いに情報交換するためだ。

そのティムが、私のことをこんな風に語った。
「Fumiさんは、若いワクワクするような女性のエネルギーと、落ち着いた大人の女性のエネルギーの両方を持っていますね」と。

私はその彼の言葉を聴いて、ハっとした。
それは、私が母に感じている雰囲気そのものだからである。

私も母のような可愛いおばあちゃんになれるのかなぁ.....なれたらいいけど、
そのためには、母から学ぶべき点が、多々あるのでしょうねぇ。
もっと、話しを聞かなくては!!


徒然なるままに : 11:33 : comments (x) : trackback (x)
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