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清方ノスタルジア 風雅な美

姉と母に誘われて、東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で、「清方ノスタルジア」を観ることにした。
鏑木清方の日本画の展示である。

最近、知合いが購入した日本画を観て以来、日本画への関心が高まってきている。

実は東京ミッドタウンに出来た「サントリー美術館」へ行くのは初めてであるむむっ


というよりも東京ミッドタウンには、これまで2度しか行ったことがない。
1回目は、食事の後で友人らと連れ立って、1階にあるバーか何かでワインを飲み、
2回目はオフィス棟に会社がある友人と会ってランチを食べただけである。

そういう意味でも、ミッドタウンを探訪できる今回はいい機会である。



期待に胸を膨らませながら入場すると、まず下記の「春雪」の絵にすぐにパっと目を惹きつけられた。


昭和21年、清方が68歳の時の作品で、
清方が戦争中に、鎌倉から再疎開した先の御殿場で描いたものだそうである。

清方は暗い戦争のさなか、富士山の美しさに心を癒されて絵筆を取ったのかもしれない。
女性の結い上げた髪の生え際と、うなじの柔らかさの、はかない美しさに目を奪われてしまう。

岩絵の具を使った、自然な色合いは、本当に心に優しく染み入ってくる感じがする。
どの絵の女性が着ている着物と帯を見ても、色合いが美しく、心が落ち着いてくる。

東京の神田で生まれた清方が育った明治の時代には、まだ街中に江戸の面影を残す情緒豊かな景色がたくさん残っていたのだろう。
木造の建物、川にかかる橋、町で商売を営む人々の暮らしぶり、着物、結い上げた女性の髪、、
おそらく、今のように豊かでなくとも、文化的にも精神的にも、熟成し調和の取れた美しさが、そこにはあったのだと思う。

どの絵を見ても、時の流れの緩やかさを感じる。
女性はどこまでも、可憐で、実際の女性よりも、ずっと儚く美しく優しさに満ちている
だから、見ているだけで、自分の呼吸が深く整ってくるような感じがして、身体の力が抜けていくようだ。

明治から大正の時代を生きた女性の美しさは、やっぱり今の女性の美しさとは違う。

一緒にいた母は、懐かしむような声で、
「何だか、絵の女の人を見ていると、死んだ坂東の薫おばぁちゃんのことを思い出すわぁ~」と何度か繰り返しため息をついていた。
どうやら、母は、母にとっては義理の母となる、父方の祖母を思い出したらしい。

私は、母の言葉を聞いて、ふと祖母が亡くなったときの父のとても悲しそうな顔を思い出してしまった。
父は葬儀のときに、「あんなに優しい女性はいなかった.....」と、遠くを見ながらしみじみとつぶやいた。

そして、私は、立ち姿の女性の絵を眺めながら、どんなことも寛容に受け止めた父の優しさは、祖母譲りだったのかもしれないと考えてしまう。

そんな思いの中にいると、何だか、まさに“ノスタルジア”な世界に迷い込んでしまったよう。
清方の絵を前にして、少しぼやけてセピアのように色あせた、父の静かな笑顔と祖母の顔を思い浮かべてしまった。


ふと、父と祖母のいた過去の記憶をなぞりながら、清方の絵を一つひとつ眺めている内に、あることに気がついた。

それは、描かれた女性の多くが、みな一様に着物をゆる~く着ている点だ。
もちろん花街の女性を描いたものも多いので、ゆるく着物を着ている女性も多いのだろうが、
普通の女性も含めて、皆キッチリと着物を着ておらず、ゆる~い感じなのだ。
このゆるさ加減が、観ている自分の肩の力を抜く作用もあるんじゃないかと思えてしまう。

目を節目がちにして、ゆる~く、そして縦長に見えるよう服を着ると、女性はエレガントで儚く美しく見えるのかもしれない....

こんなに女性の立ち姿やポーズが美しく見えるならば、ちょっと取り入れてみようかしらなどと、考えてしまった。
柔らかい素材の服を選び、縦長細身で、気持ちルーズなシルエットを作るというのがポイントかもしれない。

ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2ボックス2

ちなみに、展示されている作品数は、若干清方以外の作品も含まれるが、他の美術館や個人のコレクションから集めてきたもので120点以上ある。
時間があれば、もう一度見に行ってみたい。

さて、私たちは、少し歩きつかれた足を休めるために、ミッドタウンの建物エントランス部分にあるスタバでコーヒーを飲むことにした。コーヒー
美しい絵を鑑賞して、一息入れるときの充実感、都会に住んでいることの便利さを感じる瞬間である。
座ってコーヒーを飲みながら、ふと上を見上げると、思いのほか、組まれた柱と天井が綺麗なことに気づいた。


自宅に戻って空を見あげて気づいたが、綺麗な月である。
この月を眺めながら、今晩は残った仕事を片付けることにしようねこ




徒然なるままに : 15:24 : comments (x) : trackback (x)
プライベートを楽しめるイタリアン

東麻布にあるイケメン・シェフのイタリアンレストラン、「クッチーナ・ジャンニ」で食事をした。
興味のある方は、「ここ」をクリックして。


レストラン、ショップ : 14:26 : comments (x) : trackback (x)
初めてのヨロン

11月の勤労感謝の日を利用して、与論島へ出発した。チョキ

ANAの7時発の那覇行きの飛行機の中で、仕事気分はすっかり抜け、すでに休暇モードになっている。
初めて行く場所は、やはりワクワクする。にこっlove

「那覇空港」に着くと11月なのに暑い。太陽
次の飛行機の登場まで、2時間近くある。暑がりの友人は、早速着ていた服を1枚脱いでいる。

与論島へは、琉球エアーを使って乗り継ぐ。
与論島は鹿児島県となるが、沖縄からの方がずっと近い。


沖縄よりも、北部にあるためか、この時期の与論島は沖縄よりもやや寒い。
招待してくれた知合いは、11月は最高の時期だと言っていたが、元気に泳ぐにはちと寒いように感じた。むむっ

宿泊する先は、「楽園荘」
与論島に到着すると、若女将が「楽園荘」と書かれた案内を持って、立っている。
(島根県出身で、美人な人である。1年位前に結婚して移ってきたそうだ。ダイビングが大好きだそうだ。)


楽園荘に到着して、荷をほどいて一息ついた後、
近所の「皆田海岸」まで散歩することにした。

夕暮れ時で、空は曇っていたが、皆田海岸は綺麗だった。
水は透明度が高くて、浜は白く、まるでプールの水のように青く見える。


浜に行くと、漁を終えたおじいさんが、釣った魚をさばいていた。
おじいさんに声をかけると
「イカと針千本、獲れたんだぁ。今日はちょっと時間がかかったなぁ~」と言う。

写真は、その“針千本”の写真である。目が大きくて離れていてユーモラスな風体が可笑しい。ハート
怒ると水を含んでプーっと風船のように膨らみ、太い針を全身に立てて身を守ろうとする。
可愛いが美味しくなさそうだな、、と眺めながらついつい思ってしまう汗



夕日を散歩しながら眺めた後は、宿に帰って、食堂で用意されていた夕食を食べる。
そして、部屋に戻って時計を見ると、なんとまだ7時30分である。ぎょ
外は真っ暗で何もないし、テレビも4チャンネルしかない。あうっ
この後の時間、一体どうしたら、いいんだろうか...。

どうしたらいいのか分からなくなった私達は、とりあえず食堂の冷蔵庫にシャンパンがあったことを思い出し、再び食堂へと向かう。
“やっぱり、あった!”と喜び、とりあえず若女将に、幾らか聞いてみた。
すると、「あっ、別にいいです。勝手に飲んでください、お金要りません」と言う。

「あの、悪いので、、」というと、「大丈夫です」とまた答える。

なんとも不思議な、商売っ気のない宿だわと思いながら、あれやこれや、長い夜を二人でシャンパン飲んで過ごすことにした。


雲雲曇りのち雨曇りのち雨雲雲雲雲曇りのち雨

2日目の朝は、ポツポツと時々雨を感じるあいにくの曇り空曇り
ちょっと肌寒い感じがする。

この日のお昼は、リクエストして、亡くなった森瑤子さん推薦のあの「ヨロン丼」を作って貰った。にかっ
楽園荘のおばあさんが、森瑤子さんの料理本である「森瑤子の料理手帖」を持っていたらしい。
このヨロン丼、思ったとおりかなり美味しい!オッケーオッケー
楽園荘に感謝!


宿にあるその森瑤子の「料理手帖」をパラパラとめくると、美味しそうな料理のレシピが、森さんのライフスタイルを紹介しながら、沢山掲載されている。
写真は、おそらくヨロン島の森さんの別荘の側で、ご飯のおかずとなる魚を釣っている森さんだろう。


イギリス人のご主人と結婚したためだろうと思うが、欧風な料理も多いが、和とアジアの創作系のような料理もある。
どれも食通であった森さんの幅広い味覚から練られた魅力的な料理が多く、たちどころに興味を惹かれてしまった。
行動の早い私は、その日のうちに早速ネットで、中古本を買ってしまった。むむっ
“しゃこ貝の潮水サラダ”、“パパイヤとかにのサラダ”など、暑い日に飲む冷えた白ワインとピッタリ合いそう。オッケー

下の写真は、別荘の中庭で、パーティの準備をしている森さんである。
テーブルは、ヨロンでサバニと呼ばれる小船を使っている。


今、この別荘の中庭は、ヨロン島で結婚式をあげるカップルのために、ガーデン・ウェディングとして貸し出されているそうだ。
英国人の牧師さんが結婚式を挙げるらしい。

本園さんの案内で、近所にある森さんの別荘へ行ってみたが、アプローチの作り方、ガジュマルや彩の綺麗な花などの植栽、コテージ風の建物、中庭、プライベートビーチも含めてまさにアジアのリゾート、楽園そのものに見えた。
エッセイにヨロンのことを恋人のように語っていたが、その気持ちがよく分かった。

本園さんの話しによれば、彼が子供の頃、開放的な森さんは、プライベート・ビーチでスッポンポンになって泳いでいたそう。
ヨロンの少年にとっては、衝撃的な思い出だそうだ。

下の写真は、別荘のすぐ横に創られた森さんのお墓である。
確か森さんはガンで亡くなる前に、葬儀の方法や埋葬、お墓のことまで全て自分で決めていた。
ヨロンの海を愛した森さんらしく、海を見下ろせるように創られている。


森さんの別荘に立ち寄った後は、ヨロンの民族村へ出かけた。
魚、貝、植物など、地にあるものを、すべて最後まで有効的に使い、
自然と上手く調和した暮らしを送っていた島民の、伝統的なライフスタイルや住居の話しは興味深いと感じた。

あいにくの曇り空とポツポツと時折降る肌寒い天気。曇り

私達は車で5分くらいの場所にある陶芸の工房で、陶器を作ることにした。
陶芸の先生は、60代の女性陶芸作家で、ヨロン島ならではの青を生かして作品を作っているようだ。
工房の入り口や中には、先生の作品が沢山並んでいた。

私は、やや大きめのシンプルなお皿を2枚作ることにした。
手作りの工芸は、幾つになっても楽しいものである。
二人共、すっかり夢中になって作ってしまった。むむっ
この後、工房の釜で焼いてもらい、1ヶ月後には自宅に届けてくれる。
待ち遠しい~love


工房を出て表に進むと、なんと生まれたばかりのヤギの赤ちゃんがぎょ
島ではヤギをたまに見かける。


楽園荘でも、ヤギをペットとして二匹飼っているが、若女将の奥様が時々散歩に連れて行くらしい。

ちなみに、ヨロンでは黒毛牛が沢山飼育されている。
島民の数よりも牛の数の方が多いとのこと。ニュージーランドの羊と島民みたいだ。
しかし、何でも、ここの黒毛牛が数年たつと国内の畜産業者に購入され、その後産地の○○牛とかブランドが付いて売られているらしい。むむっ

月星月星月星月星月星月星

2日目の夜は、宿の食堂で夕食後、ヨロン名物/伝統の「ヨロン献奉」を体験した。

「ヨロン献奉」とは、鹿児島藩の治世の時代から始まったらしい。
鹿児島藩に年貢となる、焼酎を納めるのだが、島で作った焼酎は地元民も楽しめるように取っておくのが習慣で、取っておいた焼酎は、皆で集まり、杯で回し飲みしてありがたく頂戴するという習慣が根付いたようだ。
ちなみに、親が皆に注いで回ることになるのだが、親から注がれた杯は一気飲みするのが流儀である。
そして、一揆飲みした後は、残った焼酎を手のひらにつけて、頭にかけるのもお約束のようである。

まずは楽園荘の本園さんが、親となり「有泉」(ゆうせん)という焼酎の一升瓶の蓋を開けて皆に注いで回る。


この日は援軍?の、「サンシャインヨロン」のコウジ君がやってきていた。
彼は数年前まで東京で仕事をしていたが、
3人の姉と2人の妹を持つ長男で、跡を継ぐためにヨロンに戻ったらしい。


ヨロン献奉後は、本園さん達と一緒に、名物の「かりゆしバンド」の演奏を聴きに、島の「中心部へ出かけた。


しかし、ここでもまた“ヨロン献奉”は続く...
まぁ、杯の中に氷を沢山いれているので、一気飲みも何とか、フゥ~


「かりゆしバンド」は皆で演奏を聴くというよりも、皆“踊って”いる。
沖縄の踊りにもよく似た動きだが、この際、乗ってしまおうと決めた私も遠慮なく踊りを楽しんだ。チョキ

晴れのち曇り晴れのち曇り太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽

3日目の朝は、雨という予報だったが、曇りと晴れ。晴れのち曇り
こうなると思ったよりも、暖かい。Tシャツ1枚でもOKという感じだ。

本園さんの提案で、この日はシュノーケリングをすることになった。
暖かい感じはするが、やっぱり11月。風が吹くと寒いので、宿からウェットスーツを借りることにした。
(しかし、“11月は最高のシーズンですぞ”と紹介者からは聞いていたのだが、島民やリピーターからは間逆の話しを聴いた。あの話しは一体....。)

海までは、軽トラックの荷台の上に乗って移動する。
軽トラックの荷台に立って、海まで進む感じは、とっても楽しい。

寒がりの私は全身用のウェットスーツを選び、暑がりの友人は短いウェットスーツを着る。
海に入る前に堤防にたたずむ女二人。
写真を見て思ったが、まったくサマになっていない。(私は15メートルしか泳げないし、友人はもっとひどい)


しかし、海の中はパラダイスである。
本園さんが運転するジェットスキーに3人で乗って、「百合が浜」(夏の干潮時に潮が引くと白くて丸い砂地が姿をポッカリ姿を現すが、この時期には見られない)を目指すと、右手側に、森瑤子の別荘とプライベートビーチが見える。

ゴ~ン、ゴ~ンとジェットスキーで波を乗り越えながら、海を眺めると、今まで見たことがないような、嘘みたいな青さ、コバルトブルーの海が広がっている。


夏になると、百合が浜や皆田海岸は、風がなくベタ凪ぎとなるため、まるでホテルのプールそのもの、鏡のようになるらしい。

皆田海岸でのシュノーケルでは、静かで少し怖いくらい平和な海底を覗けた。
白い海底の上には、様々な珊瑚と、多種の熱帯魚、蛍光グリーンのように明る藻がソヨソヨとなびいている。

そして、ポイントを変えると、
今度は、ものすごく綺麗で幻想的な「紫色のイソギンチャク」と、その中に引きこもっている“隠れクマノミ”を発見。
「ニモだぁ~」と喜んでしまった。

星星星星月月月月月

この日の夜、宿の食堂で夕食の席につくと、広島から来られたという一人旅の女性がいた。
ダイビングが目的である。彼女は、ダイビングが大好きでよくヨロンか宮古島に来ているらしい。
気がつくと、私達以外の宿泊客の殆どが、ダイバーである。

“命”に関わるような遊びが苦手で、生きることへの執着心の強い私達二人は、この先ダイビングにはまることはないと思うのだが、シュノーケリングでも十分に楽しい。

森さんのようなプライベート・ビーチを備えた別荘でも持てたら、最高だろうなと思う。
毎年友人を招いて、料理作って、泳いで釣して、美味しい酒飲んで、夕日や星空眺めて悦に入ると思う。
読みたい本や、映画を用意して、行くだろう。それに陶芸にすっかりはまるかもしれない。

4日目の昼間、そんな空想を膨らませながら、また訪れる日に備えて、私達は最後の海に別れを告げることにした。







旅行 : 11:58 : comments (x) : trackback (x)
歴史的転換点を迎えた日本政治

11月19日、六本木のアカデミーヒルズで開催されたランチョン・セミナーの「歴史的転換点を迎えた日本政治」に出席した。
講師はコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授である。

今回の政権交代を日米関係の第一人者である、カーティス教授がどう見ているのかについて興味があり、昼間ではあったが、参加することにした。



日本の民主主義は、世界大戦後の〝アメリカによってもたらされた〟という印象を持っている人が多いのではないかと思うが、大正デモクラシー以降、日本は独自の民主主義政治を行ってきている。

カーティス教授は、大正時代から始まった日本の民主主義政治が、大きな転換点を迎えているという。

大きな転換とは何か?
今まで政府と政党との間でダブルで作られていた政策が、初めて政府と政党とで1本化されて作成されるようになったことだ。

つまり、これまでの〝日本的民主主義〟の中では、政府=官僚+内閣府であり、与党である自民党の内閣府は、官僚主導によって政策を作っていた。
また他方では、政党の中でも政策を作成している。ゆえに官僚からあがってきた政府の政策と、政党内であがってくる政策を調整する必要がある。
そこで、政府と与党の間では、調整を行い一致させるための連絡会議を行ってきた。
これまで、政権を取った大物政治家は、内閣に入らずとも、影響力を発揮できる「総務会長」、「政調会長」、「幹事長」の三役のポストにつくことになっていた。

しかし、民主党は大正時代の1920年からずっと続いてきた、この政策決定のシステムを、たったの数週間で変化させた。

「政府」と「政党」とが分かれずに、政策を作る仕組みに変えたのだ。
管直人国家戦略担当大臣は、連絡会議となる「政調会」を廃止した。

さらにカーティス教授は、民主党の小沢幹事長は、以前からこの構想を持っていたと言う。
英国のウエスト・ミニスター式の民主主義を下敷きに、この新しい試みを始めたとしている。

しかし、話しは飛ぶが、
自民党の内閣が官僚に任せて政策を作らせるという手法、何となく日本企業の経営の仕方に似ていると感じる。むむっ

日本企業の事業部長などの部門のトップは、優秀なNo2となる部下に、事業計画などの下案を作成させるケースが非常に多い。会社のトップも経営企画室に、経営方針を書かせたりする。

ところが、外資系企業の場合は違う。
MBAを持つマネジメントが、自分たちでビジネスプランとなる事業計画書を作成する。

そう考えると....
もしかして、これって日本の民主主義の伝統というよりは、日本の組織文化???
長く太平の時代が続いた江戸時代の、世襲制のお殿様を支えた徳川政治の名残りであろうか....。

それとも、集団合議やチームワークを尊重するがゆえに、現場を知るNo2の部下に、下からの意見を反映させた事業計画を練らせることが目的であろうか?

まぁ、話しは飛んでしまったが、
要するに、今回の政権交代によって、
この日本的民主主義の政策決定のプロセスを一本化し、
大きく変えたことの意味が大きいとカーティス教授を述べていた。

しかしながら、今後の課題としては、日本のマスコミ同様に、下記の点を指摘している。

*経済環境や国民の要求と合致していないマニフェストを死守する姿勢
*首相のアカウンタビリティ(国民に対する説得力)
*少数議席しかない社民党、国民新党に振り回されている実態
(普天間基地移設の問題、郵政民営化の逆行をいく路線)
*官僚を使いこなせず疲弊している大臣、スタッフを有効活用していない(岡田さんと長妻さん?)
*自民党が選挙の大敗を総括できず崩壊しそうに見える→せっかく実現した二大政党制が崩れる
*首相、大臣がそれぞれメディアに対して一致せずにバラバラな発言をしている
*消費者への対策はあっても、経済の成長戦略がない
*日米間の不信感



上記の問題については、同感である。

特に、私の場合、大手企業との仕事が多いので、マクロ経済に対する刺激策や、成長戦略が未だ作られていない点など、今後の景気を考えると、本当にうんざりする。

政策を決めるプロセスを変えたのはいいけれど、中身はどうなるんじゃ~グー


政治、社会 : 14:54 : comments (x) : trackback (x)
富士山と紅葉

むむっ父が生きていた時は、母と三人でよく山中湖か箱根に紅葉を楽しみに出かけていた。
大体11月の第1週の週末であったと思う。

今年は、従姉妹と母と私の三人で出かけた。
運の良いことに、今年は先週末が、紅葉の見頃の時期と重なったようだ。

赤く燃えるようなもみじと、楓の色が折り重なってものすごく綺麗である。


この日は、思った以上に気温が高く、山中湖に着いたら、車の幌を上げてオープンにしてドライブすることにした。太陽

車の幌を上げて、エンジンをスタートさせてから、後ろのシートに座っている母をバックミラーで確認すると、オレンジ色の花柄のスカーフを〝マチコ巻き〟にして、めがねをかけている。

ふと、その母の姿を見て、何かに似ていると気づいた。
はっきりと思い出せないけれど、何かによく似ている。

こういうことを思い出せないって気持ち悪い。むむっ
しばらく運転しながら、記憶を辿っていたらようやく思い出した!

マトリョーシカである!
あのロシアのお土産に出てくる、人形の中に人形が入っていて、またその人形の中に人形が入っていてと延々と続く、一度見たら絶対に忘れない木製のお人形である。
そう、あのマトリョーシカに似ているのである。

母は首が短いせいか、スカーフを頭からマチコ巻き風に巻いても、首のところで細くならずに、頭頂部から流線型のようなシルエットに出来上がっている。
ちょうどアザラシが、水から頭を出したときのような感じである。

思い出したことですっかり嬉しくなり、運転しながら後ろを振り向きざまに、
「お母さん、今の姿、マトリョーシカに似てる!」と大きな声で言ってしまった。

隣のシートに座っていた従姉妹は、爆笑。
母は、「マトリョーシカって一体何よ?」といぶかしんでいる。

うちの母は、サングラスをかけているときは、一見「オノ・ヨーコ」風のおばあちゃんなのだが、スカーフをマチコ巻きにすると、マトリョーシカに変身できることを発見。にこっ

それにしても、良いお天気である。太陽
青い空と富士山、湖畔の眺め、紅葉、女三人、ドライブをしながら
「何かすご~く、綺麗じゃない~、すごくいいよねぇ」と盛り上がった。

ふと亡くなった父が、空の上から、この姿を見ているかもしれないと感じた。

曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り曇り雲雲雲雲雲雲雲雲雲雲

ホテルでは温泉に入った後に、夕食を、中華レストラン〝翠陽〟で食べることにした。

前菜の盛り合わせ


甲州地鶏とフカヒレおぼろスープ淡雪仕立て


こんにゃくシートの野菜5色巻き


ワインは、自宅から誕生日の時に頂いたイタリアの赤ワインを持ち込ませて貰った。
レストランで気を利かせてくれて、1時間前位にボトルを開けておいたらしい。
ほんの少しチョコレートの香りがする深みのあるカベルネで美味しい!
贈ってくれたIさんに心より感謝である。


太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽太陽

翌朝、従姉妹がセットした目覚ましのピピピピっという大きな音でパっと目が覚めてしまった。ぎょ
時計を見たら、まだ朝の6時である。きゅー
なんとも、リゾートでこの時間に目が覚めるとは....

しかし、その早起きにはご褒美があった。

朝焼けに染まる富士山を部屋の窓から見ることが出来た。
山中湖畔の上には霧もしくは雲?が漂い、とっても幻想的である。


山頂の雪の帽子は、朝日に染まって薄オレンジ色に見える。


しかし、1時間もたたないうちに、朝焼けは終わり、
白い世界が再び戻ってきた。


美しい~


旅行 : 19:14 : comments (x) : trackback (x)
もうすぐ楽園

時が経つのは早いもので、もう11月である。
昨日は、風も冷たくコートを着て出かけたが、私以外にも着込んでいる人が多い。

昨日の夜は、最近、外国人の間で話題になっている表参道駅近くのTwoRoomsというレストランに出かけた。

詳しく知りたい方は、以下のブログを覗いてみて下さいませ。
Two rooms

さて、寒くなってきたこの時期、知り合いの方から招待されて、
再来週から、「与論島」へ遊びに行くことになった。

与論島にいくのは今回が初めてなので、とても楽しみである。

学生時代、森遥子さんの本をよく読んでいたのだが、森さんのエッセイの中に、時々この与論島での滞在のことが書かれていた。

森さんがエッセイを書かれていた当時は、与論島は本当に素朴であまり開発されておらず、海がものすごく綺麗で自然の豊かな小さな島であったのだろうと思う。(今でもそうかもしれないが)地上の楽園というイメージがある。

森さんは、イギリス人のご主人と、3人の娘を連れてよく滞在していたようだ。
確かオイル・サーデンを炒めて熱々のご飯の上に乗っけて、醤油で食べるシンプルなオイルサーデンの“ヨロン丼”のことを、涙が出るほど美味しいと書いていた。
私は、当時、その“ヨロン丼”ていったいどんなに美味しいものなんだろう???と想像を膨らませしながら、読んでいた。
その頃から、やはり“食い意地”が張っていたのかもしれない。

しかしながら、私は鰯、鯖などの魚よりも、ウニとかイクラ、アワビ、牡蠣がどちらかと言えば好きで、もっぱらすし屋でもそれらのものを多く頼む。
そういば、昔、主人が初めて私とすし屋でデートした時に、私が次から次へとウニ、アワビとか注文するので、財布の中身が心もとない彼は、顔は笑っていても内心は青ざめていたそうだ。
それから、彼は時々私のことを思い出したように、「ラッコちゃん」と呼ぶことがある。失礼な奴だ。むむっ

そうはいっても、あの森さんのエッセイに書かれていた与論島で食べる美味なるシンプルな“ヨロン丼”のことはずっと頭の片隅から消えず、私の中に貴重な情報としてしまい込まれている。
そんなに食べたければ、自宅で作って食べればいいものだろうが、場所が変われば空気も変わる。
今回、その“ヨロン丼”を、かの地で絶対に食べるつもりでいる。
これで長年の私の夢のひとつがかなう~といったら、オーバーかもしれないが、それくらい楽しみにしている。

それに、私は普通だと15メートル位しか泳げないのだが、シュノーケルと水中眼鏡をつけると、ずっと泳いでいられる。
息継ぎが出来ないので、長時間泳いでいられないのだ。
しかし、シュノーケルをつけると、息継ぎを気にせず浮いていられるので、楽チンである。
やはり、マイ・シュノーケルを携えて、今回は旅に出かけなくては。

また小さな島から見える、海から昇る朝日、夕日、月は格別だろうと思う。
日本酒かワインを片手に、じっくりと眺めるつもりである。

あ~、早く行きたくなってきたハート

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そういえば、先週書いたブログの中で、
デートの後、彼から連絡がないので嫌われた!と反応していた友人であるが、
月曜日に彼からメールで返信が来たらしい。

嫌われたわけじゃないみたい。彼からメールが来たにこっ
と友人から連絡があった。

そして、翌日の火曜日の夕方家に戻る途中、再び彼から電話があり、その日の夜の食事に誘われたらしい。

せっかく彼からのお誘いではあったけど、火曜日の夜はラグビーを観戦した後で、疲れていたから、断ったのよねうさぎ
“嫌われたぁ!やだ~”と騒いでいた割には、クールな対応である...。むむっ

そして、その3日後の金曜日に、再び彼から「これから飲みに行かない?」と誘われたようだが、
もう、自宅に戻ってパジャマに着替えて寝る準備をしていたところだったから、断って寝ることにしたのうさぎと言う。
ふ~ん、また断ったのか~。

たまたま2回も断っちゃったんだけど、どう思う?彼、気分悪くしたかしら?」
「なんとも言えないと思う。少なくとも約束していたのを断ったわけじゃなくて、急なお誘いだったしね」
そうだよねぇ~うさぎ

彼は、彼女から断られた後、「じゃ、週末にでも...」と語尾がしぼんでいくような声で、電話を切ったらしい。

今週、彼からのお誘いを2回続けて断った友人は、さすがに今度はさりげなく自分から彼にボールを投げることにした。

日曜日の昼頃、彼の「携帯メール」と「携帯電話」の留守電にメッセージを送った。
今日は友達とご飯を食べる予定なので、よかったら一緒に食べない?

しかし、その日、彼からそのメールに対する返信はなく、電話での連絡も来なかった。

友人はかなりムっとして
彼ってとっても失礼な奴だと思う!断るなら断る!で返事すべきだと思わない?」うさぎと言う。
「でも、電話持たないで出かけたとか、電波の通じにくいところで、何かしてるとか、、何かあるんじゃないかな?」
そんなわけは絶対にない。だって彼、2つも携帯あるし、いつでも持って歩いているもん。それに今までだったら、私が連絡すると、すぐに返信してきたのよね!うさぎ


男と女って、相性もあるし、気持ちのタイミングが噛み合わないと駄目だし、難しいものである。
もし、あの3回目のデートで彼女の気分が盛り上がったときに、彼が次のデートの約束をしていたとしたら、状況は変わっていたと思う。

友人のすぐにても結婚したいという気持ちを考えると、その彼が彼女にとって待ち望んでいた「ミスター・ライト」であればいいのになぁと思うが、この噛み合わなさを見ていると、二人のご縁はやはり薄いのかもしれない。

40代、独身、都心在住、皆忙しいお年頃である。いったい全体どんな風なラブライフを送っているのだろうか?








徒然なるままに : 17:18 : comments (x) : trackback (x)
相手を見る目がない?

先日、西麻布での食事を済ませ、お茶の場所へ友人と移動した。

友人は女性で、40歳、目下恋人を探している。
彼女の場合、割と男性から多く声がかかるのだが、次のステップに進むのが難しい。

一つには、あまり好みではない相手から声がかかる。
二つ目には、自分が良いと思った男性からは、気のない返事が返ってくる。

なかなか、上手くいかないのよぇ」と、ハーブティを飲みながら、友人はため息をつく。

土曜日の夜に、最近知り合った男性と、デートの予定があるらしい。
しかし、相手に対して、彼女はあまり魅力を感じないとのこと。

今度、3回目のデートになるんだけれど、今イチな感じなのしょぼん
「どうして?落ち着いた感じで性格も良さそうだし、食事の趣味もあうみたいじゃない?」ねこ

そうなんだけど、1回目のデートは期待していないで、出かけたから、連れて行ってくれたお店とか、選ぶ食事とか、私とピッタリ好みがあうし、彼の感じもよくて、意外な感じでビックリしたのようさぎ
「へぇ~、それで何が駄目なの」ねこ
それで2回目のデートにも出かけることにしたんだけれど、2回目のデートが何だかあんまりよくなかったんだよねうさぎ
「良くないって、どんな風に?」ねこ
彼って、何だかここにいないような感じで、こっちの目を見て話さないし、1時間ちょっと過ぎた辺りで結局お店を出たのうさぎ
「何か理由があるんじゃない?」ねこ
う~ん、私が選んだお店に行ったんだけれど、そこが落ち着かなかったのかもしれないし、それにちょうど海外との仕事の連絡があったみたいで、それに気を取られていたような気がするうさぎ
「ふ~ん、じゃ、仕事のことに頭が行ってたのかもね」ねこ
でも、私、その日彼が私の手の上に、自分の手を重ねようとした時、パっと引っ込めちゃったのよ。何だか、触られたくないって感じだったの。それで、〝あっ、駄目かも〟って思っちゃったうさぎ

なるほど、とっさに手を引っ込めたのか....。
それは、彼も、〝俺に気がない?〟っと思った可能性高しだなぁ。むむっ

「じゃ、生理的に駄目ってことかな?」ねこ
そんな感じ。私、ドンドン積極的に来るような人だと、身構えちゃうの。だから、勘違いされないように、1回目のデートの時なんか、モロ普段着っぽいジーンズに、白のワイシャツで、シャツは第1ボタンからキッチリ全部とめて、〝私はあなたに気がありません〟ていうメッセージを送ったもんうさぎ

う~む、極端なドレスダウンか。
相手はそれをどう見たんだろうか???

「それで、どうしてわざわざ3回目のデートに行くことにしたの?」ねこ
3回目のデート、結構、悩んだんだけれど、私って、これまで、ずっと相手を見る目がなかったような気がするのよ。だってこれまでそれで躓いてきたでしょう。だから一応、もう一度、トライしてみようかと思ってうさぎ
「なるほどねぇ、相手選びを間違えているかもしれないか。まぁトライしてみる価値はあるかもね」ねこ
そうなの。でもね、彼に〝好きだ〟って誤解されちゃ困るから、私は絶対にまたドレスアップして行かないつもりうさぎ
「1回目のデートとまったく同じ服装で行ったりしてね」ねこ
キャハハハハ....。それ、面白い。彼、ゲっと思うかも。私2着しか服を持っていないとか言っちゃおうかな~、後、顔に絆創膏張っていこうかな~。キャハハハうさぎ

話しは最終的に、いかに変な格好をして、相手の気をそぐかで、すっかり盛り上がってしまった。

「でもね、もし、それで彼から嫌われたらどうするの?」ねこ
ぜんぜん、そんなこと気にならない。平気、平気うさぎ

そんな会話を持った後、先週の土曜日の夜に、友人から電話がかかってきた。

聞いて。彼とのデート、これまでの人生で一番、楽しかった!青山で会って食事して、ジャズのお店に行ったんだけれど、ものすごく雰囲気が良くて、最高な場所だった。ブルーノートなんかよりも断然に良かったうさぎ
「これまでの人生で一番楽しかった? すごいじゃん。私も今度そこに行ってみたいな」ねこ
いいよ、絶対に一緒に行こう。すっごく楽しいから、フミちゃんを案内したいうさぎ
「それで彼はどうだったの?」ねこ
そうねぇ、感じが良くて、この前と違った。彼も多分、楽しんでいたと思ううさぎ
「そう、それは良かったね。それで、今後、彼とは進みそう?」ねこ
う~ん、そうかも。でも別にそうでなくとも構わない。彼からもしも連絡がこなくても、大丈夫うさぎ

この辺りの友人の気持ちは、不思議だなぁ~と思う。
私だったら、そういう状況で連絡が来なかったら、やっぱり気になると思う。

彼女がもしその程度な感じだっとしたら、彼も鈍い人じゃなさそうだから、気がつくと思うけどなぁ。なんたって、2回目のデートで、彼女から手を引っ込められちゃったくらいだし。あうっ

「僕だったら、デートの相手から手を引っ込められたら、それでもう撤退します」
と、一緒に土曜日の夜に3人で食事をした、20代の男性は言った。

「だって、負け戦が分かっているのに、それ以上は攻める気がしないじゃないですか?毎回彼女が地味で同じ服装してくる?それはあんまり大きな問題じゃないですね。逆に好きな子だったら、何かプレゼントしてあげようかなと思っちゃいます」
と更に答えた。

そうかぁ、男性は女性の洋服のセンスよりも、手を引っ込められたことの方がずっと堪えるものなんだ。
女性の場合、男性の服装って結構気になるものだけどね。

ウェストポーチとか、ヴィトンの昔はやったセカンドバッグみたいなのを持って、デートに現れたら、辛い。あうっ

曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨曇りのち雨

今朝、その友人からメールが届いた。
タイトルは「悲しい結末」

なんだろうと思って開いたら、日曜日の朝に彼にお礼のメールを送ったのだけれど、彼から返事が戻ってこないらしい。

>いつもはすぐに返信くれるのに。ずっと返事なし。絶対に嫌われたと思う。うさぎ

〝絶対に嫌われた〟って、またオーバーな表現だなぁ...。
大体、彼女は毎回そういう極端な傾向がある。

以前にも、〝彼も絶対に楽しかったと思う。私たちって、すごくウマがあってピッタリなんだと思う〟と彼女が言った後、相手からパッタリと音沙汰がないとかいうこともある。思い込みが強い。

しかし、不思議だ。むむっ
あれほど生理的にいやだとか、彼から連絡こなくても平気とか言っていたのに。
人間、追われると逃げるし、逃げられると追いたくなるものなんだろう。

う~ん、状況が変わると、簡単に人の心って変わるものなんだなと改めて実感。むむっ

この先、どうなるんだろう。彼から再度お誘いはあるのか?はたまた彼女から誘うのか?



徒然なるままに : 13:32 : comments (x) : trackback (x)
秋の夜空を駆け抜ける

本日は、久しぶりに自分の車を使って都内を移動した。
最近は、なるべく電車を使うことにし、車を運転しないようにしている。

地球に優しいとか、エコとかということもあるけれど、実は今年の初め、ちょっとショックな出来事があった。

今年、夫婦で日枝神社に初詣に出かけ、境内に通じる石段を、相方と一緒に昇ったのだが、結構急勾配な石段で、私は途中でハァハァと息切れし、足が止まってしまった。あうっ
しかし、なんと相方はスイスイと平気で昇っていき、上から「困ったもんだ...これ位で」という顔で私を見下ろしているではないか。
しかも、その止まっている私の左横を抜けて、70歳近そうなおばあさんが、スタスタとノンストップで石段を昇っていった。
「何だか、フミちゃん、やばいよね...にひひ」という相方の声が、私の耳の中で勝手にこだましていた。むむっ

温泉場での卓球の勝負で、彼に勝ったことのある私としては、なんともクヤシイ一瞬である。
「卓球で負けたくせに偉そうに」と負け惜しみを、つぶやきつつ、私は再び重い足をあげて、私は石段を昇り始めた。

そんなことがきっかけで、歩かねば!と心に誓った私は、積極的に電車を使うことにした。

そして、久しぶりの車である。
この車は、私がずっと欲しかった車である。
5年前に購入し、車が自宅まで届けられたときには、ドキドキしてしまった。ハート
初めて運転したときにはワクワクして、ずっと運転していたくなった。ハートハート

さて、そんな我「愛車」を、今日は、久しぶりに運転している。
天候も良いし、風も心地よいので、帰り道は幌を上げて、オープンにして走った。
麻布から、恵比寿を抜けて、代官山へ、そして、そのまま246へ出た。


道は比較的空いていて、アクセルを踏んで飛ばすことができる。
オープンにしていると、風を感じるので、スピード感を体で直に感じられる。


アクセルを踏んでスピードを上げると、身体がバケットシートにピタリを吸い付く。
そして、回転する低音のエンジンの音が聞こえ、風が顔や身体に当たる。

ものすごい快感であるチョキ
風と一緒に道路を走っているような気分になった。

久々のせいかもしれないが、車の運転で、すっかり気分転換が出来てしまった。

この車、やっぱり愛着を感じるなぁ..ハート

週末に時間が取れたら、遠出して運転しよう。



徒然なるままに : 20:08 : comments (x) : trackback (x)
演劇のワークショップ

待合せは、農大前のロイヤルホストに午前11時30分。
今日は、俳優の小野進也さんに誘われて、演劇のワークショップに参加することにした。会場となる場所まで、小野さんが連れて行ってくれることになった。

小野さんは、かつてニューヨークのアクターズ・スタジオで演技を学んだことがあるそうなのだが、今回彼が紹介してくれたワークショップは、その手法によく似ているらしい。

「フミヨさんね、今回のワークショップを開催しているのは、古波津監督なんだけれど、彼の映画や、映画作りに取組む姿勢、考え方ってすごくいいんだよね。僕と考え方がピッタリと合うんだよ。それに彼って、ものすごく謙虚で誰にでも平等な対応を取れる人なんだよ。」と、小野さんは古波津監督のことを語ってくれた。

主催している若手監督の古波津陽さんは、海外の映画祭で幾つかの賞をこれまでに受賞している。

小野さんは、最近だと古波津監督の映画「築城せよ」に出演している。

古波津さんは、ニューヨークのアクターズ・スタジオの内容をまったく知らないで、今回のワークショップを実施することにしたらしい。

また、このワークショップは開催すると、役者さんの間で口コミで広がり、すでに満席で募集は打ち切ったらしい。
通常のワークショップだと、リピーターになる人は少ないらしいのだが、このワークショップはやめる人が出ずに、皆続けて参加しているのも、クラスが一杯になっている理由の一つとなっている。

会場でしばらく見学していた私は、古波津監督と休憩中に何度か話しをした。

「僕は役者じゃないので、細かい演技指導を出来るわけじゃない。
けれども、1つのエチュードの中で出来事が起る必然的な流れを解釈し、登場人物の仕事、背景、性格などから起る、感情やリアクションについては具体的に解説できる。だから、参加している俳優たちが、役をどう捉えて、リアルなキャラクターを演じることが出来るのか、側面からフィードバックすることで、よりいい演技をして貰い、いい映画を作りたいんです」と古波津さんは静かに語ってくれた。

今回の大きなテーマは「衝突と和解」。
2名から4名が1組となって、それぞれ「人形パパ」など与えられたお題で、エチュード(演劇)を行う。

これは3つ目のエチュード「聖地コンビニ」でのシーン
男性が、お店の女性オーナーに刃物を使って、脅してお金を要求


怯えながらも、偶然お店に来ていた、昔東京のスナックで面倒を見ていた女性と一緒に強盗を説得


自分の過去のトラウマを語る強盗


エチュードの終了後、ストーリーの展開、それぞれの役の表現、リアクションにコメントする監督

私は古波津さんのコメントをずっと聞きながら、メモしていたが、
一人ひとりの演技のシーンを切り取って、ものすごく的確で具体的で分かりやすく批評していた。
またストーリーの展開についても、評価できる点と、もう1歩進むのに必要なポイントを伝えてくれる。
また、そのストーリーの展開のポイントが、ビジネスのプレゼンテーションでの構成と似ている点が多々あり、
とても面白いと思ってしまった。

4つ目のエチュードの「横取り」
インターネットを使って詐欺を働いていることを、高校時代の同じバスケ部の先輩宮城に知られて開き直る三井


6つ目のエチュードの「UFO発見」
UFO好きの友人女性に気持ちを打ちあけてせまろうとする、物理学者役の太郎くん


演劇のワークショップは、とても興味深かった。

私達が企業で行っている研修の進行とよく似ていると感じる。
経営や教育の場面以外に、演技の指導の世界にもファシリテーションが有効なことを発見した。

小野さんは、
「僕はずっとワークショップに来ているけれど、基本的に彼らの演技を批評しないし、コメントしないようにしているんですよ。」と言った。

それはどうしてですか?と私が質問すると、
「僕達世代の役者はね、監督や演出から、厳しく叱られて育ってきているんですよ。だから、彼らの演技を見ていると、バカヤロー〟とか言っちゃいそうなんだよね。だから、最初から言わないようにしているんですよ」と、小野さんはニコニコ笑いながら答えてくれた。

これも、企業の部下育成の事情とよく似ていると感じた。
昔は、上司が厳しく指導し、時には大勢の前で部下を怒鳴っていたものだが、今ではこういったケースは少なくなりつつあると思う。
私も以前、職場の上司が、朝から先輩男性のことを大きな声で、「○○、バカヤロー、お前ふざけてるんじゃないぞ!」と怒鳴ったことをよく憶えている。

しかし、キャラクターをきっちりと出して表現することは、難しいと思った。
一人で演技するわけではなく、相手がいるので、その場その場で、相手の演技に反応して、自分ではない登場人物になりきって表現しなくてはならないからだ。登場人物に対する解釈が浅いと、思わぬ展開に途中で崩れてしまう。

自分として登場するならば、自分の反応をそのまま演技すればいいと思うが、
自分とは違ったキャラクターの場合、下手すると頭で考えて演技することになる。
すると、やっぱり、どこか一貫性を失った、ナチュラルではない演技をすることになってしまう。

観ていて、やっぱり、その登場人物になりきることが大事だと感じた。

ただ、見方を変えると、NLPでも相手の立場にアソシエートするという方法があるので、
もしかしたら、そういった手法を活用することが出来るかもしれない。
いずれにしても、演じる人物の掘り下げが必要なんだろうと観ていて感じた。

小野さんも12月には、古波津監督の映画に出る予定もあり、ワークショップに参加する予定らしい。
私も個人的に、自分の「表現力」を高めることに非常に関心があるので、思い切って参加してみたい。

方法を考えなくては...。むむっ



イベント、観劇 : 16:51 : comments (x) : trackback (x)
秋の台風の中での新たな気づき

台風18号、寒気と暖気が組み合わさると風が強くなるらしいが、この季節の台風は突風や竜巻が起りやすいらしい。
ニュースを見ていると、各地で倉庫が倒れたり、トラックが横転したり、大変なことになっている。
被害に会われた方は、本当にお気の毒である。

さてそんな台風の中、私はノコノコ出かけたのだが、その甲斐があって、新しいことに気づいた。

実は私は、瞑想とか座禅とか、じ~っと黙って座っていることが苦手である。
これまで何度かトライしたことがあるのだが、いずれも飽きてしまって、途中でキョロキョロしてしまったりする。
いい年をした大人が、落ち着きがなくてみっともないと思うのだが、やっぱりキョロキョロしてしまう。
私の周りには、瞑想する人は割と多くいて、瞑想を薦めてくれるのだが、これまでイマイチ、ピンとこなかった。

しかし、瞑想、私にも出来るかもしれないと最近思ってしまった。

きっかけは2つあるのだが、1つは先週末に参加した、エニアグラムのワークショップである。

下記の写真は、ワークショップの2日目、終った後に写したものである。
左が主催者のティム・マクリーン氏と中央が私、そして右が講師のラス・ハドソン氏である。



エニアグラムのワークショップは、もう随分前に二度ほど参加したことがあるが、
今回は数えると十数年ぶりの参加となる。
講師のラス・ハドソン氏は毎回セッションが始まる前に、
チベタンベルをリ~ンと1度鳴らし、
「自分自身の本質と繋がる静かな時間を持ってください」と
3分前後の静かな時間を取る。

「自分自身の本質と繋がる」と言っても、結構難しい。
色々とどうしたら繋がるんだろうか...などと雑念が混じってしまう。
しかしそのうち、椅子に深く座って、ゆっくりと深呼吸を繰り返していると、
だんだんと落ち着いてくる。
ザワザワ~っとしていた気持ちも、ゆっくりと落ち着いてくる。
また、3分前後なので私もキョロキョロせずに静かにしていられる。

2日間で、何度か繰り返すうちに「なかなかいいな」と思えるようになった。

そして、2つ目は、台風の中、知合いのお誘いで参加した「フロー」の研究会である。
「フローの状態」というのは聴いたことがあるのだが、詳しくは知らないので好奇心から参加しようと思ったからだ。
短いワークを、NLPを教えている平本さんがリードしてくれた。

五感を使って「フローの状態」を感じることができるワークを1つ行ったのだが、
私はそのときに、何とも言えず落ち着いて深くリラックスすることができた。

何と言うか、自分がものすごく満たされていて、体が温かい感じで、
風とか土とか周りの自然の中で一体となって、安心していられる感じがした。

以前にも、これに近いワークをNLPで実践したことがあるのだが、
私はこの状態を、気持ちいい~っと思っていても、特にその後、活用しなかった。

しかし、今回、エニアグラムで短く行った瞑想タイム?の際に、「自分の本質と繋がる」というラスさんのメッセージが深く心に残っていた。

おそらくフローの体験も、「自分の本質と繋がる」という要素を含んでいると感じる。

今回、意識して、その深くリラックスした状態から人と話すと、何だかとても人と波長があって繋がっている感じがする。
あれこれと、フィルターなしに人の話しを聴くことができるし、「人と一緒にいる」という感じがするのだ。
スルスルと必要な言葉も出てくるし、それでいて深く落ち着いている感じがするのである。

自分の状態管理、エネルギーは大事である。
ゆっくりと深い呼吸をし、自分自身と繋がることが、
日々リソースに溢れた自分でいるための基本であると思った。

何だかこの発見が、妙に嬉しい。にかっ
毎日、これなら無理なく実行できそうである。



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