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2011-08-23 Tue
管首相が退陣することになって、これで少しは改善されると思ったのも束の間、民主党代表選の候補者を見ていると、ガックリ肩が落ちてしまう。
8月25日発売の週刊文春は、候補者を並べて「馬鹿のかお」と揶揄している。
このガックリ感、候補者の顔ぶれだけではなく、民主党そのものへの失望感が加わっているので結構重い感じとなる。
しかも、今回の代表選で最悪な点の一つは、投票までわずかな日程しかなく、まともな政策論争が出来ないという点である。
それぞれの候補者が世論に政策を主張して是非を問うべきことも出来ず、水面下の取引き、誹謗中傷が飛び交い泥沼な状況になること必須。
もともと、国民は、民主党に「汚職・金権のないクリーンな政治、政治主導の政治、行政改革=天下りの根絶と無駄使いの排除」を求めて2009年に投票した。
しかし今回の代表選は増税に関する話しだけで、世の中が求めている(おそらく)民主党がもとより主張していた政策について語る候補は誰もいない。
一国のリーダー、首相を選ぶのに、有権者として関与できないことに対して、かつてこんなにフラストレーションに感じることはなかったように感じる。
米国の大統領選挙の場合、1年半かけて候補者同士が戦う。
その間に政策も議論されるし、弱点も露呈されるので、おのずと問題があったり力足らずな候補者は落ちていく。
(長いから選挙資金が重要、オバマ陣営はかなり集めているらしい、よって再選可能性大。この点どうお金を集めるかの問題はありますね...)
しかし、これによって、すぐに辞めるような人/もしくは資質に著しく欠ける人を選んでしまうような事態を防げるのではないかと思う。
また政策議論によって、政策の利点や欠点も国民にも理解されてくる。
日本の場合、ただでさえ短い代表選なのに、今回は民主党の『代表選挙規制』を無視して2週間の期間を取らないでやることになる。
候補者の誰1人、代表選挙規則について、何も言わないのも不思議~な???党である。
また、約130人のグループを抱える小沢さんへの各候補者のスリ寄りは露骨。
『数は力』とばかり、すっかり古い自民党の頃にタイムスリップしてしまったかのよう。
出馬を見送っていた前原さんも結局出馬することになったが、当選しても、おそらく色々な人から色々なことを約束させられて、がんじがらめになるだろうと思う。
更に、民主党には党の『綱領』がないらしい。
合意の形成についても仕組みがないし、極左から右派まで思想理念がバラバラの組織なので、一貫性のある政策を煉る/通すことは出来ない。
現在の民主党のような、無理した寄り合い所帯では誰が代表になっても、問題は尽きないだろうと思う。
志のある民主党の若手議員には、思い切って党を出てみてはどうだろうか、というか出て欲しい。
今の寄り合い所帯の民主党では、永遠に責任を持って政権を担える状態にはならないだろうし、いつまでたっても、スポンサーである鳩山さんも小沢さんも権力を手放さないだろうと思う。小沢さんに至っては、かつての自民党時代に身に付けた『数は力』=『金は力』の政治スタイルを絶対に変えないと思う。
今回の代表選を通じて、再びお金が入ってくるようなポジションを、何らかの方法で巧妙に仕掛けてくるでしょう。
そんなことがまかり通っちゃうのも、議会が首相を選ぶという現行の制度の大きな問題点である。
今のように、変化を求められる時代においては、大統領に匹敵するリーダーシップが日本の政治にも必用なのではないかと思うのだけれど、首相公選制をやはり真剣にテーマとして取り上げる時期に来ているのではないかと思う。(超党派議員で議論が交わされているので今後に期待したい。山本一太議員のブログより)
現在の民主党のような代表選を行っていたら、民意を受けた人が国に必要な政策を実行するのではなく、民意を受けそうな人に特定派閥グループが自分達の派閥利益を優先した交渉を行うので、結局特定派閥議員の利益を守る人が首相になってしまう。
まぁ、派閥への約束はあくまでも口約束だから、当選後は知らんぷりも出来るけれど、前原さん他の候補議員にそんな肝の据わった図太さはないと思う。
前原さんも最初はこぶしを振り上げて威勢はいいが、後でいつも尻すぼみになる、ぐらつく人である。
今必要なのは、首相を変えることではなくて、まず制度を変えることではないでしょうか。
by bandoh
政治、社会 : 07:30 : comments (x) : trackback (x)