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美しい松と情報リテラシー

3月19日からの三連休は、当初、母、姉、姪のあずさと箱根で過ごす予定していましたが、あいにく姉から「ウィルス性の胃腸炎、回復してきたけれど、やっぱり今回は行けない」と連絡がありました。しくしく

おそらく原発事故や余震のことも心配していたので、慎重な姉は決断したと思います。
そこで計画は取りやめか、、、、といったんは思いましたが、

なにしろ一週間も自宅待機をしていた私は、気分転換から東京を離れたくてしょうがない。あうっ
そして同じようにこの一週間、ウツウツ自宅待機を余技なくされていた友人を誘い、連休は箱根に移動し過ごすことに。

19日(土)は東名高速も厚木道路も、すべてガラガラ。
自宅から1時間かからないで箱根に到着しました。


「エクストリーム・スーパー・ムーン」20日(日)午前3:10


この夜は、ひっそりと深夜に置きだして満月を見ることにしました。
ビックリです。にぱっ
燦然と煌々と光輝いていて、まぶしいくらいでした。

調べてみると1993年以来の大きな満月だそうですね。
通常の満月よりも10%大きいとのこと。月が地球に近づいているから大きく見えるのだそうです。
寒かったですけれど、外に出てお月様を拝みました。


そして翌日、あまりに美しい松を発見してしまい、思わず撮影


優雅で気品があり力強く、そして私達に何か語りかけているようにも感じます。

毎回来ている場所なのに、なぜ今まで気づかなかったのか...。

そこに存在する、湖と富士山に気を取られて、この美しい松の姿を心に留めていなかったのだと思います。

人間はまさに、「見たいと思う現実しか見えていない」生き物なんだなと感じます

そういう意味では、ソーシャル・メディアが発達した社会で、今回私はこの松の発見と似たような体験をしています。

送られてくる沢山の原発等に関する情報に触れながら、"富士山"と"湖"以外にも見るべきものがそこにあること知ってしまった。
日本と海外で報道されている情報には大きな隔たりがある。

またデータに基づいた放射能汚染に関する報告も、例えば原発なのか反原発なのか、その人の立ち位置によっても変わる。

この先何が起こるか分からない「乱世の世界」を生き抜いていくためには、沢山のリアルタイムの情報の中から、確かで自分にとって有用な情報を、見分けていく能力が求められると思います。

熊坂仁美さんのblogで アエラと週刊ポストの一件で考えた「情報リテラシー」の問題
から引用するが、

問題は、編集側の「意図」「切り口」によって、
ここまで決定的な違いを生むということ。

だから、情報ソースを一つのテレビ局や一つの新聞、一つの雑誌にし、
何も考えず「鵜呑み」にするのは非常に危険が大きい。

今回のような緊張局面では、
どういう情報を得るかで、行動がまるきり変わるからである。

今回の災害では、
マスメディアの役割が問われ、
それと対比するようにソーシャルメディアに注目が集まった。

たしかにソーシャルメディアの出現によって、
私たちはリアルタイムで情報収集ができるだけなく、
情報の取捨選択の自由を手にした。

だがソーシャルメディアの問題は、受け手側にスキルが要求されるということ。

リビングに座って黙ってテレビを見ているようなわけにはいかない。
受け身では機能しないのだ。


これらを使いこなすのは、最初は熊坂さんの言うとおり、面倒かもしれない。
ただし、やってみて慣れてしまえば、まさに自転車のように考えずともスイスイ乗れてしまう。

湖のほとりで、美しい松の姿を発見したように、日々何かしら気づきを得られると思う。

徒然なるままに : 13:51 : comments (x) : trackback (x)
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