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2011-09-04 Sun
過去の歴史や偉人伝を読むことで、今を生きるヒントを得ることがありますが、今回は、その中で、パクス・ロマーナを実現し1000年以上続いたローマ帝国の礎を築いたリーダー、ガイウス・ユリウス・カエサルこと、ジュリアス・シーザーのことを書きたいと思います。
時は経ても、戦乱の世を勝ち抜いたリーダーから、変化と競争が厳しい社会に生きる今のリーダーが学べる要素は沢山あります。
シーザーが、なぜ、多くの部下を従えて、ローマを出て困難なアウェーでの戦乱を勝ち抜き、新しい世界を切り開けたのか、今回は4つのことに的を絞って書きます。
一つ目:シーザーには実現したいビジョンがあり理念があった
シーザーには、大きな野望があった。
「野望」と聞くと、何か出世欲に駆られたドロドロしたイメージがあるけれど、野望も遠大で大きなものになると、社会全体が良くなり、多くの人がその恩恵を与ることになる。だから大きな野望は、皆にとっての理想であり「ビジョン」となる。人はそんな未来を見せてくれる、信じさせてくれる人を、リーダーと感じる。そしてそのビジョンに向かって自分もついていきたいと感じる。
シーザーは遅咲きながらも、執政官を勤め、やがて大きな野望、「ビジョン」を持つようになる。
そのシーザーのビジョンとは、「ガリア地域(古代ガリアはピレネーとアルプス両山脈、ライン川、大西洋に挟まれた全域で現在のフランスより広い)の不安定さを取り除いて平定し、ローマを中心とした安定かつ繁栄した西方社会を創る」というものである。
つまり、みんなが安心して平和に暮らせる社会を創りたいと願ったのである。
それは都市国家としてのローマの平和とどまらず、ローマを中心にした西方社会全体の平和という大きな枠組みの概念となる。
若い頃に、ローマを追われて海外で暮らす日々があったからかもしれない。面倒をみてくれる人がいたとはいえ、不安定な状況で、ローマを眺めていたから見えるものがあったかもしれない。
シーザーは人が見通せない未来を先読みする目を持っていた。そしてその未来社会の価値が分かるがゆえに、自らがしていることに確信を持ち、何があってもその理想をあきらめようとは思わなかったのだろう。遠征地で苦しい戦役の生活を続け、最後の勝利に向かってどんな困難な状況下におかれても前を向いて前進した。
シーザーのそのガリア遠征によって、最終的にアリシア攻防戦でブリタニアを含むピレネー山脈からライン河にいたる地方の歴史は出来上がることになる。つまり現在の「ヨーロッパ」はここから出来上がったといえる。
ちなみに欧米の学生達は古代ローマからローマ帝国の歴史をみっちりと学校で学ぶようになっている。ニコロ・マキャベッリの「君主論」などもきっちり学ぶ。3月15日はジュリアス・シーザーの誕生日であることは誰でも知っているらしい。こういった歴史教育は自国のエリート教育として必要不可欠なものとなる。なぜなら自民族の歴史や成り立ちを学ぶことで、誇りを持つ人間が育つことになる。また西洋文明の起点を理解することで、世界全体から地域が受ける影響、また地域が世界へ与える影響といった、世界全体の相互の影響を感じ取ることができる。(この歴史教育を受けた時点で、西欧社会の学生たちはすでに日本人よりも地球を小さく感じるのではなかろうか?また自分達の先祖が文明社会を築いたという強い自負心が生まれるだろうと思う)
海外に赴任し欧米人の部下や上司を持つ可能性があるならば、エドワード・ギボンの『ローマ帝国滅亡史』などは必読書の一つだと思う。
二つ目:情報を集め、人や物事をよく観察し、人間の本質を理解していた
シーザーは人が誰もが違う世界観を持っていることをよく理解していた
シーザーは、「人は誰しもが同じ1つの現実を見ているわけではなく、様々な自分の思惑というフィルターを通してしか現実を見ていない」ことをよ~く分かっていた。
だから視点を変えて相手の立場にたって物事を考えることができ、その能力は後々多くの場面で、問題解決を進める力となって顕われてくる。
例えば互いに協調せず、部族間で争いを続けていたガリア地域の人々をまとめ、部族間で戦いを起こさない仕組みを考えることができた。また外交の交渉でも、相手がどのような条件であれば満足し、こちらも利益を得ることができるのか、Win-Winの落としどころもよく分かっていた。
だからこそシーザーは、勝つための情報(インテリジェンス)収集の重要さを知っていた。どの地域においても必ず相手方の情報を部下を使って十分に集めて分析し、ことに臨んでいたのである。
さらに文明がない社会では、人が豊かな生活を体験することができず、戦争を起こすきっかけを作ると理解し、平和な社会のインフラ(水道、街道、公共施設、住居、神殿)や工芸品(絵画、彫刻、食器)や文化(居酒屋、劇場など)を輸出することで、平和を享受できる環境を創り、戦争を回避したくなるような環境を創っている。
ガリア遠征中に、自分の政敵となる反シーザーで強行な元老院議員を父に持つクリオを、なんと自分の味方とするために護民官として選び、クリオを説得するための手紙を書く。シーザーは、クリオの演説やその他の情報で、この青年が「何かをやりたい強い意志」の持ち主であることを察っしたのであろう。
シーザーは、そのような性格の青年ならば、遠大な理想を明示し、それを共有することを理を踏んで説く正攻法で臨めば説得も可能であると理解したのである。そして実際にそれは成功する。シーザーはその種の手紙を書く名手でもあった。シーザーは相手の心理や欲するもの、願うものを理解しWin-Winのパートナーシップを構築していく達人、「天才」であったと言える。
余談ですが、シーザーはうっすら禿げていても女性を口説くのが上手で、ポンペイウスの妻まで口説き落としてしまう、とんでもない「女たらし」であったことも有名です。この天才は女性の心もよ~く分かっていたのだと思います。
三つ目:勝利のために新たな発想で柔軟に対応した
「シーザーはプロの軍人ではなかった。誰もが思いつかない戦略や武器、戦術を発想し実行できた」
先に遅咲きと書きましたが、シーザーが「執政官」となり、戦役で実力を発揮し活躍し始めたのは40代に入ってからです。
しかしプロの軍人とは違い、過去に戦争でのパっとしたキヤリアのないシーザーは、だからこそ新しい発想を取り入れることができたのかもしれません。
当時のローマ軍団は、軍人ではあるけれど、そのほかにも橋をかけたり建物を作ったり、舗装して街道を造ったりなどできる「土木建築の技術も持つ職人」でもありました。
城門を硬く閉ざし篭城している敵を囲んで、木材を切り出してセッセと何やら城壁を登って渡れる、見たこともないような攻めのやぐらや武器を作ったり、幅が大きく深い川を挟んでいるからこちらには渡れまいと油断している敵の目の前で(実はシーザーの兵隊たちも渡れまいと思っている)、号令をかけて橋を作ってかけるなど、戦う前にその技術力を目の当たりにして「見たこともないものを作るローマの軍隊恐るべし、、」とメンタル面で降参し早くから白旗をあげた敵は少なくなかったと思う。
戦わずして勝利を手に入れることができ、自軍の武将の命を危険にさらすこともない。
さらに戦争で勝つには機動力が必要となりますが、自軍の数倍の規模の部族と戦う時にも、機動力を高めるため、馬に乗れない歩兵を敵から見えないように騎馬隊の後ろに乗っけて運びカバーするなど、奇想天外な戦術を繰り出し、”戦の素人”が少ない自軍の武将を従えて、多勢の敵をけちらし、敵も味方もあっと驚く「連戦連勝」を続けたのである。
そしてこの「連戦連勝」によって、着実にガリアの平定を実現していくシーザーの姿に、ローマ市民のみならず、反シーザーの元老院を親に持つ両家の子弟たちも、熱く熱狂していくことになる。
四つ目:人を動かす説得力をもっていた
「シーザーは人の心を動かす言葉と表現力を持っていた」
古代ギリシャのリーダー教育の一つに「修辞学」がある。その中に説得力の3つの要素「エトス・パトス・ロゴス」がある。古代ローマのリーダー達が、人々の心を動かすために学んだ技術であり必須のため、シーザーも学んだであろうと思う。
この3つの要素を簡単に説明すると、
1.「エトス」は人から信頼される要素
2.「パトス」は人の感情や感性に訴えかける要素
3.「ロゴス」は論理性である。
シーザーはこの3つの要素を持ち合わせている。
彼の部下のローマ兵たちは、絶対絶命の苦しい困難な戦況に追い込まれ「あ~、もう故郷に帰りたい」と弱気になっても、シーザーの弁舌を聞いた後には、ガラリと変わって「シーザーに着いてどこまでも戦うぞ!」と涙を流して誓うのである。
現代のビジネスマンは、ロジカルシンキングなど論理について学ぶ機会は多いと思う。しかしながら、世界全体の経済が繋がり影響し合い(アメリカ、中国、ヨーロッパの不景気=日本の大不景気)、新興国の台頭によって、益々生き残りの競争が厳しくなった”逆境”を生きなければならない時代には、ロゴス(論理)だけではなく、シーザーのようにエトス(信頼)、パトス(感情や感性)のような精神的、感情的な側面に訴える要素を発揮しなければ、部下の意欲は上げられないと感じる。
そういう意味では、ビジネスパーソンがこれからマネジメント能力を発揮していくためには、心理学を学ぶべきだろう。人を知ることがピープル・ビジネスである。
以上、ジュリアス・シーザーのリーダーシップについて私なりに4つの要素を列挙してみましたが、その核にあるものは、シーザーの確固とした「理念とビジョン」そして「人間理解」であり、この2つに他の要素が連動して高まっているのではないだろうかと感じます。
そういえば、今年参加したアメリカでの「ASTD」という教育の世界最大のカンファレンスで、最も印象に残った基調講演はダグ・コナントとメッテ・ノルガードの二人によるものでした。
彼らは、明確な「理念とビジョン」と、タッチ・ポイントという「人間理解」をもとに、現場の人々を意欲ややる気を高め、衰退の一途を辿るキャンベル社の改革に成功した。
古代ローマで上手くいったことは、今でも十分に使えるのである。
by bandoh
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